竜峰へ入る意味

 お披露目と宣告の儀式の翌日には、僕はまたいつものように苔の広場を訪れていた。


 卒業式まであと数日だし、昨日のことも報告したかったから、休日である今日は早朝から来たんだよ。

 そうしたら、スレイグスタ老のお世話をしているミストラルに会えた。

 素直に嬉しいね。


「それで、本当に竜峰に入るのね?」


 僕は、宣告の儀式前には、すでにスレイグスタ老やミストラルに旅立ちの一年間の目標を伝えていた。

 それこそ宣告の儀式よりも具体的にね。


「うん、僕は自力でミストラルの住む村を目指したいんだ。でも駄目かな。危険すぎ?」

「いや、今の汝であれば、行けるであろう」

「でも慢心は禁物よ。竜峰は魔獣が跋扈ばっこするだけじゃないわ。至る所に竜の巣があるし、山そのものが厳しい自然なのよ」

「うん。前にアシェルさんと一緒に竜峰に入った時に、厳しい自然環境なんだと認識させられたよ」


 深い渓谷、切り立った崖、吹き荒れる風。どれも、平地で暮らしてきた僕のような子供には厳しい環境だと思う。


「それでも行くと言うのなら、わたしは止めないわ。でもね」


 ミストラルはじっと僕の顔を見つめる。


「行くからには、本当にひとりで来なさい。わたしは手助けしないわよ?」

「うん。ミストラルに道案内してもらったら、自力なんて言えないしね」


 それに、僕がひとりで竜峰を目指すのには、大きな理由があるんだ。


 僕は、人族のひ弱な子供だという自覚がある。

 スレイグスタ老に師事し、竜力を身に宿し、ジルドさんから竜王の証の竜宝玉を受け継いだ。

 だけど、僕のことを竜人族の人が知ったら、不満に思うんじゃないのかな。

 特に、竜姫のミストラルをお嫁さんにすることに関してね。


 恵まれた環境、幸運の連続で手に入れた力と仲間たち。きっと、僕のことをそう思う竜人族の人は多くいると思う。


 だからこそ僕はひとりで竜峰に入り、自力でミストラルの村まで辿り着かなきゃいけないんだ。

 僕も竜人族の人たちのように竜峰で活動できます。人族だけど、竜人族の人たちと同じ事がきちんと出来ます。ということを示さなきゃいけないと思うんだよね。


 そして竜人族の人たちから認められて、僕はミストラルをお嫁さんにしたいんだ。

 竜人族の人たちから竜姫のミストラルを奪うわけじゃない。

 僕が竜人族の人たちの輪に入れてもらうんだよ。


 だから、僕はひとりで竜峰を旅したいと思った。


「汝の決意は素晴らしい。しかし死んでしまっては元も子もないことを肝に銘じよ」

「はい。無理はしないです」

「少しでも無理だと思ったら、必ず連絡を取るのよ?」


 遠く離れたミストラルやスレイグスタ老との緊急連絡方法は、僕が竜峰に入ると打ち明けた後に決めたんだ。

 方法はいたって簡単。

 竜脈を強く乱す、というものだった。


 ミストラルとスレイグスタ老は、竜脈の異変を見分ける力がある。だから僕が乱すと、それで僕に危険が迫っていると気づいてくれるみたい。

 これは、魔剣使いが遺跡に現れた時に、スレイグスタ老が僕の力を感知していた時の応用だね。


 無理だと思った時。自分自身だけでは対処できない危機が訪れた時、この連絡手段が救援要請になるんだね。

 この手段があるから、竜峰でも余程のことがない限り、僕は絶体絶命にはならないと思う。

 だけど、救援要請を出した時点で、僕は自力でミストラルの村を目指す、という目標を達成出来ないことになるんだよね。


「必ずミストラルの村に辿り着いてみせるからね。村で僕を待っていてね」

「ええ。ルイセイネと楽しみに待っているわ。だから、無理だけはしちゃ駄目よ」

「うん、約束する」


 なんだか両親よりもミストラルの方が僕のことを心配しているよ。

 でも無理ないか。

 ミストラルは、竜峰の厳しさをそれこそ身に染みて知っているし、僕の力を誰よりも、僕自身よりも正確に把握しているんだからね。


「んんっと、ルイセイネもミストのお家に遊びに行くの?」


 アレスちゃんとおままごとをしていたプリシアちゃんが、今の会話を耳にして質問してきた。


 そうなんだよね。ルイセイネは旅立ちの一年間、ミストラルと共に行動することになっていた。

 同じ巫女のキーリとイネアは、リステアについて行く。ひとり残ったルイセイネは、それならとミストラルと一緒に活動することにしたみたい。

 神殿には、お使いの時に依頼した凄腕の冒険者と共に旅をする、と言ったんだって。

 ミストラルは凄腕だから、嘘ではないよね。冒険者じゃないから、真実でもないけど。

 そしてルイセイネは、ミストラルの案内で先にミストラルの村に行くことが決まっていた。


 ルイセイネの竜眼は、竜人族の人たちには秘密にしているんだ。露見しちゃうと命の危険もあるそうなんだって。

 だから竜眼を秘匿したままミストラルの親友として村に入り、竜人族の人たちに受け入れてもらえるように生活をする。

 竜人族は、一度仲間だと認めれば危害を加えようとはしないから、竜人族の人たちと仲良くなるということは、そのままルイセイネの身の安全に繋がるんだって。


 そんなわけで、ルイセイネは僕よりも先にミストラルの村に行って生活することが決まっていた。


「ええっと、遊びには行かないんだよ」

「んんっと、プリシアも遊びに行く」

「にゃんも行くにゃん」


 僕の言葉なんて聞いていないんですね。


「あのね、アレスちゃんも行こう? 楽しいよ?」


 いやいやいや、アレスちゃんは僕と一緒だからね。それに、楽しいだなんて勝手に決めちゃいけないよ。


「はい、いこうね」


 アレスちゃん。安請け合いをしちゃいけません。


「やったぁ。ミストのお家でお泊まりだ」


 アレスちゃんの手を取って小躍りし始めるプリシアちゃん。

 ミストラルは頭を抱えてうずくまっていた。


 あああ、急にミストラルの心配事が倍増したように思えるよ。


「エルネア、早く村に辿り着いてね」


 すでに疲れ切った表情のミストラルに懇願されてしまったよ。


「うん。急いで行くね」


 僕は真面目な表情で頷く。


 ミストラルの弱点は、プリシアちゃんのわがままかもしれない。

 正月の一件で村からの外出禁止を受けた直後は大人しかったんだけど、最近はまた自由奔放に戻ってきてるよ。


 というか、このことはプリシアちゃんひとりの意思で決めて良いのだろうか。

 竜峰の竜人族の村に行くなんて、さすがに耳長族の人たちは反対するんじゃないのかな。

 それに、なんでミストラルは最初から受け入れてしまって、プリシアちゃんを諭そうとしなかったのかな。


「ミストラルは小娘にひとつだけお願いを聞くと約束してしまっておる」

「むむむ、何ですかそれは?」


 スレイグスタ老の言葉で、僕はミストラルを見た。

 そうしたら「貴方が悪いのよ」と睨まれてしまったよ。


 えええっ、なんで僕のせいになるのさ!?


「あなたは正月後に、ルイセイネと二人だけで出かけたでしょう」

「うん」


 あの時は、後日ルイセイネがミストラルに自慢しちゃって、不貞腐れたミストラルを宥めるのが大変だったんだよね。


「その時のことをルイセイネと話していたら悔しくなって」


 なんで悔しがるのさ。


「わたしも二人だけで霊樹の根もとに行ったことをルイセイネに話したのよ」


 霊樹の幼木を見つけた時のことだね。


「そうしたら、それをプリシアが聞いていて。自分だけ貴方と二人で出かけたことがないとねちゃってね。慰める時についうっかり、お願い事をひとつ聞くことを約束してしまったのよ」

「えええっ」


 それって、僕はあんまり悪くなくない?


「プリシアと二人で遊びに行ってあげなかった貴方が悪いのよ」

「その理由付けは強引な気がします」


 と言ったら睨まれました。


「とにかく、貴方が悪いの」


 子供の言い訳ですか、と思いつつ僕は苦笑した。

 何はともあれ、被害を受けているのはミストラルなんだし、僕はミストラルが少しでも頑張れるように応援するしかないよね。


 それにお、泊まりなら一泊か長くても数日なんだし、その間はミストラルとルイセイネが目を離さなければ大丈夫じゃないかな。

 二人はプリシアちゃんの面倒見がいいしね。


 プリシアちゃんの小躍りの後は、いつもの鬼ごっこになった。


 ジルドさんはまだ苔の広場に来ていないので、ジルドさんの妨害はない。だけど、スレイグスタ老の妨害は当たり前にある。

 僕は何度も空間跳躍を妨害されて、大変だったよ。


 そうして遊び疲れた頃、ジルドさんがやってくる。

 ジルドさんは石彫りで生計を立てているので、仕事がいち段落してから苔の広場に来るんだよね。


 苔の広場に来たジルドさんは、いつもの風貌だった。

 長く伸びた髪や髭。粗末な衣服。

 そして亡くなった奥さんの形見の美しい曲刀を腰に帯びている。


「昨日は直剣をありがとうございました」


 僕は、先日ルイセイネ経由で借り受けていた直剣を返す。


「ふむ、役に立ったかな」

「はい、おかげで助かりました」


 と言って、僕は昨日のことをみんなに話した。


「慢心だけはするでない」


 というスレイグスタ老の注意はあったけど、みんなは僕のお披露目での試合のことを嬉しそうに聞いてくれたよ。

 でも、僕は話していて少し気になることを思い出した。


 右手の武器だよ。

 僕は、今でもジルドさんに直剣を借りて練習している。

 左手は霊樹の木刀で決まりなんだけど、右手が心許ないよね。

 竜峰に入るのであれば、きちんとした武器を手に入れた方が良いと思うんだ。


 僕は話ついでに、みんなに相談してみた。


「ふむ、確かに竜峰に入るのであればなまくら武器では困ろう」


 言ってスレイグスタ老は、意味ありげな瞳でミストラルを見た。

 ミストラルはその視線に頷く。


「さすがに宝玉が間に合っていないんです。でも剣自体は完成しています」

「ならば、今はそれで我慢してもらうしかあるまい。無いよりは良かろう」

「はい、では刀匠から受け取ってきます」


 むむむ、今の話ってもしかして。


「エルネア」


 ミストラルが僕に振り向く。


「明日も勿論ここに来るわね?」

「うん、時間の許す限り修行はしたいからね」

「それなら、明日、貴方のもうひとつの武器を持ってくるわ」

「えええっ、そうなの!?」


 突然のことで僕は驚く。


 僕の右手の武器を準備していてくれていたんだね。

 前に考えているとは言ってくれていたけど、それ以外のことは何も話してくれなかったから、不安だったんだ。


 宝玉が間に合わないと言っていたので、呪力剣かな。

 宝玉なんてそう簡単に準備できるものじゃないし、それは仕方ないよね。


「うわっ、明日が待ち遠しいよ」


 僕の胸は、思わぬ喜びに高鳴った。

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