夜の森

 ほおぅ、ほおぅ、とふくろうの鳴き声が静かに耳へと届く深夜。

 ちりちりと燃える焚き火を囲み、僕とリステアはお茶を飲んでいた。


「こうして何事もなく夜を過ごしていると、人族の国で夜営しているのと変わりがないように思えるな」

「そうだね。平和なときは、どこにいても同じように平和なんだよね」


 それは、竜峰に限った話ではない。

 北の地だろうと魔族の国だろうと、平穏を脅かす襲撃者が現れなければ、どこでも平和なんだよね。

 だけど、安らかな世界と程遠いのが人族を取り巻く社会であり、危険はどんな場所にも潜んでいるのが現状だ。

 魔獣や魔物はいつでも旅人の隙を伺っている。野盗や荒くれ者は弱者を狩ろうと狙いすましているし、季節によっては自然そのものが牙を剥く場合もある。


 とはいえ、今夜は平穏だ。

 虫が鳴き始める時季にはまだ早いのか、夜鳥の鳴き声がまれに夜の森に響くくらい。

 僕とリステアも、のんびりとお茶を飲みながら見張りをしていた。


「俺たちとの約束が終わったら、お前は耳長族の移住に付き合うんだろ?」

「うん。ちょっと遠い土地に案内しなきゃいけないんだ」

「たしか、竜峰の西側へ行くんだったか?」


 禁領のこととか詳しいことは伏せているけど、大まかな話はしている。

 リステアは未だ見ぬ土地に想いをせているのか、遠くを見るような瞳で焚き火を見つめていた。


「もしかして、お前たちもそこへ行ったっきりってことはないよな?」


 もしかして、リステアは不安に思ってくれているのかな?

 耳長族の移住に付き添う僕たちが、もうアームアード王国や人族の国には帰ってこないんじゃないかって。


 リステアは勇者だ。勘も鋭い。

 だから、いずれ訪れるであろう別れを予期しているのかもね。

 だけど、それはもっと何十年も先の話ですよ、勇者さま。


 僕は、友人を失いたくない、というリステアの想いに嬉しくなり、自然と笑みを零す。

 僕の笑みを見たリステアは安心したのか、ほっと胸を撫で下ろした。


「僕たちにはニーミアやレヴァリアがいるからね。どこに居たって、どこへでも行けるよ!」

「羨ましいな。俺たちにもドゥラネルがいて、そのおかげで活動範囲ややれることが広がったが。それでも、たまに大空を自由に飛んでみたいと欲を浮かべてしまうことがある」


 リステアの言葉に、焚き火の明かりが届かない夜闇の先から唸り声が返ってきた。

 地竜のドゥラネルだ。

 ドゥラネルは丸まったまま、不満そうに鼻を鳴らす。


「いや、悪気があって言ったわけじゃないんだ。ただの欲深い願望がんぼうで、人とはそういう生き物なんだよ。ごめんな?」


 リステアは竜心りゅうしんの能力がないので、ドゥラネルの意思はわからない。だけど、低い喉鳴りが不満を表しているのだとわかるくらいには意思疎通ができる。


『見上げる空は恵みをもたらさない。しかし、足もとの大地は我らに生きるかての全てを与えてくれるのだ。虚無きょむしかない空を飛んだところで、むなしさしか得られない。目先の欲より過去から未来に続く大地に根ざすべきだ』

「……と、ドゥラネルはおっしゃっています」


 僕の通訳に、リステアは頷いていた。


「たしかに、どこへでも行ける自由さは魅力的だが、そのぶん苦労も絶えない。お前たちを見ていたら、それくらいはわかる。だから、俺たちは不自由を楽しく味わうよ」

「そうだよ。なまじいろんな場所に行けるもんだから、こうして問題だらけなんです」


 東の大森林へ行っていなかったら、ユンユンとリンリンの身元引き受け人にはなっていなかった。

 全身甲冑ぜんしんかっちゅうの魔剣使いの事件にも立ち会っていなかっただろうし、魔族の国の問題に巻き込まれることもなかったよね。


 ……あれ?

 でも、結局のところ、バルトノワールとは出会ってしまうのかな?

 バルトノワールと最初に出くわしたのって、母親連合を連れて竜峰を歩いて旅しているときだったもんね。


 そう考えると、僕は空を行こうが地面を歩こうが、問題に突き当たっちゃうんだね。


 とほほ。


 寝ているみんなを起こさないように、僕とリステアは雑談を交わす。

 こうしてリステアとのんびりお話ができるのは久々だ。

 いっぱい話したいことはあるし、時間はいくらあっても足りないくらい。

 リステアも自分たちの冒険を僕に語ってくれる。


 勇者の大冒険は、アームアード王国を股にかけた壮大な物語だった。

 きっと、リステアたちの活躍は、吟遊詩人ぎんゆうしじんたちが未来永劫語り継いでいくんだろうね。


 秋の夜長、とはよく言うけれど。逆に春の夜はとても短いんじゃないかと、会話を楽しんでいた僕とリステアは感じてしまう。

 なにせ、気づくと次に見張りをするはずだったセリースちゃんを起こし忘れ、その次のネイミーさえも飛ばしちゃっていたからね。

 このままだと、早朝に目覚めるキーリとイネアの時間まで話し込んじゃいそう。


 あ、ちなみに。

 スラットンはリステアの前に見張りを担当していて、今はいびきをかいています。


「見張りを交互に行うことも立派な訓練なんだが。これは、明日の朝セリースに叱られるな」

「ぼ、僕は監督役だから、一緒に怒られませんからね?」

「いや、お前も俺と一緒に過ごしていたんだから同罪だろう?」

「いいえ、実はこれはわななんです。リステアがちゃんと見張りのお仕事をこなせるかどうかのね!」

「とんでもない罠だな!」


 僕の言いつくろいに、リステアは笑いをこらえるので必死だ。

 大笑いしちゃうと、みんなを起こしちゃうからね。


「だが、まあ……。見張り役としての務めは及第点をもらいたいところだ」


 言って、リステアは聖剣へと手を伸ばす。

 どうやら、異変に気付いたようだ。

 僕も、じわりじわりと変化し始めた夜の気配を感じ取っていた。


 梟の鳴き声が相変わらず夜の森に響いている。

 だけど、夜鳥とは違う獣の遠吠えも耳に届きだしていた。


 遠くで、狼がいている。

 少し遅れて、違う場所から別の遠吠えが。


 僕とリステアは耳をまして、気配を探る。


「まだ、遠いか。だが……」


 徐々に不穏な気配が近づいてくる。

 先を見通せない暗い闇でも、僕とリステアの研ぎ澄まされた感覚はにぶらない。

 狼のむれが、四方から森に集まりだしていた。


「狙いは、俺たちかな?」

「だろうね。僕も襲われた経験があるし。狼は臭いに敏感だ。きっと、風下で獲物の臭いを感じ取ったんだろうね」

「いいじゃねえか。どっちが狩人かりうどか教えてやるぜ」


 すると、さっきまでいびきをかいていたはずのスラットンが、誰に起こされるわけでもなく目覚めて、不敵なことを言う。


 危険を敏感に察知する、こういった部分は流石に勇者の相棒だ。

 だけどその台詞せりふだと、狙われている僕たちの方が悪役っぽくない?


「スラットン、念のために全員を起こせ」

「おうよっ」


 スラットンがみんなを起こし回っている最中にも、狼たちの包囲網はこちらを中心にせばまっていく。

 完全に僕たちを狙っている動きだ。


『舐められたものだ』


 ドゥラネルが鼻息を荒くする。


 狼だって、愚かではない。

 臭いで地竜の存在には気づいているはず。それでもこちらを狙ってきた。それはつまり、臭いや気配でドゥラネルが子竜と知っていて、勝算を見込んでいるってことだよね。

 きっと、獲物に竜族が含まれていても、群からはぐれた子竜だとあなどっているんだろうね。


「エルネア様」


 僕もライラを起こす。

 ライラはすぐに目を覚ますと、狼のことを伝えるまでもなく状況を把握する。

 勇者様ご一行の面々も、それは同じだ。


 遠吠えの発生源が、どんどんと近づいてくる。

 それと同時に、複数の気配が森の奥にうごめき始めた。


「多いな……」

「十とか二十って数じゃないぜ?」


 全員が警戒に精神をとがらせる。

 いくら百戦錬磨ひゃくせんれんま、魔族相手にだって引けを取らないリステアたちでも、何十頭という狼の群を相手に油断していれば、遅れをとることになる。

 そして、それは僕たちも同じだ。


 いつでも動けるように武器を手に持ち、焚き火の明かりが届かない闇の先をにらむ。

 ドゥラネルも、先程から威嚇するように喉を鳴らしっぱなしだ。


 だけど、ドゥラネルの威嚇を受けても、狼たちの包囲網は解かれない。

 数の有利を知っていて、僕たちを絶好の獲物としか認識していないんだ。


 キーリとイネアが手早く荷物をまとめる。

 この場で狼を全滅させるまで戦うなんて無謀なことは、誰も考えていない。


「危険な状況だが……。エルネア、なるべくお前とライラさんは手出ししないでくれ。これを自分たちの力だけで乗り切れないようでは、竜峰へ本格的に入る資格さえないだろ?」

「いざとなれば、俺とドゥラネルがおとりになって殿を務めるぜ?」


 僕は、リステアとスラットンの言葉に頷く。

 狼たちの群と竜峰での危険。どちらがより危ないかと言われれば、たしかに竜峰に入ってからの方が危険だよね。

 なにせ、これが狼ではなく魔獣や竜族だったら、気配を事前に察知する前に襲われていたかもしれないから。


「たしか、最初の村まではいくらか距離があったかな?」


 次に休める場所の位置。となり村までの距離や、かかる日数。旅程にどんな危険が潜んでいるか。

 竜峰で行き当たりばったりに行動していれば、必ず命を落とす。だから、リステアたちも必要な情報は事前に集めている。


「くっくっくっ。狼どもめ、俺の姿を恐怖とともに目に焼きつかせてやるぜ」


 焚き火を消すスラットン。

 暗闇でどうやって姿を目に焼きつかせるのさ。という突っ込みは、なしです。


「ここは俺とドゥラネルに任せて、お前らは走れ」

「スラットン、無茶はするなよ?」

「当たり前だ」


 スラットンは抜き身の長剣を片手に移動し、ドゥラネルの横に並ぶ。と同時に、他のみんなはリステアの周りに集まる。


「おらぁっ! 死にたい奴らからかかってきやがれ!!」

『愚かな狼どもめ。死をもって後悔するがいい!』


 そして同時に吠えると、闇に潜む狼の群に向かって突撃した。

 こちらの動きに反応し、狼たちが茂みを切り裂いて襲いかかってくる!

 多くの狼が、集団から逸れたスラットンとドゥラネルに群がる。

 スラットンは長剣を振り回し、ドゥラネルと共に狼たちと真っ向からぶつかった。


 スラットンの動きに呼応し、リステアが動く。

 聖剣を赤く燃え上がらせると、こちらにも迫ってくる狼たちを威嚇するようにひと薙ぎ。

 炎の壁が僕たちと狼の間に出現した。

 狼たちは赤々と燃える炎の壁に驚き、連携を乱す。

 その隙に、僕たちは駆け出した。


「全員、突っ切れ!」


 リステアの号令で、僕たは炎の壁を突破し、夜の道を走る。

 リステアが放つ呪術の炎は見かけだけで、僕たちを焼いたりはしない。

 だけど、狼からすればまぼろしだろうと炎は怖い存在だ。

 本当なら焚き火を利用したかったんだけど。火を置いて行ったら、火事になっちゃうからね。


「スラットン、先の村で会おう!」

「おおうっ。狼の肉を手土産に合流してやるよっ」


 狼の咆哮や悲鳴で騒然とするなか、勇者とその相棒が再会を誓い合い、別れる。


 今の僕たちは、この場を走り抜けるしかない。

 狼があきらめるか、僕たちが餌食えじきになるか。もしくは、安全な場所に逃げ込めるまでは。

 そして、一番近い安全地帯は、最東端の村だ。


 僕たちは走る。

 大半の狼はスラットンとドゥラネルに襲いかかったけど、こちらに狙いを定めた群もいる。

 リステアたちは襲いかかる狼を薙ぎ払い、スラットンを囮にして全力で夜の森を駆けた。


 狼たちも、獲物を逃すまいと追いすがる。

 そして、隙をみては襲いかかってくる。

 荷馬車がなんとか通れるくらいの道のすぐ脇は、鬱蒼うっそうとした暗い茂み。そこから不意に襲いかかってくる狼に少しでも遅れを見せれば、たちまち餌食になってしまう。


 全力で走りながら、周囲へ気を張り巡らせる。

 狼の牙や爪をかわし、反撃する。

 肉を斬り、骨を断つという動きは、どんな名刀を持っていたとしても体力を消耗する。

 さらに、大きな体躯たいくの狼が飛びかかってくる勢いを跳ね除けるだけでも、全力が必要だ。


 リステアはまだしも、女性陣はみるみると体力を奪われていく。

 女性陣のなかで元気なのは、竜気で身体強化をしているセリースちゃんくらいだ。

 だけど、いくら疲弊ひへいしきっても足を止めるわけにはいかない。


「頑張れ! 狼たちの体力も無限じゃない。それに、恐怖心だってあるはずだ!」

「はあっ!」


 気合いとともに、セリースちゃんが狼をまとめて三匹も吹き飛ばす。

 立ち上がれば僕の背よりも大きい立派な狼が、ぎゃんっ、という悲鳴とともに遥か遠くへ吹き飛んでいく。

 それを目撃した仲間の狼が、怯えたようにセリースちゃんから距離をとった。


 うむ。僕にも恐怖心はあります。

 セリースちゃんは怖いね!


 クリーシオを中心として、隊列の右側をリステアが受け持ち、左側はセリースちゃんが護る。

 炎と怪力に挟まれて、キーリとイネアとネイミーが走る。


 人の走る速度に合わせているせいか、巫女のキーリとイネアは移動法術の星渡ほしわたりを使用していない。代わりに、長い間合いの薙刀なぎなたで、前方をはばむように飛び出してくる狼を排除する。

 ネイミーはその小動物のような動きで器用に立ち回り、隊列に入り込んだ狼を素早く排除していた。


 事前の打ち合わせもないのに、退避中も完璧な連携です。


 ちなみに、手を出さないと言った僕だけど。狼から見れば区別なんてないので、もちろん襲われる。

 だけど、狼が僕に迫る前に撃退されていく。

 こちらへ敵意を向けて飛び跳ねようとした狼は、なぜか跳躍に失敗して地面にへばりつく。


 おお、ライラよ。

 引っ付き竜術の応用ですね。


 そして、ライラは絶対に狙われない。

 ライラ、恐ろしい子。

 気配を消したライラの存在を、狼たちは認識できていない。

 視覚的には見えているはずなのにね!






「こうして僕たちは、スラットンというとうとい犠牲を出しながらも、なんとか最東端の村にたどり着き、狼の襲撃を逃れることができたのだった」

「おい、エルネア! 勝手に俺を亡き者にするんじゃねぇっ!」


 僕たちから遅れること半日後。

 狼の毛皮をお土産にして最東端の村へたどり着いたスラットンに、僕はまた追いかけ回された。

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