糸は糸でも

「リリィ、ありがとうね」

「いえいえー。お安いご用ですよー」


 気づくと、僕たちは空にいた。

 正確には、空を飛ぶリリィの背中の上に、かな。

 リリィは、廃墟と化した魔都の上空をゆっくりと旋回しながら飛んでいる。


「とうとう、魔王が住んでいた首都まで破壊しましたねぇ」

「リリィ、人聞きの悪いことを言わないでっ。これは僕の仕業しわざじゃないよ」

「いえいえ。エルネア君が喚んだ魔獣の仕業なら、エルネア君のせいですよー」

「ぐぬぬ……」


 リリィの容赦ない論破に、僕は顔をしかめることしかできない。


「エルネア、貴方はいったいなにをしているのかしら?」


 僕と同じようにリリィの背中に乗っているミストラルが、冷たい視線を向けてきます。

 ああ、なんて悲しいんでしょう。

 久々の再会だというのに、感動的な抱擁ほうようや涙の笑顔はどこへ?


「エルネア君、しっかりと説明をしてもらいますからね。アーダさんとは誰ですか?」

「あっ」

「テルルちゃんは……。わかりました。ですが、魔女さんやミシェイラちゃんのこともお話しくださいね!」

「あああっ」


 ルイセイネの非難気味の声に、僕は下半身に抱きついて満足そうにしているアレスちゃんを見下ろす。

 そういえば、僕の行動はアレスちゃんを通じて、みんなに包み隠さず伝わっているんだよね。


冒険譚ぼうけんたんを聞きたいわ」

「面白い話を聞きたいわ」


 ユフィーリアとニーナは一足先にこちらへと駆け寄り、素晴らしいお胸様で僕を包み込む。


「ああっ、ずるいですわっ。わたくしも……私も……」


 柔らかなお胸様の向こうで、右往左往している様子のライラの声が聞こえる。きっと、ユフィーリアとニーナの隙間を狙っているのかな。


「ちょっと、貴女たち。今は……」

「ふふん。ミストとルイセイネはそうしてぷんぷんしていれば良いわ。その間に、エルネア君は頂くわ」

「ふふん。ミストとルイセイネはそうしてぷりぷりしていれば良いわ。その間にエルネア君を奪うわ」

「私もっ、私もっ……」

「みなさん、時と場所を選んでください……」


 やれやれ。

 なんだか急に賑やかになっちゃった。

 でも、この賑やかさが僕には心の底から嬉しい。

 ぎゅっ、と僕に抱きつく幼女と双子を抱擁すると、柔らかい女性の感触がいっぱい伝わってきた。


「うにゃん。潰れるにゃん」


 ニーミアが僕の懐で悲鳴をあげています。


「あのね、あのね。プリシアもアレスちゃんとおそろいの玉がほしいよ?」

「玉?」


 なんのことかな、と思ったら。アレスちゃんの首飾りのことでした。

 予想通りだね。

 だけど、予備はないんだよね。どうしよう。


「そうです。エルネア君、アレスちゃんの首飾りはどうなされたのですか!?」

「そ、その前に……。みんなの方こそ、どうしてここにいるのかな?」


 僕の願いは、確かにみんなに伝わっていたはずだ。

 王都に残ってもらい、僕が不在の間の家族や街を護ってもらう役目を理解してくれていたからこそ、これまでこちらとの合流はしなかったはずなのに。


 ユフィーリアとニーナのお胸様からうっぷと顔を出し、みんなを見る。


「お母さんが帰ってきたにゃん」

「……」


 色々と変ですね。

 そもそも、帰ってきたという表現は間違いだと思うんです。

 アシェルさんの住処すみかは、遥か遠いところにあるいにしえみやこだよね。

 あと、春先に帰っていったばかりじゃないですかー!


「どうも、お客さんを連れて来たみたいなのよ」


 はぁ、とため息を吐いたのはミストラル。この状況に、もう怒るのを諦めちゃったみたい。


 良かった……


「にゃあ」


 いつまでもユフィーリアとニーナに抱きつかれたままだと、再沸騰してお叱りの第二波が来そう。それは怖いので、二人を離す。

 ユフィーリアとニーナも満足したのか、素直に僕を解放してくれた。

 だけど、涙目で次に抱きついて来たのはライラだった。

 ライラさん、色々と出遅れたことがそんなに悲しかったんですか……

 ライラのあまりの様子に、みんなで笑う。


「それで、お客さんとは? 誰か僕の実家に来ているの?」


 お客さんを待たせている状況なら、急いで帰らなきゃいけないよね、と思ったけど。

 ミストラルは首を横に振った。


「それが、屋敷に来たときにはアシェル様だけだったわ。お客さんは途中で降ろして来たらしくって。観光がしたいとかなんとか」

「それじゃあ、誰も待っていないんだね?」

「そもそも、エルネアのお客さんとも限らないしね。その辺は聞いても教えてもらえなかったわ」

「なるほど」


 ミストラルたちは、アシェルさんが来訪したことで自由になったんだね。

 アシェルさんに警備を任せて、みんなは僕のところに飛んで来てくれたわけか。


 まあ、飛んで来た先は千手の蜘蛛に荒らされている最中、というとんでもない状況だったわけだけど。


「エルネア君。話し込むのも良いけどさ。これからどうするんだい?」

「ああ、そうだった」


 リリィは、のんびりと魔都の上空を旋回し続けていた。

 魔都に住んでいる住民なら、昨年のリリィの姿を見ているはずだからね。地上では、物陰に隠れて空の様子を伺う魔族や奴隷だった人たちの姿が見えた。

 このままでは、彼らの精神に悪影響を及ぼし続けかねない。

 用事は済んだから、早々に退散したほうがいいのかな。


 魔都の復興?

 それは魔族の人たちが自分でやってね。

 そもそも、魔王位争奪戦はこれからが本番になるはずだ。

 そうだよ。

 遅かれ早かれ、魔都は廃墟になっていたに違いない。


「でも、最短で潰したのはエルネアお兄ちゃんにゃん」

「ぐぬぬ……」


 ニーミアの容赦ない突っ込みに、僕はまた顔を引きつらせた。


「そ、それじゃあ……。死霊都市に行こう! あそこにはもう一度寄ったほうがいいと思っていたし」


 どうやら、廃都の風景は僕の精神に一番の悪影響を与えていたらしい。

 見ちゃ駄目だ。

 視線を逸らし、北東を指差す。

 リリィは咆哮をあげると、死霊都市に向かって翼を羽ばたかせた。


「それで、なんだっけ?」

「もう忘れたんですか? アレスちゃんの首飾りのことですよ」

「ああ、そうだったね」


 精神汚染のせいで、直前の記憶が飛んじゃってましたよ。


 飛行はリリィにお任せで、僕たちは彼女の背中で寛ぐ。

 僕は思いのほか疲れていたようで、ライラに寄りかかってみんなの輪に入った。


「あれは、禁領で作ってもらったものなんだ」


 アレスちゃんから聞いていないのかな? と疑問に思いつつも、当時の出来事を話そうとしたら。

 ミストラルたちは僕の口からいろんなことを聞きたいようだったけど、ルイセイネだけは真剣な表情で首飾りのことについて口にした。


「エルネア君。あれは、守護具しゅごぐですよ」

「ん?」


 ルイセイネの言葉が理解できずに、僕は小首を傾げる。

 見れば、ミストラルたちも首を傾げていた。


「守護具って、ライラが身につけているような?」


 僕の知っている限り、守護具とは怪我をした人が高度な法術を受けて回復した際に、副作用で弱ってしまった精神を保護するために、神殿が準備する御守りだ。

 ルイセイネは、その守護具と言っているのかな?


組紐くみひもを編んだというアーダさんとは何者ですか? 霊樹の葉っぱを内包させた宝玉を作った人は、本当に魔女と呼ばれる人なのですか?」


 ぐいっ、と身を寄せて聞いてきたルイセイネの迫力に圧されながら、僕は頷く。


「多分、アーダさんは偽名だと思う。そんな感じがしたんだよね。でも、魔女さんは魔女さんだと思うよ?」

「魔女の名前は聞かなかったのかしら?」

「うん。誰も魔女さんの名前は口にしなかったから。聞いても僕には答えてくれそうになかったしね」


 今更だけど、魔女さんだけ名前で呼ばれていなかったことに違和感を覚える。

 まるで、魔族の人たちが魔王や支配者たちの名前を口にすることをはばかるような……

 気のせいだよね?


「アーダ……アーダ……。どこかで聞いたことがあるような」


 ルイセイネは、アーダさんの名前に心当たりがあるのか、少し考え込んだ。でも、思い出せなかったみたい。


「アレスちゃんの首飾りが守護具ってことは、少なくとも魔女さんは巫女様ってこと?」


 これも今更だけど、精霊術によるアレスちゃんへの干渉は、まさに精神的なものだよね。それを防ぐための御守りが守護具というのは納得できる話かもしれない。


「いえ、その辺はわたくしもよくはわからないのですが……」

「どういうこと?」

「エルネア君は、宝玉を調べたりはしなかったのですか?」

「言われてみると、性質なんかは詳しく調べたりはしてないかな?」

「では、調べてみてください」


 ルイセイネに言われて、未だに抱きついているアレスちゃんの、首にかかっている宝玉を見つめる。

 集中すると、とてつもない力を感じ取った。


 法力ほうりょくでもなく、魔力でもなく、ましてや竜気や竜脈、霊樹の力や精霊力でもない、解析不明の力。

 僕は、神力しんりょくや他の種族が使う様々な力を読み取れるような能力はないけど、本能的にそういったものではない、と感じ取る。


「素材は邪竜の涙と霊樹の葉っぱなんだけど……。それに何か不思議な力が込められているね」


 僕の分析結果に、みんなが頷く。

 どうやら、全員が同じことを感じたんだろうね。


「その宝玉はとても強力で、おそらく最高級の守護具だと思うのです」

「法力で作られたものじゃないけど、神殿の守護具と同じもの、ということだね?」

「はい」

「それじゃあ、ルイセイネはなぜ法力で形成されていないのに守護具と言ったの?」

「込められた力は違うものですが、性質はまさに守護具そのものですから。ライラさんの守護具も、そうですし。ですが、わたくしが注目するのは宝玉ではなく、組紐の方ですよ」

「えっ、そっちなの?」


 アレスちゃんの首飾りで一番に注目される部分は明らかに宝玉の部分で、それを作った魔女さんにルイセイネは気を向けていると勘違いしちゃっていたよ。

 みんなも同じなのか、ルイセイネを見つめていた。


「エルネア君。その糸は……」

「千手の蜘蛛の糸だよ。みんなもさっき、上空から見たよね。あの猩猩と同格の魔獣である千手の蜘蛛のテルルちゃんと仲良くなったんだ。それで、糸を分けてもらって、アーダさんが編んでくれたんだよ」

「では、エルネア君。今度は組紐を調べてください」


 ルイセイネに言われるがまま、今度は首飾りの組紐を調べる。


「うわっ」


 そして、組紐の出鱈目な性能にひっくり返ってしまった。


「へ、へんだな……」


 僕はアレスちゃんに、謎の空間に収納してもらっている千手の蜘蛛の糸を少しだけ取り出してもらい、こちらも調べてみた。


「気づきましたか?」


 ルイセイネは、僕を真剣な表情で見ていた。


「うん。この組紐には、ものすごい量の法力が編み込まれているね」

「はい、そうなんです」


 法力に縁がなく、力を感じ取れないライラとユフィーリアとニーナは、不思議そうに会話を聞いている。

 ルイセイネを通して法力を感じ取ることができるようになったミストラルは、事の重大さに表情を厳しくさせていた。


「糸に法力を編み込む、なんてことができるの? 宝玉や宝石にならわかるんだけど」

「それは、糸が特殊だからだと思います。伝説の魔獣の糸ですから、そうした特殊な性質はあるのでしょう」


 アレスちゃんに謎の空間から取り出してもらった糸は、特殊ではあっても普通の糸だ。でも、首飾りの組紐には、桁違いの法力が宿っていた。


「うん、横から失礼。エルネア君もさっき見ていたじゃないか。常夜の羽衣も、妖魔の皮に魔力を込めて作られたものだったよね」

「そういえば、そうだったね」


 ルイララの補足に頷く僕。


「高位の妖魔や魔獣から採れたもので武具を作るっていうのは、職人の間では普通だね。ただし、素材そのものが出回らないんだけどさ」

「千手の蜘蛛の糸にそんな使い道があったとは……」

「ええっと、お話を戻してもいいですか?」

「はい。ルイセイネ、どうぞ」


 会話の中心を、補足を入れてくれたルイララからルイセイネに戻す。


「少し、詳しくお話をさせてください」


 ルイセイネが姿勢を正したので、僕たちも身を正して耳を傾けた。


「そもそも、わたくしたちが住んでいる地域は、人族の生活圏から離れています」

「本来の生活圏は、魔族の国々のさらに西にあるんだよね?」

「はい。神殿都市を中心として、人族はいくつかの国をおこして暮らしていると伝わっています」

「ルイセイネ、それが今回の話とどう繋がるのかしら?」

「はい。その人族の中心である神殿都市には、巫女王みこおう様や高貴な方々がいらっしゃるのですが。そうした方々のなかでも特に選ばれた者に準備される、特別な法衣ほうえがあるのです」

「聖女様とか?」

「いいえ、そうした突然に出てくるような方には、準備が間に合いません。言ってみれば、産まれながらにして神殿宗教を背負って立つような方々でしょうか」

「つまり、将来は巫女頭様や巫女王様になる運命が決定づけられている人ってことだね」

「はい。それで、そうした方々のために、産まれた直後から準備される特別な法衣があるのです。その法衣に編まれている糸や繊維の一本一本には、法力が編み込まれていると云われています」


 はっ、と思い出す。

 アーダさんの着ていた服は、繊維や糸の全てに細心の注意が向けられた、特別なものだった。あのときは詳しく見たりしなかったけど、いま思い起こすと、普通の服ではありえない加護の力が付与ふよされていたように思える。


呪力剣じゅりょくけんめ込む宝玉などと同じですね。個人で作るか、集団で作るかの違いはありますが。何十人、何百人という巫女が長い歳月をかけて糸や繊維に法力を込めて、それをつむいで仕立てるために、膨大な時間と労力が必要となるのです」

「でも、この組紐は……」

「そうです。エルネア君がお会いしたアーダさんが数日で編み上げたのですよね?」

「でも、本当は何年、何十年ってかかる作業なんだよね?」

「思い出してください。巨人の魔王様は、白剣に埋め込まれている青い宝玉を短時間で作りだしましたよね?」

「……それってつまりさ。アーダさんも魔王のように桁違いの法力で一気に編み上げたってこと?」


 僕の疑問に、ルイセイネは無言で頷いた。


「はっきり申しまして、わたくしなど何百人いても足もとにも及ばないような法力ですよ」

「えええっ、そんなに!?」


 それはさすがに言い過ぎじゃないかな、と思ったけど、ルイセイネの表情は真剣そのものだった。


「とにかく。アレスちゃんの守護具は最高品質のものです。組紐も、わたくしたちが住んでいる地域では到底作ることのできないようなものなのです」

「アーダさんていったい……」

「んんっとね。プリシアも同じ物が欲しいよ?」


 くううっ。

 プリシア姫よ、今までのお話を聞いておられたのでしょうか?

 どんなに無邪気で愛らしい顔で見つめても、アレスちゃんの首飾りはどうやら唯一無二の物のようでございます。


「こ、こまったね……」


 僕が苦笑すると、ミストラルが「ちゃんと責任を持って対処しなさいね」と釘を刺してきた。

 これはきっと、大きな対価をプリシアちゃんに支払わなくてはいけないでしょう。


「と、とと、ととととと、ところでさ。実は糸をたくさん持っているんだけど、話を聞く限り、その糸を使って服とか防具を作ったりはできないかな?」


 プリシアちゃんの無垢むくな瞳に冷や汗をらしながら、千手の蜘蛛の糸の使い道を提案してみた。


「量にもよるわね。そうね、将来を見越して準備するのはいい考えかもしれないわ」


 ミストラルが頷き、ルイララがまた割り込んできた。


「糸の一本一本に力を込めていては完成までに何十年とかかるだろうけど、ある程度ならきっと早く作れると思うよ。なんなら、陛下に頼んでみたら? きっと素早く最上級の布を編み上げてくれると思うけど」

「それって、絶対に呪いが編み込まれているよね!」


 僕の突っ込みに、ルイララ以外の全員が深く頷いたのだった。

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