お願いアーダ様

 盆地にできた湖を、ぽーん、ぽーんっ、と空間跳躍で移動していく。

 空腹を訴える幼女を餓死がしさせるわけにはいきません。


「ねえねえ、みんな。これを見て!」


 そして、ミストラルたちが待つ湖のへりまで到着すると、僕は中心の陸地で見つけた不思議な石を披露した。


「まぁ、とても綺麗だわ」

「まぁ、とても不思議だわ」


 美術品鑑定に関しては、妻随一を誇るユフィーリアとニーナが早速手に取って、見定めを始めた。


「これをどこで?」


 ミストラルの質問に、陸地のことを伝える。


「そのような場所があるのでしたら、そちらで昼食にしても良かったですね」

「うん。きっとお昼寝に最適だと思うし、あとで行ってみよう!」

「エルネア、その前にオズの用事でしょう?」

「うっ、そうでした……。それで、オズ。どうなのさ?」


 ユフィーリアとニーナの鑑定でも、青空と星のまたたきが内包する石なんて見たことも聞いたこともないものらしい。

 王宮に持っていけば、天文学的な金額になるとまで言われちゃった。


 お金……。とてもとても大切なものです。だけど、ここはオズのお役目を優先しなきゃね。

 ということで、オズに石の断面を見せて判断してもらうことに。


「ふぅむ……」


 不思議な模様の断面をじっと見つめるオズ。


「儂の知る鏡と違うが……」


 むむむ、とうなるオズ。


「九尾廟の主様へ捧げるものとして、申し分ない!」

「おおー!」


 オズの判断に、僕たちは喜びの声をあげる。


「それじゃあ、午後からオズは大役たいやくが待っているね。頑張って!」

「うむっ。皆の者、大儀たいぎであった。あとは儂に任せ、日々の供物くもつを運ぶことに従事せよ」

「日々の供物って、つまりオズの餌? 残念っ! 僕たちは、母さんたちのこともあるから帰らなきゃいけないんだ。オズはひとりで頑張ってね!」

「むぎゃーっ。薄情だぞっ、貴様らっ!」


 と、言われましてもねぇ。

 これからオズは、石をみがいて鏡にしなきゃいけない。でも、それって一日二日で終わる作業じゃないよね。下手をすると、何日も何十日もかかると思うんだ。

 僕としては、アーダさんの迎えが来るまでは禁領に残っていようと思う。だけど、それ以降は予定も色々と詰まっているし、オズをこの地へ残していくという判断です。


 ミストラルたちも僕の考えと同じで、湖から上がると、お昼の準備をしながらオズを励ましていた。


「鏡面にするために磨くには、その石よりも硬いものでこすり続けなければいけない。それも、荒い目から細かい目になるように順番に磨く必要があるのでは?」


 アーダさんの指摘に、オズの顔が真っ青になっていく。だけど、アーダさんは尚も容赦なく言う。


「ここまでは、エルネアたちが手を貸してくれた。だが、これ以降の甘えは許されないだろう。朝にも言ったが、大切なのは素材の石でも鏡という供物でもない。誰かのために、何かのために全身全霊を掛ける想いだ。どれほど過酷だろうと、ひとりでもやり抜く、という覚悟をいま持てないのなら、最初から手を出すべきではない」


 厳しい内容だけど、アーダさんの言うことはもっともだ。

 僕たちも、九尾廟の件は懸念している。だからこうしてオズのために時間を割いたり、遠路はるばる禁領へもやって来た。

 だけど、ここからはオズの覚悟が試される。本当に九尾廟の鏡を作りたいのか。御告おつげに心身を捧げるのか。


「擦り合わせる石くらいなら探してきてあげるけど、あとはオズの仕事だよ?」


 オズは、ユフィーリアとニーナから譲り受けた石を真剣な表情で見つめていた。

 そして、強く頷く。


「これは、儂に与えられた神聖な役目だ。必ずやり遂げてみせようっ!」


 ふむ。どうやら、オズにも一端いっぱしの覚悟と男気はあったようだ。

 それじゃあ、まずは腹ごしらえから始めようか、ということで、昼食になった。

 気づくと、プリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアは、すでにお肉にかぶりついていた。






 昼食を食べ終えると、僕たちは一旦オズを霊山の山頂に残して、お屋敷に戻る。


 えっ、お昼寝?

 残念ですが、お預けです。

 プリシアちゃんとアレスちゃんも、お昼ご飯のあとにすぐ寝ちゃうような、もったいない選択は取らない。

 いっぱい食べて、いっぱい遊んでから寝るのが至福だと、この歳で悟っているようです。

 それに、オズとも約束したように、石を削るための研磨石けんまいしを見つけなきゃいけないからね。


 というわけで、お屋敷に戻ってきた僕たち。

 木造のお屋敷には、基礎部分などに石材が利用されていたり、一階の床が石張りだったりと、意外と大理石などが利用されている。

 なので、伝説の大工さんが今後の修復用にぎ石などを置いてないかな、と思ったんだけど……


「そんなに甘くはなかったわね。そこの倉庫には、それらしい物はなかったわ」

「こっちも、なかったよ」

「あっちにも、ありませんでしたわ」


 お屋敷は、玄関や数えきれないお部屋同様に、いろんな道具が収納されている倉庫がいくつもある。だけど、どこを探しても園芸道具や生活に必要な物ばかりで、お屋敷を修復するための工具は見当たらなかった。


 むむむ。オズの役に立てなかったことも残念だけど、もうひとつの案件に気づいたよ。

 もしもお屋敷が破損しちゃったら、修理道具がないので手に負えないってことです。


「研磨石の件もだけどさ。これは、今後のことを考えて、修復道具を揃えるために戻った方が良いかな?」

「そうね。この屋敷はまだ新築だけれど、禁領の自然がどれくらいのものか不明な部分もあるし、あの子たちがいつ物を壊すかわからないし」


 言って、ミストラルはプリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアを見つめた。


「んんっと、鬼ごっこがしたいよ?」

「鬼ごっこ? 良いけれど、わたしたちだけで?」


 はわわっ、プリシアちゃん。アーダさんになんて提案をしているんですか!

 アーダさん、駄目ですっ。幼女の鬼ごっこは……!


「道具を揃えるだけなら、魔王城まで戻らなくても、メドゥリアさんのところで揃えられるよね。よし、挨拶も兼ねて、行こう。その前に……。アーダさん、安易に幼女の要求を呑んじゃだめーっ!!」


 しかし、僕の叫びは間に合わなかった。


「じゃあね。みんなで鬼ごっこをするの!」


 同意をしてしまったアーダさんに、満面の笑みを見せる小悪魔。そして、僕たちへと振り返る。


「最初はね。ミストが鬼なの」

「はぁ……。ユフィ、ニーナ、逃げるのは許しませんからね?」


 こっそり姿をくらませようとしていた双子王女様は、竜姫のひと睨みでがっくりと項垂うなだれる。


「まあまあ、久々なんだし、みんなで楽しもう!」


 思いっきり遊んだあとのお昼寝が至高、だなんて思ったのは僕自身なんだしね。鬼ごっこに巻き込まれるまでは戦々恐々せんせんきょうきょうだけど、始まったら、それはそれで楽しいし。

 ということで、家族全員参加の鬼ごっこ大会は、こうして開催される運びとなった。


「ユンユン、リンリン、大・召・喚!」

「エルネアよ……。力の無駄遣いのような気もするが?」

「あら、お姉ちゃんは鬼ごっこが苦手なの? 私は好きよ」

「んんっと、光の精霊さんたちも招ぶんだよ」


 場所は、お屋敷の中庭。

 ぐるりと建物に囲まれた広い中庭には、二つの湖以外にも芝の広場や植木が整えられた庭園などもある。

 ちょっぴり、というかかなり広い範囲での鬼ごっこだけど、僕たちの能力からすれば問題ない。

 ただし、アーダさんが大丈夫かなぁ、と思ったんだけど。


 最初の鬼に指名されたミストラルは、あろうことか真っ先にアーダさんを狙う。

 お客さんだろうと、鬼ごっこが始まれば容赦なしです! というか「遠慮はなしよ」という先制攻撃だ。


 始まりの合図とともに、散り散りに逃げ惑う僕たち。

 ミストラルは、プリシアちゃん主催の鬼ごっこの恐怖を知らず、全力逃亡から一歩遅れたアーダさんに猛然と迫る。


「っ!?」


 竜人族の、圧倒的な身体能力。

 残像さえも置き去りにしそうな超加速でいきなり懐に飛び込まれたアーダさんは、驚愕きょうがくに目を見開く。


「うちの家族の鬼ごっこは、修練を兼ね備えているので。幼女たちにも、手加減は一切無しです」


 言って、ミストラルはアーダさんに触れようと手を伸ばした。


「なっ!」


 だけど、次に驚きの表情を浮かべたのはミストラルと、ルイセイネとマドリーヌ様だった。


 逃げようと、地面を蹴って走り出そうとしていたアーダさん。

 丁度、両足が地面から離れていた。


 次の瞬間。


 ミストラルの手をかいくぐり、アーダさんが後方へと水平移動をする。

 でも、普通はこれくらいじゃ驚くことなんてない。三人が驚いたのは、この直後だ。


 初手が回避されたミストラルは、すぐさまアーダさんの追撃に移った。

 後方へと水平移動をしてみせたアーダさんだけど、これはよく目にする光景。

 普段であれば、ルイセイネが。最近であれば、マドリーヌ様がよく見せてくれる。


 法術、星渡ほしわたり。


 空中に浮いた状態で、地面と水平に滑って任意の方角へと移動する移動術。

 だけど、アーダさんが見せた術は、僕たちの知っているものとは少し違った。


 尚も追い迫るミストラル。

 アーダさんは水平移動中で、まだ地面に足をつけていない。

 速さは、アーダさんの星渡りよりもミストラルの跳躍の方が圧倒的だった。

 捕まる、と誰もが思った。次の鬼は、アーダさんだ。


 でも、違った。


 アーダさんはあろうことか、地面に足をつけることなく、星渡りの滑走角度を変えてミストラルの追撃を回避した。


「そんなっ!?」


 ルイセイネが驚愕に声を漏らす。


「星渡りは、一定方向にのみ移動する法術です。なのに、修正のために再跳躍もせずに移動方角を変更するなんて……」


 マドリーヌ様も、アーダさんの動きに足を止めて驚いていた。


 そして、確定する。


 ひとつは、次の鬼がマドリーヌ様になったこと。

 ミストラルは、動きの止まったマドリーヌ様へと狙いを素早く変更し、鬼を移した。


 それと、もうひとつ。

 間違いなく、アーダさんは巫女様だ。


 法術は、神殿で洗礼を受けた女性だけが使える奇跡。

 神職を引退した人でも継続して術を使えるというけど、少なくとも神職にたずさわった経験のある者でなければ、法術は覚えられない。

 やはり、ルイセイネとマドリーヌ様が最初に見せた態度は、アーダさんが聖職者ということを確信していたからなんだね。


 とはいえ、マドリーヌ様も驚愕するような法術をこともなげに使うなんて……


 マドリーヌ様は鬼になると、気を取り直して獲物を狙い始めた。


 きらーんっ、と僕を見つめるマドリーヌ様。


「むむむ、危険です!」


 慌てて逃げる僕。


「むきぃぃっ、巫女頭みこがしらの私から逃げるとは、どういうことですかっ」

「いやいや、鬼役の人から逃げているだけだからねっ」


 容赦なく、空間跳躍で逃げる。

 マドリーヌ様も星渡りで追いすがるけど、ルイララじゃあるまいし、こちらの方が断然と速い。


「許しません、許しませんよーっ!」


 僕を捕まえられないと判断したのか、マドリーヌ様は狙いを変える。

 次は、ユンユンを追いかけだした。だけど、半精霊と化した賢者は悠然ゆうぜんと空中へ退避する。


「むきぃーっ。空は卑怯ですっ」

「残念だ、巫女よ。上空であろうと、中庭内に変わりはない」


 ふわふわと逃げるユンユン。

 マドリーヌ様は地団駄じだんだを踏んで、近くを通りかかったニーミアをわしっと捕まえると、ユンユンへと投げた。


「あっ、ニーミアが鬼だ」

「んにゃーっ」


 ニーミアめ、油断していたね。

 投げられたニーミアは、弾丸となってユンユンに迫る。

 ユンユンはしかし、近くで笑い転げていたリンリンを盾にして逃げおおせた。


「はい。次はリンリンが鬼です!」

「んんっと、逃げなきゃっ」

「にげろにげろ」


 こうして、阿鼻叫喚鬼ごっこ大会は盛り上がっていった。


 あれ?

 霊山の山頂になにかを置き忘れてきているような気もするけど……。気のせいだよね!






 結局、お昼寝も忘れて鬼ごっこを繰り広げた僕たちは、夕方になると全員でくたくたになっていた。


 はぁ、はぁ、と弾む息。春風が中庭を通り過ぎると、なんとも心地良い。

 芝生に寝そべって、幸福な倦怠感けんたいかん満喫まんきつする。


 すると、おもむろにルイセイネがアーダさんのもとへと歩み寄っていった。

 そして、膝をついて懇願する。


「アーダさん。どうか、このわたくしと手合わせをしていただけませんでしょうか?」

「ああっ。ルイセイネ、ずるいですよ。私もお願い致します」


 マドリーヌ様も、アーダさんへと膝をついて願い出す。

 僕たちと同じように芝生に座って休んでいたアーダさんは、ルイセイネとマドリーヌ様の突然の申し出に少し困惑した表情を見せた。


「こらこら、二人とも。いきなり手合わせをお願いするだなんて、失礼だよ」


 二人の想いはわかるんだ。

 きっと、アーダさんはすごい巫女様に違いない。

 鬼ごっこの最中に、その片鱗は十分見せてもらった。なにせ、誰もアーダさんを捕らえることができなかったのだから。

 手加減なしよ、とは言ったものの。まさか、全ての追撃を回避したアーダさんは、やはり只者じゃない。


 専心せんしんで延々と狙われ続けたわけじゃないけど。精霊さんたちの消えた状態かの不意打ちも、僕やプリシアちゃんの空間跳躍も、ミストラルの速さでも、捕まえられなかった。


 ルイセイネとマドリーヌ様は、そのアーダさんからなにかを教わりたい、少しでも技を自分のものにしたい、と切望しているんだよね。


 だけど、アーダさんは禁領へと気を張るために来てるんじゃないと思う。

 前に、魔女さんが言っていた。アーダさんには休息が必要で、その適地として強引に魔女さんが連れて来ているんだ。


 とはいえ……

 ルイセイネたちの想いとアーダさんへの配慮の狭間はざまで、身動きが取れなくなっちゃう。

 アーダさんには休んでもらいたい。だけど、ルイセイネの悩みも知っている。

 それで、二人をたしなめつつも強く出れない僕。


 ああ、どうすれば良いんだ……


 ミストラルや他のみんなも、ルイセイネとマドリーヌ様の行動を強く止められなかった。


 すると、真剣に懇願する二人を見つめて思案していたアーダさんが立ち上がった。


「わたしは、貴女がたのような立派な巫女にひざまずいてもらえるような女ではない。ただ……。わたしと手合わせをすることで、お二人が何かを得られるというのなら、お手伝いをさせてもらいましょう」


 言って、アーダさんは慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべた。

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