特別編  月の道標

 それは、夏の終わりの頃のこと。


 僕たちは金剛こんごう霧雨きりさめを討伐した後、世間と少しだけ離れるために、禁領にこもり続けていた。

 でも、よく考えたら、世間と少しだけ距離を置く必要があるのって、竜峰やその以東の人々に対して何だよね。


「ということで、プリシアちゃんの要望により、竜王の都へやって参りましたー!」


 ぱちぱちぱち、と満足そうに手を叩くプリシアちゃん。

 僕は、自分で「竜王の都」なんて口にして、ちょっぴり恥ずかしい。

 では、妻たちはどうなのだろう? と笑顔を向けたら、ミストラルににらみ返されちゃった。

 何でさ!?


「エルネア、お座り!」

「えええーっ!」


 僕はなぜ、竜王の都を管理してくれているメドゥリアさんや十氏族じゅっしぞくの魔族たち、それに妻たちの前で正座をしなきゃいけないのかな!?


「エルネア君が、おとぼけをしているわ」

「エルネア君が、お間抜まぬけをしているわ」


 あのユフィーリアとニーナでさえ、少し困惑した表情です。

 いったい、僕はどんなあやまちを犯したというのでしょう?


「エルネア君」


 ルイセイネから困ったように声を掛けられて、僕は振り向く。

 いや、その前に、一応は正座をしておこう!

 そうしないと、ミストラルが漆黒の片手棍に手を伸ばし始めたからね!


 まずは正座をして、僕はルイセイネを見上げる。

 すると、ルイセイネは巫女らしい所作ではなく、わるぼうの子供を前にした時のように手を腰に当てて僕を見下ろしながら、こう言った。


「あのですね。朝まもない時間に、急にプリシアちゃんとお出かけの約束をして、皆さんのご予定も聞かずに強引に出発を決めるのは、流石に如何いかがなものかと思いますよ?」

「はっ!」

「はわわっ。エルネア様、レヴァリア様が禁領にお戻りになったら、きっと怒りますわ」

「そうだね!」

「だいたいね、エルネア。メドゥリアたちにも予定があるのだから、こちらに来る時は事前に知らせておかなきゃ駄目でしょう? ニーミアも、元気いっぱいに飛んで、朝出発の昼到着はどうかしらね?」

「んにゃっ!?」


 ミストラルのお怒りは、ニーミアにまで飛び火した。


「エルネアお兄ちゃんのせいにゃん」

「いや、諸悪の元凶は、言い出しっぺのプリシアちゃんだと思うんだけどなぁ……?」


 と、全員の視線がプリシアちゃんにそそがれる。

 しかし、誰もプリシアちゃんを責めることはできない。


 何故ならば……


「陛下、やはりこちらに来て正解でございましたね?」

「くくくっ。夫婦漫才めおとまんざいを見せられるとは、なかなかに面白い。ほら、さっさと続きを見せろ。面白くなかったら殺す」

「理不尽だーっ!」


 僕は、正座をしたまま叫んだ。


 そうなのです。プリシアちゃんは、巨人の魔王のおひざの上なのです。

 だから、ミストラルであっても、暴姫ぼうきプリシアちゃんには手が出せないのです!


「んんっと、エルネアお兄ちゃんたちは楽しいの?」

「いやいや、プリシアちゃん。僕とニーミアは怒られている最中だからね?」

「にゃんは巻き添えにゃん」


 ニーミアも、僕の頭の上で身を正して座っています。

 いや、これは普通にくつろいでいるだけでは? なんて疑問を思い浮かべてはいけませんからね?


「にゃあ」


 何はともあれ、僕とニーミアは妻たちにしかられている最中で、プリシアちゃんは罪を自覚することなく、巨人の魔王とシャルロットに遊んでもらっています。

 プリシアちゃん、知らない人になついたりついて行ったり、影響を受けちゃ駄目ですからね?


「プリシアは、其方そなたの影響を色濃く受けているように見えるのだがな?」

「気のせいです!」


 そう。気のせいに違いないよね。

 さすがの僕でも、魔王の膝の上に乗ってお菓子なんて食べないからね?


「ほれ、遠慮するな。片膝を貸してやる。素直に私の膝の上に座って寛げ」

「いやいやんっ! そんなことをしたら、後でどんな大騒動に巻き込まれるかわからないですよっ! 断固拒否!」


 僕が魔王の膝を拒否していると、ミストラルがため息を吐く。


「貴方は、まったく」


 やれやれ、と肩を落とす妻たち。

 メドゥリアさんたちは、多忙な中せっかく僕たちを出迎えてくれたというのに、魔王と宰相の突然の登場で、石像のように硬直してしまっている。

 可哀想に……


「ふふふ。わたくしと陛下を前にして、そうして日常を繰り広げられるのは、竜神りゅうじん御遣みつかいの皆様だけですよ」


 うーむ、否定したいけど、確かにそうかもしれないね。

 巨人の魔王とシャルロットが瘴気しょうきの闇を使って竜王の都へ転移したときに、護衛として黒翼こくよくの魔族たちも一緒にやって来た。ついでに、ルイララも。

 でも、魔王の配下の彼らも、騒ぐ僕たちや寛ぐ魔王とシャルロットとは違い、すみひかえて身を正している。


 あ、そうそう!

 ルイララよ、帰って来たんだね?

 いやいや、忘れていたわけじゃないよ?

 ただ、色々と僕たちも忙しくて、ちょっとだけ後回しにしちゃっただけだからね?

 ちゃんと、クシャリラには帝尊府ていそんふを追い払ったことを伝えたんだよ。だから、ほら。そうして君も竜王の都へ来られたんだからね?


 後から聞いた話では、禁領に入れないクシャリラは、元自国領であるこの地で待ちぼうけを食らっていたらしい。

 巨人の魔王のように、クシャリラも空間転移が使えたら良かったのにね!

 ちなみに、禁領で色々とあった後、巨人の魔王がクシャリラを国へ転移させたのだとか。

 巨人の魔王に借りを作る形となったクシャリラが苛々いらいらしていたと、シャルロットや魔王は愉快そうに笑っていた。

 こちらも可哀想に、クシャリラ。

 そもそも、金剛の霧雨の討伐に呼ばれたのだって、巨人の魔王のせいなのにね!


「あれの存在が役に立ったのだ。私に礼を言え」

「ありがとうございます!」


 確かに、クシャリラの存在のおかげで、僕たちは金剛の霧雨を討伐できたんだよね。

 よし、今度は家族全員で、クシャリラの魔王城へお礼に行こう!


「にゃあ。エルネアお兄ちゃんが、また悪巧わるだくみしているにゃん」

「悪巧みじゃないよ!?」

「エルネア?」

「ち、違うんだ、ミストラル。誤解だよ?」


 ミストラルの右手が、漆黒の片手棍に更に近付きました!

 僕が顔を引きらせてミストラルに弁明していると、プリシアちゃんにお菓子のお代わりを渡しながら、シャルロットが不穏なことを口にした。


「陛下。最近はどうも、西側が騒がしいようでございますね?」

「ああ、あの件か」


 ふむふむ?

 何の件だろうね?


 西側といえば、クシャリラが支配する国の南方に広がる山岳地帯、そこに住む有翼族ゆうよくぞくに、神族の帝尊府が干渉を強めていた件が最初に頭を過る。

 でも、あの件は無事に解決したはずだよね?

 だからこそ、ルイララが帰って来ているわけだし。


 すると、僕の思考を読んだシャルロットが、糸目を更に細めて微笑む。

 嫌な予感しかしません!


「エルネア君。もう少し西の方でございます。天上山脈を越えた先の人族の国が、大変に楽しい事態となっております」

「人族の国が!?」


 天上山脈の西といえば、人族の文化圏が広がる地域だと、僕も知っている。

 そして、人族の文化圏が広がる先には、神殿都市しんでんとしと呼ばれる、神殿宗教の聖地であり総本山が在るんだよね。


「はい。そちらが面白いことになっているのでございます」

「魔族の面白いことって、それはつまり、絶対に人族が困っているってことだよね!」


 何ということだろう。

 神殿宗教の総本山、神殿都市で大問題が起きているらしい。

 魔王とシャルロットの話に、ルイセイネとマドリーヌがぴくりと反応した。


 ……マドリーヌ。

 言いにくいね!

 でも、家族会議で決まっちゃったんだ。

 女神様の試練を乗り越えた僕とマドリーヌとセフィーナは、結婚する。だから、これからは他の妻たちと同じように、僕は二人を「様」や「さん」付けで呼ばないように、とね。

 でも、まだ慣れていません!

 それはともかくとして。


「ねえねえ、神殿都市で何が起きているの?」


 巫女のルイセイネとマドリーヌの代わりに僕が聞くと、魔王がにやりと笑みを浮かべた。

 ああ、やっぱり何か悪巧みをしているんだね!


「いや、私の悪巧みではない。だが、あちらはあちらで、様々な者たちの思惑がからみ合い、面白いことになっている」

「魔王の面白い、それはすなわち、大問題が発生中ってことだね!」


 なんてこった!

 人族の心のり所である神殿都市で大問題が起きているだなんて。

 同じ人族として、僕たちは何か協力できないのかな?

 もちろん、今度は家族のみんなと話し合って、計画的に協力へ向かうよ?

 と、首を突っ込み掛けた僕の思考にくぎを刺したのは、ミストラルではなく魔王だった。


「やめておけ」


 笑みを消して、真面目な表情で僕を見る魔王。

 シャルロットも、糸目ながら笑みを殺して、首を横に振る。


「其方らは、まだあちらに干渉するな。向こうからの要望が来ない限りは、其方らは天上山脈を越えることは認めぬ」

「なんで!?」


 何でもかんでも、僕たちが安易に干渉して良いわけではない。それくらいは僕たちも理解している。

 でも、神殿宗教の信徒として、神殿都市に問題が起きているのなら、手助けしたいと思うのは普通だよね。

 だけど、魔王はいつになく厳しい声音こわねで禁止を言い渡してきた。


「其方らは、確かに神殿宗教の信徒だ。ルイセイネとマドリーヌは巫女でもある。だが、そもそも其方らは、神殿都市との繋がりを持たない。繋がりのないものへの過干渉はひかえろ。と言っても聞かぬなら、こう付け加えてやる。あちらに目を向けているのは、魔族の支配者の方々だ、とな」

「うっ……!」


 僕だけでなく、家族のみんなが息を呑む。

 僕たちにちょっかいを出してもてあそんでくるのは、おもに巨人の魔王とシャルロットだ。

 でも、天上山脈より西で起きている騒動に目を向けているのは、あの魔族の支配者なんだね。

 もしも、そこへ僕たちが勝手に手を出したら……。

 魔族の支配者は、それはそれで面白い、と喜ぶかもしれない。だけど、その後が怖い。

 西へと干渉した挙句あげく、僕たちまでもが魔族の支配者に本格的に目を付けられでもしたら、魔王以上にこちらを弄ぶかもしれない。

 それこそ手加減なく僕たちを利用し、弄び、襤褸ぼろになるまで消費した挙句に、ごみのように捨てられるかもしれない。


 魔王に弄ばれても僕たちがこうして日常を楽しく謳歌おうかできているのは、魔王やシャルロットがきちんとこちらの事を考えて、配慮はいりょしてくれているからなんだよね。

 その魔王が、干渉はするな、と厳しく僕に言ってきた。

 それはつまり、言うことを聞かずに僕たちがでしゃばれば、せっかく築いたこれまでの営みが簡単に壊れることを意味しているんだ。


「理解しているなら良い。その考えを、後で家族に聞かせてやることだな」

「はい、そうします。忠告をありがとうございます」


 僕は素直にお礼を言う。

 もしも魔王の忠告がなければ。

 竜峰の東に行かなければ良いんだよね、と安易に西のモモちゃんのところへ遊びに行き、ついでに足を伸ばして人族の文化圏へ無警戒に踏み入って、そこで騒動に巻き込まれていたら、と考えて、心を凍らせて震えてしまう。

 良かった。魔王に忠告を貰えて。

 もしかして魔王はこの忠告をするために、僕たちが訪れた竜王の都へわざわざ来てくれたのかな?


 はっ!

 ということは、朝からお昼の間の僕たちの行動が、魔王には筒抜けだったということだよね!?


「愚か者め。神楽かぐら白剣はくけんをスレイグスタぼうにまだ返していないだろう?」

「しまった! この宝玉から情報が筒抜けだったのか!」


 スレイグスタ老は、禁領での騒動の後に、竜の森が気になるからと、早々に帰って行った。

 その時はまだウォレンが禁領に滞在していたから、僕たちは用心して武器を持ったままだったんだよね。

 頃合いを見て、スレイグスタ老にまた武器を渡しに行かなきゃね。


 正座をしたまま、僕が魔王やシャルロットと反省の色もなく会話を続けていると、ミストラルはあきらめたように漆黒の片手棍から手を遠ざけてくれた。

 どうやら、僕は助かったようです。


 と、思った瞬間もありました。

 でも、僕の安息を丸めてぽいっと捨ててしまうのが暴姫プリシアちゃんなのです。


 お菓子を頬張りながら、ぐいぐい、と魔王の豪奢な衣装を遠慮なく引っ張るプリシアちゃん。

 そして、言った。


「んんっと、それじゃあプリシアは、アリシアお姉ちゃんのところに遊びに行けない? お兄ちゃんが駄目なら、ローザが連れて行って?」

「プ、プリシアちゃん!?」


 いま、魔王の名前を平然と口にしませんでしたか!?

 上位の魔族は、他者に自分の名前を気安く呼ばれることを、何よりも嫌う。

 顔面蒼白になる僕たち。


 だけど、当の魔王はくつくつと愉快そうに喉を鳴らし、プリシアちゃんに更なるお菓子を与えた。


「私の名を呼ぶことも、賢者のもとへと連れて行くことも構わぬが、代価として其方を魔王に仕立て上げようか」

「魔王になったら、お菓子がいっぱい食べられる?」

「プリシアちゃん、お菓子をいっぱいあげるから、魔族の勧誘を受けちや駄目だからねーっ!!」


 僕の悲鳴が、竜王の都に木霊した。

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