いざ、離宮へ

「きいいっ、お退きなさい!」

「ええっと、魔王もそれくらいにしてあげたほうが……」


 アーニャさんが騎乗する飛竜を先導にして、僕たちは再び空に戻った。

 遅い、と愚痴をこぼしつつアーニャさんと焦げ茶色の飛竜を急かしながら飛行するレヴァリア。

 僕と魔王、ルイララと巫女頭のマドリーヌ様が騎乗するリリィは、二体の背後をゆったりと飛行する。


 ……まあ、リリィはゆったりなんだけど、先頭のアーニャさんたちは必死の飛行だね。それはともかくとして。


「魔族の国でも、聖職者は庇護ひごされているんじゃなかったんですか!?」


 リリィの背中に据えられた魔王専用の鞍。それとは別の所につんいになって伏せるマドリーヌ様を椅子がわりに座っているのは、言うまでもなく魔王です!


「もちろん、手厚く庇護しておるぞ。国内の者は、な」


 にやり、と魔王はお尻に敷いているマドリーヌ様を見下ろした。

 魔王の手には未だに錫杖が握られていて、くるくるともてあそばれている。ちょっとでも機嫌を損ねちゃうと、ぽいっと空から放り捨ててしまいそう。


「ほう。それは面白い考えだ。空から放って探させるのも一興いっきょうか」

「やめてぇっ!」


 マドリーヌ様だけじゃなく、僕も慌てる。

 リリィの背中であたふたとする僕と、屈辱に震えるマドリーヌ様を見て、魔王は心底楽しそうに笑う。


「ゆ、許しませんからねっ。たとえ魔王といえども、私にこのようなことをして只で済むと思わないことです!」

「くくくっ。其方のような威勢の良い巫女は久々に見る。どうだ、私の国に来ぬか。其方が望むのなら、神殿のひとつくらい準備してやろう」

「いやいや、こんなところで変な勧誘はしないでください!」


 マドリーヌ様が本気にしたらどうするんですか。彼女ならその可能性もあるので怖いですよ。

 僕の不安通り、マドリーヌ様は急に真剣な表情になって思案し始めちゃった。

 四つん這いになり、背中に魔王が腰を下ろした状態で真面目な顔をするマドリーヌ様は、とても奇妙な存在に見えます。

 鞍の側に立つルイララも、面白い人族だ、とマドリーヌ様を見て笑っている。


「……それで、聞くべきことがあったのであろう?」

「そうでした!」


 リリィの背中で繰り広げられた魔王と巫女頭様の稀有けうな争いに、ついつい忘れてました。

 僕はマドリーヌ様を心配しつつも、聞いてみたいことを口にする。


「この国の東の国境には、古代遺跡があるんです。実を言うと、同じような遺跡はアームアード王国の北、獣人族の住む平原にもありました。それに、竜峰の北部にも。これらって、学者様が唱えるように、遥か昔に人族が造った神殿の跡なんでしょうか?」

「ふむ」


 魔王は、僕とマドリーヌ様から視線を移し、地表に視線を落とす。


「懐かしい風景だ、とまでは言わぬが。よもや、この辺りの風景を再び見下ろすことになろうとはな」


 再び?

 見下ろす?


 今の魔王はというと、ぱっと見は妖艶で美しい女性だ。でも、本気を出すと見上げるほどの巨人に変幻へんげする。それこそ、巨人族さえも豆粒に思えるほどの姿に。

 どちらが本当の姿かは知らない。

 でも、魔王が「見下ろす」って言うのはつまり、巨人としてこの地域に現れたことがあるってことだよね?


「其方らが言う『はるむかし』と、私が口にする『遥か昔』は違うものであろう。とはいえ、私にとっても随分と昔の話になる。そう、あれは懐かしくも騒がしい時代であったな」


 気のせいかな。魔王の瞳には、懐かしい風景を楽しむ色が見えた。


「多くのことを見聞きしてきた其方だ。既に知っておるやも知れぬが、太古より人族がこの地で国をおこし暮らしてきたわけではない」

「現在のヨルテニトス王国ができる前は、腐龍ふりゅうの王によって腐った大地だったんですよね。そして更に前は、巨人族が暮らしてた?」


 では、巨人族が繁栄する前は、いったい何者がこの地を支配していたのか。

 マドリーヌ様も好奇心を刺激されたのか、魔王を見上げて言葉を待つ。


「其方らのう『女神が創った大陸』は広い。多くの種族が暮らし、私でさえも及ばぬ長い歳月の間に栄枯盛衰えいこせいすいを繰り返してきた。この地だけではない。竜峰や竜の森、眼下に広がる平原や、耳長族が済む大森林。そこに住む種族が、太古よりその地を我がものとしてきたわけではない」

「……もしかして、魔王が生まれた当時は、この辺にも魔族の国があった?」

「この辺にも、とは語弊がある。この辺り一帯こそが、魔族の支配する国であった」

「なんと!」

「魔族は今でこそ竜峰の西に国土を持つが、数千年前は、この辺りだけではなく大陸の東側の大部分を魔族が支配していたのだ」

「さらっと言いましたけど、驚くべき事実が含まれていますね。つまり、この辺は大陸の東側?」

はし、ではないが、東部であるな。ここよりもずっと東、それこそ海に突き当たる先から、現在は人族が勢力圏を広げる一帯まで、ひとりの大魔王が支配していた」

「今の魔王とは違う感じ?」

「違うな。当時は、ひとりの大魔王のもと、魔族は纏まっていた」

「その大魔王って、巨人の魔王じゃないですよね?」


 僕の疑問に、違う、とだけ言う魔王。

 いったい、当時の魔王はどれほど強かったんだろうね。現在、実質的に魔族を支配しているのは、魔王じゃない。魔王よりも上位の存在がいて、その人が国土を分割し、魔王に治世をさせている。

 たしか、今は五人の魔王がいるんだよね?

 だけど、巨人の魔王が生まれた当時は、ひとりの大魔王だけだった。

 いや、考え方が違うだけなのかな?

 ひとりの絶大な力を持つ大魔王が支配しているか、魔王よりも上位の存在が支配しているか。


 そこで、はっとあることに気付く。

 もともと、魔族を支配していたのは大魔王。でも、その魔王の更に上位の存在が出てきたってことは……?


「そういうことだ。かたこそが、私が生まれた当時に魔族を繁栄させていた大魔王を打ち倒したお方。まさに、魔王をも超える存在だな」

「でも、それだけ強かったら、魔族はもっと繁栄しているような?」

「くくくっ。現状をかんがみれば、答えはすぐに出てくるであろう? 圧倒的な力と、支配欲とは別物だ」

「それってつまり……。大魔王は倒したけど、魔族を支配する気はなかったから、現在では西に追いやられちゃった?」

「端的にいうと、ということだな。まあ、色々と歴史の流れはあるが」

「ちなみに、そのお方はなんで当時の大魔王を倒したの?」

目障めざわりだったからだろう?」

「……」


 魔族って、やっぱり怖い。

 目障り、という理由だけで支配者を倒し、代わりに国を支配する気もないだなんてさ。


「彼の方の話はさておき。私も、その頃は魔将軍ましょうぐんとして働いていた。この地は、その頃に統括とうかつしていた場所だな」

「へええ。ということは、古代遺跡のことも知ってるんですね。はっ! まさか、当時の神殿を破壊したのは巨人の魔王!?」


 大仰おおぎょうに驚いたら、がつんっと錫杖の先で頭を叩かれた。


「愚か者め。最初に言ったであろう。多くの種族が繁栄と衰退すいたいを繰り返してきたのだと。其方の言う古代遺跡は、魔族が支配する前からのものだ。そもそも、なんという言い草だ。いかにも私が神殿や人族を滅ぼしたような言いようではないか」

「いや、魔王ならそれくらいしそうで……」

「必要であればそうする。実際に数えきれぬほどの種族を殺してきた。だが、理由なく暴れるようなことはせぬ」


 マドリーヌ様を組み伏しておいて、その言葉には真実味がありませんよ。という突っ込みは置いておいて。


「それじゃあ、古代遺跡は魔王が生まれる更に前のもの?」

「そういうことになるな。私が言う『遥か昔』のことだ。大陸の全てを人族が支配していた時代があるという。その名残ではないかな」

「えええっ、人族が!?」


 これこそ、驚きです。

 現在では、多くの種族からしいたげられるような立場の弱い人族が、世界を支配していた時代があるだなんて。

 でも、そう考えると色々とわかってくるかもしれないね。

 なぜ、大陸全土に神殿宗教が広がっているのか、とかさ。


 獣人族は、大変な苦労と長い歳月をかけて北の地へと移住してきた。

 僕が言うのもなんだけど、人族は獣人族より遥かに身体能力が低い。その弱い人族が、大陸全土にあまねく生活圏を広げ、ひとつの宗教を信仰しているなんて、奇跡に近い。だけど、遥か昔に人族が全世界を支配していたというのなら、理由付けになるよね。


「うーん。僕はまた、意外な歴史の真実を知ってしまったような気がするよ。でも、そうなると。結局、魔王にも古代遺跡がなんなのかはわからない?」

「正確には知らぬ。其方の言う遺跡そのものを見ておらぬしな。それと、私が生まれる前の歴史を詳しく知りたければ、それこそ魔女にでも聞くのだな。だが、わかっていることはある。其方らが古代遺跡と呼ぶものは、おそらく予想通り。太古の神殿跡であろうな。そして、古の時代。大陸全土の大きな神殿は霊脈れいみゃくによって繋がっていたという」

「霊脈……。つまり竜脈りゅうみゃくですね」


 詳しくは魔女さんに聞け、なんて言いつつ、僕の知りたいことを教えてくれる魔王。


 そういえば、竜峰の奥地にも古代遺跡はある。アレスちゃんの活躍で入り口は封鎖されたけど、その前にアームアード王国第三王女のセフィーナさんが不思議な体験をしていたんだよね。

 ヨルテニトス王国の東部国境にある古代遺跡を調べていたら、いつの間にか竜峰へと転移していたんだ。

 これって思うにさ。セフィーナさんは、意図せず竜脈に乗って移動したんだよね。

 死霊使いゴルドバが率いる死霊の軍団も、セフィーナさんとは逆の手順で、竜峰からヨルテニトス王国やアームアード王国へと渡った。


 つまり、太古の人々は神殿と竜脈を使って、大陸を自由に行き来していた!?


「誰もが気軽に、というわけにはいかぬだろうが、可能性は否定できぬだろうな」

「そうですね。もしも気軽に使えていたら、今でもその技術なんかが残っていそうですもんね」


 なぜか、現代には伝わっていない神殿を渡る技術。きっと秘匿ひとくされていたから、人族が衰退していったときに知識や技術なんかが失われたんだよね。


「それじゃあ……。離宮を占拠した賊の目的は、転移装置を使って大陸の別の場所に飛ぶこと?」

「もしくは、仲間を大陸中から呼び寄せる、だな」


 賊がなぜ転移装置の存在と利用価値を知ったのかはわからない。だけど、これは由々ゆゆしき事態だ。

 王妃様を人質に取るような悪漢が他所に転移していったら問題だし、近衛騎士二十人を軽く斬り伏せる者の仲間が集合されても大問題。


「さて、立て籠もっている者の企みは、本人に聞けば良い」


 質疑応答は終わりだ、と魔王は僕たちの視線を促した。


 綺麗に整えられた山間部。冬が明けたばかりということもあり、茶色く枯れてはいるけど、斜面を芝生が覆っている。

 整備された、石畳の広い道。街道を彩る並木。

 人工的にき止められた小川は山あいに湖を造り、湖畔こはんには立派で雄壮ゆうそうな建物が並んでいた。


 そして、ひと際壮麗な屋敷の周辺には、多くの人集ひとだかりが。

 離宮の周辺を警備していた兵士たち。現地で働いていて、騒動に巻き込まれなかった人々。それと、複数の竜騎士団の姿も見えた。


「さあて、次はどのような面白いことが起きるやら」


 くつくつと笑う魔王は、地上の様子を見て楽しそうだった。

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