南の風

 もふもふと柔らかそうな、僕と同じ栗色くりいろの髪の毛。瞳は猫のように可愛く、唇はほんのり桃色。れた長い耳が、長い髪の隙間から見える。

 小柄で小動物のような雰囲気ふんいきの……お、女の人!?

 と、歳は……。僕たちと同じくらいかな?


 そ、そんな馬鹿な……!


 プリシアちゃんは、実年齢こそ十一歳だけど、初めて出会ったときと変わらない、五歳くらいの容姿をしていたはずだよね!?


 長命な耳長族の成長は、人族よりもうんと遅いらしい。

 だから、幼少期に実年齢と見た目が大きくかけ離れるということは、普通なんだよね。

 だけど、どうなんだろう。

 実年齢よりも成長した姿になるなんて、聞いたことがないよ?

 ましてや、秋口から年末までの短い期間に、こんな急成長を見せるだなんて!


「んんっと、どうしたの? お兄ちゃん!」


 困惑する僕に抱きついたまま、プリシアちゃんは満面の笑みで見つめてくる。

 背丈は、僕よりも少し低いくらい。

 着込んだ服越しに伝わってくるお胸様は、ミストラル級かな?

 細い腕だけど、少女らしい力強さで、僕の上半身をぎゅっと抱きしめる。そして、足をぴょんこぴょんこと跳ねさせたり、ばたばたとさせたり。


 本人からすれば、急成長なんて問題ではないようで、元気いっぱいに僕を出迎えてくれる。

 だけど、僕はとても困惑していますよ!

 いったいぜんたい、僕たちが不在だった禁領で、何が起きたのかな!?


「んにゃん」


 小さくなったニーミアが、定位置を目指して飛んできた。

 それを、プリシアちゃんがひょいと捕まえる。そして、ぺったんこな胸元へと入れちゃった。

 ニーミアは、プリシアちゃんの胸元から顔だけを出して、じっと彼女を見つめていた。


 むむむ。どうやら、ニーミアも不思議に思っているみたいだね。

 事情を聞こうと、ユンユンとリンリンの気配を探る。


「あれれ?」


 だけど、二人の気配が感じられない。

 プリシアちゃんが竜王の森から出て遊んでいるのなら、ユンユンかリンリンが必ずお目付役で同行しているはずなんだけどなぁ。


「ねえねえ、ユンユンとリンリンはどうしたの? 森の方で、お仕事中かな?」


 まあ、ユンユンとリンリンはプリシアちゃんのお目付役という以上に、禁領の精霊さんたちのお世話が大切な役目だからね。

 だけど……


 ニーミアは、当たり前のようにお屋敷の中庭に着地してくれたんだよね。

 だから、僕たちは中庭の湖畔こはんにこうして立っているわけだけど。

 でも、それなら……


「ええっと、みんなはどうしたのかな?」


 そうだ。禁領のお屋敷では、大勢の耳長族の人たちが働いているはずだよね。

 それなのに、出迎えに誰も出てきてくれていない。


 ぼ、僕が不人気だからじゃないよ!


 さっき、ユンユンとリンリンの気配を探ったときに気づいたんだけど。


「ねえ、プリシアちゃん。なんで、耳長族のみんなはこんな時間から全員で寝ているのかな?」


 まだ、お昼を少し過ぎた時間帯だ。

 だというのに、耳長族の人たちは、全員がすやすやと眠っていた。

 しかも、自分たちのお部屋とかじゃなくて、台所や居間、庭先や廊下など、まるでお仕事中に急に眠くなって、その場で眠りについたような……?


「ふふ、ふふふふ」


 すると、急にプリシアちゃんが笑みの質を変えた。

 愛らしさには変わりがないんだけど、なにかこう、悪戯がばれちゃった、みたいな悪い子の笑みだ。


「んんっと、お兄ちゃん。遊ぼうよ!」


 プリシアちゃんは抱擁ほうようめると、今度は僕の服を引っ張って強引にどこかへ連れて行こうとする。

 でも、なぜか、ついて行っちゃいけない気がして、僕は踏みとどまる。

 すると、プリシアちゃんはねたように頬を膨らませて、僕を見つめる。


「お兄ちゃんだけ、ずるいよ。わたしも、精霊さんたちといっぱい遊びたいのに!」

「んん?」

「ほら、行こうよ! みんなで、いっぱい、いーっぱい、遊ぼうよ! お兄ちゃんも、ニーミアも。それに、東の魔術師もさ!」

「ちょっと待った!」


 ぱしりっ、と僕はプリシアちゃんの腕を払う。


「……君は、誰だい?」


 そして、不審ふしんげにプリシアちゃん、もとい、謎の少女を見つめる。


「プリシアちゃんは、自分のことを『私』なんて言わないよ。それに、なんでモモちゃんのことを知っているのかな?」


 見た目は、成長したプリシアちゃんそのものだけど。

 違う。

 この子は、プリシアちゃんではない!


 そもそも、容姿はともかくとして、プリシアちゃんが東の魔術師を知っているはずがない。

 しかも、大鷲を見ただけで「東の魔術師」と言い当てるだなんて、事情を知らない者には絶対に無理だ。


 僕の鋭い指摘に、動きを止める少女。

 無意識に身構える僕。


 その時だった。


「おわお! お兄ちゃん、おかえり!」


 ぽこんっ、と僕の胸元に空間跳躍してきた幼女が、元気よく抱きついてきた。


 栗色の、ふわふわの髪の毛。

 大きく丸い、愛らしい瞳。

 元気いっぱいに僕に抱きつく姿は、見慣れた幼女のそれ。


「プ、プリシアちゃん!」


 そう。いま僕に抱きついてきた幼女こそ、正真正銘のプリシアちゃんだった。


 では、やはり、この少女は何者なんだろう?

 僕はプリシアちゃんを抱きしめながら、向かい合うもうひとりの少女を見つめる。

 本当に、背丈が違うだけで、プリシアちゃんと瓜二うりふたつの容姿をしている少女。


 プリシアちゃんは嬉しそうに、きゅっと僕に抱きつく。そうして満足したのか、振り返ると、僕と向き合う少女を見つめた。

 そして、プリシアちゃんは無邪気に手を伸ばすと、少女の服をその小さな手で掴んだ。


「んんっと、捕まえたよ、おねえちゃん」

「んなななっ!?」

「あらまあ、捕まっちゃったかー」


 プリシアちゃんに「おねえちゃん」と呼ばれた少女は、優しい笑みでプリシアちゃんを見つめる。そして、わしゃわしゃ、とプリシアちゃんの頭を撫でた。


「ええっと、プリシアちゃん、この人は?」

「んんっと、おねえちゃんだよ?」


 そういえば、プリシアちゃんには歳の離れたお姉ちゃんがいたんだよね。

 たしか、名前は。


「んんっと。はじめまして、エルネア君。だましてごめんなさい。プリシアの姉の、アリシアです」

「そうだ、アリシアさんだ!」


 たしか、竜の森を離れて、ずっと遠いところで生活をしているんだよね?

 でもまさか、この少女がアリシアさんだなんて……


「もうちょっと悪戯を続けて、エルネア君を困らせようと思っていたんだけどなぁ」


 まさに悪戯っ子の笑みで、僕を見つめるアリシアさん。

 どうやら、プリシアちゃんと鬼ごっこをしている最中に僕たちの帰りを知って、こんな悪戯をしたんだね。


「お、驚いちゃいましたよ。それにしても、二人は似ているんですね」

「それはもう、姉妹だからね!」


 真実を知ってしまえば、なんということはないね。

 プリシアちゃんのお姉ちゃんだから容姿が似ているし、少女の姿でも不思議はない。

 しかも、悪戯もプリシアちゃんのお姉ちゃんらしい暴走っぷりです。


「ま、まさか。僕を騙すためだけに、耳長族のみんなを眠らせちゃったのかな?」

「んんっとねぇ。このアリシアにかかれば、朝ごはん前よ」

「あのね、お姉ちゃんは賢者けんじゃなんだよ!」


 プリシアちゃんが、まるで自分のことのように自慢する。

 アリシアさんのことが本当に大好きで、誇らしいお姉ちゃんなんだね。


「なるほど。でも、やりすぎじゃない?」

「あーっ。お母さんには内緒にしていてね? それと、ユンユンとリンリンにも!」

『それは、もう遅い』

『もう、知っちゃったもんねー』


 すると、ユンユンとリンリンが顕現してきて、あきれたように肩をすくめた。


「同じ賢者とは思えぬ、奔放ほんぽうさだな」

「プリシアの悪い見本は、エルネア君じゃなくてアリシアだったのねー」


 ユンユンとリンリンは精霊を使役して、耳長族の人たちを起こしていく。

 すると、目覚めたみんなは混乱することもなく、また自分たちの仕事へ戻っていった。


「どうやら、こんなことが日常茶飯事に繰り広げられていたみたいですねぇ……」

「てへっ」


 ぺろり、と舌を出すアリシアさん。

 どうやら、反省の色はあまりないようです。

 だけど、天然の愛嬌あいきょうさで微笑みを向けられると、これくらいの悪戯なら許しちゃえる、と思えてくる。

 現に、悪戯をされた僕は怒るどころか不愉快さも感じていないし、耳長族のみんなも「またアリシア様の悪戯か」と笑っていた。


 とはいえ、やり過ぎには注意ですよ。


「んんっと、反省してます」

「はっ! まさか、心まで読めちゃうのか!?」

「エルネア君の心は、読みやすいよね」

「んんっとね、プリシアもわかるよ!」

「な、なんだってー!?」

「エルネアお兄ちゃんは、すぐ顔に出るにゃん。だから、誰でも読めるにゃん」


 ニーミアの指摘に、僕はずっこけた。

 そ、そういうことですか……


 というか、ニーミアよ。

 素直にアリシアさんに捕まって胸元でそうして落ち着いていたってことは、君は最初から知っていたね?


「にゃあ」


 まさか、身内から共犯者が出るとは。

 やれやれ、帰ってきて早々に、とんだ悪戯を受けちゃったよ。

 でもまあ、こんな悪戯が行われているってことは、禁領が平和だった証だよね。

 みんなが平穏無事に暮らせていたのなら、問題ありません。


 それじゃあ、と僕は改まる。

 そして、これまでの騒動を目を丸くして、物陰から見つめていた大鷲へと向き直った。


「おわおっ。鳥さんだ!」


 そう言った直後には、もうプリシアちゃんは大鷲に抱きついていた。

 大鷲のふわふわの羽毛に頬ずりをするプリシアちゃん。

 大鷲は、突然耳長族の幼女に抱きつかれて、目を白黒させて驚いていた。


「ええっとね、その大鷲は……。そういえば、なんでアリシアさんは大鷲を見てすぐに東の魔術師と気づいたの?」


 賢者だとしても、なんでも知っていたり全てを看破かんぱする能力はないはずだよね。

 すると、アリシアさんも大鷲に歩み寄って行きながら、ふふふ、と少女らしからぬ大人びた笑みを浮かべた。


 そういえばさ。アリシアさんといえば、カーリーさんの初恋の相手だよね?

 ということは、見た目はまだ少女だけど、実年齢的にはカーリーさんに近いのかな?

 そう考えると、少女の容姿とは違って、中身はずっと大人びているのかもしれない。

 そして、成熟した思考と豊富な経験から、東の魔術師を看破したのかも。


 アリシアさんは、妹のプリシアちゃんとは違い、大鷲を驚かさないようにゆっくりと近づいていく。

 そうしながら、優しく話しかけた。


「こうして、面と向かって会うのは初めてよね? まあ、そっちは大鷲を通してアリシアを見ているんでしょうけどさ」


 プリシアちゃんに抱きつかれて、逃げようにも逃げられない大鷲。もとい、モモちゃん。

 どんなに極度な人見知りでも、これだけ強引に接されたら、どうしようもないよね。

 しかも、相手は幼女です。強引に振り払うこともできない。

 そこへ、アリシアさんがやってきて、優しく大鷲の頭を撫でた。


 大鷲は、アリシアさんをじっと見つめる。

 そして、躊躇いがちに、声を発した。


「……みなみの、賢者けんじゃ?」

「おわお! ねえねえ、お兄ちゃん。鳥さんがしゃべったよ? あのね、プリシアはプリシアっていうの。お友達になろうね?」


 プリシアちゃんは、珍獣を見つけた。

 プリシアちゃんは、珍獣と仲良くなりたそうに見つめている。

 お友達になる?


 残念ながら「はい」という選択肢しかありません!


 大鷲は、ぱちぱちとせわしく瞬きをしながら、自分を抱きしめるプリシアちゃんを見つめる。

 そして、助けを求めるように、僕へ視線を移す。


「その子が、さっき話したプリシアちゃんだよ。ほらね、すぐにお友達になったでしょ?」


 愛らしいプリシアちゃんに「お友達になろう」と言われて、拒否できる者なんて存在しません。

 なにせ、あの巨人の魔王ですら、プリシアちゃんのお友達なのだから。


「モ、モモ。私は、モモ」

「モモちゃん! すごく可愛いお名前だね!」


 どうやら、プリシアちゃんは僕の命名に理解を示してくれたようです。

 だけど、アリシアさんは苦笑していた。


「まさか、東の魔術師の名前がモモだなんて。初めて知ったなー。帰ったら、みんなに教えなきゃなー」

「……な、なんで僕を見るのかな、アリシアさん?」

「んんっと、気のせいよ?」

「そうかなぁ」


 まさか、僕が命名したことに気づいている!?

 そんな、馬鹿な。


「と、ところで、アリシアさん」

「プリシアと同じように、アリシアちゃんと言って」

「アリシアちゃん」

「んんっと、なにかな?」

「アリシアちゃんはもしかして、南の賢者さん?」


 プリシアちゃんの勢いで流されちゃったけど、モモちゃんがさっき口にしたことが気になる。


 北の魔女、東の魔術師、南の賢者、西の聖女。

 遠い西の地に住む人々の間に広がる伝承。

 その、南をつかさどる象徴。

 アリシアちゃんはもしかして、南の賢者?


 僕の質問に、アリシアちゃんはにっこりと微笑んだ。


「半分正解で、半分は間違いかな」

「どういうことかな?」


 アリシアちゃんの意味深な言葉に、僕は首を傾げてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る