優しい魔王

 会場に入ったお客さんたちは、みんな驚くかもしれないね。

 なにせ、一風変わった芝生の草原なんだもの。

 会場の外縁あたりには天幕などが並んでいて、なぜか飲食物が最初から振舞われている。

 北側にはテルルちゃんが佇んでいるけど、近くに行こうと思ったら迷宮が立ちはだかっていて、苦労するはず。

 さらに、芝の草原には幾筋もの水路が縦横に掘られていて、幾つもの区画にも切り分けられているし。

 会場に入った人は、案内図に従って指定された区画へと行ってもらう。

 結婚の儀の際には、混乱と混雑を避けるために、決められた区画で参列してもらうことになっていた。


 来場者に僕自身が案内図を配っていると、交代の巫女様たちがやって来た。

 どうやら、そろそろ時間らしい。


 早朝から会場にお客さんが入り始めて、太陽がいい感じの高さになり始めた頃には、すでにお祭りのような大賑わいになっていた。


 本日は無礼講ぶれいこう

 王侯貴族も冒険者も、種族も見た目も気にせずに楽しんでいってもらいたい。

 どうやら、最初の滑り出しは好調みたいだね。

 人も竜も魔獣も、友好的に交流しているように見える。


「さあ、そろそろ行きましょうか」


 会場の様子を伺っていると、ミストラルたちがやってきた。

 女性陣たちも会場の準備の仕上げをしていたようで、未だに普段着のままだ。

 さすがにこのままの状態で結婚の儀を進めるわけにはいかない。ということで、僕たちはこれからお色直しです。


 ニーミアに大きくなってもらって、これから一旦、竜の森へ戻ることになっていた。

 主役の僕たちがいない間は、アームアード王国の楽師がくしや、ヨルテニトス王国から来てもらった劇団の出し物で楽しんでもらいます。

 もちろん、事前にみっちりと打ち合わせ済みだよ。


「本当にこれから結婚の儀式が始まるのか!?」

「儀式というよりもお祭りだ」


 と、ルビオンさんやキャスターさんだけでなく、会場を訪れた誰もが驚いていた。


 はい。

 お祭りですよ!

 だから、思う存分楽しんでいってください。


 僕たちは、賑やかな会場を横目に、ニーミアに乗って移動する。

 大きなニーミアの姿を見たヨルテニトス王国の人たちが、空を見上げてわいわいと騒いでいた。


 ニーミアは気持ちよく空を飛んで、あっという間に竜の森へ。

 そして僕の目的地、苔の広場へとたどり着く。


「それじゃあみんな、あとでね」

「緊張してきましたね」

「は、恥ずかしいですわ」

「ライラ、今さら緊張しても遅いわ」

「ライラ、今さら緊張しても手遅れだわ」

「さあ、わたしたちも行きましょう」


 苔の広場で僕を下ろしたニーミアは、そのまま女性陣を連れてすぐに飛び去ってしまう。


 女性陣の目的地は耳長族の村だ。


 なんと、僕は未だにみんなの晴れ着を目にしていない。

 最後の最後までお預けなんだって。

 ミストラルたちは、耳長族の村で支度を整える。

 そして、飛竜の狩場の舞台で合流する流れになっていた。


「ほれ、早く着替えぬか」

「おじいちゃん、手伝ってね」

「ふむ、汝はまれに無理を押し付ける」

「だって、ひとりでこんな衣装なんて着れないよ……」


 苔の広場では、いつものようにスレイグスタ老が寛いでいた。

 そして、スレイグスタ老が寝そべる鼻先には、僕のための衣装が綺麗に折りたたまれて置いてある。


 でもですねぇ……

 僕は、礼服なんてほとんど着たことがないので、着付けなんて知らないですよ?


 耳長族が染めあげてくれた若草色の綺麗な衣装を前に、僕は呆然ぼうぜんと佇む。

 そういえば、着付けを手伝ってくれる人を手配するのを忘れていました!


 ここは、部外者はいっさい立ち入れない禁断の地。スレイグスタ老に認められた者だけが来られる場所。

 そんな場所に、都合よく着付けのできる人なんて来ませんよねぇ……


 途方に暮れていると、背後からため息が聞こえた。


「其方らしいというか、なんというか」

「うわっ」

「しかも、小僧に呼ばれて来てやったというのに、この嫌そうな声」

「ち、違うんです。そういう意味じゃないですよっ」


 気がつくと背後に立っていたのは、巨人の魔王だった。

 どうやら、困った僕を見かねてスレイグスタ老が伝心術で呼んでくれたらしい。

 でも、巨人の魔王が着付けなんてできるのかな?


「何千年も生きていれば、無駄な知識は増えるものだ。ほら、手伝ってやる。晴れ着に呪いの付与を追加されたくなければ、さっさと動け」

「は、はいっ」


 僕は慌てて、いま着ている服を脱ぐ。

 に及んで晴れ着が呪われちゃたら、目も当てられないからね。


 下着だけになった僕は、急いで折りたたまれている衣服を手に取る。

 さあ、着るぞ。と思ったら、巨人の魔王に蹴られた。


 なんでさ!?


「人族は汚い姿で祝いの場を迎えるのか」

「あっ」

「ふむ、小川で身を清めてくるがよい」

「そうだね。昨日からお風呂に入ってないよ」


 失念していました。

 でも、そうだよね。大切な儀式だからこそ、身も心も綺麗にして迎えなきゃいけない。

 僕は急いで竜の森の奥へと駆け込む。そして、近くで流れている小川で身体を洗う。

 秋の早朝。水は冷たかったけど、そのおかげで心まで引き締まったような気がするよ。


 身を清めると、僕はまた急いで苔の広場に戻る。

 そして、巨人の魔王の手を借りて、着付けをすることになった。


「ええい、どこに手を通している」

「ご、ごめんなさい」

「それは後だ。先にこっちをけ」

「は、はいっ」

「腹に力を入れろ。ひもで絞め殺されたいのか」

「ひええっ、お助け……むぎゅうっ!」


 なんでしょうか。これは拷問ですか?

 これから一世一代の華やかな儀式が待っているというのに、僕の心はぼろぼろです。


 巨人の魔王に怒られながら着付けをする僕を、スレイグスタ老はなごかに見つめていた。


「まるで保護者と息子であるな」

「ぼ、僕の母さんはこんなに怖くないよっ」

「ああん?」

「うひっ、ごめんなさい」

「これは貸しだ。きっちり返してもらうからな」

「命に関わるような返済だけはご勘弁です」

「なあに、私も極悪ではない。軽い作業で手を打ってやる。……ほら、出来上がりだ」

「極悪じゃない魔王なんて、信用できません!」


 本当のことを言ったら、ぽかりと頭を叩かれた。

 頭の上のかんむりが潰れなくて良かった……


「ふむ、見事な衣装だ」

馬子まごにも衣装いしょうと言うわね」

「しくしく、ありがとございます」


 一応、巨人の魔王にはお礼を言っておきましょう。

 すごくすごく怖かったけど、感謝はしているんだよ。

 巨人の魔王が来てくれなかったら、僕は大切な衣装を着れずに大恥をかくところだったんだから。


「着ていてどこかに違和感はないか」

「ううーん、腹部をきつく縛られている以外は、ゆったりとした衣装だから違和感はないかな」


 若草色の上着、深緑色のはかま

 青が綺麗なぎょくや宝石が縫い込まれた肩帯こしおび。頭の上の冠は、長胴竜ちょうどうりゅうがとぐろを巻いたような銀細工の意匠になっている。


 手を伸ばしたり足を動かしたりしてみるけど、動きにくさも違和感もなかった。


 僕の衣装は、これまでに見たことのないような様式で作られていた。


 人族の伝統的な衣装。そこに、耳長族が持つ独特の感性と、獣人族の祈祷師きとうしジャバラヤン様が昔に見た、神殿都市の大神官様が着ていたよそおいが巧みに入り混じっている。

 獣人族が寄った糸で人族が生地を織り、耳長族が染める。そして、竜人族が裁縫してくれた特別製だ。


「さあて、用事は済んだな。私は式場に戻っている。其方の父と酒でも飲んで待っていよう」

「ありがとうございます。あと、父さんをあまりいじめないでね。この間、父さんの酒飲み友だちの正体が魔王だと教えたら、泡を吹いて倒れちゃったから」

「私の正体を話す其方が悪い」

「だって、今日を前に知らせておかないと、人には心の準備が必要なときもあるんですよ。実家に滞在しているときは周りにシャルロットやルイララを従えるだけだったけど、今日は見た目からして魔族然とした人たちも来てましたよね。彼らの親分だとその場で知ったら、父さんは結婚の儀を欠席になっちゃう」

「人族の都合など知らん」

「父さん、どうか無事で……」


 僕とスレイグスタ老が見送る前で、巨人の魔王は黄金色の光に包まれて苔の広場を後にした。

 巨人の魔王自身も空間転移の魔法が使えるけど、苔の広場で使っちゃうのは不味いからね。

 放たれる瘴気しょうきで大変なことになっちゃう。


 巨人の魔王が去ったあと、僕は改めて衣装を見る。

 本日限りの晴れ着にしておくのはもったいないほどの出来栄えだ。


 太い腰巻の左からは、美しい糸と玉で飾られた紐が垂れ、先には白剣が下がっている。

 本当は、これに合わせて右腰に霊樹の木刀というのが僕の姿なんだけど、あの子は現在、舞台の奥で神秘的な存在感を放っているはず。


 霊樹のことは誰にも口にしていないけど、あの巨木を見た人たちはきっと、不思議な印象を持つだろうね。


「随分と成長したようで、なによりである」

「あんなに成長しているとは思ってなかったですよ」

「汝の送る竜気がよほど美味しかったのであろうな」

「アレスちゃんとたらふく食べてくれたのかな。そうだと嬉しいかも」

「まだしばらくは腰に携えて冒険に連れて行く予定か」

「どうしようかなぁ、とは思ってるんだけど」

「ふむ、どうやら考えがあるようだ。汝ならば良き結果へと導くであろうな」

「はい。変な場所には根付かせませんよ」


 スレイグスタ老は、僕をじっと見下ろしていた。

 いつものような悪ふざけをすることもなく、瞳を僕へと静かに向けている。


 そういえば、いつ以来だろう。こうして、スレイグスタ老とふたりだけで苔の広場に佇むのは。


 旅立ちの一年を前に、僕はずっとここで修行をしてきたんだよね。

 毎日のように通って、竜剣舞の練習をしたり、瞑想をしたり。

 大狼魔獣に追い回されていた日々がずっと昔のように感じる。

 ミストラルに出会ってからは、彼女が僕の練習相手をしてくれていたから、実は僕とスレイグスタ老だけで過ごした期間は短いかもしれない。

 でも、あの頃の毎日は僕の記憶に今でも色濃く残っている。


 もしも、竜の森を訪れていなければ。気まぐれな大狼魔獣に追いかけられていなければ。運良く苔の広場に迷い込んでいなければ。そしてなによりも、スレイグスタ老の気をくことができなければ、今の僕は存在していなかっただろうね。


「おじいちゃん、ありがとうございます」

「どうした、汝に改まって礼を言われるようなことはしておらぬが?」

「ううん、僕はおじいちゃんに心からお礼を言わなきゃいけないんです。だって、おじいちゃんは僕の願い事を叶えてくれたんだから!」

「そうか、そうであったな。我は汝の願いを叶えると約束したのであったか」

「はい。僕に大切な宝、竜剣舞を授けてくれました。そして、いっぱいのお嫁さんも!」

「ミストラルとルイセイネは、汝の望みとは違うちっぱいであったがな」

「うわっ、それをミストラルたちの前で言っちゃ駄目ですからねっ」

「くくくっ、口止め料を要求しておこう」

「うわぁ、巨人の魔王みたいなことを言ってるよ……」


 スレイグスタ老の極悪な思考はもしかすると、小さい頃に巨人の魔王から影響を受けたからなんじゃないのかな。


「なるほど、その可能性はあるであろうな。我の師は厳格であったからな」

「やっぱり、魔族は危険だ。悪影響がすごいですね!」

「無害な魔族は存在せぬだろうよ」

「確かに!」


 大切な儀式を前に、僕とスレイグスタ老は心穏やかに談笑していた。

 すると、どうやらスレイグスタ老に連絡が入ったらしい。


「ふむ、そろそろ時間のようだ」

「ミストラルたちの準備ができたんですね」


 いよいよ、本日の一番大切な時間がきたみたい。


 スレイグスタ老が起き上がった。

 むっくりと上体を上げ、翼を広げる。

 僕は空間跳躍で、スレイグスタ老の頭の上に移動した。


「では、行くとしよう」


 大きく翼を広げるスレイグスタ老。

 そして、ゆっくりと苔の広場から巨躯きょくを浮かせ、飛び立った。

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