絶体絶命の危機

「アリス様、お待ちください!」

「どうか、お考え直しを!!」

「置いていかないでっ!」


 イヴを追うように後方を走ってくる黒い天馬。その鞍に騎乗する巫女さまたちが、口々に叫ぶ。

 なかでも、先頭を駆ける黒い天馬に乗った若い巫女さまが誰よりも必死だ。

 だけど、今はアリスさんを説得する場面じゃないはずだ!


 飛竜たちに執拗に追われて、気づけば僕たちは北の海の上空にまで差し掛かっていた。

 このままでは、飛竜と北の海の支配者の挟み撃ちになって、アリスさんを説得して連れ戻すどころではなくなってしまう!


 そこで、違和感を覚える。


 アリスさんは、まさに武人然とした強い巫女騎士さまだ。だから、自分たちの置かれた状況を正確に把握しているし、一度誓った決意はそう簡単にはじ曲げないのだと、知り合ったばかりの僕でさえも理解している。

 では一方の、追っ手である巫女さまたちは、どうだろう?

 アリスさんやイヴに気づかれないほど巧みに追跡してきた手腕はすごいと思う。僕やユーリィおばあちゃんの施した迷いの術をあっさりと突破したことも驚嘆きょうたんに値する。

 でも、竜の墓所に踏み入って老竜に見つかったり、数が多かったとはいえ飛竜や翼竜たちに翻弄ほんろうされていた。

 アリスさんは、易々やすやすと飛竜の攻撃を弾き返していたのにね?

 しかも、北の海が目前に迫っているというのに、そのことに焦りや戸惑いを感じていないように見える。


「もしかして、アリスさんと他の巫女さまとは実力が全然違う?」


 僕の呟きに、イヴが反応する。


『当たり前だ。主は選ばれた巫女騎士。だが、あの者たちは戦巫女いくさみこでしかないのだからな。あの者たちは主とは違い、聖域の外のことなど知らぬ』

「えっ。それじゃあ、追っ手の人たちは普通の戦巫女さまなの!?」


 言われてみれば、と背後のアリスさん越しに追っ手を振り返る僕。

 黒い天馬に跨った女性たちは、確かにアリスさんとは装束から違っていた。

 アリスさんは、真っ白な巫女装束の上からよろいを身に纏っている。だけど、追っ手の戦巫女さまたちは薙刀こそ手に持ってはいるものの、鎧なんて身に付けていない。

 というか、追っ手の人たちの方が僕がよく見知っている、まさに「戦巫女」の巫女装束だった。


「それじゃあ、天馬に乗っているという特殊な条件が違うだけで、追っ手の人たちは神殿勤めの戦巫女さまと一緒なんだね?」


 違和感の正体を知る僕。

 だけど、それで心の不安はなくなった、なんて言えるわけもない。

 戦巫女さまたちの背後からは飛竜が迫り、僕たちが進む正面には北の海が延々と広がっていた。


「アリスさん、どうしよう!?」


 このままでは、本当に僕たちまで危ない。

 もう一度、北の海の空域に入ったとして。はたして、北の海の支配者はまた僕たちを見逃してくれるだろうか?

 そんな保証はどこにもない。

 それどころか、僕たちを追う黒い天馬や戦巫女さまたちの命なんて、もっと危ういはずだ!

 このまま飛竜だけに意識を向けて北の海の上空に侵入してしまったら、不意を突かれて一瞬で殺されてしまうかもしれない。


 それでも、飛竜に追われた戦巫女さまと、その人たちから逃げようとするこちら側の進む先は、もう北の海の上空しか残されていない。

 飛竜たちに追われて、僕たちもまた北の海の空域へと再び侵入しようとしていた。


『北の海の化け物の餌食えじきになるがいいわ』

『噂の竜王であれば、これくらいは切り抜けられるであろう?』

『かかかっ。見ものだな』


 背後から、竜族たちの嘲笑ちょうしょうの咆哮が響く。

 飛竜たちは知っていた。この先がいかに恐ろしい空域なのかということを。

 だから、飛竜たちは北の海の上空までは追ってこなかった。

 そして僕たちは、追われるままに北の海の上空に入ってしまう。

 飛竜たちは、こちらが恐ろしい場所に侵入したことを見てとると、眼下に見える砂浜の境界で身体を反転させて、こちらから距離を取る。


 その様子に、油断してしまう後方の戦巫女さまたち。

 天馬の手綱を緩めて、気を抜いてしまう。なかには、一旦様子を伺おうと、足を止めるように天馬へ指示を出そうとした戦巫女さまもいた。

 そこへ、背後から飛竜たちの恐ろしい息吹が襲いかかる!

 飛竜の追撃がなくなったと気を緩めた天馬や戦巫女様たちが悲鳴をあげて、慌てて逃げ惑う。


 くっ。飛竜たちはこの後に及んでも僕たちを弄ぶつもりなんだね?

 北の海の支配者に襲われる様子を、陸地の方から眺めるつもりなんだ。そして、僕たちが陸地の方へ逃げてきたら、戻さないようにああやって威嚇いかくする。

 どこまでも悪辣あくらつな飛竜の思考に、こういう相手もいるんだね、と改めて思い知る。


 でも、だからといって暴力に訴えられない僕がいた。

 どうしても、負い目を感じちゃうんだ。

 老竜たちの安息を乱したのは僕たち、というか戦巫女さまたちだ。だから、謝罪すべき立場はこちらであり、それを暴力で済ませるという選択を選べない。

 それでも、命の危機が迫っているのなら……!


 そう、覚悟を決めかけた時だった。


 ぞわり、と全身を圧迫するような圧倒的な殺気を感じ取る。


『いかんっ。北の海の化け物の意識に触れたぞ! どうするのだ!?』

「くっ。このままでは……!」


 イヴとアリスさんがあせりを見せる。

 もちろん、僕だって切羽詰まっていた。

 このままでは、北の海の空域に侵入してしまった僕たちだけでなく、それを追ってきた戦巫女さまたちも襲われてしまう!


 だけど、事態は僕たちの焦燥感以上の、最悪の展開に発展していく。


 北の海の空域に入ってしまった僕たちを押し潰すような、圧迫する殺気。そこに加えて、計り知れない魔力が世界に充満していく。

 そして、眼下に広がる北の海が金色こんじきに輝いたと思った瞬間だった。


『ぐぬあっ!』

『なんだと!』

『よもや、空域に侵入していない我らをも襲うつもりか!?』


 背後から、飛竜たちの焦りの咆哮があがる。


「きゃあぁぁっ!」


 そして、次々と起こる戦巫女さまや黒い天馬の悲鳴。


 北の海とその上空に満たされた殺気と計り知れない魔力が巨大な烈風の刃となって、黒い天馬たちに襲いかかる!

 豪風を巻き起こし、回避しようが直撃しようが、黒い天馬たちを呑み込んでいく。

 更に、金色に染まり輝いた海面からはむちのような無数の触手が空へと駆け上がってきて、北の海の空域に入らずにこちらを嘲笑していた飛竜たちに襲いかかった!

 金色の鞭から逃げようとする飛竜たち。だけど、無軌道にしなった鞭の動きを読み切れずに、一体の飛竜が巻き取られてしまう。


『ぐぎゃああぁぁぁっっっ!!』


 悲鳴をあげる飛竜。

 鞭に巻き取られてしまった飛竜は断末魔の悲鳴をあげると、がくり、と力を失う。

 全身に巻きついた鞭の隙間から覗く翼や尻尾や首が、力なく垂れた。

 金色の鞭は、絡め取った飛竜を北の海の底へと引き摺り込んだ。

 そして、次の獲物を探すかのように、新たな金色の鞭が海面から無数に生えて、飛竜たちを狙う!


 恐るべき飛竜が一瞬で倒されて、海に呑み込まれた。その様子を見ていた戦巫女さまたちが、恐慌状態に陥る。

 悲鳴をあげて、黒い天馬に出鱈目でたらめな指示を出す。

 主人の意味不明な指示に困惑する黒い天馬たち。自分自身も北の海の恐ろしさをようやく知って恐怖におののいているというのに、そこへ意味不明な命令が下れば、混乱は避けられない!

 せっかく巨大な風の刃と巻き起こる業風をなんとか防ぎ切った黒い天馬たちも、次々と北の海の支配者の手に落ちていく。


「ああぁぁっ!」


 アリスさんが背後で絶望の声を喉の奥底から漏らしたのは、その時だった。

 僕たちに向かっても、恐ろしい魔法や金色の鞭が襲いかかっていた。それでもイヴとアリスさんの能力でなんとか凌ぎ切っていたけど。ひとりの戦巫女さまが、アリスさんの視界の先で北の海の支配者の餌食となった。


 金色の鞭にしたたかに打たれた天馬が悲鳴をあげて、上空で吹き飛ばされた。その衝撃で、鞍の上から弾き飛ばされる戦巫女さま!


 翼を持たない者は、空を飛ぶことはできない。

 それは、聖域と呼ばれる特殊な地域の戦巫女さまであろうとも、例外ではない。

 上空に放り出された戦巫女さまが、悲鳴をあげながら海へと落下していく。

 このままでは、戦巫女さまは海面に叩きつけられて絶命してしまう!

 そうでなくても、北の海の支配者が繰り出す恐ろしい魔法の餌食となって、命を落としてしまう!


 アリスさんがイヴに命令を与え、落馬して海面へと落ちていく戦巫女さまを追おうとする。

 でも、天馬の速度では絶対に追いつけない!


 僕は、咄嗟に動いていた。


 腰に回されたアリスさんの腕をほどき、空へと跳躍する。

 そして、躊躇わずに空間跳躍を発動させた!


 切り替わる風景。

 だけど、そこも空の上。

 イヴの背中から離れて、僕も海面へ向かって落下する!

 それでも僕は臆することなく、もう一度空間跳躍を発動させる!


 さらに景色が切り替わる。

 海面が一気に近づく。

 そして、落下していく戦巫女さまに近づく。


 あと、もう一度!


 三度目の、空間跳躍。


 迫り来る、金色に輝く海面。

 そこへ真っ逆さまに落ちていく、僕と戦巫女さま。

 遠い上空で、アリスさんとイヴが叫んでいる。でも、轟々ごうごうと耳に鳴り響く風の音で、何も聞き取れない。


 僕は手を伸ばす。

 そして、一緒に落下していく戦巫女さまを捕まえた!


 乱れ暴れる暴風で逸れないように、戦巫女さまを強く抱き寄せる。


 だけど、このままでは僕も戦巫女さまも海面に落ちて死んでしまう!

 かといって、僕だって空を飛ぶことはできない。

 それじゃあ、上空へ向かって空間跳躍をすれば?


 イヴが追いつくまで、上空に向かって空間跳躍を使い続ければ、あるいは落下死からは免れるかもしれない。

 でも、戦巫女さまがいきなり連続の空間跳躍に耐えられるかな?

 空を真っ逆さまに落ちていく恐怖に耐えられなかったのか、僕の腕の中の戦巫女さまはすでに意識を失っていた。


 意識を失った人に空間跳躍を初めて使う場合は、どうなるんだろうね?

 やはり、激しい酔いに襲われるのかな?

 精神で抵抗できない分、余計に体の負担が大きくなりそうな気がする。そう考えると、安易に空間跳躍は使えない。でも、使わなきゃこのまま僕も落下し続けて、いずれは海面に叩きつけられて死んでしまう!

 迷っている暇はない、今は空間跳躍を使うべき状況かな!?


 だけど、北の海の支配者だって、逃げる僕たちを傍観するはずはない。

 どこへ空間跳躍しても、そこは北の海の支配の魔力が満ちた世界。

 北の海の支配者がその気になれば、空間跳躍で飛んだ先が、僕たちの死地になる。

 空間跳躍を使おうが使うまいが、このままでは運命の行き着く先を変えられない!


 それじゃあ、どうすれば!


 海面に向かって落下していく僕たち。それを追って急降下してくるイヴの姿が、遠い上空に見えた。

 下方には、金色に輝く海面。

 何処までも広がる金色の海面に、距離感を失う。

 後どれくらいで僕たちは海に叩きつけられてしまうのかさえ読めない。


 だけど、僕は絶対に諦めないよ!


 どんな状況であっても僕は切り抜けて、家族が待つ場所に帰るんだ!


 そう。

 どんなことになったとしても、取れる手段が僅かでも残されているのなら、その手段を僕は選ぶ!


 だから、叫んだ。

 空間跳躍という選択肢を選ばずに。

 最初に北の海へ踏み入った時に感じた違和感を信じて!


「お願い、シャルロット! 僕たちを助けてっ!!」


 全力で叫んだ。

 金色に輝く海面に向かって。


 その時だ。

 金色に輝く海面から無数に生える鞭が、落下し続ける僕たちに向かって伸ばされる。

 迫る海面よりも速く、輝く鞭が僕たちに迫る。

 そして、飛竜をそうしたように、僕たちを絡め取ろうとしなる金色の鞭。

 鞭が眼前に迫り、視界が金色に染まる。

 だけど、僕は抵抗しなかった。

 金色の鞭も、飛竜の時のような激しさではなく、優しく僕たちを絡め取る。

 全身に巻き付く、金色の鞭。


 急に、落下する勢いが弱まった。


 僕と戦巫女さまを絡め取った金色の鞭が、ゆっくりと揺れる。

 まるで、僕たちをこれからどう扱うか悩んでいるかのように。

 金色に染まる視界の先で、僕たちだけでなく追いかけてきたイヴにまで金色の鞭は襲いかかっていた。


「シャルロット、みんなを助けてね?」


 僕はそう、金色の鞭に向かってお願いをする。

 すると、金色の鞭が伸びてきた海面のずっと下の方から、微笑みのような気配が伝わる。

 僕は、金色の鞭に身を委ねた。


 金色の鞭は僕たちを絡め取ったまま、北の海の空域に侵入した者と北の海の支配者の力を利用した者たちを全て呑み込んで、海底へと引き摺り込んだ。

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