水月宮の陣

「マドリーヌ様、本当に大丈夫なの?」


 ルイセイネとマドリーヌ様の実力を疑っているわけではないけど、数十人規模の大法術をたった十二人だけで発動させることはできるんだろうかと、それでも不安になってしまう。


「むきぃっ、大丈夫です! 私のこころざしはエルネア君たちと一緒に高い位置にあるのです。ですから、ご先祖様になんて負けていられないのですっ」


 ぷんすかと怒るマドリーヌ様は、久々に見た普段通りの姿だね。

 まあ、マドリーヌ様のことをよく知らない巫女さまたちは、高貴な巫女さまが癇癪かんしゃくを起こす様子に面食らっているけどね。

 僕はマドリーヌ様の頭を撫でて、なだめてあげる。

 マドリーヌ様も本気で怒ったわけではなかったので、それですぐに気を収めてくれた。というか、頭を撫でられて上機嫌になっちゃった。


「わかりました。僕たちはマドリーヌ様を信じます。でも、できる協力は惜しみなく何でも手伝いますよ?」

「そう言っていただけると、とても心強いです」


 それでは、とマドリーヌ様に両手を突き出されたので、僕は右手を握った。

 すると、何も言わなくたって、僕の家族は自然と動く。

 マドリーヌ様の左手をルイセイネが握る。ミストラル、ライラ、ユフィーリアとニーナとセフィーナさん。全員が手を取り合う。

 ニーミアも、僕の頭の上に登って準備万端だ。


「さあ、貴女たちもぼうっとしていないで、私たちの輪に加わりなさい」

「は、はいっ!」


 マドリーヌ様に指示されて、十人の巫女さまたちも輪に入った。

 苔生こけむした石碑を囲むように人の輪を作った僕たちは、静かに目を閉じる。

 深い瞑想状態に入ると、手を繋いだみんなの命の息吹いぶきが不思議と流れ込んできて、それが他の人たちにも広がっていく。


「ふ、不思議な感覚ですね……?」


 巫女さまたちが、自身の体内を流れていくみんなの力に驚いく様子を見せる。


「巫女でもなく、神官でさえない方々と手を取り合うだけで、これだけの力を感じられるなんて」

「あなた方は、いったい……?」

「詮索は、後程に。今は、これからの儀式に集中しなさい。祝詞は私が読みます。皆さんは、私に合わせてください」

「はいっ!」


 こういう時に主導権を握るのは、やっぱりマドリーヌ様だ。

 これまでに経験したことのない力の流れに浮き足立つ巫女さまの気を引き締め直し、意識を内側に向けさせる。


 僕たちにとっては、もう慣れた感覚だ。

 みんながひとつの目標に向かって意識を高め合い、気持ちをひとつにする。そうすれば、僕たちの力は自然と流れ始めて、大きな本流となる。

 そう。まるで、幾本もの支流を束ねた竜脈のように。


 輪になった僕たちの内側で、法力と一緒に僕たちの願いや力が循環じゅんかんし、次第に増幅されていく。

 ミストラルの竜宝玉に宿る強い法力も加わって、十二人の巫女の枠に収まらない力の高まりになった。


月宮つきのみや神留かむずます 創造女神そうぞうのめがみ


 静かに、マドリーヌ様が祝詞を奏上し始めた。

 ルイセイネや巫女さまたちが、マドリーヌ様の祝詞に合わせて奏上する。


 流れでしかなかった力の本流に、祈りが乗る。

 ルイセイネとは違う、伸びのある美しい声で祝詞を奏上するマドリーヌ様。

 難しい祝詞言葉のりとことばに詰まることなく、石碑に彫られた文言を法力を込めて読み上げていく。


 さあ、いったいこれから何が起きるのか。

 ルイセイネやマドリーヌ様、それに巫女さまたちは全力で法力を振り絞る。

 だけど、マドリーヌ様が長い長い祝詞を奏上し終えても、僕たちの間を流れる力強い法力に変化は見られなかった。


 まさか、失敗に終わった!?


 と、巫女さまたちは思っているかもしれない。

 現に、手を繋いだ先から、巫女さまたちの不安が流れ込んでくる。

 でも、心配しないで。

 マドリーヌ様の真骨頂しんこっちょうはこれからだ。


『重ねてかしこみ申し上げる』


 マドリーヌ様が祝詞をもう一度奏上し始めた。

 重ね法術。マドリーヌ様の得意とする術法だ。

 一度で駄目なら、二度に渡って術を唱えれば良い。そうして、二重、三重に力を増幅させて、術をあるべき姿へと導く。


「んにゃん。湖が凄いにゃん」


 僕の頭の上で、ニーミアが飛び跳ねた。

 力の流れを意識しつつも、僕たちは目を開けて湖を見た。

 そして、驚く。


「はわわっ。湖面が、満月のように輝いていますわ」

「まるで、満月が地上に映し出されたみたいに見えるね。あっ! その満月の湖から、星が昇っていくよ?」

「星、というよりも満月の色に輝く水の塊じゃないかしら?」


 ミストラルの言う通り。

 水面から上昇していく星の輝きは、満月色に輝く湖の水だった。

 大小様々な水の塊が空に昇っていき、今度は上空に水で出来た満月を創り出す。

 幻想的な風景を生み出す神秘的な法術に、僕たちは呆然ぼうぜんと見上げていた。


「みなさん、集中してください!」

「はいっ、ごめんなさい」


 ルイセイネにしかられちゃった。

 僕たちは慌てて意識を内側に戻し、輪を循環する力の増幅を手助けする。

 これまで、手を繋いだ僕たちの内側だけを循環していた法力が、マドリーヌ様や巫女さまたちの祝詞に乗って解き放たれていく。

 祈りが込められた言葉が湖に溶け込んでいき、法術としての力を発現させる。

 竜気や竜脈の流れとは違う、とても慈悲深く優しい力の流れに身をゆだねると、不思議と心身ともに癒されてた。


 法力って、神秘的な力だね。

 まさに、女神様の想いの欠片そのものだ。


 上空の水の満月は、湖から昇る星の輝きを吸収していき、徐々に大きくなっていく。と同時に、湖の水面が下がり始めた。


「見てほしいわ。湖の下に遺跡が見えるわ」

「見てほしいわ。湖の壁に門のような遺跡があるわ」

「あれが、冥獄の門かしら?」


 意識は内側に向けていても、みんなの視線は幻想的な法術の世界に向けられていた。

 そして、ユフィーリアとニーナ、それにセフィーナさんの視線の先。深い湖底に、大きな遺跡が見えてきた。

 石畳いしだたみで綺麗に舗装された大通り。石造りの大小様々な建築物の跡。立派な石柱や、広場に設けられた泉の遺跡。

 そして、湖底へ向かって急斜面でそそり立つ絶壁をたくみに彫り込んだ荘厳な門が、水面下から姿を現す。


 マドリーヌ様が、二度目の祝詞を奏上し終えた。

 すると、上空に創られた水の満月が空へ溶け込むように消えていく。

 不思議な光景に、僕たちはまたしても呆然と見上げてしまう。


「さしずめ、水月宮すいげつのみやじん、という法術でしょうか。これほどの大法術をご先祖様がこの地で編み出されるとは、子孫として感動してしまいますね」

「陣、ということは、結界系の法術なの?」


 僕の質問に、はい、と頷くマドリーヌ様の額には、玉粒の汗が浮かんでいた。

 ルイセイネや巫女さまたちも、荒く乱れた息を整えながら、汗を拭っていた。


「湖に見えていたものは、結界法術の効果ですね。ですので、水月宮の陣が解かれた今は、もう湖に見えていた水も上空の満月も消えてしまいました」

「えええっ!?」


 驚いて、湖だった深い窪地くぼちを改めて見つめる僕たち。

 確かに、窪地の底の古代遺跡は水に濡れてはいないし、魚が湖底で跳ねている様子もない。

 つまり、あれは本当に法術で出来たまぼろしの湖だったというわけだ。

 そして、マドリーヌ様たちが水月宮の陣を解いたことによって、隠されていた遺跡が姿を現した。


 あの、湖底の壁面に彫られた荘厳な門が、間違いなく『冥獄めいごくもん』なんだろうね。


 エスニードを含む帝尊府ていそんふの面々も、目の前で起きた奇跡のような現象に驚いていた。

 スラスタールや有翼族の人たちは、ただ静かに様子を見守っていた。

 スラスタールたちは、前にもこの現象を見たんだろうね。魔族が攻めてきた時に。

 当時は、何人の巫女さまが犠牲になったんだろう?

 だけど、今回は誰ひとりとして犠牲者は出なかった。


 肩で荒く息をする巫女さまたち。だけど、憔悴しょうすいしきった様子も、昏倒こんとうする人もいない。


「マドリーヌ様のおかげでございます」


 巫女さまたちは感動のあまりマドリーヌ様の周りに集まり、喜び合っていた。

 気持ちが凄くわかるね。

 だって、巫女さまたちは死を覚悟してここへ来たんだ。そうしたら、分家筋とはいえ聖四家せいよんけに連なるヴァリティエ家の子孫に出逢えただけでなく、大法術まで犠牲を出すことなく成功させてしまった。

 僕たちも、手を取り合って喜び合う。


 だけど、長く喜び合うことは、状況が許してくれなかった。


「みなさん、先に伝えておきます。この術は自然的に復活する術のようです。というよりも、今の祝詞の奏上は一時的に水月宮の陣の効果を中和するだけのもののようですね」

「えっ!?」


 どういうこと? と聞く僕に、マドリーヌ様は苔生した石碑の裏側に視線を落としながら、教えてくれた。


「恐らくですが。ユシーダ様はかつて、大法術『水月宮の陣』を大規模な儀式を執り行って発動させたのだと思います。ですから、いま私どもが奏上した祝詞も、水月宮の陣の表層部分を撫でただけにしかなりません」

「えええっ! これで表層部分なの!?」


 では、水月宮の陣の本当の効果とは、いったいどんな規模の術なんだろうね!?


「はい。この石碑に彫られた祝詞は、水月宮の陣の表層を解くためのものでしかないようです。そして、ここからが重要なのですが。今の祝詞で解かれた表層部分は、この先の遺跡へ入るための手段として遺されたものなのでしょう」

「つまり……水月宮の陣の本体は、何か恐ろしいものを今でも封印し続けていて、今のは入り口である『冥獄の門』を開くためだけの祝詞の奏上だったということかな?」

「そうですね。ですので、術の本体が封印しているものが復活しないように、入り口は時間が経つと自動的に封印され直す仕組みになっていると思われます」

「すごい法術ですね……!」


 ユシーダ様は、いったいどれだけの人数でどれくらいの規模の儀式を行ったんだろう。

 そして、ヴァリティエの家名を継ぐ人がそれだけの儀式を行なって封印したものとは、いったい何なのか。


 湖底の壁面に見える冥獄の門。

 絶壁を巧みに彫り込んで造られた門の先に、何が待ち構えているのか。


「スラスタールさん、貴方は知っているんじゃないんですか?」


 静かに祝詞の奏上を見守っていたスラスタールに、声を掛ける。

 すると、スラスタールは無言で冥獄の門に向けていた視線を僕に移し、重たい口を開いた。

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