ミストラルの幼馴染

 プリシアちゃんとアレスちゃんのはしゃぎ様に暴君は最初こそ抵抗をしたけど、全く意に介さないプリシアちゃんに、最後は諦めたようにうな垂れた。


 恐るべしプリシアちゃん。


 暴君を、力ではなく意志を砕くことによって屈服させるとは。


 僕だけじゃなくて、ミストラルや様子を伺っている他の竜人族も呆気にとられた。


「プリシア、程々にしなさいね」


 ミストラルは腰に手を当てて、ため息まじりに注意を促す。


「んんっと、毎日遊びに来てくれる?」


 というプリシアちゃんの暴言に、竜人族の中から悲鳴が上がる。


『この耳長族の小娘をどうにかしろ』


 暴君が僕を睨む。


「今まで暴れまわった罰のひとつだね」


 でも僕は要求を突っぱねる。


 ぐるる、と不満たらたらに喉を鳴らす暴君だったけど、抵抗は見せなかった。


 終いには、ニーミアと子竜までもがプリシアちゃんたちの遊びに加わり、恐怖と絶望の象徴だったはずの暴君の周りは、あり得ない賑やかさになる。

 すると、何事か、と建物の奥で未だに気配を殺して身を潜めていた竜人族の人たちが、様子を伺うようにして何人かが出てきた。

 そして暴君の姿を認めて、悲鳴をあげてまた建物の中に逃げ隠れる。


 どうしてこんな状況になった!?


 ミストラルが頭を抱え込んじゃっていますよ!


「こ、これは本当にあの暴君なのか!?」


 屈強な中年の男性がようやくひとり、僕たちに近づいてきた。


「多分、その暴君だと思います」


 僕の言葉に訝しげな視線を向けてくる。


「少し前に目撃した時には、胸にも翼にも傷はなかった」

「胸の傷は僕です。翼は……後ほど詳しく説明させてください」


 僕は黒飛竜と竜騎士のことをミストラルに相談しなきゃいけない。

 あ、吊橋のこともか。


「暴君に傷を……!?」


 驚きの表情を見せる男性。しかし僕の左腰の白剣を見て、そうか、と頷く。


「君がミストラルの例のあれか」


 曖昧な表現をされたけど、多分あれです。

 僕は頷く。


「君に会ったら先ずはミストラルとの事を問い詰めようと思っていたが、暴君とのことの方が先らしいな」

「はい。きちんと説明しようと思います」


 僕の真摯しんしな表情に、男性は頷き返した。


「プリシア?」


 ちょっと怒気をはらんだミストラルの声に、ぴくんとプリシアちゃんが反応する。


「赤い竜さん。小さい竜さん。また遊びに来てね?」


 プリシアちゃん、君はこの村の代表ですか。


 プリシアちゃんは元気よく暴君と子竜に手を振ると、僕の腕の中に戻ってきた。

 アレスちゃんはプリシアちゃんとの遊びに満足したのか、姿を消す。

 プリシアちゃんから解放された暴君は、子竜を背中に乗せ、急いで飛び立つ。

 暴君が巻き上げた暴風に、僕たちはたたらを踏む。

 そして暴君は十分に高度を取ると、咆哮をあげて飛び去っていった。


 僕たちを威嚇したつもりなんだろうけど、プリシアちゃんに弄ばされた後じゃあ、威厳も何も感じませんよ。


 暴君はすぐに山脈の陰に入って、僕たちの視界から消えた。

 するとようやく、隠れていた竜人族の人たちが暴君の気配が消えたことを確認して、半円の村の中広場に姿を現し始めた。


「あ、ルイセイネっ!」


 建物から恐る恐る出てきた人影の中にルイセイネを見つけ、僕は手を振る。


「ルイセイネっ、じゃありません!」

「痛っ」


 だけど、僕はミストラルの拳骨をもらい、痛みに頭を押さえて、プリシアちゃんを抱きかかえたままうずくまる。


「まったくもう。貴方はとんでもない事をしたわね」


 蹲ったまま見上げると、ミストラルが呆れたように僕を見下ろしていた。

 銀に近い金髪が太陽の光を浴びて眩しく輝いていて、呆れ顔のはずのミストラルの表情も美しく見えた。


「大丈夫ですか?」


 ルイセイネがやって来て、屈みこんで僕の頭を撫でてくれる。

 プリシアちゃんも僕の腕の中から手を伸ばして、優しく頭に触れた。


「やれやれ。暴君の背中に乗って威勢良く現れたと思ったら、女子供にあやされるのか」


 最初に近づいてきた屈強な中年の男性が苦笑していた。


「この子はいったい何だい?」

「暴君の背中に乗って来たとは、本当か!?」

「怪しい奴じゃないだろうな?」


 広場に集まってきた竜人族の人たちが、僕を指差していぶかしげな視線を向けてくる。

 ミストラルはそんな村人たちを見渡し。


「ザン、居るのでしょう?」


 と、どこかに向かって声を掛けた。


「俺ならここだ」


 すると人垣ひとがきを分け、ひとりの若い男性が現れた。


 赤銅色の肌。長身でがっしりとした体格。分厚い胸板、太い腕、長く逞しい脚。如何にも戦士然とした研ぎ澄まされた気配。

 ザンと呼ばれた男性は、ミストラルの側に立つ。


 僕よりも身長の高いミストラルよりも、更に頭ひとつ分以上は大きい。

 短く刈り上げられた銀髪は、赤銅色の肌によく映えていた。


 よく見てみると、集まった村人の多くは色んな肌の色をしているけど、誰もが銀髪や銀に近い金髪だよ。

 この髪の色がミストラルの部族の特徴なのかな。


「貴方の事だから、今の一部始終は見ていたわね?」

「無論」


 ミストラルはザンさんに話しかける。


「なら、みんなに事の顛末を説明して」

「それは俺の役目か?」


 ぶっきら棒な言葉遣いだけど、不遜さはない。二人は親しくて気を使う必要がない、そんなやり取りに僕には見えた。


「わたしはエルネアから色々と聞かなきゃいけないの。だからこの場は貴方に任せたいんだけど?」


 ミストラルの言葉に、ザンさんは僕を一瞥いちべつする。


「この男がお前の相手か?」

「そうよ」


 ザンさんとミストラルの短い言葉に、広場に集まった人たちの中にどよめきが広がる。


「そうか。なら作業を分担しよう。お前がこの男から事情を聞け。俺はみんなに今の出来事を説明しよう」


 ザンさんの同意を取り付けると、ミストラルは僕を立ち上がらせて広場を後にする。

 ルイセイネとプリシアちゃんは、無言で僕たちの後についてきた。

 ミストラルは、半円の村と泉を隔てる長い建物の一画へと僕たちを誘う。

 言われるまま建物に入る間際、僕は広場の方を振り返った。

 広場に集まった人たちは、僕を気にしつつもザンさんの説明を受けていた。


 ザンという男性は、どんな人なんだろう。

 今し方のミストラルとの短いやり取りでも、彼女が信頼を寄せている気配が感じ取れたよ。

 僕は、僕以外の男性と親しく接しているミストラルの姿を初めて見て、少なからず動揺していた。


 ここはミストラルの暮らす村なんだし、彼女と親しい人たちばかりなのは当たり前なのに。

 ミストラルは竜姫で、そうじゃなくても美人さんだから人気なのは知っているよ。

 でも、今まで見たことのないミストラルを目の当たりにして、僕の心は不安に揺れていた。


 だからなのかな。僕はつい、ザンさんのことを聞いてしまった。


「ザン?」

「う、うん。彼はどんな人なのかな」


 僕の質問に、ミストラルは建物内で座るように促しつつ、教えてくれた。


「ザンはこの村の警護担当をしている戦士よ。さっき暴君が村に降り立った時も、気配は感じなかったけど何処かから監視をしていたはずよ」

「ミストラルでも気配を読めない?」

「ええ。彼が本気を出せば完璧に気配を消せるわ。多分、暴君でも気づいていなかったんじゃないかしら?」


 竜姫のミストラル、それに暴君さえも気配を察知出来ないなんて。僕は驚く。

 竜人族はやっぱり凄いね。そんな人もいるんだね。


 そして、ミストラルの続きの言葉に、やっぱり聞くべきじゃなかったなぁ、と後悔した。


「彼とは幼馴染なのよ。この村ではザンが一番年齢が近いから。昔からよく二人で色んな事をしたわ」


 ふふふ、と楽しそうに微笑むミストラル。


 彼女は何気なく話したつもりなんだろうけど、僕は心に釘を刺されたような痛みを感じていた。


 ミストラルとザンさんは幼馴染。


 ザンさんは僕の知らないミストラルの過去を沢山知っていて、僕よりも多くの時間をミストラルと過ごしてきた。


 ミストラルは、僕によく気を使う。でもザンさんとは、気を使わなくても心を通じ合わせることができる信頼関係がある。


 僕の持っていないもの。知らないもの。その全てをザンさんが持っているような気がして、僕の心は嵐の大河のように大きくうねりをあげていた。


「どうしたの? さあ、ここに座って」


 長屋のひとつの部屋に入った僕を、ミストラルは再び座るように促す。

 僕は心の動揺を隠し、勧められた椅子に腰を下ろした。


 ルイセイネが温かいお茶を入れてくれて、僕はそれを一口含んで心を落ち着かせようと努力する。

 プリシアちゃんが当たり前のように僕の膝の上に乗ってきた。

 そして、机を挟んで対面にミストラルが腰を下ろし、ルイセイネも空いている場所に座る。


 もう一口お茶を飲む。


 プリシアちゃんの程よい重さを足に感じ、温かいお茶が喉を通る感覚で、僕は徐々に落ち着きを取り戻し始める。


 そうしてようやく、僕は周りが見えてきだした。


 長屋は真新しい木造の建物だった。

 壁や天井はもちろん、床板も明るい木目の浮かび上がる新築。僕たちが座っている椅子も目の前の机も木工で、それ以外の棚や飾りの置物まで新品だ。


 部屋は、十人くらいなら寝泊まりできそう。簡素な作りだけど、今まで見たアネモネさんの村や最東端の村からは想像出来ないほどの豊かさを感じて、僕は驚く。


 すぐ北側に、小さいけど森があるからかな。

 潤沢な木材を使い、村は温もりのある木工で満たされているのかもしれない。


 深呼吸をすると、木を切り出した時の良い香りが鼻を満たした。

 この建物は、つい最近に新築されたんだろうね。


 部屋を見渡し、ゆっくりと深呼吸をする僕を、ミストラルは静かに見守っていた。

 ルイセイネもお茶で唇を湿らせつつ、僕が話を切り出すのを待っている。


 外では、今頃ザンさんが色々と説明をしてくれているんだろうね。でも、僕の具体的な話がないと、十分な説明は難しいと思う。


 なぜ僕が暴君の背中に乗って現れたのかとか、ザンさんにはわからないから。

 だけど、その状態でもザンさんなら村人に説明して納得させられる、とミストラルは信頼してあの場を任せたんだろうね。

 僕は、またザンさんとミストラルとの関係を考え出して動揺し始めた心を、必死に抑え込んだ。


 僕は嫉妬している。


 そして恐れている。


 僕なんかとは違い、格好良くて頼り甲斐があり、全幅の信頼を受けているザンさんに。


 だけど今は、そんな僕個人の想いは二の次じゃないといけない。

 僕は王都を出て今までの旅のあらましを、ミストラルに説明しなきゃいけないんだ。

 そして暴君の事、黒飛竜と竜騎士の事、それと吊橋のことを報告しなきゃいけない。


 それから最後に、謝罪も必要だね。


「ええっと……」


 僕はもう一度だけお茶を口に含むと、順を追って旅の事を話し始めた。

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