逆鱗

 追っ手の巫女さまたちが、一転して追われる立場に。

 しかも、追う者は弱肉強食の世界の頂点に立つ竜族の、老練なる飛竜や翼竜たちだ!


 飛竜の恐ろしい咆哮が空に響き渡る。

 五騎の黒い天馬たちが、恐怖に翼の羽ばたきを乱す。それで、竜峰から飛翔した竜たちとの距離が瞬く間に縮まり、最後尾を走っていた天馬が翼竜の息吹いぶきの射程に入った。

 翼竜は狙い澄ましたかのように口を大きく開き、喉の奥に膨大な竜気を練り上げた。

 そして、容赦なく火炎の息吹を放つ!


「危ない!! 駄目だよ!」


 言葉に竜気を乗せて、全力で叫ぶ僕。

 黒い天馬と騎乗する巫女さまの悲鳴が空に響く。

 だけど、寸前のところで火炎の息吹がれた。


 僕の竜心が間一髪で届いたのか、火炎を放った翼竜以外の複数の飛竜と翼竜たちが、空を逃げ惑う天馬たちからこちらに意識を向けてきた。


「アリスさん! あの巫女さまたちが貴女の行動を妨害しようとする追っ手だとしても、このまま手を差し伸べなかったら確実に殺されちゃいますよ!」


 今のは、ほんの小さな奇跡でしかない。

 竜族たちは、静かな最期を邪魔されて怒っている。

 僕の竜心が、竜族の荒ぶる感情をしっかりと捉えていた。

 それでも、僕が強い竜心を放ったことで、聡明な翼竜は咄嗟とっさに火炎の息吹を逸らせてくれた。

 だけど、その小さな奇跡が何度も続くとは思えない。


 翼竜は、思いがけない竜心に一瞬だけ興味を持ってくれただけ。でも、こちらとの距離が離れすぎていて、その竜心を放った存在が僕だとは認識していない。

 そもそも、何年も前から竜の墓所に籠もっていた竜族だったら、僕と面識がないかもしてないし、知己ちきだったとしても協力的だとは限らない。


 現に、最初の息吹は翼竜によって意図的に逸らされたけど、竜族たちは未だに怒り心頭で黒い天馬を追い回していた。


 このままでは、早い段階で黒い天馬や騎乗した巫女さまたちに犠牲が出てしまう!

 そんな状況を生まないためにも、今は救える命を最優先にして、巫女さまや黒い天馬を助けなきゃ!

 僕の訴えに、アリスさんが硬い気配ながらもイヴの手綱を操った。


 僕の腰に回す腕から、アリスさんの感情が伝わってくる。

 追っ手をどうにかして振り払いたい。だけど、同僚を見捨てることもできない。そんな葛藤が、強張こわばった腕からひしひしと伝わる。

 それでも、やはりアリスさんも清く正しい巫女さまだ。

 独りよがりな自分の目的よりも、助けた後は必ずこちらの妨害者となるとわかっている者たちの命を救うことを選択してくれた。


「イヴ、怖がらないで竜族たちのなかに突っ込んで!」

『主以上の無茶を言う!』


 常在戦場の武人のごときアリスさんを乗せる勇ましいイヴとはいえ、竜族は恐ろしいはずだ。

 それでもイヴはいななきながら、僕の指示を受けて黒い天馬と竜族たちが入り乱れて飛び回る空に向かって翼を羽ばたかせてくれた。


 九体の飛竜と翼竜が、五騎の黒い天馬を追いかけ回す竜峰の空。

 竜族たちは、天馬たちをもてあそんでいた。

 竜族たちが本気を出せば、天馬がどれだけ全速で逃げても、逃げ切れるものではない。それなのに、悲鳴をあげて逃げ惑う天馬たちを執拗しつように追いかけまわし、安寧あんねいを乱した者たちを甚振いたぶることで、鬱憤うっぷんを晴らしているんだ。


 そんな竜族や天馬たちが飛び回る空へと近づいてきたイヴや僕たちを、高位者である竜族が見逃すはずもない。

 ぎらり、と殺気と竜気の籠った瞳を翼竜から向けられる。

 最初に天馬へ火炎の息吹を放った翼竜だ!


「でも、怖くなんてないよ? レヴァリアの方がもっと恐ろしい瞳をしているし、ついさっき北の海の支配者から計り知れない魔力と殺意を向けられたからね?」

『こ、この状況で竜族を挑発するのか!?』


 イヴが悲鳴をあげる。

 アリスさんも僕の意図を捉えあぐねて、背後で息を呑む。

 でも、これで良いんだ。

 なにはともあれ、まずは一体でも多くの竜族たちの注意をこちらに惹きつけて、黒い天馬と巫女さまたちの危機を救わなくちゃいけない!


 竜心の乗った僕の言葉を受けて、更に数体の竜族たちがこちらへ敵意を向けてきた!


 竜族の優れた視力なら、イヴの背中に跨る僕の姿ももう見えているはずだ。

 だから、僕は言葉に全力の竜気を乗せて、竜族たちへ竜心を放った。


「僕は、八大竜王エルネア・イース! 竜族の皆さん、どうか天馬と巫女さまたちを見逃してください!」


 何体かの飛竜が咆哮を返す。


「あなた達の安息を乱してしまったことは、竜王である僕が謝罪します。だから、どうか怒りを鎮めて!」


 僕のことを知っている竜族はいるのかな?

 竜人族の称号である「八大竜王」が、年老いた竜族たちに通用するのかな?

 不安があっても、僕は叫ぶしかない。

 まだ竜族たちとの距離は遠く、竜心に乗せた言葉でしか竜族たちの心に干渉できないんだから。

 すると、僕の竜心を受け取った二体の翼竜が翼の羽ばたきを緩めてくれた。そのうちの一体は、最初に火炎の咆哮を放った、あの翼竜だ。


 どうやら、翼竜は僕のことを知っていたらしい。


『若き竜王よ、なぜ汝が天馬に跨り竜峰の空を乱す愚か者どもをかばう?』


 翼竜から、竜心が届く。

 僕は答えた。


「僕は訳あって、今はこの天馬と背後の女性と行動を共にしています。でも、僕たちも黒い天馬やそれに跨る巫女さまたちも、けっして貴方たちの安息を脅かすために来たわけじゃないんです!」


 竜族たちから見れば、黒い天馬も白い天馬も同じ魔獣として、同じ仲間と捉えているのかもしれない。

 現に、僕の言葉を受け入れなかった飛竜が、高速でこちらへと強襲してきた。


 背後で、祝詞を口ずさむアリスさん。

 結界法術がイヴの周囲に展開される。

 飛竜が容赦なく向けた鋭い爪が、アリスさんの結界に弾かれた。


 むむむ。アリスさんの結界法術は、竜族の物理的な攻撃をこうも簡単に弾き返せるんだね?

 そんな観察はともかくとして。


「攻撃を止めて! そうすれば、僕たちは大人しくこの空を離れますから!」


 攻撃してきた飛竜は、僕の言葉や姿を見ても躊躇ためらいを見せなかった。

 つまり、年老いた竜族には僕という存在が通用しない者もいるんだね。

 きっと、そういう竜族たちには僕が「竜神さまの御遣い」と名乗っても、すぐには納得してくれないはずだ。

 証明してみせろだとか、人族の小僧が気に食わぬ、なんて一方的な疑念と敵意を向けられて、場が余計に混乱するだけだよね。

 だから、竜王とは名乗っても竜神さまの御遣いとは気安く口にすることはできない。


 それでも、どうにかして竜族たちの不満を鎮めて、黒い天馬や巫女様たちを救わなきゃ!


「ええい、言っても駄目なのなら!」


 僕は、竜宝玉を全力で解放する。それだけでなく、空を流れる竜脈の力も借りて、上空にさざなみを起こす!


 アリスさんの結界に爪を弾かれた飛竜が、先ほどよりも強い敵意を向けてこちらへ反転しようとしていた。

 そこへ、僕の放った漣が押し寄せる。


『ぐぬっ!?』


 だけど、その飛竜の翼が突如として浮力を失い、急激に高度を下げる。

 それでも飛竜は翼を荒く羽ばたかせると、イヴが走る高度よりもうんと低い位置で墜落を回避した。


「き、君は……!?」


 背後から、絶句するアリスさんの気配が伝わってきた。

 僕は苦笑する。


「さっき、北の海の支配者にお手本を見せてもらいましたからね?」


 空を飛ぶ者の浮力を奪う竜術。

 行き当たりばったりで発動させてみたけど、どうやら上手くできたみたい。

 でも、そこは未成熟な竜術だ。

 浮力を奪われた飛竜の動きを見ていた他の竜族たちは、漣の竜術を軽々と回避していく。

 それでも、今の竜術で幾分かは僕のことを理解してくれた竜族が増えた。


 一気に五体の飛竜と翼竜が敵意を鎮めてくれて、こちらに興味の意識を向けてくれる。


 残りは、漣の竜術を受けた飛竜と、あと二体!


 でも、僕の声にも存在にも意識を向けなかった残りの二体の飛竜は、思った以上に強情だった。

 一度敵だと定めた獲物は、絶対に逃さない。そんな飛竜としての本能が強いのか、執拗に黒い天馬たちを追いかけ回す。

 しかも、共に天馬を弄んでいた他の飛竜や翼竜たちが矛先を鎮めて騒動が鎮火気味だと悟ったのか、これまでにも増して激しく襲いかかる。


 容赦のない烈風の息吹が、黒い天馬たちを襲う!


「駄目だよ! お願い、止めて!!」


 必死に叫ぶ僕。

 だけど、年老いて頑固な思考に凝り固まってしまったのか、残りの三体の飛竜は攻撃の手を緩めない。


 烈風の息吹を、結界でなんとか凌ぎ切った天馬たち。そこへ、別のもう一体の飛竜が上空から急降下で襲いかかる!

 更に、漣の竜術を受けて高度を下げたはずの飛竜が、低空からこちらへ向かって強襲してきた!


「イヴ」

『承知!』


 アリスさんの掛け声に反応して、翼を羽ばたかせるイヴ。

 ふわり、とイブの翼が空に流れる竜脈を掴んだと思った瞬間。

 咆哮をあげて低空から迫ってきていた飛竜の姿が、急に小さくなった!


 いったい、何が!?


 イヴが、漣の竜術のように飛竜の浮力を奪って、飛竜が高度を急に下げた?

 ううん、違う!

 イヴが、上空へと流れる竜脈に乗って、急上昇したんだ!


 イヴの思わぬ動きに、僕だけでなく強襲を仕掛けた飛竜も面食らっていた。

 でも、危機を回避できたのはイヴだけだった。

 残りの二体に狙われた黒い天馬たちは、次第に追い詰められ始めていた。

 黒い天馬と巫女さまたちの悲鳴からは、恐怖によって理性が失われ始めている気配が伝わってくる。

 これ以上に錯乱さくらんして冷静な対応が取れなくなったら、その時が終わりだ。

 敵意を向け続ける飛竜たちは弄ぶ事をやめて、仕留めに掛かるだろうね。


 アリスさんも、これ以上の状況の悪化は見過ごせなかったようだ。


「愚か者たちめ」


 と苦虫を噛み潰すような苦渋の表情を浮かべながら、アリスさんが法術を放った。


 前に、北の海の支配者から逃れる時に使った導きの法術だ。

 空に、満月色の道が示される。


「竜族を怒らせ、お前たちは何をしている! さっさと導きに沿って走れ!」


 厳しい口調だ。だけど、混乱した者たちにはそうでもしないと声が届かない。

 というか、いつの間にか僕たちは黒い天馬や竜族たちが飛び回る空域まで到達していた。

 イヴの息が上がっている。きっと、イヴもずっと全力を出し続けているんだね。

 だから、こちらにももう余裕なんてない。


 アリスさんが放った導きの法術を破壊しようと、怒る飛竜が息吹を放つ。でも、導きの法術で創られた道は物質的なものではないので、息吹は通じない。

 逆に、飛竜の息吹で導きの法術に意識が向いた黒い天馬たちが、満月色の道に沿って走り始めた。


「アリス様!」


 先頭で駆けてくる黒い天馬に跨る巫女さまが、悲鳴にも似た声を上げる。

 だけど、アリスさんは巫女さまの声には反応を示さなかった。


「イヴ、撤退だ」


 イヴの横腹を蹴って、方向転換を支持するアリスさん。

 イヴも、満月色の道に沿って走り寄ってくる五騎の天馬たちに目を向けることなく、きびすを返す。


『竜王よ、後ほど改めて話を聞かせるのだ』

「はい、必ず!」


 黒い天馬や僕たちへの敵意を鎮めてくれた六体の竜族たちは、たわむれは終わりだと竜峰へ帰ってくれる。

 だけど、やはり残された三体の飛竜は見過ごしてはくれなかった。


『逃さぬぞ!』

『我らの安寧を妨げたこと、命をもって償うのだな』

『竜王とて、この地では無力なる者だと思え!』


 三つの咆哮が空に響き渡る。

 そして、容赦なく襲いかかる飛竜たち!


「くっ。このままじゃあ、いずれどちらかに犠牲者が出ちゃう!」


 飛竜たちに自由に暴れさせていたら、僕たちはまだしも、五騎の黒い天馬たちは危ないだろうね。かといって飛竜へ本格的な攻撃を仕掛けたら、飛竜を傷つけてしまう可能性がある。

 僕としては、今は荒ぶっているとはいえ、年老いた竜族には静かな余生を送ってもらいたい。


 では、とうすれば良いのか!?


 考えが纏まらない内に、三体の飛竜から逃げる僕たちは、いつの間にかまた北の海の近くまで飛んできてしまっていた。


「しまった! 飛竜たちに上手く誘導されていたんだっ!」


 こと飛行能力に関して、天馬と飛竜では圧倒的な実力差がある。

 飛竜たちは、逃げる天馬たちを巧みに誘導しながら、こちらに気づかれないように北の海へと追い立ててきた。


 その理由は明らかだ!


 北の海は、陸海空、全てが封鎖されている。

 安易に北の海の海域へ入ろうものなら、容赦なく命ごと排除される。

 北の海の支配者に。


 飛竜たちは、僕たちを北の海の空に追いやって、北の海の支配者に仕留めさせようとしているんだ!


 ようやく飛竜の思惑を読み取ったアリスさんやイヴ、それに僕や五騎の天馬、そして巫女さまたちが、空の上で絶望に駆られた。

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