苦難の旅立ち

 北の地に住む獣人族じゅうじんぞくは、熊種くましゅ狼種おおかみしゅといった肉食系の凶暴な種族が多くて、とても攻撃的らしい。

 とはいえ、たとえ凶暴な獣人族であろうとも、飛竜が飛び回る飛竜の狩場を南下してくるようなことはない。同じように、北の地の情報をもたらしてくれた冒険者も、飛竜の狩場を踏破とうはなんてしていない。


 では、冒険者はどうやって北の地におもむいて、獣人族の情報を手に入れてきたのか。


 そもそも、飛竜の狩場を北上するような無謀な冒険者はいなく、北の地を目指す者は副都アンビス辺りまで大回りをして、そこから北部山岳地帯を超えて北を目指すらしい。そして、人族の開拓の手が入っていない土地へと入るわけだけど、獣人族はあまり友好的ではない、とリステアは情報を齎した。

 これまでにも冒険者は北の地に踏み入り、どうにかして獣人族と友好関係を結ぼうとしたり、珍しいお宝を求めてきた。だけど、結果はかんばしくない。

 北の地には凶暴な獣人族が住んでいて、互いに争いあっている。アームアード王国が建国して三百年余。未だにその程度の情報しか人族が持っていないことがなによりの証拠だった。


「準備は抜かりないわね? 絶対に無理はしないこと。危険だと思ったら、引くことも勇気よ」

「うん、ミストラルの助言は肝に銘じてるよ。絶対に帰ってくるから、みんなは僕たちを信じて待っていてね」


 試練へ旅立つ日の早朝。僕たちは王都の北部に集結していた。

 集まったのは、僕の家族とリステアの家族。そして、神殿側の関係者の皆さん。

 ルイセイネをお嫁さんとして迎え入れるために北の地を目指すことを母さんと父さんに話したら、帰ってきて早々に、と呆れられていた。だけど、竜峰へと旅立つときのような極限の心配をされることはなかった。

 そして、しっかりと準備を済ませて、いよいよ旅立つときがきた。


「最後にもう一度。この試練を乗り越えられた者はひと組もいません。すでにご存知の通り、満月の花は伝説的なものです。それでも行くのですね?」

「はい、行ってきます」

「厳しい旅になることは承知の上です。それでも俺たちは行きます」

「決意は素晴らしいものです。ですが、それは命をかけるべき試練なのかをもう一度、よく考えてください。そして、満月の花を手に入れるまでは戻って来られないのだと覚悟を決めて行くのですね?」


 巫女頭ヤシュラ様の言葉は、強く僕たちの心に突き刺さる。

 満月の花を手に入れられなければ、帰ることは許されない。もしも手に入れずに戻って来た場合は、ルイセイネたちを諦めることだということだ。

 僕とリステアはお互いに顔を見合わせて、強く頷く。キーリ、イネア、ルイセイネも真剣な表情で、ヤシュラ様に旅立ちの挨拶をする。

 ヤシュラ様はアームアード王国の神殿宗教を代表する人で、戒律に則り僕や勇者のリステアにでも厳しく接する。だけど、表情は孫を心配しているおばあちゃんそのものだった。


「どうか、あなた方に女神様のご慈悲とお導きがありますように。わたくしに出来ることは、こうして祈りを捧げることだけです。無力なわたくしどもを、どうかお許しください」

「いえ、試練の厳しさを知っても行くというのは、僕たちの意思です。巫女頭様が気に病むようなことではないですよ。安心してください。僕たちはどんな困難でも乗り越えてみせますから」


 最後に握手を交わし、僕たちは出発した。






 真っ直ぐに、北を目指す。

 普通の冒険者は飛竜の狩場を通らない?

 いやいや、僕たちは普通じゃないからね。特別編成、勇者様ご一行です!


「俺たちは特別編成の竜王様ご一行様だな。お前が居てくれるからこそ、こうして飛竜の狩場を堂々と歩ける」

「ええっ、僕は勇者様ご一行だと思っていたのに!」

「エルネア君が居るとはいっても、油断はしないでくださいね。竜峰同盟に入っていない竜や、こちらのことを知っていても襲ってくるような凶暴な竜は当たり前にいますから」

「そうは言っても、ルイセイネも余裕な雰囲気ですよ」

「さすがは、竜王のお嫁さんだねー」


 王都を離れて早々、和やかな雰囲気で会話を交わしながら進む僕たち。

 なんだか、違和感があるよね。

 つい二年前までは、飛竜の狩場といえば死の大地。勇猛ゆうもうな冒険者や兵士の人たちが飛竜狩りに挑み、多くの命を散らせてきた恐ろしい土地だという認識でしかなかったのに、今では散策がてらという気分で歩けている。


 みんなは僕のおかげ、と称賛してくれるけど、あまり実感がないなあ。

 僕自身の功績というよりも、僕の背後に控えている者の影響の方が大きいんじゃないかと思ってしまうよ。

 僕の背後には、竜の森のスレイグスタ老、竜峰の空の覇者レヴァリア、はくと呼ばれ一目置かれるユグラ様、そして竜人族の代表的な存在の竜姫ミストラルがいるからだと思うんだよね。


 飛竜の狩場は、しげった木々はまばらにしか生えていなくて、荒地だったり草原だったりと、とても見晴らしが良い。王都を出発してからしばらくの間、ミストラルたちが元の場所でずっと見送ってくれているのが確認できていたくらいに。

 そして、地上の見晴らしが良いということは、空や遠くの竜峰からも見通しが良いということだよね。

 飛竜はこうした絶好の狩場で、空から獲物を狙うんだね。


 恐ろしい飛竜が度々襲来するとはいっても、飛竜の狩場から動物が居なくなるようなことはない。

 豊かな草を目当てに草食動物が群で移動し、それを狙う肉食の猛獣もやって来る。

 遠くに草をむ牛のような動物を見ながら、僕たちは北を目指す。

 北の地は、森があったり草原の丘があったりと、地形に富んだ場所らしい。だけど僕たちの視線の先には、まだまだ平原が広がっていた。


「試練内容は厳しいものだが、エルネアが居てくれるというのはとても心強いな」

「リステアにそう言ってもらえて嬉しいな。まさか、リステアと冒険できる日が来るなんて思いもしなかったよ」

「俺もだよ。あの、へなちょこエルネアがなぁ……」

「うわっ、へなちょこって言わないでよね。よし、こうなったら、試練中に僕のすごいところを見せてやるんだ!」

「北の地を更地にするのだけはやめてくれよ?」

「うわんっ、ひどいよっ」


 先頭は、僕とリステアが歩いていた。一応、周囲の警戒も兼ねてね。

 後ろでは、キーリとイネアとルイセイネが仲良く話しながらついて来ている。この三人組は、昔から見ていて安定しているね。


「ルイセイネ。リステアとエルネア君がくっつきそうよ」

「あらあらまあまあ、妻のわたくしたちを差し置いて、男性同士だなんて」

「うっわー。妄想がはかどるねー」


 ……巫女様がなにを妄想しているのでしょうか?

 イネアの発言に、ルイセイネとキーリだけではなくて、僕とリステアも笑ってしまう。

 新鮮な組み合わせだけど、もともと学校でも一緒だったし、妙に気を使う必要もないので気が楽だね。


 こうして、前途多難の様相ようそうていしていた試練に立ち向かうのとは少し違った雰囲気でのんびりと進んでいると、ルイセイネが背後から注意を飛ばしてきた。


「エルネア君、竜峰から飛竜です」


 ルイセイネの言葉に、全員で身構える。

 ルイセイネが先程言ったように、竜族の全てが僕に好意的というわけではない。


 周囲には、身を隠せそうな茂みはない。もしも危険な飛竜だったら、ここで戦闘になる可能性があった。


「……見えないな」


 西に連なる竜峰に目をらしていたリステアが、聖剣を片手につぶやく。


「っていうかー。竜王のエルネアっちよりもルイセイネの方が先に気づくってどういうことさー?」


 キーリとイネアは、法術で防御結界を展開していた。


「いやいや、こういう部分は、誰もルイセイネには敵わないんだよ」


 竜眼りゅうがんで遠くの飛竜の動きを察知している、とはリステアたちにも言えない。

 おお、なんということでしょう。ここにきても、僕はまだリステアに隠し事をしているだなんて。


 警戒しながら待つことしばし。

 すると、ずっと遠くの空。雲の下に点が見えた。

 最初は小さな点だったものが、急速に大きくなっていく。翼の羽ばたきが見え、色がわかってきた。


 緑色の飛竜だ。


 飛竜は、僕たちなんかよりも遥か遠くからこちらを認識していたようで、真っ直ぐに向かってきた。


 咆哮が、雷鳴のように上空に響く。


「ううむ、どうやら僕たちをえさと認識しているみたい」

「お前がいるとわかってか?」

「僕は普段の状態だと、たいして竜気はないからね。僕を見たことのない竜だと、竜王って気づかないのかも」

「おいっ、それを早く言え! それはつまり、のんきに飛竜の狩場を歩いていたら、俺たちも他と変わらずに危険ということじゃないかっ」

「あっ、気づいた? てへっ」


 なんて陽気に話している場合ではない。

 緑の飛竜はどんどんと迫って来てくる。


「ど、どうしよー!?」

「さすがに、竜族と戦ったことなんてないですよ……」


 キーリとイネアは、結界のなかで顔面蒼白になっていた。二人はルイセイネとは違い、普通の巫女様。なので、戦いになると後方支援しかできない。


「ど、どうするんだ?」


 リステアまで緊張している。

 なるほど、勇者でも竜族は普通に怖い対象なんだね。

 当たり前か……


 僕はリステアとは違い、武器も構えずに立っていた。

 襲われる可能性が高い状況で、無謀とも言える。だけど、最初に警告を発したルイセイネも普段通りに落ち着いていた。

 僕とルイセイネの状況に、元祖勇者様ご一行は混乱の表情を見せる。


「頼むから、判断をくれ。この場は竜族に慣れているお前たちの方が頼りになるんだ」


 焦るリステアなんて、珍しいものが見れたね。

 にこり、と僕は笑った。

 そして、緑の飛竜が飛んでくる空とは別の方角を指差す。


「大丈夫。竜峰の飛竜は、あれには勝てないよ」


 僕が指差し、ルイセイネやみんなが振り返った先。

 竜峰の別の場所から、紅蓮色ぐれんいろの巨大な飛竜が飛来してきた。

 緑の飛竜なんかよりも数倍速く空を飛び、何倍も恐ろしい咆哮をあげて。

 遠く離れたこちらにまで、空気の振動が伝わってくる。


 緑の飛竜は、別方向から飛来してきた恐ろしい相手に、戦う前から尻尾を巻いて逃げ去っていく。


『呑気なものだ』

「レヴァリア、こんにちは!」


 そして、僕たちの上空までやって来た暴君レヴァリアに、手を振り満面の笑顔で挨拶を送った。


『うわんっ、会いたかったよっ』

『遊んでよぉー』


 レヴァリアの背中から、ちびっ子が落ちてきた。

 いやいや、飛ぼうよ!



 地響きとともに地面に着地したフィオリーナとリームは、すぐさま僕にまとわりついて顔をり付けてくる。


「痛い痛いっ。フィオ、つのは痛いんだよ」


 じゃれつく幼竜二体をあやしていると、レヴァリアも荒々しい羽ばたきで着地してきた。


「炎帝……」


 リステアだけではなく、キーリとイネアも最大級の緊張で、着地したレヴァリアを見上げていた。

 レヴァリアはリステアたちなんて眼中にないのか、僕をあきれたように見下ろす。


 一般の人々からすれば、炎といえば炎の聖剣を持つリステアだけど、僕とルイセイネだと今はもうレヴァリアなのかもしれない。


 ちりちりと聖剣から炎が溢れそうになるのを、リステアはぎりぎりの精神で制御していた。


「こんにちは、今日は空の散歩?」

『今日は餌を狩る練習だ』

「おお、それはすごい。さっき、向こうの方に牛みたいな動物がいたよ」

『そんなものは、空から見れば貴様よりもよくわかる』

「あはは、そうだよね」


 フィォリーナとリームを撫でながら、レヴァリアの側に歩み寄る。

 レヴァリアは威嚇するように恐ろしい牙をむき出しにしてくるけど、僕とルイセイネには通用しませんからね。

 笑顔でレヴァリアを撫でていると、ルイセイネもやって来て一緒に撫でた。


「よくわかった……。お前たちがいかに常識から外れているかをな……」

「ええっ、なんのことかな?」


 リステアの心底呆れた声に反論しようとして振り返ると、キーリとイネアが気絶していた……

 そして、リステアも顔を引きつらせて僕たちを見ていた。


「リステア君、なにをおっしゃっているのですか。エルネア君の非常識は、こんなものではありませんよ」

「うわっ、ルイセイネがひどいことを言ったよ!」


 信頼する家族に裏切られて、僕は悲しみのあまりレヴァリアに頬をり寄せて涙した。

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