飛竜の狩場の巨大遺跡

「よし、あらかた準備は終わったね」


 僕は、額の汗を拭う。

 太陽はもうそろそろ、竜峰の稜線りょうせんに沈んでしまいそう。


 明日はいよいよ、僕たちの晴れ舞台の日だ。


「晴れるといいけどねぇ」

「これで雨でも降ろうものなら、お前たちを呪ってやる」

「きっと大丈夫ですよ。曇ったら、テルルちゃんが雲を吹き飛ばしてくれるそうです」

「天候さえも……」


 僕と同じように、額の汗を手ぬぐいで拭うルビオンさんとキャスターさん。

 二人は苦笑まじりに後方を見上げた。


 式場となる場所から少し離れた位置におとなしく佇むテルルちゃんが見える。

 遊び疲れたせいか、ニーミアやフィオリーナ、リームといった子竜たちは、テルルちゃんの背中で仮眠中。

 テルルちゃんの背中にはふわふわの体毛が生えていて、柔らかい羽毛の上のようで気持ちがいいんだよね。

 きっと誰かが起こしに行かないと、ちびっ子たちは明日まで熟睡だ。


「近くに居るように見えるが、けっこうな距離を確保しているんだよな?」


 キャスターさんの疑問に、僕は頷く。


「おとなしくしてくれているとはいっても、魔獣ですからね。お客さんたちが粗相をしないことはわかっていますが、念のためです」

「念のためで、お前は平原に迷宮を創り出したのか……」

「ぼ、僕が創ったんじゃないですよ」

「エルネア君がお願いして、耳長族の幼女が精霊とともに創ったのだろう。それなら、エルネアが創ったと言っても過言じゃない」

「ぐぬぬ、さすがは切れ者で名の売れたルビオンさん。痛いところを突いてきますね」

「エルネア君の脇は突き放題だなぁ」

「しくしく」


 式場とテルルちゃんの間には、巨大な迷宮が存在する。

 地上から見える部分は塹壕ざんごうのように掘られた溝が複雑に入り組み、地下にも五層に渡って迷宮は創られている。

 悪のりをした魔族宰相のシャルロットが地下五層目に魔族の警備員を配置したせいで、恐ろしい仕上がりになっていた。


 とはいえ、複雑に入り組んだ迷路を一足飛びで乗り越えたり、空を自由に飛べる者には意味がないよね。

 迷宮はどちらかというと、遊技場的な意味合いの方が強い。

 テルルちゃんも、招待客のひとりだからね。招んでおいて隔離するなんて可哀想。なので、テルルちゃんも自由に動き回っていいし、他のみんなも迷宮を無視して迂回したり空から接近したりしてテルルちゃんに会いに行くのは、じつは自由だ。


 ただし、迷宮はプリシアちゃんとアレスちゃんが中心となり、精霊たちがやんややんやと騒ぎながら創造した力作です。

 もしかすると、王都の南東にある古代遺跡改め古代迷宮以上の難易度かもしれない。

 それを承知で入る者がいるのなら、どうぞどうぞ、というのが僕たちの立場だった。


「天幕の設営は終わったぞ」

「水路に掛けられた橋の点検も終わった」

「あとは明日を待つだけだな」

「もちろん、手伝った俺たちには特別な褒美があるんだろうな?」


 他の場所でも準備を終わらせた人たちが、次々に僕たちの周りに集まりだした。


 最初はなるべく自分たちだけで、手作りの儀式にしたかった僕たちだけど。

 結局、こうして多くの者たちに手伝ってもらうことになっちゃった。


 天幕や敷物、儀式を執り行う舞台の設営などの準備は、アームアード王国の人たちが。

 会場周辺に野生の肉食獣などが近づかないように縄張りを確保してくれたのは、獣人族や魔獣たち。

 ヨルテニトス王国からひと足先に飛んできた飛竜や、竜峰から降りてきた竜族たちは、みんなで集めた沢山の食材を持ってきてくれた。それを竜人族や耳長族がさばき、調理する。


 豪華な食べ物などは明日の分だけでなく、こうして手伝ってくれる人や竜や魔獣や精霊に振る舞われる。

 そして、種族ごとに味付けや調理方法が違うことから、明日は会場の周辺に設置された天幕などで多種多様な種族料理が並ぶ手はずになっていた。


 そこで驚いたことは、巨人の魔王が連れてきてくれた魔族の宮廷料理人たちだった。

 これまでにも、アームアード王国やヨルテニトス王国の王宮で豪華な食べ物を見たり食べたりしてきたけど、まさか魔族がその数段上の料理を鮮やかに作りあげるとは!


 宮廷料理だという絢爛豪華けんらんごうかな料理は、見た目だけでなく味や食感も繊細で、味見をした人々をうならせていた。

 人族の料理人たちは魔族の宮廷料理人から技術を教わりたそうにしていたけど、相手は恐ろしい種族だからね。

 おっかなびっくり、遠目から技術を盗もうとしているようです。

 これはいつか、料理教室でも開くと大盛況になるかもしれないね。


 それと、明日の料理が楽しみです。

 まだ下ごしらえらしい段階で他種族が驚くほどの料理を作りあげる魔族の宮廷料理人たち。

 まかない食でもほほが落ちちゃいそうなほど美味しいので、本番ではどれくらいの絶品になるのやら。


 恐れを知らないプリシアちゃんなんかは、料理人の目を盗んで盗み食いしまくってます。

 夕食前だというのに満腹状態らしく、さっきお母さんに怒られていた。

 テルルちゃんの背中のちびっ子組にプリシアちゃんが入っていないのは、そのせいです。


「賑やかだね」

「結婚の儀というよりも、こりゃあ祭りだな」

「そうですね。僕たち人族の感覚だと、結婚の儀は神殿などで粛々しゅくしゅくと執り行うという先入観がありますから」

「それでは、これは竜人族のミストラル嬢に合わせた感じだろうか」

「いいえ、違いますよ、ルビオンさん。竜人族は部族のみんなに祝ってもらう、というのが一般的らしいです。でも、僕たちの儀式は、みんなで楽しくが基本方針ですから」

「みんなで楽しくったって、お前……。大切な儀式だろう? そんなんで良いのか」

「大切な儀式だからこそ、ですよ。キャスターさん」


 ふっふっふっ、と意味深に笑う僕を見て、キャスターさんとルビオンさんは「理解できん」と苦笑していた。


 たしかに、僕たちの結婚の儀は普通じゃない。

 それはやはり、竜人族のミストラルがお嫁さんに含まれているから、という部分が大きいのかな。

 人族だけであれば、僕もきっと大神殿でおごそかに儀式を執り行っていたかもしれない。

 でも、ミストラルは神殿宗教に興味を示してはいても、信者じゃないからね。無理に人族の習慣に合わせるのは、僕たちの望むところじゃない。

 かといって竜人族のような、逆に身内に祝ってもらうという形式だと、聖職者のルイセイネが可哀想になっちゃう。


 そこで考え出した案。

 それは、僕たちだけの特別な儀式にしちゃえ、というもの。

 どんな儀式になるのかは、手伝ってくれている大勢の者たちにも内緒です。


 ああ、明日が楽しみです!


「しかし、儀式を行う周りが少し寂しくないかい? 水路はすごいと思うが……」

「ルビオン殿と同意見だな。お前たちの儀式がどうなるかは明日この目で確認させてもらうが。やはり、飾りがそっけない感じがする」

「どうだろう、周囲に旗を立てたり、幕を張ったりしては?」

「ふふふ、大丈夫です。その辺も含めて、明日を楽しみにしていてくださいね」


 会場は、事前に全面芝に整えていた。


 はい。竜剣舞を踊っちゃいました!

 精霊も大勢集まっていたせいか簡単に自然が活性化しちゃって、足下はふかふかの芝生に覆われている。


 飛竜の狩場は広大な草原地帯だけど、そのままじゃあ荒れた土地も同然だからね。

 場所によっては石や岩が転がっていたり、茶色い土がむき出しになっていたりする場所を慣らして、芝生を成長させて綺麗に刈って整地して、周囲をお花で囲んだんだ。

 これなら、明日は地べたに寝っ転がっても気持ちがいいはずです。


 それと、式場全体には縦と横に走る深い水路が何本も掘られていた。

 水竜たちが自由に通ることのできる道だ。


 スレイグスタ老が僕のお願いを聞いてくれたんだよね。

 わざわざ竜の森から飛んできてくれて、咆哮一発。会場の東側には、巨大な窪地が出来上がった。

 あとは、水属性の精霊や竜族やルイララに頑張ってもらい、水を溜め込んだ。人工湖に繋がる水路も、みんなで協力して掘りました。

 うむ、大工事でした。


 縦横に延びる水路によっていくつもの区画に区切られた会場は、明日になればそのままお客さんの指定位置になる。

 案内図を配って、誰がどの区画で儀式に参列してもらうかを案内しなきゃいけないね。


 ちなみに、水路の上には地竜が通っても大丈夫なくらい頑丈な橋が幾つも架けられていた。

 これなら、移動などに支障はない。

 会場の整備は、しっかりとした下準備で万全です。


 ただし、式場の外側辺りに天幕などが準備をされているものの、中心部分はたしかに殺風景だった。

 もちろん、明日までには机や椅子を並べたりするけど、それはお客さん側のこと。


 肝心の、結婚の儀式が執り行われる式場は、地面から数段高くしただけの木張り床の舞台が設置されているだけ。

 舞台は、竜峰を背景に会場の西側に造られているけど、周囲には余計な飾り付けがない。


 キャスターさんとルビオンさんだけでなく、設営に携わった人たちも殺風景な舞台に少し戸惑っている感じだ。

 でもまあ、これも明日のお楽しみです。

 最後の仕上げは、やっぱり僕たち自身の手でしたいからね。


 ひと仕事終えた人たちと談笑していると、天幕の方で調理に携わっていたミストラルたちがやってきた。


「さすがに、調理ばかりしていると疲れるわね」

「ミストラル。お疲れさま」

「エルネア様、疲れましたわ」

「エルネア君成分の補充が必要だわ」

「エルネア君養分が不足しているわ」


 ルイセイネ以外の女性陣が集合だ。


 残念なことに、ルイセイネだけはこの場にいない。

 やはり、彼女はいつだって巫女様なんだよね。

 結婚の儀式の前夜は、両親と心を鎮めて過ごさなきゃいけないらしい。

 僕たちはちょっぴり不信心な信徒だけど、ルイセイネのこうした決まりを邪魔したり否定したりする気はない。だから、寂しいけど今夜だけはルイセイネと別々です。

 まあ、明日からはずっと一緒に居られるんだから、ひと晩くらい我慢できるよね。


 というか、ユフィーリアとニーナもこの場にいて良いのでしょうか。

 二人は一応、王女様ですよね。

 王家の儀式とかはないんですかねぇ。


 若干疑問を浮かべつつも、疲れた様子のミストラルたちを労おうとしたら、僕と女性陣の間に男の壁が出現した!


「ふはははっ、愚か者めっ」

「結婚の儀式前夜に新郎と新婦を引き合わせるものか!」

「野郎ども、こいつらを引き剥がせぇっ」

『おおうっ!』


 いやいや、そんな男臭い団結は必要ないですからね!? と思う暇もなく。


 僕は男どもの手によって、式場の隅っこへと連れ去られる。

 どうやら野郎どもはミストラルたちにも襲いかかったらしく、連れ去られる僕は、右に左に人が空を飛ぶ様子を見ることになった。


 女性に気安く男が手を出そうとするからさ……

 ミストラルたちの肌に触れていいのは、僕だけなんですからね!

 と、ちょっぴり独占欲を出してみたりして。


 それはそうと、僕は式場の隅っこで夕食になるのでしょうか。

 離れた場所で男たちの悲鳴が続いているけど、僕を助けにきてくれる人はいない。

 そして、逃げ出せそうにもありません。


 僕の横にはザンが。それだけじゃない。竜王のイドやウォルたち以外にも、ルビオンさんやキャスターさん、フォルガンヌやルイララまでもが集結していた。

 完璧な包囲網ですね。さすがの僕も、この人たちを相手に逃げ出せる勝算はありません。


「結婚前夜だ。今夜くらいは女どもと離れて、男だけで語り合おうじゃないか」

「なにを語り合うっていうのかな!?」

「いやだなぁ、エルネア君。そこはほら、しもねたとかだよ」

「まさかルイララからそんな言葉を聞くとは思わなかったよ!」

「それで、どうなんだ。嫁たちとはどこまでいった?」

「うわっ、すごく下品だ!」


 まだ太陽が沈みきっていないというのに、男どもときたら。


「みんな、そういう話は今はしない方が良いと思うんだ」

「なにを良い子ぶってやがる。さあ、白状しろ。どうなんだ?」


 ぐぐいっ、と僕に詰め寄る男たち。

 やれやれ、と肩をすぼめたくなっちゃう。

 僕のお嫁さんたちのなかには、貴方たちの妹や幼馴染も含まれているんですよ。

 そして、夕食前にこんな話をしていたら……


「おほほ、殿方たちは随分と楽しそうですね」


 わざわざ式場の隅っこまで夕食を運んできてくれたお手伝いの巫女様たちが、顔を引きつらせて男性陣を見つめていた。

 なかには、露骨に軽蔑けいべつした視線を向けてくる巫女様もいる。


 人族でないイドやルイララたち、というか図太い精神の彼らはそれでも気まずそうな様子は見せなかったけど、人族の面々はそうはいかない。

 巫女様に軽蔑されたり嫌われたりするなんて、それはもうおしまいです。

 特に、第一王子のルビオンさんなんて顔面蒼白で、意味不明の言葉を叫んでますよ。


 ほらね。

 太陽が沈む前に、変な話をしようとするからさ。

 僕だけは笑っていた。






 翌朝。

 いよいよ今日、僕は結婚します。


 前夜祭だ、と騒いだお手伝いの人々は、まだ会場のあちこちで好き勝手に寝ている。

 それくらいの早朝。


 きっと、開会の前に叩き起こされて、二日酔いのまま僕たちの結婚の儀に参加するんだろうね。


 僕は、近くで寝ているザンやイドを起こさないように、そっと起き上がる。そして、儀式を行う舞台の方へと歩いていく。

 どうやら、ミストラルたちも起きたらしく、声をかける前にこちらへとやってきた。


「エルネア、おはよう」

「みんな、おはよう」

「エルネア様、おはようございますですわ」

「「エルネア君、おはよう」」

「み、みなさん。ずるいです。待ってください」

「あっ、ルイセイネ。おはよう」

「おはようございます」

「あら、貴女はここに来て大丈夫だったのかしら?」

「ミストさん、いじめないでください。ちゃんと、前日は両親と静かに過ごしました。今朝は急いでここに来たのですよ」

「両親にちゃんと挨拶はできたかしら?」

「はい、おかげさまで。両親も神職の立場なので、朝は早いので、とどこおりなく」


 ということで、ルイセイネも合流できてよかった。


 なぜかな。

 みんなで集まって顔を見合わせたら、自然と笑みがこぼれてきちゃった。


「それで、エルネア。本当にいいのね?」

「うん、大丈夫だよ」

「エルネア君、ここに根付かせるのですか?」

「違うよ。一時的なものだよ。前の僕なら躊躇ためらっていたかもしれないけど、今なら問題ないという確信を持ってるんだ」


 ミストラルやルイセイネの疑問に答えながら、僕は右腰にいつも携えている霊樹の木刀を手に取る。

 そして舞台の先に、えいやっと、突き刺した。

 霊樹の木刀の剣先が、芝生の茂る地面にめり込む。

 すると、木刀の姿だった霊樹の幼木は、むくむくと大きくなり始めた。


 土を押しのけ、見る間に幹を太くしてていく。僕たちが見守る前で、霊樹の幼木は一気に背丈を伸ばす。

 そして、大きく枝葉を広げて、本来の姿を表した。


 ぽかぁん、と見上げる僕たち。


 霊樹の美しい緑の天井は、竜人族が跳躍しても届かないくらいの位置に広がっている。


「見つけたときは、あんなに小さかったのにね」

『成長したよ』


 そっと霊樹の幹に手を当てて語りかけたら、返答が返ってきた。

 霊樹は嬉しそうに、そして気持ちよさそうに風に葉を揺らす。


「もう、幼木なんて言えないわね」


 僕と一緒で、細く小さい幼木だった頃の姿を知っているミストラルも、感慨深げに霊樹を見上げていた。


「こんなに大きかったのですね」

「この子も素敵ですわ」

「立派だわ」

「素敵だわ」

『今日はみんなをいっぱいお祝いするね』

「ありがとう」


 さわさわと、風に揺れる霊樹は立派に成長していた。

 舞台の上にまで枝葉の天井を伸ばし、木陰を作っている。

 これなら、滞りなく儀式ができるね。


「おわおっ、霊樹ちゃん大きいね!」

「にゃんよりも大きいにゃん」

「プリシアちゃん、ニーミア。おはよう。僕たちが離れている間の霊樹のお世話はお願いね」

「おまかせにゃん」

「がんばるよ」


 僕たちはこれから、会場にやってくるお客さんたちを招き入れなきゃいけない。

 儀式の前に、ちゃんとした服にも着替えなきゃいけないし。

 ということで、ちょっと霊樹のそばから離れちゃう。


 だけど、霊樹は大切な家族の一員だからね。

 そして、護らなきゃいけない存在でもある。

 というわけで、護衛に幼女組を配します。

 彼女たちなら、全力で霊樹の相手と護衛をしてくれることでしょう。


「さあ、エルネア。そろそろ仕事の時間よ」

「うん。僕はお客さんに案内図を配ってくるね!」

「そうしないと、迷宮に迷い込んだり会場のどこに何があるのかわからないですからね」

「私は、竜の方々に本日の注意事項を説明してきますわ」

「寝ている酔っ払いを叩き起こすわ」

「起きた酔っ払いを働かせるわ」

「それじゃあみんな、またあとで!」


 僕たちは気合いを入れると、最後の仕事に取り掛かった。

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