収穫祭の始まり

 翌日の早朝。竜峰の稜線りょうせんに太陽がまだ姿を現す前。

 僕たちは、お屋敷の近くに造った畑の前に集合していた。


「みんな、おはよう!」


 僕の挨拶あいさつに、妻たちだけでなく耳長族のみんやな精霊たちも元気良く返事を返してくれる。

 だけど、そのなかでごく一部の者たち、具体的に言うとプリシアちゃんとアステルだけは、まだ眠そうだった。


「むうむう。プリシアはまだ眠いよ?」


 と重いまぶたこするプリシアちゃんと、


「馬鹿竜王め……馬鹿竜王め……」


 と呪詛じゅそのような言葉を口からこぼし続けているアステル。


 まだ幼く、朝に弱いプリシアちゃんはともかくとして、どうやらアステルも朝は苦手みたいだね?

 いつも夜更よふかししているからだわ、とユフィーリアとニーナが笑うけど、その相手をしているのはこの二人です!

 ちなみに、ユフィーリアとニーナも昔は朝が少し苦手でした。だけど、僕たと一緒に活動するようになり、朝がとても早いミストラルやルイセイネの影響を受けたのか、それとも矯正きょうせいされたのか、今では「まだ眠いわ」とか「もう少しだけ寝ていたいわ」なんて口にしながらも、きちんと起きるんだよね。


 あっ。

 僕はまだ朝は苦手です!

 誰かに起こしてもらわないと、なかなか起きられません!

 野宿のときなんかは起きられるんだけどね?

 きっと、僕の本能が「誰かに起こしてもらいたい」という甘えを持っているに違いない。

 でも、その甘えは捨てたくないよね?


 ということで、僕だってこんなに朝が早いのは辛い。

 だけど、たまにはこういう日があっても良いのです。

 特に、収穫祭の日は!


「ほらほら。プリシアちゃんとアステルもちゃんと目を覚ましてね? そうしないと、楽しい収穫に参加できないよ?」

「わたしはお前に強引に参加させられているだけだから、そもそも楽しくない!」


 それに、と朝の機嫌の悪さをそのまま僕にぶつけるように、アステルは言う。


「食べ物なら、自分の能力で幾らでも創り出せるわたしが、なんでこんな面倒なことをしなければいけない? 肉体労働なんて絶対に楽しくない!」


 確かに、アステルの言う通りだね。

 アステルは始祖族として、物質創造ぶっしつそうぞうという破格の能力を持っている。

 特殊な物や生き物こそ創造できないけど、その生物の死後に残る肉や骨や皮はまさに「物質」として自在に創れるし、料理やお酒といった加工された物であっても問題なく創れる。


 そんなアステルが、わざわざ汗を流して肉体を酷使しながら果実や野菜を収穫する必要なんてないんだよね。

 欲しいと思った物を欲しい時に創り出せる。

 それこそ、布団のなかに入ったままであろうとね。

 だから、アステルの言い分は誰もが頷いてしまえるほど正しくて、反論の余地もない。


 でも、それだと僕が困るのです!

 何がって?

 それは、これからのお楽しみだよ!


「にぁあ」


 お母さんから濡れた布で顔を拭いてもらっているプリシアちゃん。その寝癖付きの頭の上で寛いでいたニーミアが、翼を可愛く羽ばたかせてアステルの頭の上に移動した。


「アステルお姉ちゃんも一緒に収穫するにゃん?」

「くっ、わたしのニーミアちゃん」


 僕の言葉には歯向かうけど、ニーミアの可愛さには勝てないアステルは、渋々と収穫祭に参加する意志を示してくれる。

 まあ、なんだかんだと文句を言いながらも、こうしてきちんと集合場所に顔を出してくれている時点で、アステルだって最初から参加してくれる意志はあったんだと思うんだよね?


 アステルは猫のような性格だから、言動をそのまま受け取っていたら本心を読み間違えちゃう。嫌だと言っていても内心では興味を持っていてくれたり、文句を言いつつも僕たちのお願いを聞いてくれる優しさを持ってくれていたりするんだ。


「アステル、ありがとうね。今日はきっと、アステルにとっても楽しい一日になると思うから、まずは参加してくれたことが僕たちは嬉しいよ」


 僕の言葉は本心だ。

 いつも頼ってばかりのアステルに、収穫祭を通してお返しをしたい。だけど、アステルが参加してくれなきゃ、そもそもお返しさえできないところだったからね。


 みんなに見守られながら身支度を終えたプリシアちゃんが、アステルの手を取る。


「んんっと、今日は頑張ろうね?」

「くっ、仕方ない」


 アステルは、プリシアちゃんにも弱い!

 というか、可愛いものが好きにんだろうね?


 大鷲モモちゃんも、くりくりとした瞳が可愛いので、アステルのお気に入りだ。

 まあ、足先には見るからに凶悪な爪が生えているんだけど、もふもふの翼や愛らしい動きに目が行って、アステルには大鷲の爪が見えていないのでしょう。

 それはともかくとして。


「それじゃあ、涼しい間に最初の収穫作業を始めよう!」


 僕の掛け声に、おうっ、と耳長族の人たちが楽しそうに掛け声をあげる。

 そして、くわかまといった農作業用の道具を手に持ち、畑へと足を向ける。

 ちなみに、みんなが手にしている農道具さえも、アステルが創り出してくれたものだ。


 アステルの能力がなければ、僕たちは禁領でこうして不自由なく暮らすことはできなかっただろうね。

 僕たちだけでなく耳長族のみんなもそのことを深く理解しているから、本当はアステルにはだれも頭が上がらない。

 そして、だからこそ今日の収穫祭をアステルにも心から楽しんでもらいたいと誰もが思ってくれていた。


 僕の号令で、みんなは先ず最初につたが地面をうように伸び茂った一帯へ向かう。

 そうして、力自慢の者たちがくわを土に穿うがっていく。

 ここではいったい何が採れるのか!


「んんっとね、ここを持つんだよ?」


 怪我をしないように手袋をしたプリシアちゃんが、蔦の先を掴む。

 見様見真似みようみまねで、アステルもプリシアちゃんと同じ蔦を掴んだ。


「うんとこしょ!」


 ぐいっ、と蔦を元気いっぱいに引っ張るプリシアちゃん。そして、アステル。

 すると、ごぼごぼごぼっ、と土の中から大きなお芋が連なって出てきた!


 耳長族の人たちは、プリシアちゃんやアステルがお芋を掘り起こしやすくするために、鍬で周りの土を柔らかくしてくれていたのです!


 手から伝わる、お芋が土から抜ける気持ち良い感触。

 根菜、特にお芋なんかを土から抜くときって、独特の感触が手に伝わってくるんだよね。

 太いお芋が土を押し除ける振動。細い根がぶちぶちと千切れていく手応え。芋蔓式いもづるしきに他のお芋へと感触が続き、蔦を持つ手に土とお芋の感触を次々と伝えてくれる。

 きっと、アステルは初めて体験したに違いない。

 お芋を抜く感触の楽しさに、驚いてくれたかな?


 耳長族の人がたがやしてくれたとはいえ、力は必要だ。それに手も土で汚れるし、服も土まみれになってしまう。

 だけど、お芋を引き抜いたアステルの瞳は、嫌悪感ではなくて驚きに満ちていた。


「あのね、お芋さんを掘るのも楽しいんだよ?」


 プリシアちゃんはアステルの手を引っ張ってしゃがむと、蔦から千切れて引っこ抜けなかったお芋を掘り起こし始めた。

 ニーミアも、綺麗な体毛が汚れることを気にすることなく、前脚でがしがしと土を掘る。

 モモちゃんも、鋭い爪でちょんちょんと可愛く掘っています。

 鳥だからね! さすがに土掘りは苦手です!


 アステルは、驚きの表情のままプリシアちゃんたちの動きを目で追っていたけど、途中から自分の手も動かし始めた。

 幼女のプリシアちゃんや子猫のようなニーミアよりも大きい大人の手で、がしがしと柔らかい土を掘り起こしていく。


 僕たちは知っています。

 プリシアちゃんやアステルが掘り起こしやすいように、土の精霊さんたちが周囲の土を柔らかくしてくれている。

 まあ、過剰にやり過ぎて、お芋区画で作業をしている耳長族の何人かが土に埋まったりしているけど、そこはご愛嬌あいきょうですね!


「さあ、僕たちもプリシアちゃんに負けないように頑張ろうか!」


 禁領は秋になった。とはいえ、太陽が竜峰の先から姿を見せて昇り始めたら、まだ汗をかくような気温になることもある。だから、こういう力仕事は涼しい早朝の間に終わらせたいよね!


「エルネア君。私も畑仕事はしたことがありませんので、ご教授願えますか?」


 マドリーヌの言葉に、僕は力強く頷く。


「よし。それじゃあ二人でお芋を掘ろうね!」


 僕はマドリーヌの手を取って、手近てぢかなお芋の蔦に手を伸ばす。そして「どっこいしょっ!」と蔦を引っ張った!


「……っ!?」

「エルネア君?」


 困惑顔のマドリーヌ。

 それと、僕!


 ぬ、抜けないっ。

 プリシアちゃんたちのようにお芋が気持ち良く土から出てこない!?


「マドリーヌ、ここは二人の力を合わせて!」

「初めての共同作業ですね?」

「いやいや、共同作業はこれまでも何度だってしているからね?」


 結婚の儀の台詞せりふじゃあるまいし、と二人で笑いながら、もう一度お芋の蔦を力一杯に引っ張る!


 ぶっちーんっ!


 と蔦が千切れて、僕とマドリーヌは勢い良くひっくり返った!

 背中から土まみれになった僕たちを見て、プリシアちゃんやアステルが容赦なく笑う。

 他のみんなも笑っていた。


「むきぃっ、土の精霊たちの仕業ですね!?」


 どうやら、マドリーヌは気付いたらしい。

 なぜ、僕たちのお芋が抜けなかったのか。

 それは、土の精霊さんたちが僕たちに悪戯いたずらをして、土を固めていたからなのです!


 巫女頭として、立派な巫女装束を着込んでいるマドリーヌ。その巫女装束が、精霊さんたちの悪戯によって土まみれで汚れてしまった。

 だけど、収穫祭に参加してくれていた流れ星さまたちは、笑って受け流す。

 今日は、正しい所作とか清く正しくといった巫女然とした振る舞いよりも収穫を全力で楽しむ、という前提を理解してくれているんだろうね。

 だから、流れ星さまたちも巫女装束が汚れることを気にすることなく、お芋を掘り起こしていく。


「マドリーヌ、流れ星さまたちに負けていられないよ! フィオ、リーム、手伝ってね?」

『うわんっ、お任せだよっ』

『任せてぇ』


 土の精霊さんたちが僕たちに悪戯をして土を固くするのなら!

 こちらは、鋭い爪と人以上の膂力りょりょくを持つ小竜たちの協力を得よう!


 フィオリーナとリームが、がっしがしっ、と固められた土を猛然もうぜんと掘り起こしていく。

 その後から、僕とマドリーヌは土のなかに隠れていたお芋たちを抜いていった。






 畑とはいっても、そんなには広くない。

 なにせ、去年あたりから僕が耕し始めた場所に耳長族の人たちが追加で耕作こうさくし始めて、土壌どじょうのことや農作業に詳しかったルルドドおじさんから指導を受けたばかりだからね。

 だから、お芋区画もそれほど広くはなくて、僕たちはあっという間、とはいかずとも太陽が姿を見せて少し経った頃には収穫を終えていた。


「さあ、みんな。手を洗ってちょうだい」


 木陰に、ミストラルとルイセイネがいつの間にか朝食の準備をしてくれていた。


「んんっと、水の精霊さんにお願いしてね?」

「ふふふ、仕方ないですねえ」


 お屋敷の井戸まで、全力疾走?

 もしくは近くの沢か池に向かう?

 違います。正解は、こういう時は精霊さんに頼る、です!


 プリシアちゃんは、ユーリィおばあちゃんの服を土で汚れた手で容赦なく引っ張る。

 だけど、プリシアちゃんのお母さんも今日は怒らない。もちろん、ユーリィおばあちゃんは怒りません。むしろ全身土まみれになったプリシアちゃんを慈愛に満ちた微笑みで「頑張ったわねえ」とめながら、使役する水の精霊さんをんでくれた。


 おおおっ、と耳長族の人たちから感嘆かんたんの声が上がる。

 無理もないよね。だって、ユーリィおばあちゃんが使役する水の精霊さんは、人の姿をした上位精霊なんだから。


 水色の少女が顕現する。

 そして、プリシアちゃんのお母さんやケイトさんが準備してくれたおけに水を溜めてくれる。

 それどころか、希望する耳長族の男性たちには直接水を被せてくれる。


「プリシアも!」


 まるで身体を洗ってもらうかのように水を浴びた耳長族の男性を見て、プリシアちゃんが希望した。

 だけど、それはプリシアちゃんのお母さんに却下されました。


「貴女は駄目よ。ほら、早く手を洗いなさい」

「むうむう」


 桶の水を杓子しゃくしに取って、プリシアちゃんの汚れた手にかけてあげるお母さん。

 アステルや他のみんなも、順番に手を洗っていく。

 だけど、土まみれの服はほこりや土を軽く払っただけで、汚れはそのままです。

 水浴びをした人たち以外は、汚れたまま木陰へ向かう。


 汚れを綺麗に落とした方が良い?

 いいえ、そんな面倒なことはしませんよ。

 農作業に汚れは付きもので、それは全員が理解している。

 だから、朝食を準備してくれたミストラルやルイセイネも文句は言わない。それでも料理に埃や土が付かないように気を配るのは、全員の常識なのです。


 思い思いの場所に腰を下ろしたみんな。

 僕も手を洗って、木陰に座る。

 これまた土まみれのアレスちゃんが遠慮なく僕の膝の上に座ってきたけど、アレスちゃんよりも僕の方が汚れているからね!


「さあ、頂きましょうか」


 ミストラルに促されて、僕の号令に全員で「いただきます」と唱和し、朝ご飯に飛びつく。


「みんな、収穫祭はまだまだ続くから、お腹いっぱいにご飯を食べておいてね?」


 そう僕に言われるまでもなく、全員が美味しい朝ごはんを頬張っています。

 朝食前に、肉体労働をしたからね。

 全員がお腹ぺこぺこ状態です。


 アステルも、プリシアちゃんやニーミアたちと楽しくご飯を食べてくれていた。


 さあ。次は何を収穫しような?

 畑を見渡した僕の視線の先では、収穫を待つ秋の実りが朝の太陽に照らされて輝いていた。

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