突入
湖底の壁面に荘厳に設けられた
「これって、
彫刻は物語風に彫られていて、見る者に幽冥族の成り立ちを教えてくれる。
幽冥族の創世の物語はこうだね。
最初に存在したのは、雲を突き抜けるほど大きな巨人だった。
巨人はおおらかで慈悲深く、空から取れる果物や海から採れる恵み、そして大地の息吹を多くの生き物に等しく分け与えてくれていた。
だけど、心優しき巨人にも寿命はあった。
疲れた巨人は、その大きな身体を大地に横たえると、そのまま眠るように息を引き取った。
人や鳥や動物、そして様々な植物は、巨人の死を
生き物たちの涙は、巨人の大きな
すると、満月の夜。
生物たちの涙の湖から、新たな生命が誕生した。
心には、巨人を
身体は、巨人の
新たな人は、巨人の遺した亡骸の影で、多くの生き物たちと平和に暮らした。
だけど、やがて巨人の亡骸が
新たな人は太陽の光を苦手とし、穴を掘って地下へと移り住んだという。
「巨人から生まれた人が、幽冥族の始まりってことなんだろうね?」
不思議な物語だよね。
僕たち人族の伝承では、世界は創造の女神様が創ったとされている。
だから、僕たちも魔族も神族も、それに幽冥族だって女神様が生み落とした生命ってことになるんだけど。
種族が違えば、価値観や伝承も違ってくる。
幽冥族は、心優しい巨人から生まれたのだと信じていたんだろうね。
「ところで、空から採れる果物って何かな!?」
雲よりも大きな巨人も気になるけど、空から採れる果物も気になります!
だけど、僕の疑問に答えてくれる人はいなかった。
代わりに、別の方角から鋭い声が飛んでくる。
「お前ら、何をしている!」
グエンがこちらを睨んで
僕たちは冥獄の門の前に慌てて集合する。そして、集まった者たちを見渡した。
先ずは、僕の家族。
武器を所持しているのはミストラルだけだけど、全員が実力者だ。とはいえ、これから地下に入るということで、慣れない場所での行動に全員が緊張気味に気を張り詰めている。
次に、スラスタールとセオールを中心とした有翼族の集団。
スラスタールが、冥獄の門のある森に部外者を入れることを嫌ったから、武装した有翼族は全て彼の部下だね。セオールの家来が冥獄の門へ来なかった代わりに、彼らが色々と世話を焼いている。
もちろん、神族のお世話をしているのも、この有翼族の人たちだ。
そして、有翼族を奴隷のようにこき使っているのが、エスニードを筆頭とした神族の帝尊府だ。
僕たちを呼び付けたグエンと、グエンの部下だということを隠して活動しているジーナ。それと、三十人近い神族たち。
冥獄の門の前に整列した帝尊府は、誰もが兵士然とした風格を
エスニードは、本国を離れてこの地で天上山脈越えの手段を探るために、自分の軍隊から帝尊府の思想を持つ兵士を引き抜いてきたのかな?
僕たちが前に神族の国で見た帝尊府は、兵士風の人もいれば一般人にしか思えないような人たちまで幅広くいた。だけど、遠征するだけじゃなくて成果も求めるのであれば、信頼する部下の方が良いだろうからね。
それと、と確認する。これから魔族の大軍も全滅したという難所に突入するのだから、この集まった約三十人が緩衝地帯に連れてきた帝尊府の全てなんだと思う。
ここで手勢の出し惜しみなんてしていたら、自分たちも全滅しかねないということは、神将であるエスニードにも十分にわかっているはずだからね。
ちなみに、グエンもジーナも周りの帝尊府と同じように、不遜な態度で有翼族や僕たちに接する。
あくまでも、内通しているなんて他の人たちに悟らせないつもりらしいね。
だからなのか、遅れて集合した僕たちに向かって、グエンは容赦のない睨みを効かせていた。
「将軍、準備が整いました」
整列した帝尊府の背後に僕たちが並ぶと、グエンがエスニードに声を掛ける。
エスニードは、見上げていた冥獄の門から集合した者たちに視線を移すと、にたり、と自信に満ちた笑みを浮かべた。
「魔族どもが
帝尊府を
そして、エスニードの鼓舞の挨拶が終わると、いよいよ動き出す。
屈強な神族が何人か列から抜け出すと、冥獄の門の前に立ち、重い岩の扉を押していく。
封印が解かれた冥獄の門は、神族の手によって徐々に開き始めていった。
「セオール殿、いかがなされますか?」
神族の動きを見つめながら、スラスタールが隣に立つセオールに声を掛けた。
「ふうむ。いよいよ、神族の方々が冥獄の門を潜られるか。スラスタールはどうするのだね?」
「私は、封印を解いた責任がありますので、このまま神族の方々に同行いたします」
どうやら、今後のことについて話し合っているようだね。
意外と責任感があって面倒見の良いセオールは、冥獄の門までちゃんとついてきた。
だけど、これからは命を賭けた挑戦になる。だから、スラスタールはここから先にもついてくるか確認したんだね。
「君の父上も、そうやって魔族の行軍に同行し、命を落としたのだったね。だが、私は君まで失いたいとは思わないのだよ?」
「ありがとうございます。ですが、やはり誰かが見届けませんと」
「そうなるのだね……」
スラスタールは、覚悟しているみたいだ。
冥獄の門を監視し続けるという一族の
では、有翼族を代表するセオールは、この事態の責任を取ってどう動くのか。僕たちも注目していた。
「危険は……もちろん、あるのだろうね。だけど、君だけに責任を背負わせるわけにはいかないよ。であれば、私も命を賭けて同行させてもらおう」
「セオール様、本当に宜しいので?」
「勿論だとも。それに、君の側にいれば安心なのだろう?」
「それはそうですが……」
スラスタールの側にいれば安心?
どういう意味だろう?
スラスタールがセオールの身を護ってくれるという意味かな?
でも、それなら有翼族のスラスタールより神族の帝尊府の方が遥かに実力が上だし、同じ有翼族でも屈強な男性の方が安心して頼れると思うんだけど?
「スラスタール様」
スラスタールとセオールが話をしていると、割り込んできたのはその屈強な有翼族の男性だった。
彼は、天上山脈の麓で出会った頃からずっとスラスタールの傍に仕える、頼り甲斐のありそうな有翼族の戦士だ。
屈強な男性は、部下の有翼族の人たちを従えて、スラスタールに話しかけた。
「やはり、行かれるのですね。では、我々は」
「ああ、そうだな。後のことは予定通りにお願いしたい」
「
むむむ!?
どうやら、スラスタールの部下たちは全員が残るみたいだね?
ご主人様を冥獄の門の先に送り出して、部下は現地待機!?
予想外の展開に、さすがのセオールも目を白黒とさせて驚く。
更に、驚いたのは僕たちやセオールだけではなかった。
「なんだと!?」
「臆病者め!」
有翼族の人たちの話が聞こえていたのか、帝尊府の人たちが怒声を上げる。
きっと、自分たちは自ら危険な地に足を踏み入れるというのに、奴隷同然の有翼族が勝手に辞退してきたことに怒りを覚えたんだろうね。
だけど、それをグエンが鎮めた。
「いや、構わないだろう。足手まといの有翼族が同行しても、
「ああ、構わん。身の回りの世話をする者がいなくなるのは面倒だが、どうせ中に入れば奴らの命は一日と保つまいよ。消耗する命に気を取られるよりかは、これからの
なんて言いようだろうね。
色々とお世話を焼いてくれていた有翼族を、消耗品程度にしか思っていないだなんて。神族って、こういう人が多いのかな?
それとも、帝尊府だから?
どちらにしても、良い印象は受けない。
まあ、今までも彼らに良い印象なんて微塵も感じていなかったけどね!
ともかく、グエンとエスニードの言葉に、僕だけでなく家族のみんなも
だけど、スラスタールや屈強な男性は神族たちの言葉をあまり気にしていない様子だ。
「将軍様からの許可も得られましたので、我々はここまでに致します」
「ああ、面倒をかけてすまない。後のことは宜しく頼む」
結局、有翼族の中で冥獄の門を潜ることになったのは、スラスタールとセオールの二人だけになった。
残りの有翼族の人たちは、これから冥獄の門の奥へと入っていく帝尊府や僕たちを、遠目から見送ることになった。
そして、有翼族がやり取りをしている間に、屈強な神族が力押しで開いていた冥獄の門の石扉が開く。
いよいよ、突入だ。
いったい、石扉の先はどうなっているんだろう。
固唾を呑んで待っていると、程なくして斥候が戻ってきた。
「奥は、整備された回廊がずっと先まで続いております」
「良かろう。では、全員で突入だ」
エスニードの号令に「おう!」という気合を入れて、帝尊府の人たちが動き出す。
軍隊然とした隊列を組むと、エスニードを先頭にして冥獄の門の奥へと入っていく帝尊府の人たち。
グエンとジーナも、隊列の最後尾に並んで石扉の先へと入っていく。
「ええっと、僕たちも行こうかな?」
このまま石扉を外から閉めてしまいたい衝動に駆られてしまうけど。でも、帝尊府の今後を見届けないといけないからね。
仕方なく、僕たちも帝尊府の後に続いて動き出す。
巨大な石扉はとても巨大で分厚く、それだけで物理的に冥獄の門を封印できていた。
神族や魔族の身体能力でもない限り、この石扉を開くことすらできないんじゃないかな?
人の身長の数倍、それこそ巨人族だって潜れるくらいの高さがある石扉を見上げながら、僕たちは冥獄の門を潜る。
「暗いわね」
冥獄の門の奥は、太陽の光なんて届かない暗黒の世界だった。
瞳に竜気を宿すと、真っ暗な回廊の様子が見え始めた。だけど、光源のない地中の世界では、視力の許す限り先まで見通す、ということはできない。
たとえどんなに竜気を瞳に宿しても、見えるのは少し先まで。あとは、太陽の光が届かない暗黒の世界が静かにどこまでも広がる。
「ううーん、安全を確保するなら、光が必要かな? でも、ここから出口までどれくらい掛かるかわからないから、
携帯用の照明は持ってきているけど、燃料の
他には、ルイセイネとマドリーヌ様なら法術で光源を生み出せるけど、二人はさっきの法術で疲れているからね。今は無理をさせられないよ。
さて、どうしようか。と悩む僕たちとは違い、帝尊府はずんずんと奥へ進んでいく。
神族は明かりがなくても大丈夫なのかな? と思ったけど、やはり神族にも光源は必要だったらしい。
『
帝尊府の何人かが、力ある言葉を揃えて叫ぶ。
すると、周囲の石壁や天上、それに石畳の床がぼんやりと発光し出した。
ただし、こちらも僕の竜気が宿った瞳と同じで、照らす範囲はあまり広くない。少し先になると、効果が薄れて暗闇の世界になる。
それでも、神術を唱えた者が進むと光源も一緒に移動するから、近場の明かりとしては有効だね。
とはいえ、やはり暗闇の中を限定的な明かりだけで進むのは危険だ。
周囲が明るい分、その先の暗闇はより深くなる。
そして、暗闇からは決まって悪い影が忍び寄ってくるものだ。
特に、こういう
ごそり。ごそり。と案の定、暗闇が続く回廊の先から不穏な音が響き始めた。
「ご報告致します!」
先行していた者が急いで戻ってくると、エスニードに報告を入れた。
「これより先に、見たこともない黒い岩人形の化け物が多数、待ち構えております!」
「ほほう。早速、化け物どもの洗礼か。良かろう。全員、武器を構えよ!」
エスニードが命令を下す。
帝尊府は軍隊然とした動きで、回廊の中心に素早く陣形を組みあげた。
待ち構える帝尊府。
ごそり。ごそり。
不気味な音が、徐々に近づいてきた。
そして、光源の先から奴らは姿を現す。
漆黒の岩の体。関節や瞳や口の奥が、燃え
「者ども、掛かれ!!」
エスニードの号令に、帝尊府は雄叫びをあげて魔物へと突進した。
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