幽冥族と有翼族
北の魔族や南の神族が勢力を拡げるよりもずっと以前より、この地には先住の種族が根付いていた。
男は
幽冥族は、
だが、幽冥族には唯一の欠点があった。
太陽の光に弱く、日中の陽射しを浴びると瞬く間に
種族特有の欠点のせいか、彼らは地下や地底を主な生活環境とし、地上へは月夜の僅かな時間しか現れない。
それでも、雄大な山脈と緑り豊かな山岳地帯で、幽冥族は穏やかに暮らしていた。
そこへ先ず現れたのは、有翼族だった。
風に乗り、南から移住してきた有翼族は、先住の民である幽冥族と友好な関係を築く。
地下に生きる幽冥族。地上に暮らす有翼族。お互いに手を取り合い、足りないものを補い合う良好な交流を長年続けてきた。
特に、移住してきた有翼族に富をもたらした特産は、幽冥族が作り出す
陽光の下で活動できない幽冥族の代わりに、有翼族がその翼で遠くまで売りに行く。そして得た利益を互いに分け合い、幽冥族と有翼族はこの地で大いに繁栄した。
だが、幽冥族は身体的な欠点以外にもうひとつ、深刻な問題を抱えていた。
死に至る、
有翼族が幽冥族と接点を持つよりも以前から、その病は幽冥族の間に静かに深く
最初は、指先や足先に
次に、全身の関節が痛みだし、身体に重さを感じ始める。
更に病状が深刻化すると、全身が岩のように硬質化し始め、最後には指先さえも動かせなくなり、そのまま息を引き取るという。
手の打ちようのない、幽冥族特有の病。
だが、幽冥族はそれでも不治の病と向き合い、穏やかに暮らしていた。
幽冥族の都市は、山脈の地下深くにあった。
長い時間をかけて拡張し続けた地下都市は、繁栄を誇るこの地の中心だった。
交友のある有翼族だけでなく、各地から訪れた数多くの旅人を魅了した幽冥族の地下都市。
だが、ある時。
幽冥族を
地下都市に、恐るべき呪いが広がった。
人々は、恐怖した。
黒く赤い霧の呪いに触れてしまうと、幽冥族ではなくとも全身が岩のように固まり、死に至る。
それだけではなかった。
最初こそ霧状の広がりを見せていた呪いが次第に濃度を増していくと、徐々に不気味な形を成していき、最終的には黒い岩の巨人の姿に
黒い岩の巨人は、地下都市に呪いを振り撒きながら、大いに暴れた。
屈強な幽冥族の男も、有翼族の戦士も、腕の立つ冒険者も、呪いが形を成した黒き巨人を討伐することはできなかった。
有翼族は、幽冥族に進言したという。
このまま地下都市に残っていては、幽冥族が滅んでしまうと。
だが、幽冥族の中で有翼族の言葉に首を縦に振る者はいなかったという。
「この地下都市こそが、我らの故郷。我らの生きる場所。そして、この病もまた我らと共にあった。病が元凶で産み落とされたあの黒き巨人もまた、我らの運命に関わる災厄なのだろう。ならば、我らはこの病と黒き巨人と共にこの地に残り、種族の終わりを見届けよう」
ただひとつ。我らが滅びた後の事が気になるのだ。と幽冥族は長年良好な関係を築いてきた有翼族に、最後の願いを託した。
「どうか、この呪いを封印してほしい」
呪いと黒き巨人が地上に溢れかえれば、多くの種族が滅びてしまうと。
有翼族は、幽冥族の最後の願いを聞き入れた。
高名な人族の巫女を探し出し、地下都市へと続く地上の入り口を固く封印した。
「当時、高名な流れ星であったというユシーダ様を迎え、冥獄の門をもって呪われた地下都市を封印し、その後、今日に至るまで封印の監視を続けてきたのが、私の一族だ」
と、スラスタールは語った。
「地下都市……。それに、呪いと幽冥族」
普通だったら、胸が弾むような冒険に足が軽くなるところだけど。スラスタールの話を聞いて、僕たちは湖底へ降る足踏みを重くする。
「それじゃあ、封印が解かれたままだと、今でもその呪いが地上に溢れる可能性があるってことかな?」
「エルネア君、だからこそユシーダ様は大規模な『水月宮の陣』を敷いて、入り口も一時的にしか解けないようにしたのだと思いますよ?」
「そうだったね、ルイセイネ。でも、そうすると別の疑問が湧いちゃうよね。ユシーダ様はどうして、入り口の封印だけ解けるような術式を編んだんだろうね?」
呪いを完全に閉じ込めて封印するだけなら、入り口とかを作らない方が完璧なんじゃないかな?
だって、入り口を準備していたがために何年か前には魔族が通過し、今も神族のエスニードや帝尊府が侵入しようとしている。
僕が疑問を口にすると、みんなも首を傾げて悩み込んだ。
幽冥族と呪いの話を語ってくれたスラスタールでさえも、口を
「ううーん。ユシーダ様の意図が読めないね。……でも、入り口を設けた理由が何かあるんだと思う。そして、その意味を僕たちが理解できなかったら、きっと大変なことになるんじゃないかな?」
そんな気がする。
数百年なのか。数千年なのか。どちらにせよ、今もなお呪いを封印し続けるほどの法術を編み出した人が、意味もなく術に
しかも、その綻びを石碑に刻んで遺すだなんて愚行はしないと思う。
では、やはりこれには意味があるんだと思うな。
とはいえ、僕たちはまだユシーダ様の遺した想いに気付けていない。
いったい、ユシーダ様は後世に何を望んだんだろうね?
「ともかく、進みましょう。放っておいたら、あの神族たちが勝手に冥獄の門へ入っていきそうだわ」
「そうだね!」
ミストラルの指摘に、僕たちは重く止まっていた足を再び動かし始める。
そして、先行して湖底へ降りていった帝尊府の人たちを追う。
「エルネアの予感も大切だけれど。もうひとつ、大切なことを忘れないでちょうだいね」
湖底へと続く道を降りながら、ミストラルの言葉に耳を傾ける僕たち。
「これほどの法術を発動させたユシーダという巫女はすごいと思うけれど。でも、その巫女でさえ、この先の地下都市に発生した呪いと黒い岩の巨人を
「そうだった! そもそも、地下都市に発生した呪いを祓えていれば、幽冥族を見殺しにしたり地下都市ごと封印するなんて最終手段は取らなかったはずだよね?」
「呪いといえば、妖魔や、最悪の場合だと
「それじゃあ、黒い岩の巨人は、邪族かもしれない?」
「どうかしら? エルネアの言うように邪族だったなら、ミシェイラ様たちが既に動いていそうな気もするわ」
「そうだね。でも、妖魔の可能性は高いかもしれないね」
妖魔の王と対決した時も、呪いを呼び水として魔物や妖魔が数多く出現したよね。
では、今回も妖魔が絡んでいるのかな?
それは、地下都市に入ってみなきゃわからない。
「エルネア」
「なに? ミストラル」
ミストラルに呼び止められて、湖底に延びた石畳の街道で足を停める僕。
「もしもこの先で不測の事態が起きた時は、貴方の独断で良いから躊躇いなく全力を出しなさい」
「ミストラルから自重解禁の指示が出ちゃった!」
でも、そうだよね。
ここから先は、今までとは違う。
地下都市に入れば、全方位が閉じられた空間になる。
普段であれば、手に負えない状況が発生したら一時退却を選択することはあるんだけど。でも地下だと、その一時退却さえも選択できない状況に陥るかもしれない。なにせ、空間跳躍で逃げようにも、地下から地上へ一瞬で抜け出すことなんてできないし、ニーミアに大きくなってもらって飛んで逃げる、なんて手法も取れないからね。
だから、危険な状況に追い込まれる前に、僕たちは最善の手を打たなきゃいけないわけだ。
ミストラル以外は武器を所持していない僕たち。その状況で、恐ろしい呪いの妖魔と対峙しなきゃいけなくなった場合。僕は決断を迫られる。
逃げるか、応戦するか。
逃げるなら、
だけど、応戦しなきゃいけなかったり、逃げられない状況だったとしたら……
慣れない地下での躊躇いは、命取りに繋がる可能性がある。
だから、ミストラルは僕に言ったんだ。
いざとなったら、躊躇わずに全力を出すようにってね。
つまり、冥獄の門の先で何かが起きた時は、即断即決の手加減なしで対応して、家族の身の安全を最優先しなさいってことだね!
「エルネア君が、いつも以上にやる気になったわ」
「エルネア君が、いつも以上に興奮しているわ」
ふんふんっ、と鼻息を荒くする僕を見て、みんなが笑う。
そんな僕の家族の様子を見て、同行するスラスタールだけは不思議そうに首を傾げた。
きっと、高名な聖職者でもなく竜人族でもないただの人族の僕が全力を出したところで、何も起きないと思っているんだろうね。
「それにしても、立派な遺跡ね。人族の国よりも遥かに立派じゃないかしら?」
湖底に真っ直ぐ延びた道を進む僕たち。
周囲の遺跡を見渡しながら、セフィーナさんが
たしかに、湖底に遺された列柱や建物はどれも立派で、今の有翼族の文化水準とは比べ物にならないほど優れていた。
よくよく観察してみると、建物の玄関口まで続く石畳は入り口付近から繊細な彫刻が施されてあったり、列柱に彫られた人や動物の彫刻も見事だ。
「幽冥族は極めて高度な加工技術を持っていた。この遺跡も、彼らの遺産だ。そして、彼らとの交流を失い、魔族と神族に脅かされ始めた有翼族は次第に勢力を奪われていき、文化水準も落ちていった」
自分の種族の
いや、違うのかな?
有翼族は、とっくに理解しているんだろうね。
このまま魔族と神族の間で細々と生きるしか、自分達の選択肢はないのだと。
だから、スラスタールは有翼族の運命を素直に受け入れて、過去の栄光になんて
だけど、同時に過去に囚われてもいる。
冥獄の門を通して、幽冥族が遺した地下都市と呪いを監視し続けなきゃいけない。
スラスタールにとって、神族を冥獄の門へ案内することは、苦痛でしかないだろうね。
それでも、冥獄の門の存在が
僕たちと一緒に湖底へ歩いて降りてきたスラスタールは、これからのことをどう思っているんだろうね?
冥獄の門を潜って地下都市へと入っていく帝尊府や僕たちが、遺跡で呪いに襲われて全滅すれば良いと思っているのかな?
だって、冥獄の門の秘密を知っている者が全滅してしまえば、これから先、また秘密を守り続けられるからね。
どちらにせよ、今の状況はスラスタールにとって迷惑でしかないだろうから、
そう、思っていたからこそ。
スラスタールの次の言葉に、僕たちは思わず足を止めてしまった。
「マドリーヌ、と言ったか。お前が、あのユシーダ様の血縁の者であるのなら。私は有翼族を代表して言っておかなければならない。我ら有翼族は、ユシーダ様によって救われた。今でも、我らはユシーダ様に感謝している。だから、加えて言っておく。もしもこの先。地下都市で呪いに遭遇した時は、何も考えずに逃げろ。それだけが助かる方法だ。それと。地下都市に如何なる遺品が遺されていようとも、けっして触れてはいけない。幽冥族の遺物にだけは、絶対に触れるな」
帝尊府の人たちと合流する前。
スラスタールが僕たちだけに口にした忠告。
いったい、スラスタールの言葉は何を意味するのか。そして、スラスタールはどこまで地下都市の内情を知っているのか。
僕たちは、これから踏み入れる冥獄の門の先に、不安と恐怖を少しずつ感じ始めていた。
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