災厄が降ってくる

「おやつがいっぱーい」


 僕には陽気な声に聞こえたけど、そう感じたのはもちろん僕だけだった。

 魔都は一瞬にして、阿鼻叫喚あびきょうかんの世界に包まれた。

 空を割いてその姿の片鱗を見せたのは、伝説級の魔獣。

 魔族も勝てない竜族が束になっても、手も足も出ないような存在。

 千手の蜘蛛テルルちゃんは、亀裂の奥で真っ赤な瞳を光らせて、地上の獲物に狙いを定めた。そして、名前の由来になった数え切れないほどの手脚を、地上に降らせる。

 一本一本が竜の胴回りほどもある太くて長い蜘蛛の脚が空の切れ目の暗黒空間から迫り、魔都中の魔族たちは逃げ回る。

 泣き、叫び、まさに死に物狂いで。

 人族とは違い、信仰するもののない魔族は、なにかに祈る、という行為だけはしなかった。


 でも、テルルちゃんはそんな発狂したり逃げ惑う魔族たちを遥か頭上から狙い、等しく千手を振り下ろす。

 テルルちゃんは器用に魔族たちの胴に爪の先端を突き刺すと、手や脚を引き戻して暗黒空間に引きずり込んでいく。


 ごく一部の上級魔族は、この地獄に染まった魔都でもなんとか自我を戻し、全力の魔力で抵抗した。

 魔法で反撃する者。全力で逃げる者。なかには殊勝しゅしょうなことに、僕へと尚も攻撃の意志を見せる強者もいた。

 でも、魔族たちの足掻あがきは徒労とろうに終わっていく。


 テルルちゃんの凶悪な千手は、狙った魔族が逃げようと反撃しようと、無情に振り下ろされる。そして魔都を壊滅させていきながら、魔族たちを餌食にしていく。

 僕を狙った魔族は、突然足もとに出現した瘴気しょうきの海に飲み込まれ、魔王城にさえたどり着けずに消息を断つ。


「そんな……馬鹿な……」


 絶望で全身から血の気の引いたギルラードが震えながら空を見上げ、魔都を見下ろす。


「こんなことが……あっていいのですか……」


 最後に、いったいなにをしたんだ、と状況を飲み込めていない視線を僕に向けたのが最後だった。


 テルルちゃんの爪は、容赦なくギルラードにも襲いかかる。

 姿を眩ませたり気配を殺す能力なんて、テルルちゃんの前では遊戯ゆうぎにもならない。

 ずぶり、と爪の先がギルラードの胸に突き刺さる。

 漆黒の外套が破け散り、手にしていた杖が転がる。

 ごふりっ、と赤い血の塊を口から吐いたギルラードは、そのまま空の切れ目の暗黒空間へと引きずり込まれていった。


 テルルちゃんは、その後も無慈悲に千の手と脚を振り下ろす。

 僕は徐々に崩壊していく魔王城の、黄金の玉座が据えられた階層で最後まで見届けた。


「ごちそうさまでした。エルネア君、それじゃあね」

「テルルちゃん、ありがとう」

「お礼を言うのはこちらでーす。邪竜に続き、珍しい命をありがとう」


 テルルちゃんは魔都中の魔族を襲うと満足したのか、全ての千手を暗黒空間に引っ込ませる。そして、僕だけにわかるように微笑んだあと、空の亀裂を戻して魔都の上空から消えた。


 荒廃しかけていた魔都は、廃墟と化した。

 テルルちゃんが去ったあとの魔都に、無事な建物はほとんど存在していなかった。

 破壊力満点の爪跡が残る道や広場。崩壊した建造物。

 魔王城にも手加減なく千手が振り下ろされたために、ここももう間も無く崩壊するだろうね。


 僕は静かに、崩れかけの魔王城から魔都を見下ろす。

 テルルちゃんを喚んだ時点で、こうなることは予想できていた。

 だから、本当は喚ばずに終わりたかったんだけど。魔族があそこまで抵抗するのなら、こちらだって徹底抗戦するしかないよね。舐められたら、またいつ狙われるかわからないんだし。


 でも、ちょっとやりすぎちゃった?


 意識を広げる。

 すると、廃都に残る生命を捉えることができた。


 テルルちゃんに感謝しなきゃね。


 テルルちゃんは、魔族だけを狙ってくれたみたい。しかも、極上の命を中心に。

 魔都には、思った以上に多くの命が残っていた。

 まずは、奴隷だった人たち。

 崩れた建物の陰や拓けた場所で、奴隷の人たちが固まって震えている様子を感じ取る。

 次に、魔族の人たちも一部が生き残っていることを知る。


「いやあ、エルネア君はやっぱりひどいよねぇ」

「ルイララ、無事だったんだね!」

「それって、あの化け物に僕も襲わせるように頼んでいたってことかな?」

「いやいや、そんなことは頼んでいませんよ」

「本当かなぁ。何度か狙われて、冷や冷やしたんだよ」

「ルイララには本当に感謝しているんだよ。あの状況でも敵意を向けていた魔族を倒してくれたでしょ」

「ああ、何人か瘴気の海に引きずり込んだっけ」


 崩れかけの魔王城の陰から、口では大変だったと言いながら平静なルイララが現れた。

 テルルちゃんが見逃した最後の人物。それはルイララだった。


「一応、ルイララのことは伝えていたんだよ。食べ応えがあるかもしれないけど、食べちゃ駄目だよって」

「一応って……」


 やれやれ、とルイララは肩をすぼめて苦笑した。


「それにしても、まさかこんな奥の手を隠し持っていただなんてね。僕には教えておいても良かったんじゃないかな?」

「だって、ルイララに教えておくと、悪巧みに利用されそうだったから」


 もしも、ルイララや巨人の魔王が僕を魔王に仕立て上げようと悪巧みをしていた場合の切り札として、テルルちゃんの存在を無闇に明かすわけにはいかなかったんです。

 でも、今回は色々と助けてくれたルイララに、ちょっぴり申し訳ないかったかもね。


 ごめんね、ルイララ。

 と心のなかで僕は謝った。


 僕の心の謝罪に気づいたのか気づいていないのか、ルイララは「エルネア君は親友だし。まぁ、大目に見てあげるよ」と笑ってくれた。

 そうして、ギルラードの遺物いぶつに足を向けた。


 漆黒の外套の切れ端と、杖が床に転がっていた。


「さすがに、千手の蜘蛛相手じゃ常夜とこよ羽衣はごろもも役立たずだったようだね」

「常夜の羽衣?」

「これのことさ」


 ルイララは漆黒の布切れを摘み上げた。


「昔々、魔王が自国を散々と荒らし回った妖魔を討った。その際に、その妖魔から剥ぎ取った皮に魔力を込めて作った羽衣だって言われているよ。羽織る者を常に夜へと導き、周囲の者を夢へと誘う。夢に囚われた者は夜闇の支配者を認識できずに、永遠の夜を彷徨さまよう、なんて伝説があるね。要は、相手に惑わしの術をかけて、姿を眩ませることができる魔法の羽衣さ」

「なるほど。それで見えている姿に攻撃しても意味がなかったんだね」

「そういうこと」

「それじゃあ、その杖は?」


 最後までギルラードが手放さなかった杖は、いったいどんな一品なんだろう。

 見ただけで普通の杖じゃない、ということくらいはわかる。魔力を感じるので、魔具まぐで間違いはないはずだよ。


 ルイララは杖を詳しく見たあとに、持ち手側に付いていた黄色い宝玉を外した。そして、指先でくだく。

 がりん、と乾いた音を立てて、宝玉は砕けた。


「あっ。それは!」


 ルイララが宝玉を砕いた瞬間、杖が変化した。


「魔剣ビエルメア。魔剣のなかでも業物わざものに入る剣だね」

「やったね。おめでとう。戦利品だね」


 僕は魔剣になんて興味がないから、それは手にしたルイララの物だよ、と言ったんだけど。

 ルイララはあまり嬉しくなさそう。


「魔剣だよ? 嬉しくないの?」


 あの、剣術野郎ルイララ君が業物の魔剣を手に入れたというのに嬉しくないとは。

 どうしたことでしょう?


「これはねぇ」


 言って、ルイララは無造作に魔剣を前方に突き出した。


「ぬわっ!」


 直後、悲鳴をあげて飛び跳ねたのは僕だった。

 お尻にちくりと刺激を感じて、慌てて振り返る。

 すると、何もない空間から魔剣の青い刀身の先が出現していた。

 どういうこと? とルイララの方を振り返ると、突き出した剣先が空間に消えていた。


「もしかして、その魔剣の能力は刀身を別の空間に飛ばせるの?」

「正確には、任意の場所に刀身を渡らせる、かな。ひどい性能だよね」

「ええっ、ものすごく危険極まりない性能だと思うんだけど!?」


 僕はなんとかギルラードの攻撃を回避していた。でもそれは、世界の違和感を感じ取る能力を会得していたからだ。だけど、もしもその能力がなかったら、と考えただけで背筋が凍りつく。

 気配もなく死角から刃を出されたら、普通なら避けきれない。

 まさに、魔剣中の魔剣といった極悪な性能だと思うよ。


 だけど、ルイララは面白くなさそうに手の上で魔剣ビエルメアをもてあそびながら、苦笑した。


「僕は剣術で勝負がしたいんだよ。この剣じゃあ、鍔迫つばぜいや火花が散るような打ち合いは望めないよ」

「ああ……。そういうことか」


 ルイララはあくまでも剣と剣の勝負がしたいんだね。それを考えると、不意打ち系の魔剣ビエルメアはたしかにつまらない一品なのかも。


「でも、名剣なんだよね。なら、今回の報酬として収蔵したら? 僕は絶対に必要ないし、かといってここに残すなんてこともできないだろうしね」


 いらないから放置して行って、またどこかの魔族の手に渡ったら面倒だからね。


「エルネア君が言うのなら」


 ルイララも、使用目的ではなく貴重な一品を手に入れることができた、と納得して納めてくれた。


「それで、これからどうするのかな?」


 柱の一部が崩れ、ぐらりと揺れる足もとを確認しながら、ルイララが聞いてきた。

 そこで、僕はルイララにひとつのお願いをした。


『みなさん、聞いてほしい!』


 僕は、魔王城から魔都に向かって声を響かせた。


 ギルラードが使った、声を拡張する魔法をルイララにお願いしたんだ。

 僕の声は、魔都で命拾いをした魔族や奴隷の人たちへと降り注ぐ。


『ええっと。次はないと思ってくださいね。今後、また僕や家族や仲間を狙うようなら、もう容赦はしませんから。すでにわかってると思いますけど、千手の蜘蛛は貴方たちがどこにいても空間を引き裂いて現れます。僕たちを狙うということは、どこにいても命がないと思ってくださいね!』


 これは、魔都で一命を取り留めた人たちへの警告じゃない。彼らはもう、身に染みて、魂に染みてテルルちゃんの恐怖を実感したはずだから。

 僕の言葉は、この場に居合わせなかった野心家の魔族たちに向けたものだ。

 僕の言葉は、生き残った人たちによって広まるだろう。

 この魔都の惨状が、嘘じゃないことを物語る。恐怖を体験した人たちの言葉が、真実を包み隠さず伝えてくれる。

 そうすれば、もう無謀に僕たちを狙う者はいなくなるはず。

 そう信じています。


 ふう、とひと息つくと、ルイララが不満そうに呟いた。


「このまま魔獣の力を借りて魔王に登りつめちゃえばいいのにさ」

「いやいや、それはお断りーっ!」


 いったい、いつになったらルイララたちは僕の魔王拝命を諦めてくれるんでしょうか。

 困ったものです。


 困ったといえば、そろそろ魔王城も危ないよ。

 一部の床が抜け落ち始めて、いよいよ崩壊が迫った。


 だけど、最後の一撃を魔王城に与えたのは僕でもルイララでもなかった。


「うにゃぁんっ。怖かったにゃんっ!」


 雲のずっとずっと上から、聞き慣れた可愛い声とともに巨大な白桃色の物体が僕めがけて降ってきた。


「ぐわーっ。止まれーっ。止まらないと、潰れちゃうーっ!」


 白桃色の物体、改めニーミアが猛突進で突っ込んでくる。

 ルイララも珍しく顔を引きつらせて、空を見上げていた。


「怖いにゃん、怖いにゃんっ」


 涙目のニーミアは、いったいなにをそんなに怖がっているのか。そんなことを思う暇もなく落ちてきたニーミアは、ずどんっ、と魔王城に着地した。

 と思ったら、すぐさま背中の荷物を振るい落として小さくなって、僕の懐に潜り込み、ふるふると震えた。


「あのね。お空からいっぱい脚が生えてたの」


 そして、下半身に抱きついてくる柔らかい感触がふたつ。


「こわいこわい」

「いやいや、アレスちゃんは怖くないよね。テルルちゃんとはいっぱい遊んだじゃないか」


 ひとりは金髪幼女のアレスちゃん。僕との同化を解除して、もうひとりの栗色幼女の真似をして抱きついていた。


「んんっと、あれがテルルちゃん?」

「そうだよ。あれは千手の蜘蛛のテルルちゃんだよ」


 と、もうひとりの幼女のプリシアちゃんに微笑みかけて、ふわふわの頭を撫でてあげた。


 ああ、なるほど。

 ニーミアたちは、遥か空の上からテルルちゃんの大召喚を見ていたんだね。それで、千手の蜘蛛の正体を敏感に感じ取ったニーミアはこうして怖がっているわけだ。

 対してプリシアちゃんは、猛獣使いだからね。怖いというよりも、興味津々に違いない。

 現に、プリシアちゃんはニーミアと違って、震えていなかった。

 抱きついてきたのは、単純に僕と久々に会えて嬉しかったからかな。

 満面の笑みで全力で抱きつかれていた。


「エルネア、色々と説明をしてもらいましょうか」

「うひっ」

「もう、上空で大変だったんですからね。ニーミアちゃんが怖がってなかなか降りてくれなくて」

「うぐっ」

「エルネア君、自分だけずるいわ」

「エルネア君、自分だけ楽しそうだわ」

「えええっ!」

「エルネア様、私にだけは真実をお伝えくださいませ」

「ライラさん?」

「はわわっ」


 そして、呆れ果てたような様子で立つ美女五人に、僕は顔を引きつらせた。


「ど、どうしてみんながここに……?」


 ミストラル、ルイセイネ、ライラ、ユフィーリアにニーナ。女性陣の痛い視線を受けて、なにか言い訳をしなきゃ、と狼狽ろうばいする僕の足もとの床が、先ほどのニーミアの突撃に耐えきれずにとうとう崩落したのは、次の瞬間だった。


「わあああっ!」


 崩れ行く魔王城に飲み込まれるように、僕たちは落ちた。


「仕方ないですねー」


 そんな僕たちを救ったのは、僕の影からぬるりと出てきたリリィだった。


「な、なぜリリィまで!?」


 僕の悲鳴は、崩落の轟音に掻き消された。

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