空が飛べたら

 そういえば、なにかを忘れているような?

 思考の片隅かたすみに違和感がよぎぎったのは、リステアのお屋敷を出る直前だった。


 ううーん、なんだっけ?

 ええっと……。そうそう、もうひとつ大切なことを忘れちゃっていたよ!


「ねえねえ、リステア」

「なんだ?」


 玄関までお見送りに来てくれたリステアに確認する。


神族しんぞくのアレクスさんと、天族てんぞくのルーヴェントはどうしたの?」


 リステアたちとの会議が白熱し過ぎちゃって、すっかり忘れていたよ。

 だけど、思い出せて良かった。


 そういえば、リステアたちと一緒にアレクスさんとルーヴェントが平地に降りて来ているんだよね?

 僕の質問に、今更かよ、とスラットンがため息を吐く。


「俺たちは、世間から見れば謹慎中だからな。謹慎者の家に他種族の客人を泊まらせるわけにはいかない。それで、二人は王宮に宿泊しているはずだ」

「ってことは、国賓扱こくひんあつかいになるのかな?」

「いや、二人は旅行者扱いになっているはずだ。そもそも、アレクス殿も神族の国で地位のある者というわけじゃないからな」


 アレクスさんは、聖剣を折ってしまった張本人ちょうほんにんだ。

 王様だって、そのことは報告を受けているはず。


 ああ、そうか。と理解が深まる。

 王様も、若い頃は冒険者として活躍してきたんだよね。なら、アレクスさんを見てすぐに、ただならぬ者だと気づいたはずだ。

 その只ならぬ者に、聖剣を折られてしまった。これはもう、嫌でも納得するしかないよね。


「アレクス殿は、変わらず俺たちに協力してくれると言ってくれている。なので、俺たちの準備が整うまでは陛下が対応してくださっている」

「アレクスさんはい人だね!」

「ああ、そうだな」

「まあ、神族の旦那だんなの方はな。だが、あの天族の野郎は……」

「ん?」


 スラットンは、ルーヴェントとの勝負のことを、未だに根に持っているのかな?

 やれやれ、うつわの小さい男だね。

 なんていう僕の感想は、どうやら間違いだったようだ。


 それは、リステアの家から帰る途中で判明する。






 お屋敷を出ると、もう夕方になっていた。

 アームアード王国の王都の夕刻は短い。西に竜峰がそびえているからね。太陽だって早めに沈んじゃう。


 王都が消し飛んでしまうよりも以前。

 露店が並び、酒場や夜のお店に明かりがともっていた頃は、夜は夜で賑やかだった。

 現在も復興が進んで、結構な賑わいになってきているけど。それでも、夕方になると足早に帰路へ就く人の姿が目立ち、新築が建ち並ぶ住宅街の煙突えんとつからは煙が出ている。


「わたくしたちも、帰りましょうか」

「うん、そうだね。でもその前にさ」


 せっかく、ルイセイネと二人だけなんだ。

 このまま真っ直ぐに実家へ帰っちゃうのはもったいない。

 ということで、僕たちはのんびりと夕刻の王都を散策しながら帰ることに。

 リステアたちと別れて、僕とルイセイネは並んで歩く。


「少し、寄り道をしようか」

「ふふふ、どちらへ行かれるのでしょう?」


 ぴとっ、とルイセイネがくっついてくる。

 周囲を行き交う人が、あいつ、巫女様といちゃつきやがって、と嫉妬の視線を投げてくるけど、気にしません。

 僕はルイセイネをともなって、繁華街の方へと足を向けた。


「たまには、出店の食べ物も食べたいよね」

「あまり食べ過ぎますと、ご実家で夕ご飯が食べられなくなりますからね?」

「僕はプリシアちゃんか!」


 プリシアちゃんといえば。

 幼女のお土産だけじゃなく、家族全員分のお土産をグレイヴ様が準備してくれたので、僕の懐はちっとも痛まなかった。

 そんなわけで、少しだけなら遊ぶお金の余裕もあるのです。

 本番は明日なので、使い過ぎには注意だけどね。


 僕とルイセイネは、美味しい串焼くしやきが売っているお店はないかな、と露店が並ぶ通りを物色しながら進む。

 すると、一画でなにやら騒ぎが。


「ふぅむ。随分ずいぶんと濃い味付けですね。繊細さの欠片もございません」

「なんだ、兄ちゃんの口には合わなかったかい?」

「私、というよりも、これは味覚のある者でしたら、遠慮えんりょさせていただくものかと?」

「はぁ?」


 ……嫌な予感がします。関わっちゃ駄目なやつだ。

 聞いたことのある声に、僕は素早くきびすを返す。

 だけど、庶民の騒ぎを放っておけないのが、巫女であるルイセイネだ。


「エルネア君?」

「しくしく、わかりました」


 僕は仕方なく、野次馬をかき分けて騒ぎの中心へと進む。


有翼族ゆうよくぞくか天族かは知らねえが、あんたの方が味覚音痴みかくおんちなんだよ」

「なにをおっしゃいますか。私はどこからどう見ても繊細でございます。そもそも、有翼族ごときと区別がつかないような方に、とやかく言われたくないものでございますね」

「とやかく言いだしたのは、あんたの方じゃねえかっ! ああ、そうか。その鶏肉は自分の肉を食っているようで美味うまく感じねぇんだな?」

「有翼族と同列に語るだけでなく、この私をにわとりと仰いますか。やれやれ、これだから人族は」

「はい、そこまでーっ!」


 僕は、背中から大きな翼を生やした男性、すなわちルーヴェントから串焼きを奪い取り、がぶり、と食べる。


「うん、美味しいね! 濃い味付けなのは、肉体労働者に好まれるからかな? お酒に合うんだよね」

「おや、君は」


 もぐもぐ、と鶏肉を咀嚼そしゃくする。

 絶品、とはいかないけど。庶民的な味は、それはそれで美味しい。


 僕の登場に、野次馬たちが騒ぎだした。

 どうやら、僕の外見を知る人が何人もいたようです。


「救世主のエルネアか」

「勇者の危機に、帰ってきたのか」


 ざわざわ、と野次馬が騒ぐなか、僕は食べきった串をルーヴェントに返す。


「いったい、なにを騒いでいるのさ?」

「私は別に? ただ、こちらの串焼きの感想を率直そっちょくに述べていただけでございます」


 やれやれだよ。

 前から思っていたけど、ルーヴェントって言葉に配慮はいりょが足らないよね。

 本当にあのアレクスさんに仕える従者じゅうしゃなんだろうか。


「だいたい、なんでルーヴェントがこんな場所にいるのさ? ご主人様のアレクスさんは? 二人は、王宮で宿泊しているんじゃなかったの?」

「はい、人族の王に懇願こんがんされまして、私とアレクス様はあの張りぼての屋敷に泊まらせていただいてます。アレクス様は人族の王と歓談されておりましたので、私は少し視察をと思いまして」


 いやいや、たしかに王宮は再建途中だけどさ。

 張りぼてはないんじゃない?


 案の定、ルーヴェントの口の悪さに怒った野次馬たちから、罵声ばせいが飛んでくる。


鶏男にわとりおとこか何か知らねえが、調子に乗るんじゃねえぞっ」

めやがって!」

「お前を串焼きにしてやる!」


 わわわっ。騒ぎを収めるどころか、拡大していっちゃってるよ!

 だけど、騒ぎの元凶であるルーヴェントは澄ました表情で罵声を笑い飛ばす。


「まったく、下品でございますね。これだから人族は」

「人族だろうと神族だろうと、騒ぎを起こすのは良くないことだよ?」


 しかも、ここは人族が住む人族の国です。

 だったら、お客さんのルーヴェントはもう少し配慮した方が良いんじゃない?


 ルーヴェントは、人族を完全に見下しちゃっているよね。

 だから、人族の食べ物なんて自分の口に合わないと鼻っから決めつけているし、批判の声を受けても犬の遠吠えのようにしか耳には届いていない。


 魔族たちもそうだったけど、他所よその種族の国では人族を見下すのが当たり前なんだ。

 だけど、そんな間違った価値観を人族が許容するなんて思ったら大間違いだ。


 現に、殺気立った野次馬の何人かが、腰の武器に手を伸ばす。

 流石のルーヴェントも、自分に向けられる殺気には敏感に反応した。


「地をうことしかできない人族が、この私に勝負を挑まれると?」

「ルーヴェント、挑発するのはやめてっ」


 制止しようとする僕。

 だけど、騒動は収まるどころか激しくなっていく。


「魔族を退しりぞけた俺たちの底力を見せてやるっ」

「ほほう、魔族を? ですが、それは随分と低級な魔族だったのでございましょう?」


 ああ、困った。

 このままじゃ、人族と天族との間に決定的な亀裂が入っちゃう。そうすると、神族のアレクスさんを客人として招いている王様や、聖剣復活に協力してもらうリステアたちにも民衆の敵意が向いちゃう可能性がある。


 どうすれば……


 僕の困惑をよそに、ルーヴェントと野次馬たちの対立は深まっていく。


「調子に乗ってんじゃねえぞっ!」


 そしてとうとう、剣を抜き放つ者が現れた。


「良いでしょう。人族と天族のどちらが優れているか、こちらの地域に住む方々にも正確に認識していただくとしましょう」


 言ってルーヴェントは、ばさりっ、と背中の翼を羽ばたかせる。

 ルーヴェントのやる気に、さらに数人の男が武器を構えた。


 武器を持たない、そもそも珍しい天族を見ようと集まっただけの人たちは、慌てて逃げ出す。

 串焼きを売っていた露店の人も、悲鳴をあげて店の陰に隠れる。


「さあ、自分たちの無力さを思い知ると良いでしょう」


 ルーヴェントが空に舞い上がった。それを、武器を持った男たちが呆然ぼうぜんと見上げる。


 ああ、大変だ!

 このままでは……

 僕の懸念は、すぐさま的中してしまった。


 恐ろしい咆哮が、遠くから響いてくる。


「っ!?」


 翼を羽ばたかせ、空を飛んでいたルーヴェントが、はっと表情を強張こわばらせた。


「ルーヴェント、素直にごめんなさいって言わないと、知らないよ?」

「エルネア殿、なにを……?」


 ルーヴェントの質問は、最後まで言い終えられなかった。


 なぜなら。


『天族ごときが空を我が物と思うとは、笑止千万しょうしせんばん

『この空を支配する者が我らということを、身をもって知れ』

おろかなり、天族。誰の許しを得て、この地の空を飛ぶか』

「なっ!?」


 絶句するルーヴェント。

 それもそのはず。

 咆哮と共に空へと舞い上がってきたのは、多数の飛竜たち。


「ルーヴェント、知らなかったの? 僕の実家にはよく竜族が遊びにくるんだよ?」

「なななっ!?」


 竜族がいる場所で無謀むぼうに飛んじゃうなんて、それは自殺行為です。

 天族がどんなに優れていたって、竜族の敵ではないんだからね。

 驚愕きょうがくするルーヴェントに向かって、僕の実家から飛び立った飛竜たちが襲いかかる。


「ひえぇぇっ」


 逃げ出すルーヴェント。


『逃すか』

『追え、追えーっ』

りじゃー。天族狩りじゃー!』


 嬉々ききとしてルーヴェントを追い回す飛竜たち。

 だけど、騒ぎはこれだけでは収まらなかった。


『貴様ら。我の目の行き届く空で、なにを偉そうに飛ぶ?』

『ふぁ!?』

『ぁぁあああぁぁっっっ!』


 ルーヴェントを追いかけ回していた飛竜たちが、絶望の表情で上空を見上げた。


 天空から、大気を恐怖で震わせる荒々しい咆哮が降ってくる。


『我に食い殺されたい奴はどこだ?』

『ぎゃーっ、暴君だ!』

『逃げろー』


 夕焼けに染まった雲を突き破り、天空の王者として現れたのは、暴君のレヴァリアだった。

 紅蓮色の鱗が、沈みかけの太陽の光を浴びて燃えるように輝いている。

 四つの瞳が飛竜たちとルーヴェントを捉え、凶悪な爪と牙が獲物を欲しているように鋭く光った。


「レヴァリア、あんまり暴れちゃ駄目だよ?」


 僕の竜心りゅうしんは届いたのかな?

 この日、夕方過ぎ。

 地上では、ルーヴェントの情けない逃げっぷりや、飛竜たちの慌てふためく珍しい風景に、人々は笑い転げる。

 そして、王都の空はいつになく賑やかだった。

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