アレスの罠

 一心不乱に霊樹の果実を食べる。

 何度となく口一杯に頬張っても、果肉の壁がなくならない。

 種はどこ? と思い始めた頃。ようやく中心に真っ白な個体が見えてきた。

 真珠のような白い粒。大きさは果実とは逆でとても小さく、それこそ葡萄の実くらいの大きさだった。


「味には満足したかしらね」


 僕の口が一旦止まったのを見計らって、アシェルさんが口を開いた。


「はい。こんなに美味しい果実を食べたのは初めてです!」

「それは良かったわね」


 アシェルさんは僕たちにこの果実の美味しさを伝えるために、あんな試練を課したんだ。と錯覚してしまいそうになるくらいに、霊樹の果実はとてもとても美味しい。


「人の数だけ、宝玉を貰おうかしらね」

「あれ。結局霊樹の宝玉がいるんですか?」


 アシェルさんの言葉に、つい聞き返してしまう。

 僕たちは、精霊や動物や植物と意思疎通をする能力を手に入れることができた。この力が何を根元とした力なのか、どれくらいの能力なのかはまだわからないけど、もう霊樹の宝玉は必要ないと思っていたよ。

 だって、アシェルさんが出した試練は、霊樹の果実を取ってくるというのは上辺で、本当は言葉の通じない相手と意思疎通をするための能力を手に入れることが目的だったんだよね?


「なぁに、早めに試練を乗り越えたから褒美をやろうと思ってね」

「ご褒美をくれるんですか?」

「期待に目を輝かすんじゃないの。ほら、宝玉をさっさと渡しなさい」


 どんなご褒美だろう。

 期待に胸を膨らませて、まだ食べ終わっていない霊樹の果実から種だけを取り出す。そして、綺麗に拭いてアシェルさんに手渡した。

 みんなも同じように種を取り出すと、アシェルさんの大きな手に乗せる。

 その際、ニーミアとフィオリーナとリームが自分たちの分まで種を置いたけど、アシェルさんは特に突っ込むこともなく、僕たちから受け取った霊樹の種を握りしめた。


「わくわく」


 プリシアちゃんが、僕以上に瞳を輝かせてアシェルさんを見つめている。


「気が早い。すぐには準備なんぞできるものですか」


 だけど、アシェルさんの言葉に僕たちはがっくりと肩を落とした。


「くくく。そう焦る必要はなかろう。汝らはこのまま、ここへ泊まっていけ」

「レヴァリアたちも泊まって良いんですか?」

「構わぬよ」

「よかったね、レヴァリア!」

『ふんっ!』


 暴君は鼻を鳴らしてそっぽを向いたけど、ルイセイネたちにまた心を読まれて、遊ばれていた。


 やれやれ。暴君暴君といつも心では思っているけど、こうしてみんなに心を読まれるようになったら、畏怖いふなんて無くなっちゃっているよね。

 今では竜峰のために頑張っているし、ヨルテニトス王国でも活躍してくれた。いつも僕やライラのわがままを聞いてくれるし、意外と子煩悩こぼんのうでフィオリーナやリームの子守もしてくれるんだよね。


 もう「暴君」なんて思っちゃいけないのかも。これからは「レヴァリア」って心でも思った方が良いのかな。


『ええいっ、貴様らの思い通りに我はならぬぞ!』


 ルイセイネたちがからかい過ぎたのか、レヴァリアは咆哮をあげると荒々しく苔の広場を飛び立つ。


「やれやれ。勇ましい奴だ」


 だけど、みんなは楽しそうに笑って見送る。スレイグスタ老も、孫でも見るような視線で飛び去ったレヴァリアを見つめていた。


「うわっ、あれ! 大変だよっ!」


 だけど、僕は見てしまった。苔の広場から離れていくレヴァリアの背中には、いつの間にかプリシアちゃんが騎乗していた。


「あの子、また勝手に……」


 きっとレヴァリアが飛び立った直後に、レヴァリアの背中に飛び乗ったんだろうね。レヴァリアの背中では、プリシアちゃんが楽しそうに飛び跳ねていた。


「どうしよう?」

「あの子娘の頭にはニーミアが乗っていた。気にする必要はないでしょう」


 僕の言葉に、アシェルさんはそっけない返事。


「ここを飛び立とうとも、あの者には我の結界は抜け出せぬ。ああしてここの周囲を離れたり近づいたりして飛んでおるだけだ。疲れたら戻ってこよう」


 とは、スレイグスタ老の言葉。


 確かに、竜の森全体にはスレイグスタ老の迷いの術が張り巡らされていて、その結界を越えて入ったり出たりというのは、自分の意志ではどうすることもできない。

 現に、飛び立ったレヴァリアは苔の広場から必死に離れようと羽ばたいているのに、気づけばこちらに向かって飛んでいたり、上昇しているつもりでも高度が上がっていなかったりしている。


 レヴァリアは思い通りに飛べなくて苛々しているのか、いつにも増して荒っぽい飛び方になっている。だけど、背中のプリシアちゃんは逆にそれが楽しいのか、はしゃいでいるように見えた。


「あ。諦めて降りちゃった」


 逃げ出すことを諦めたレヴァリア。だけど素直にここへは戻って来ずに、古木の森の先に着地してしまった。


「くくく。汝の友は面白い者ばかりだ」

「もう、みんな。レヴァリアをいじめすぎだよ?」


 さすがにレヴァリアが可哀想になってきたよ。


「ちょっと迎えに行ってくるね」


 僕はそう言うと、まだまだ余っている霊樹の果実をふたつ抱え込む。

 とても美味しい霊樹の果実で慰めよう。レヴァリアも美味しそうに食べていたし、これで機嫌を直してくれるよね?


「おてつだいおてつだい」


 するとアレスちゃんもやって来て、霊樹の果実を両手で抱えるように持つ。持ったと思ったら、霊樹の果実がアレスちゃんの手の上から消えた。


「ありがとうね」

「おまかせおまかせ」


 アレスちゃんは微笑むと、どんどんと霊樹の果実を持っては消していく。


 そういえばヨルテニトス王国でも、アレスちゃんは僕やミストラルの武器を消して隠したよね。一体どういう原理になっているんだろう?


「エルネア。レヴァリアのことはよろしくね。わたしたちは夕食の準備をしておくわ」

「ごめんなさい。浮かれてやり過ぎました。お詫びに美味しい食べ物を準備していますので、レヴァリア様を連れ戻してきてください」

「うん、わかったよ」


 今日は朝からの移動と、アシェルさんの試練で、瞬く間にが傾く時間になっていた。だけど、日暮れまではもう少しある。


「急いで行ってくるね」


 みんなにそう言うと、僕はレヴァリアが降りた森の方角へと駆け出す。

 双子王女様とライラがこっそり僕のあとについて来ようとしていたけど、ミストラルとルイセイネに捕まってしまっていた。


『うわんっ、わたしも行くよっ』

『リームもぉ』


 翼を羽ばたかせて、僕に続くフィオリーナとリーム。

 だけど、古木の森に入ってすぐに、フィオリーナとリームは飛ぶことを諦めた。


 古木の森は、幼竜が飛べるくらいには木と木の間隔は離れている。だけど、僕とアレスちゃんは木の根や段差につまずかないように歩いていて、人の歩く速さに合わせて飛ぶのは難しいんだよね。だからといって、ふらふらと森を飛んで僕たちから離れすぎると、迷いの術で逸れちゃう。


 森のなかを飛び回ろうと画策していたんだろうね。フィオリーナとリームはとても残念そうな表情で僕について来ていた。


 やれやれ。君たちの保護者を連れ戻しに向かっているんですよ。もっとやる気を出しなさい。とは幼子には言えません。


 僕はアレスちゃんと手を繋ぎ、フィオリーナとリームを従えて、夕暮れ前の少し薄暗くなり始めた古木の森を歩く。


 ちなみに、最初に僕が抱えたふたつの霊樹の果実も、アレスちゃんが謎空間に収納してくれていた。


『うわっ。なんか森の気配が変わったよ?』

『迷子?』

「あれ、おかしいな? レヴァリアは古木の森に降りたはずなのに、竜の森に出ちゃった」


 古木の森も苔の広場も、厳密に言えば竜の森の一部なんだけど。森の性質の区分を知っている僕やみんなは、周りの気配や古木の有無で見分けていた。


 それにしても、迎えに出た僕たちまでも迷いの術に落とすなんて。スレイグスタ老も悪戯が過ぎますよ?


「仕方ないね。また歩いていれば、いずれレヴァリアの場所までたどり着けると思うよ」


 そう言って歩き始めて間もなく。


 さすがと言うか。フィオリーナが急に低く喉を鳴らし始めて、周囲を警戒しだす。


『うわんっ。こわい。魔獣がいっぱいだよっ』

「あっ!」


 フィオリーナに言われたあとに、僕もようやく周囲の異変に気づく。

 フィオリーナとリームは翼を広げて、竜族らしい低く恐ろしい喉なりで周囲を警戒する。

 だけど、僕は周囲の気配の正体を知っていた。


「フィオもリームも落ち着いて。周りの魔獣は僕の友達なんだよ」


 魔獣たちの姿は見えない。竜脈に遁甲をしている。だけど、今の僕なら、遁甲している魔獣の位置も種類も見分けがつく。


『魔獣とお友達っ!?』

『すっごぉーい』


 僕の言葉に、あっさりと警戒心を解いて、珍しいものを見るような瞳で見つめてくる。

 痛いです。幼竜の純真な視線が痛いです。

 だけど、成り行きで仲が良くなっただけで、最初から魔獣と友達になろうと思っていたわけじゃないんだからねっ。


 僕はフィオリーナとリームの頭を撫でてあげながら、周囲に言葉を放った。


「みんな、お久しぶり。この子たちは怖くないよ、みんな友達だよ!」


 魔獣たちも警戒している。

 それはそうだよね。幼子といっても、僕の側に居るのは竜族なんだもん。普通の魔獣なら、竜族の相手にはならない。


 きっと、僕の気配を見つけて集まってきたんだろうね。だけど来てみたら竜族が一緒にいて、警戒して出てこられないんじゃないのかな。という僕の予想は当たっていた。


 まず最初に。離れた場所に無音で大狼魔獣が姿を現した。いつでも動けるように、低い体勢。尻尾が緊張で下がっている。


「こんにちは。フィオとリームは竜峰のお友達だよ。だから安心して」

『大きな魔獣だっ。可愛いっ』


 可愛いのか……

 フィオリーナへの突っ込みはなしにして、大狼魔獣を手招きする。

 フィオリーナとリームは、大狼魔獣が僕の友達と聞いて、一瞬で警戒心を消していた。

 そして二体は僕の傍に座り込んで、頭を僕に擦り寄せてくる。


 素直に信頼てくれるのは嬉しいけど、そんなに簡単に信じて、無防備になってもいいんですか。お兄さんはいろいろと将来が心配ですよ。


 ぐるる、と警戒心に喉を鳴らしながら。それでも大狼魔獣はこちらへと近づいてきた。


『急に襲って来るのではないか?』

「そんなことないよ。僕を信じて」

『!?』


 大狼魔獣の声が聞こえてきた。


 竜心に似た感じで、直接頭のなかに大狼魔獣の意思が伝わってくる。


 僕が返事をしたことに、大狼魔獣は驚いたようにこちらを見た。


「なんだかね。みんなの声も聞こえるようになったんだよ」

『本当に?』

「本当だよ」

『本当に不思議な坊やだこと』

「それって褒められているのかな?」


 僕の返しに、大狼魔獣は珍しく足音をさせて近づいてきた。

 フィオリーナとリームに気を使ってかな。

 大狼魔獣は、幼竜の様子を伺いながら近づいてきて、ぺろりと僕の頬を舐めた。


「おみやげおみやげ」


 するとそこで、大人しくしていたアレスちゃんが、苔の広場で回収した幾つもの霊樹の果実を、大狼魔獣の前に出した。


『これは……』

「あまったから、みんなでたべていいよ」


 ぽこぽこと謎空間から霊樹の果実を取り出すアレスちゃん。


『なんだ、美味そうな匂いが……』

『いい匂いがする』

『お母さん、嗅いだことのない甘い匂いだよ』

『母さんも初めて嗅いだわよ、何かしら』


 霊樹の果実の甘い香りに誘われて、わらわらと地表から姿を現わす魔獣たち。

 フィオリーナとリームはそのあまりの多さと、うさぎ型や鹿型や鳥型といった多種多様な魔獣に目を見開いて驚く。

 魔獣たちもフィオリーナとリームの存在に緊張をしていたけど、霊樹の果実の魅惑には勝てなかったみたい。


「みんなでたべよう」


 アレスちゃんの言葉に、魔獣たちは霊樹の果実にかぶりつく。ついでにフィオリーナとリームも二個目を食べていた。


「ここで大判振る舞いをしても良かったの?」


 霊樹の精霊のアレスちゃんが振舞うのなら問題はないんだろうけど、スレイグスタ老だけが特別に食べることのできるものを、魔獣にも簡単に与えて良かったのかな? という疑問。


「えづけえづけ」

「……」


 もしや、レヴァリアの場所へたどり着くことができずに、代わりにここへとやって来たのは君の仕業か!


 僕の疑惑の瞳に、アレスちゃんは満面の笑みで返してきた。

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