新たなる問題
闇地竜のグスフェルスは、僕とライラと王様を背中に乗せて、離宮を離れる。
離宮の外は、のどかな農村といった景観が広がっていた。もちろん遥か先には王都の華やいだ街並みが見えるんだけど、離宮の周りは田畑や公園が広がり、農民の家屋が点在する程度。
そして、僕の竜術のせいで満開になった花道を、グスフェルスはのんびりと進む。
高高度を飛んでいたアシェルさんの背中の上からではなく、地上から周囲の景色を見れば、王都外苑にある離宮周辺の田畑にも僕の術の効果は影響を及ぼしていたようで、農夫の人たちが忙しそうに、早めの秋の収穫に取り掛かっていた。
グスフェルスの背中から、そんなのどかな情景を眺めていると、王様が口を開いた。
「エルネアよ。
王様は、ライラの竜術でグスフェルスの背中に足を吸着させて、ライラに支えられながら立っている。
僕も、ライラとは反対側の王様の隣に同じようにして立っているんだけど、こちらの支えは必要ないみたい。王様はライラの
ところで、家族とは誰を指しているんだろうね。王子のことかな? 王女のことかな?
多分、両方なのかな。
王様は、
「バリアテルは、野心家であった。それはもう、玉座を狙うほどに……」
どう
「あれは小さい頃、儂に竜の意思がわかると言ってきたことがあった。しかし、そんなものは長年竜を従えてきた儂でさえも掴めぬもの。子供の
どうやら、バリアテルも竜心を持っていたらしい。しかも、幼少の頃から。
「しかし、いま思えば、あのとき儂がきちんとバリアテルの言葉に耳を傾けておれば、謀反を企み玉座を手中に収めて、自分の力を示そうという曲がった思想には至らなかったのやもしれぬ」
死んでしまった今では、バリアテルの思惑を確認することはできない。だから、全ては推測なんだけど、起こった事件は事実として残っている。
王様は、バリアテルの謀反に僕たちが巻き込まれてしまったことに深く謝罪し、解決に尽力したことへ、もう一度感謝の言葉を口にした。
僕としても事件を蒸し返す気はないし、王様が直々に何度も頭を下げると、妙に背中がむず痒い気分になるので、素直に王様の謝罪と感謝を受け入れた。
「もうひとつ。家族のことで儂はエルネアに話しておかなければいけないことがある」
王様の話題の切り替えに、ライラが緊張する様子が伝わってくる。
僕も、これからが本番なのだと、真剣な表情で王様を見た。
「儂には、娘がひとりだけ居たのだ」
過去形で話す王様。だけど、それは僕もライラも既に覚悟の上なので、動揺はしない。
王様は、僕とライラの様子を少しだけ伺うように見た後、視線を遠くへと移す。
グスフェルスは指示を受けたわけではないけど、どこかの目的地に向かうわけでもなく、のんびりとした足取りで歩いている。
グスフェルスも久々の屋外ということで、外の世界を満喫しているのかな。
それにしても、と空を見上げた僕の視線を追って、ライラと王様も視線を上げた。
上空では、一度飛び去ったはずの暴君たちが、今度はユグラ様も加えて飛び回っていた。
遠くの空には、飛竜騎士団の姿が見える。そこへ、フィオリーナとリームを引き連れた暴君とユグラ様が近づくと、飛竜たちが慌てて散開して逃げる様子を、何度となく繰り返していた。
飛竜騎士団は、きっと王様の護衛をしようとしているんだと思う。いくら僕を英雄と讃え、闇地竜のグスフェルスが居るとはいっても、国の最重要人物を
近くからは護衛できないけど、空から離れて護衛しようとしたんじゃないのかな。飛竜の速度であれば、万が一のときでも見える距離からは瞬く間に駆けつけことができるから。
だけど、僕たちの上空では、使役されていない暴君たちが飛び回り、まともに護衛できないでいるに違いない。
まぁ、僕としては、遊び半分で飛び回っている暴君とユグラ様の方が、飛竜騎士団よりも心強く感じるのは内緒です。
王様も、暴君たちと飛竜騎士団の様子は特に気にしてはいないのか、視線を上げたまま話を続けた。
「ひとり娘の名は、オルティナという。とても活発で、心優しい自慢の娘だった」
王様はほんの少しだけ、ライラに身を寄せた。
「しかし、可愛い自慢の娘にもひとつだけ欠点があった。竜は、オルティナが近づくことを嫌がり、暴れるのだ。オルティナ自身は竜に興味を示していたように思えるが、竜がそれを許さない。これは、ヨルテニトスの王族として致命的な問題だった。知っているだろう。この国の王族は、男も女も竜を従えて、民のために戦わねばならぬ」
東の国境付近では、今でも魔物が多く湧き、情勢が不安定らしい。他国との戦争の恐れがないヨルテニトス王国の軍事力。とりわけ竜騎士団の戦力は、基本的には東側の国土の安定のために向けられていると、いつだったかフィレルが説明してくれたよね。
「儂はどうにかしてオルティナと竜を近づけさせようと、長年共に戦場を駆けたこのグスフェルスに賭けてみた。しかしまぁ、それは失敗に終わってしまったのだが」
王様はグスフェルスを見下ろし、自分の不自由な身体を見て悲しそうに瞳を曇らせた。
「儂は見ての通り半身不随になり、そして……大切な娘を失った」
正確には、事件が起きて王様が自由を失った後。事件の騒動につけいった魔族のゴルドバがバリアテルと王妃を
バリアテルがオルティナ王女の能力を知っていたのは、竜心によって竜族から聞いていたからなのだと、今ならわかる。そして、当時から野心を持ち始めていたバリアテルは、オルティナの能力について助言するどころか、野望には邪魔だと排除に動いたんだ。
だけど、生命ごと排除することはできなかった。それは王様の努力だったんだろうけど、それでも力及ばず。オルティナ王女は存在を殺された。
「言い訳と捉えられても構わぬ。見苦しく
王様の視線は、いつの間にかライラに向けられていた。
「儂は、娘を今でも心から愛している。大切に思うておる。儂の、力不足で情けない行いのせいで娘を不幸にしてしまったが、もしもまだ生きていたとしたなら、どうか幸せになってほしいと心より思う」
王様の多くの想いがこもった視線を受けて、ライラは瞳を伏せる。だけど逆に、ライラも王様に寄り添うように距離を近づけると、きゅっと服を強く掴んだ。
一度死亡したと公表してしまった王女が、実は生きていました。とは国として発表することはできないんだろうね。体裁に響いてきて、王家への求心力に影響を及ぼすかもしれない。
ひとりの男性、父親としては、どうにかして失った娘を取り戻したい。だけど、一国の主、国王という立場から考えれば、個人的な想いよりも国を優先せざるを得ない。
王様の複雑な瞳はその全てを物語っていて、ライラもそれに気づいていた。
僕も、もちろん気づいている。だから王様の想いに水を差すようなことはしないし、ライラに必要以上の言葉をかけることもしなかった。
今のこの二人には、無言で寄り添う時間がとても大切で、必要なんだと思う。
僕はしばらくの間、二人の世界を壊さないように無言で佇み、見守った。
『起こってしまったことは、後悔はできても後戻りはできぬ。ならば、これから先の未来でいかに修正していくのかが大切だろう』
グスフェルスが、誰に言うわけでもないような独り言を口にした。
グスフェルスの言う通りだね。過去は変えられない。ましてやそれが、僕が影響を及ぼすことができない物事だったとしたら、いくら悔やんでも誰も幸せになんてならない。
王様とライラは近づくことができた。この二人には、もう過去なんて必要ないんじゃないかな。必要なのは、これから先の明るい未来だと思う。
それなら、僕はその素敵な未来のために努力するまでです。
「王様」
僕の言葉に、ライラへと視線を向けていた王様が振り返る。
「ひとつだけ補足をさせてください」
「なにかね?」
「オルティナ王女のことです。彼女は、竜に嫌われていたわけではありません。王女はとても特殊な能力を持っていたんです。竜を支配する能力を。だけど、その能力は当時のオルティナ王女には分不相応で、それで竜たちは力の暴走を恐れて、怯えていたんです」
今度は王様が僕の言葉に耳を傾けていた。
「だから、オルティナ王女は歴代のなかでも最高の王族だったのではないでしょうか。王様は王女を誇って良いのだと思います。これからも自慢の娘として、愛し続けて良いのだと思います。あ、ちなみに。そちらのライラは、竜を支配する能力を自分のものとし、今ではあの空で遊んでいる紅蓮色の飛竜からも愛されるような存在になっているんですよ!」
僕が微笑んで補足を入れると、王様は驚いたように空を見上げて、次にライラを見た。
「ライラよ。其方は立派に成長したのだな」
「はい」
王様とライラは見つめ合い、そしてようやく、心らか微笑みあった。
「其方は素敵な友達や大切な家族ができたと嬉しそうに言った。エルネアや他の者たちの輪のなかに其方が笑顔で加わっていることを、儂は嬉しく思う」
王様は杖を持っていない方の手で、ライラを優しく撫でる。
「ええっと、王様。そのことで報告がございます」
「報告とな?」
「はい。ライラはもう、僕たちには欠かせない家族の一員なんですが。僕の十五歳の旅立ちの一年が終わったら、彼女と結婚しようと思います。それを王様に報告したくて、竜峰から僕たちはここへとやって来たんです」
どくり、となぜか胸の鼓動が速くなるのを感じた。
なんでかな。僕はただ、王様にライラとの結婚を宣言しただけですよ?
お義父さんに向かい、娘さんと結婚させてください、と言っているわけじゃないのに。ミストラルの両親に挨拶をしたときと同じ緊張が、僕を包んでいた。
王様は大きく目を見開き、僕を無言で見つめる。
ライラは少し不安そうに、王様の傍で僕と王様を交互に見ていた。
「……そうか」
やっと絞り出したような声で、王様が一言、言葉を漏らした。
動揺なのか、驚きなのか。大きく見開いていた瞳を戻し、今度は僕を見定めるような鋭い視線で見つめる。
僕も
「……娘が生きていれば、ライラのように素晴らしい女性になっていたのは疑いようもない。其方は、そのライラを
「はい。宣言できます。ああ、でも……」
僕の言葉の歯切れの悪さに、王様の眉の端がぴくりと揺れる。
「実は、僕が連れていた女性は全員、僕の将来のお嫁さんなんです!」
「んななっ!?」
今度こそはっきりと、王様の瞳に驚きが映った。
「……あの、お転婆双子も娶るのか? 巫女と、竜人族という娘もか? あの小さな幼女までもか!?」
「ああああ。幼女、というかプリシアちゃんは違いますよ。彼女だけは、僕たちが預かっている子供なんです」
王様の顔が引きつっています。
そりぁあ、そうだよね。ライラと結婚します宣言に追い打ちをかけるように、お嫁さんが他にもいますなんて言えば、一夫一妻のヨルテニトス王国国王様には刺激が強すぎたかな……
僕とライラは、
はあぁ、となぜかグスフェルスが呆れたようなため息を吐いています。
いやいや、増やそうと思って増やしたわけじゃないからね?
誤解はしないでほしいよね。
しばらく待つと、王様は引きつった顔をようやく戻して、僕を改めて見つめてきた。
「英雄色を好む。とは言うが、君のような可愛らしい少年にまで当てはまるとはな」
「ちょっと、王様誤解です。僕はそんなにふしだらな男じゃないですよ?」
「いやいや、ふしだらとは言っておらぬよ。良いではないか。エルネアの周りの者は全て、しっかりと其方を支えようとしているように見える。其方は彼女たちの想いにきちんと応えてやりなさい。ただし、できればライラを一番に想っていてほしいものだ」
「みんなが一番ですよ。序列なんてありません」
としか、この場でも言えない僕は、へたれでしょうか?
だけど王様は、僕の言葉に満足を得られたのか、頷いてくれた。
「そうか、結婚か……英雄殿の結婚ならば、ぜひ儂も結婚式には
「はい。結婚式の時にはぜひ!……ええっ!?」
よく考えてみましょう。
王様は、僕のことを英雄と言ってくれているけど、正体はアームアード王国のただの平民ですよ?
結婚式は、きっとアームアード王国で行うと思う。そこへ隣国の王様が顔を出したら、大変な騒ぎにならないかな?
……そういえば、ユフィーリアとニーナも居るのか。ということは、もしかしてアームアードの王様も来ちゃう?
あああ……
そういった問題は全く考えていませんでした!
どうしよう、どうしよう……
堂々と、ライラとの結婚を王様に宣言するつもりでこの場に来たのに、僕は逆に不安で押し潰されそうになっていた。
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