神魔対決

 はぁ、はぁ、と息を吐く。

 呼気こきは瞬く間に白く凍り、冷たい風に流されて深い渓谷へと消えていく。

 だが、アレクスは不思議と、疲労感も寒さも感じない。むしろ、心の底から沸き起こってくる高揚感こうようかんに心がおどる。


 これほどの手練てだれが、魔王以外にも存在していたとは。


 息を整え、神剣を握り直すと、アレクスは改めて対峙する鬼を見た。


 額には、鬼種おにしゅしめす角が二本。鋭く、そして長く伸びた角は、黒漆くろうるしのようにぬらりと光る。

 鬼は柔らかい物腰で、ゆっくりとアレクスの方へ近づいてくる。

 細身の魔剣を握る手もとは、ゆったりとした羽衣はごろもに隠れて見えない。

 戦場には似つかわしくないような優美な羽衣に隠れて素肌は見えないが、首の下から変色した肌は黒い。

 顔こそ白いが、黒い瞳、赤い瞳孔どうこう、身に纏う闘鬼とうきの気配、全てを合わせて、この鬼が黒鬼くろおにと呼ばれる闘争を好む鬼種だと告げていた。


 鬼将きしょうバルビア。

 魔族のなかでは、知らぬ者はいないと言われるほどの、恐るべき魔将軍ましょうぐん


「いい加減、諦めるか、手の内を見せてはどうだ?」


 ぎらり、とバルビアの瞳が光った。

 バルビアの瞳に見据えられただけで、アレクスの全身は金縛りにあったように強張こわばる。

 あの瞳は、魔眼まがんだ。

 瞳自体が膨大な魔力の塊であり、無意識のうちに魔法を発動させる。

 バルビアの場合は、視界に映る者の自由を奪う魔法が常時発動しているらしい。


 アレクスは神力しんりょくみなぎらせ、魔眼に対抗する。

 全身のしびれがはらわれ、自由が戻る。

 だが、一瞬でも気を抜けば、魔眼が肉体を縛る。

 ただ見つめられているだけで、無駄に神力を消費させられる。厄介な能力だ、とアレクスは内心で舌打ちした。


「生憎と、私は往生際おうじょうぎわが悪いのだ。そう易々やすやすと貴殿の言葉には従えない」


 アレクスは、魔眼の影響をうかがわせないように平然とした口調で言うと、余裕な足取りで距離を詰めてくるバルビアから離れるように跳躍する。

 そして、神力の乗った言葉を口にした。


凍雪燼滅とうせつじんめつ


 アレクスの神力が渓谷に満ちる。

 降り積もった雪の一粒一粒に力が加わり、白い粉塵となって爆散する。だが、それだけでは済まない。

 舞い上がった雪は極上の氷塊となり、刹那せつなの時間で爆心地へと収束した。


「また、このような遊戯ゆうぎを」


 爆心地には、バルビアが立っていた。

 そのバルビアは、あきれたように短く息を吐く。

 そして、魔剣を優雅に振るった。


 氷雪が触れるもの全てを凍結させる。そして、雪が溶けて消えるように存在を消滅させる神術。

 だが、アレクスの神術は効果を発揮しなかった。

 対抗するようにバルビアが発動させた魔法は、自身に触れるもの全てを黒炎こくえんへと変える。

 鬼を凍結させようと収束した凍雪は、しかしバルビアに触れた瞬間に黒炎と変わり、黒く燃えた。


「いつまで、魔法の真似事をするつもりだ? それとも、私が無知であるとでも?」


 言って、バルビアはもう一度、魔剣を振るう。

 すると、燃え上がる黒炎が収束しだした。

 瞬く間に巨大な炎へと変化する。

 バルビアは優雅な仕草で左手を払う。

 ごうっ、ととどろきをあげて、黒い炎の塊がアレクスを襲った。


「くっ」


 アレクスは大きく跳躍する。

 アレクスが跳び去った場所に着弾するバルビアの黒炎魔法。

 だが、黒い炎は消えない。それどころか、みるみると銀世界を侵食していく。

 黒炎にむしばまれた白い雪が、黒い炎へと変わる。

 そして、次から次に延焼えんしょうしていく。

 深い渓谷は、黒炎によって侵食され始めた。


「私の炎は、貴様を焼き尽くすまで燃え続けるぞ」


 バルビアの言葉通り、黒炎は消える気配を見せず、延焼しながらアレクスを追う。

 アレクスが回避すればするほど、渓谷は黒く染まっていく。

 このままでは、バルビアの思う壺だ。

 アレクスは覚悟を決めて大きく跳躍すると、追ってくる黒炎とバルビアの両方を視界に収めた。


「なるほど、これほどの手練れとは。私はどうやら、貴殿に対して礼を欠いていたようだ」


 遥か昔。

 闘神とうしんたたえられたほまれ高き祖先がいた。しかし、闘神は戦いに敗れ「レイキ」と呼ばれる宝剣を魔族に奪われてしまった。

 レイキを魔族の手から奪還することが、アレクスの一族の宿命だった。


 だが、つい先ほど。

 これが魔王の座に君臨くんりんする者の実力か、と身をもって体験したばかり。

 しかし、どうやらアレクスの一族が思っていた以上に世界は広かったようだ。

 よもや、魔将軍のなかにもこれほどの実力者がいたとは。

 しかも、神術についても詳しいようだ。


 アレクスは神力を身体に漲らせるように、深く息を吸い込む。

 冷気が胸を内側から冷やす。

 はあ、と息を吐くと、白い息が風に乗って流れ、迫る黒炎に巻き込まれた。

 アレクスは改めて黒炎を見る。そして、眼前にまで燃え広がってきた黒炎を回避することなく、ゆっくりと言葉を紡いだ。


『貴殿の黒炎は熱くもなく、何も燃やさない』


 すると、どうだろう。

 雪さえも燃え上がらせて延焼していた黒炎だが、アレクスを飲み込んでも、彼自身を焼くことはなかった。

 それどころか、渓谷を黒く燃え上がらせていた黒炎が、瞬く間に鎮火してしまう。


「やはり、そうか。貴様は……」


 先程まで逃げ回っていたはずのアレクスによって、魔法が破られた。バルビアはすうっと瞳を細め、事象じしょうの変化を見定める。

 だが、悠長ゆうちょうに分析している暇はない。

 黒炎の魔法を退けたアレクスが、神速で間合いを詰めてきた。


「ひとつ魔法を退けた程度の神族ごときが、この私に剣術で勝るとでも?」


 ゆらり、と細身の魔剣をきらめかせ、アレクスを迎え撃つバルビア。


『貴殿の魔剣は、私には届かない』


 アレクスはバルビアの動きにも躊躇いを見せず、間合いへ飛び込む。

 神剣を振り下ろすアレクス。

 横薙ぎに魔剣を振るうバルビア。


「っ!?」


 身を引いたのは、バルビアの方だった。

 肌が黒く変色した首の辺りが、薄っすらと斬られていた。

 だが、深く間合いに飛び込んできたはずのアレクスは、バルビアに胴を薙ぎ斬られるどころか、衣服にほころびもない。


 アレクスは続けざまに斬撃を繰り出す。

 緩急を織り交ぜた正統な剣術が、バルビアを襲う。

 しかし、バルビアも応戦する。

 巧みにアレクスの剣戟けんげきを受け流し、反撃を放つ。

 十合、二十合、と刃を打ち交わすアレクスとバルビア。

 互いに一歩も引かない斬撃の応酬は、アレクスの次なる言葉で変化を見せた。


『貴殿は剣術において、私には遠く及ばない』


 言葉通り、バルビアが押され始めた。

 攻防が目紛めまぐるしく変化していた斬撃の応酬だが、徐々にアレクスの攻撃の手数が増えていく。

 だが、バルビアの動きが見極められたわけではない。バルビアの動きは前と変わらず、アレクスの剣裁きに変化があったわけでもない。それでも、防戦になり始めた現状に、バルビアが動いた。


 渾身の力でアレクスの剣を大きく弾く。しかし、余力のない動きでは、反撃に移れない。

 追撃を諦めたバルビアは、仕切り直すように後方へと大きく跳躍し、アレクスとの間合いを取った。


 アレクスは、距離を取るバルビアを追おうと、身構える。そこへ、バルビアが魔法を放つ。

 仕方なく、アレクスも退避する。


 互いに、乱れた息を整えようと大きく息を吸い込む。


 渓谷の先から、怒声や激しい騒乱の気配が伝わってきた。

 どうやら、他の者たちも各々おのおのが奮戦しているようだ。

 アレクスはバルビアに注意しつつも、遠くの気配を探る。


 ルーヴェントたちは、乱戦になっているのだろうか。敵味方入り乱れて戦っているようで、気配が乱れている。

 自分はバルビアと一対一の勝負になっているが、どうやら向こうは魔族の軍勢が加勢に現れてしまったようだ。


 それと、ともうひとつの戦場の気配を探る。

 いや、探るまでもない。

 山が鳴動めいどうし、針葉樹の森が震えている。

 衝撃波が渓谷を伝ってこちらにまで届く。

 竜王と魔王の対決は、苛烈かれつを極めているようだ。


「陛下も、容赦のない。人族ごときに自ら力を振るわれるとは」


 バルビアも、遠くなった別の戦場の様子を探っていたらしい。

 とはいえ、アレクスもバルビアも、他所よそを気にしている場面ではない。

 互いに意識を向け合うと、剣を構え直す。


「それにしても。己で口にしておきながら、改めて神術の真髄しんずいを認識させられた。よもや、私自身まで影響を受けるとは」

「どうやら、貴殿は神術について詳しく知っているようだ」

「くくくっ、当たり前であろう。過去には、武神将ぶしんしょうを斬ったこともある。だが、貴様はその武神よりも厄介な相手のようだ」


 武神将。

 魔族で言うところの、魔将軍。

 天軍と神兵を率いる、神族の将軍だ。

 どういう経緯で、バルビアが武神将と対峙したのかはわからない。だが、虚言きょげん妄言もうげんではないだろう。それほど、鬼将バルビアは強い。


「神族はまず、神術の表層を習得する、と聞く。しかし、それは童子どうじが棒切れを振り回すことを覚えることに等しい。神族であれば誰でも当たり前にできることであり、褒めるほどのことでもない、と聞く」


 アレクスは、バルビアの言葉を無言で聞く。

 いったい、バルビアはどこまで神術のことを知っているのか。なぜか、興味をそそられた。


「神術の表層を習得した者は、次に神言しんごんを習うという」

「なるほど、よく知っている。普通であれば、神術と神言は表裏一体であり、切り離せないもの、と他種族には認識されているはずなのだがな」


 神力を乗せて神言を口ずさむことによって、神術が発動する。

 間違いではないが、真理ではない。だが、それを神族や天族以外が知ることは珍しい。

 だが、バルビアの知識はそれだけではなかった。


「神言を覚え、神術を修めてやっと、一人前、だったか? だが、これも雑魚であろう? そもそも、術の効果を口にしていては、相手に見極められてしまう。達者な者になれば、神言と神術の乖離かいりによって翻弄ほんろうする。神術使いであれば、これをどこまで極められるかで力をはかるとか。しかし、神術の真髄しんずいはそんなものではないのであろう?」


 神術と神言は、表裏一体ではない。だからこそ、口にした言葉と術の効果を切り離して発動させることができる。

 ただし、この域に達するためには、神術の素質や、神言の深い習得が必要なのだが。


 口ずさんだ神言と発動された神術がどれほど離れた効果を示せるか。それが術者の力量を量る目安となる。

 だが、所詮しょせんそれは小手先の技術であり、神術の真髄ではない。

 神族でさえ知る者は少ないが、神術の本当の姿はその先にある。


 そして、どうやら、バルビアは魔族でありながら、その神術の真髄を知っているようだ。


森羅万象しんらばんしょうつかさどる、と神族どもが豪語ごうごする神術。その真髄。先ほど、しかと見せてもらった。いや、体験させてもらった」


 首から僅かに流れた血を指ですくい、口もとに運ぶバルビア。そうしながら、薙ぎ斬ったと思ったはずのアレクスの胴を見る。


「言葉にこそ、本質が宿やどる。口にした言葉で森羅万象を意のままに操り、世界を作り変える。貴様が『剣は届かない』と口にすれば、私がどれほど間合いを詰めていようとも、剣先は届かない。私の方が剣術が劣ると言われてしまえば、拮抗する技量であっても敵わなくなる。恐るべきは、口にしたことが真実となる強制力。事象の支配には、何者もあらがえない」


 燃え盛る炎であっても「熱くない」とアレクスが口にすれば、それだけで熱は意味を持たなくなる。「何も燃やさない」と言えば、雪さえも燃やす黒炎だろうと、木の葉さえ燃やせなくなる。

 神言ではなく、ただ言葉を口にするだけで、事象を支配する。それが、神術の本当の姿。


 人族が扱う呪術は、世界を満たす色に干渉し、様々な現象や影響を発現させる。

 竜人族や竜族が使う竜術は、思い描く現象を竜気で再現させる。

 魔族の魔法は、破壊の衝動を炎や水といった自然現象に置き換えて発動させる。

 そして神術は、神力を言葉に乗せて、森羅万象を思うがままに支配する。


「だが、森羅万象を司る神術と言えども、万能ではない。私はこれから、それを証明してみせよう」


 言って、バルビアは無駄話は終わりだと、魔力を漲らせる。

 そして、躊躇いなく跳躍すると、アレクスの懐に飛び込んだ。


「何度やっても同じだ。貴殿の剣では私を斬ることはできない」

「どうであろうな?」


 バルビアが魔剣を振り下ろす。アレクスは魔剣に構うことなく、神剣を薙ぎ払う。

 アレクスの言葉通り、間合いに入っていたにも関わらず、バルビアの魔剣は空を切る。

 まるで、見えない障壁の表面を滑るように、アレクスを斬ろうと振られた魔剣はことごとく空振りしてしまう。

 逆に胸もとを薄く斬られ、バルビアは顔をしかめる。


 だが、苦悶の表情を浮かべたのはアレクスの方だった。

 脇腹に激痛が走る。

 バルビアに斬撃を浴びせながら、アレクスは片手で脇腹を押さえた。

 ぬらり、と湿った感触が手に伝わってくる。

 間違いなく、これは血だ。

 斬られないはずのアレクスは、しかしバルビアによって斬られていた。


「貴様が口にしていないことをすれば良い。ただ、それだけだ」


 にやり、と鬼らしい笑みを浮かべるバルビア。

 バルビアの手口を知ろうと、間合いを取るアレクス。

 すると、距離が開くことを狙っていたのか、バルビアが黒炎を放つ。


「無駄だ。貴殿の炎は意味をなさない!」


 アレクスは、黒炎の魔法を拒絶する。

 だが、次の瞬間。

 確かに熱を感じたアレクスは、咄嗟に回避行動をとった。


 轟々ごうごうと、雪を触媒しょくばいにして燃え上がる黒い炎。

 熱波が、アレクスの頬を撫でた。


「貴様が言葉に込めた神力を上回る魔力で、貴様が望む事象を拒絶すれば良い」


 バルビアはさらに黒炎を放つ。

 深い渓谷は、再び黒炎にむしばままれ始めた。


「さあ、貴様の神術と私の魔法、どちらが優れているか、争おうではないか!」


 魔眼を不気味に光らせ、鬼の笑みを浮かべたバルビアは、アレクスに襲いかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る