男たちの戦い

 ドゥラネルの雄々おおしい咆哮が、天上山脈に響き渡る。

 針葉樹に降り積もった雪が衝撃波で振り落とされ、斜面の積雪が舞い上がる。

 一瞬にして真っ白な雪煙せつえんに支配される視界。


 黒装束の魔族たちはそれでも迷いなく地を蹴り、迫る。

 ドゥラネルも猛然と突進し、魔族のなかに飛び込む。

 鋭い牙で魔族の胴を食い千切り、猛獣の四肢で蹴散らす。

 太い尻尾が大地を叩く。すると、降り積もった雪を爆散させるだけでなく、下の固い岩盤をも弾く。

 飛散した岩や小石が凶器と化す。

 恐ろしい弾丸となり、周囲の魔族たちを容赦なく撃ち貫く。


 只でさえ雪煙で視界を奪われている。そこへ、回避することも困難なほどの弾丸が降り注ぎ、魔族たちから悲鳴が上がる。

 地竜の圧倒的な攻撃に手も足も出ず、一方的に蹂躙じゅうりんされていく魔族。

 だが、それでも黒装束の魔族は動く。

 数にものを言わせ、ドゥラネルの攻撃の隙を突いて間合いを詰める。


「ああん? 視界が悪いのは俺たちも同じだとでも思ったかよ? 典型的な戦略をありがとうよっ!」


 しかし、そこに待ち構えていたのはスラットンだった。

 ドゥラネルに騎乗したスラットンが、長剣を振るう。

 不意を突いたつもりが、実は誘導された待ち伏せだったと知る魔族たち。

 だが、もう遅い。

 胸を貫かれ、頭をかち割られ、絶命していく。


「人族様を、めんじゃねえぞ、こらっ!!」


 ドゥラネルの死角を補うように凶刃きょうじんきらめかせるスラットン。

 巧みな剣捌けんさばきで、押し寄せる魔族たちを寄せ付けない。

 接近しては危険だと、雪煙の外から魔族が魔法を放つ。


 雪つぶてが黒い塊と化す。

 魔族たちが生み出した無数の黒球が、雪煙目掛けて、容赦なく放たれた。


 悲鳴が上がり、黒い爆煙が上がる。


 だが、悲鳴はスラットンのものではなく、ましてやドゥラネルのものでもなかった。

 仲間であるはずの、魔族たちの悲鳴。

 雪煙の中に取り残された魔族もろとも、魔法で吹き飛ばす。

 弱肉強食。弱き者は、たとえ味方であろうとも無慈悲に巻き込む。それが魔族であり、軍属に身を置く者たちの定めだ。


 しかし、魔族たちが期待した成果は得られなかった。


「こいつは驚きだぜ。辺境を護ってきたっつう魔族軍の実力がこんなものだとはよ! いつまでも俺たちが同じ場所にいるとでも思ったのか!」


 ドゥラネルの突進を、魔族たちは止められなかった。雪煙りに突っ込んでいったはずのドゥラネルは、そのまま魔族を蹴散らしながら反対側に抜け出していた。

 雪煙の中に取り残されていたのは、真っ白な視界でドゥラネルとスラットンを見失った魔族たちだけだった。


 魔法を回避したドゥラネルは、次の魔族の群へ目掛けて猛然と疾駆しっくする。

 あまりの迫力に、さすがの魔族たちもたじろぐ。


「やれやれ、でございますね。なんと暴力的な戦い方でございましょうか。優雅さの欠片かけらもございません」


 地上で暴れまわるドゥラネルとスラットンの様子を上空から見下ろしていたのは、天族のルーヴェントだ。

 翼を羽ばたかせ、地上の魔族たちの魔法が届かない高度から戦場を俯瞰ふかんする。

 だが、翼を持つ者は、なにもルーヴェントだけではない。


 樹々や岩の影から出現してきた魔族のなかにも、有翼の者たちがいた。

 我がもの顔で空を飛ぶルーヴェントを確認すると、魔族たちも空へと舞い上がる。


『切り裂け、我が空域を』


 だが、待ち構えていたのはルーヴェントの方だった。

 鋭い烈風が、魔族たちを襲う。

 上昇しようと大きく広げた翼が、切り刻まれる。

 翼を失い、墜落ついらくする魔族。


『焼き払え、我が空域を』


 それでもルーヴェントの神術を逃れて空へ上がったはずの魔族が、突然炎に包まれる。そして、悲鳴をあげながら、地上に落ちた。


「魔族ごときに、この私が遅れを取るとでも?」


 余裕の言葉を発しつつ、手もとに投げ槍を召喚するルーヴェント。そのまま白い翼を羽ばたかせて、空中で器用に振り返る。背後から迫っていた魔族へ槍を放つルーヴェント。

 猛烈な槍の一撃が、魔族を貫いた。


『切り刻め、我が空域を!』


 ルーヴェントは、さらに神言しんごんを唱える。

 烈風が吹き荒れる、と魔法の障壁を張り、身構える地上の魔族たち。

 だが、足を止めたのが間違いだった。

 ルーヴェントが発した神言とは裏腹に、風は巻き起こらなかった。代わりに、足もとから伸びた鋭いとげに刺し貫かれていく魔族たち。


「おやおや、誰が馬鹿正直に手口を口にするとでも? それにしても、なんとも情けないですね。嘘八百うそはっぴゃくで相手を騙す戦法は、魔族の得意分野でございましょう?」


 スラットンといい、ルーヴェントといい、口が悪い。しかし、それが魔族たちの怒りをあおり、平常心を奪う。

 激昂げきこうする黒装束の魔族たち。

 そこへ、ルーヴェントは容赦なく槍の雨を降らせる。


 真っ先に狙うのは、翼を持つ者たち。

 制空権さえ握っていれば、ルーヴェントに手出しをできる者はいない。


 だが、魔族も一方的に蹂躙されるばかりではなかった。

 がしり、とルーヴェントが投げた槍を受け止めた魔族が、にやりと不敵に笑う。


 格好こそ周囲の魔族たちのような黒で統一された姿だが、同じなのは色だけ。

 握り締めた槍を砕く腕は丸太のように太く、図体ずうたいも腕に見合うだけの偉丈夫いじょうぶ。そして、その巨躯きょくを覆うのは、黒い全身鎧。背中には、自身の身の丈の倍はあろうかという戦斧せんぷを背負っていた。

 ひたいつのは一本だけだが、長く鋭い。まるで、鬼将バルビアのような角だ。


 見るからに周囲の雑兵ぞうひょうとは違う魔族は、お返しとばかりにルーヴェントへ向かって魔法を放つ。

 それを、翼を羽ばたかせて難なく回避するルーヴェント。

 だが、回避したはずの魔法が上空で大爆発を起こした。


 背後からの爆風に煽られ、ルーヴェントが吹き飛ばされる。


「おやおや、ようやく上級魔族の登場でございますか」


 それでも「上級魔族であれば、槍の投擲とうてき程度では倒せませんね」と、上空で肩をすくめて余裕を見せるルーヴェント。

 しかし、言うほど余裕がないことは、ルーヴェント自身が誰よりも感じていた。


 背中が焼けていた。

 羽根が何枚も燃えて、純白だった翼に黒い染みが幾つもできている。


小鬼こおにどもとは違うようでございますね。鬼将と名乗る者の同類、ということでございましょうか」


 ルーヴェントの推測に、巨躯の鬼は片方の口角を上げて答える。


「我らが黒鬼衆こっきしゅうを、その辺の鬼どもと一緒だと思うなよ?」

「我ら……?」


 嫌な予感に、戦場を確認するルーヴェント。

 そして、思わず息を呑む。


「くそがっ!」


 スラットンの怒気に合わせ、ドゥラネルが雄叫びをあげる。

 だが、ドゥラネルの突進が止まっていた。


 止められていた。


 黒い闘着とうぎから、鍛え上げられた黒い肌を見せる四本角の鬼が、ドゥラネルの突進を正面から受け止めていた。

 スラットンが長剣を振るうが、闘着はおろか、黒い素肌にさえ傷を負わせられない。


 所詮しょせんは呪力剣。

 低級な小鬼程度であれば刃も通るが、上級魔族のような、全身に魔力を漲らせた相手には全く通用しない。


 小癪こしゃくな、とドゥラネルが竜術を放つ。

 しかし、闘着を纏った鬼は素早く回避する。

 間合いを取る鬼へ、猛追もうついをかけようとドゥラネルが地面を蹴る。だが、突進することはできなかった。

 逆に、回避行動へと移るドゥラネル。


 つい一瞬前までいた場所が、闇に包まれていた。


 ぞわり、と闇を見ただけで悪寒が走り、全身から汗を流して震えるスラットン。


「やべぇな。瘴気しょうきの塊かよ」


 見るだけでも魂をむしばむ闇は、瘴気の魔法。

 そして、魔法を放ったのは、今しがた影から姿を現した、次なる黒鬼だった。


 黒い魔法衣まほうい。黒い大杖おおつえ。耳の後ろから生えた角は横に伸び、幾つもの角飾りが揺れている。

 角飾りには大小様々な魔石が嵌め込まれ、不気味な光を放っている。


「野郎の術で、魔族どもがわらわらと転移してきやがったのか」

「くふふ、鋭い洞察である。だが、違う。我ら黒鬼は、影から影へ跳躍できるのだよ。ほら、そんなふうに」

「くっ!!」


 背後から殺気を感じ、咄嗟とっさにドゥラネルの背中から飛び退くスラットン。

 だが、結果からいえば、その行為に意味はなかった。


「言ったであろう? 我らは影から影へと跳躍する。どこへ逃げようとも、影は貴様から離れることはない」


 黒い魔法衣の鬼が、にやりと笑う。

 同じように、スラットンの影から姿を現した鬼が、殺意の笑みを浮かべていた。

 そして、影から現れた鬼は、容赦なく魔剣を繰り出す。


 回避したつもりが、逃げきれていなかった。

 スラットンも素早く反応するが、間に合わない。

 ぬらり、と光る魔剣の切っ先が、スラットンの喉笛のどぶえに迫る。


「させるかっ!」


 がきんっ、と金属と金属が激しくぶつかり合う音が響いた。


 間一髪。

 スラットンの首を狙っていた魔剣が弾かれた。

 寸前でなんとか命を取り留めたスラットンは、慌てて魔剣を持つ魔族から距離を取る。

 影から完全に姿を現していた魔剣使いの魔族は、今度は影と共に追ってはこなかった。


「……トリス、助かったぜ」


 首をさすりながら、スラットンは状況を確認する。

 自分を救ってくれたのは、トリスだった。

 少し離れた場所で、魔剣と神剣を振り回して奮戦していたトリス。

 その二本の剣のうち、魔剣を投げて魔剣使いの刃を弾いてくれた。

 トリスの機転がなければ、今頃スラットンは絶命していただろう。


 全身から嫌な汗を流すスラットン。

 逆に、影を利用して跳躍してきた鬼たちは、くつくつと強者の笑みを見せる。


「黒鬼……。赤鬼に並ぶ、戦闘種せんとうしゅでございますね」


 ルーヴェントが珍しく顔をしかめていた。

 背中の負傷と、劣勢を感じ取って。

 それもそのはず。

 影から現れた黒鬼衆は、これだけではなかった。


「辺境守備軍がこの程度か、などという趣旨しゅしの発言を、影を通して聴いたような気がするが?」

「はて、誰の発言であろうな?」

「くはははっ。笑わせる」

「愉快を通り越して、呆れ果てるがな」

「良い良い。ならば、とくと味あわせてやろうではないか」

「我ら、黒鬼衆の実力と恐ろしさをな」


 黒装束の小鬼とは違う、鋭い角を生やした黒い肌の鬼たち。総勢十名。

 誰もが桁違いの殺気と瘴気を放つ、上級魔族たち。


 さすがのドゥラネルも、喉を鳴らしながらスラットンの傍へと退いてきた。

 トリスも、小鬼たちを蹴散らしながら駆け寄ってくる。


「すまねえな。大切な魔剣を」

「ああ……。いいんすよ、気にしないで」


 魔剣を投げたトリスの手には、神剣しか残されていない。

 二刀流でなんとか戦えていたトリスにとって、魔剣を手放したことは痛い代償となってしまった。

 だが、トリスはけろりとした表情で、からになった黒い腕を握ったり開いたりして見せる。


「ふん。人族風情が呪われもせず魔剣を扱うとは。しかも、見れば随分と威力のありそうな魔剣ではないか」


 すると、先ほどスラットンの影から現れた魔族が、傍に落ちていたトリスの魔剣を確認する。そして、おもむろに手に取る。


 にやり、とトリスが笑みを浮かべた。


「ぐっ。……ぐあぁっっっ!」


 そして、なぜか悲鳴をあげる魔剣使い。


「いよっしゃぁっ! 馬鹿、ばぁーかっ! 呪われるのが人族だけだと思ったら、大間違いだぜ!」


 なんだと、と魔族だけでなく、スラットンも驚愕きょうがくに目を見開く。


「その魔剣は、魔族を呪う、アステル様特製の魔剣だ! 上級魔族の、呪われた魔剣使いの完成だぜ! おら、仲間同士で仲良く殺しあえ!」


 トリスの罵詈雑言ばりぞうごんを表すように、鋭い殺意が宿っていた魔剣使いの瞳がうつろろになっていく。

 そして、恐ろしいほどの殺気を、スラットンたちにではなく同じ黒鬼衆へと向ける。


「殺せ。殺せ。魔族を殺せ」


 ぶつぶつと殺意を口にしながら、呪われた魔剣使いは黒鬼衆へ向けて跳躍した。

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