マドリーヌの災難

 魔王来訪、という大混乱は時間をかけてようやく収まりを見せた。

 僕たちが普通に魔王と接する姿を見たせいかな。それとも、ちびっ子たちが陽気に触れ合っていたせいかな。少なくとも、王様が毅然きぜんとした態度で挨拶をしたからではないよね。

 ともあれ、いつまでも硬直している場合ではない。なんとか正気を取り戻した高官の人たちも、次々と魔王へ歓迎の挨拶をし始めた。


「そうか。結婚の儀のときにきちんと顔合わせをしておけば、こんなことには……。いやいや、あのときは余計な混乱とか騒ぎが起きないように、ミシェイラちゃん共々、なるべく隔離しておいた方が正解だったんだよね。魔王の正体を知っている父さんたちは別としてさ」

「そうかなぁ? 伝説の魔獣とか多種族混合でお酒を酌み交わしていたあの場での方が、混乱はなかったと思うよね」


 なんてルイララに突っ込まれながら反省をする僕。


 とはいえ、僕たちが連れて来たということで、魔王の正体が露見しても「魔族だ」と剣呑けんのんな雰囲気になることはなかった。

 それに、ヨルテニトス王国の人たちだって知っている。先の魔族大侵攻の際に、違う勢力の魔族が人族に協力してくれたことを。なにせ、飛竜騎士団がアームアード王国へと派遣されていたからね。彼らから市井しせいへと噂は広まっている。

 王様も、結婚の儀に招待するくらい僕たちと親しいのなら、ということで魔王とルイララを快く歓迎してくれた。

 そして、王様が歓迎する、と言えば忠誠心の熱い家臣の人たちはそれにならうだけです。


 というわけで、魔王陛下歓迎会なる催しが開かれることとなった。


「……して、魔族の国はどのような感じで?」

「なあに、こちらと変わりはしない。一般市民は平和に暮らし、荒くれ者どもは問題を起こす。為政者はそれに振り回されるだけだ」

「ほうほう、魔族の国でも、基本は平和なのですな」

「あくまでも、私の国では、だが」

「そうすると?」

「荒れている国は荒れている。それこそ、日毎ひごとに死体の山ができるくらいにな」


 王様は、未だ見ぬ魔族の国への関心が強いみたいで、魔王と肩を並べてお酒を酌み交わしながら、色々と質問していた。

 魔王も好戦的な態度をとることもなく、王様と談笑している。


 なんだかなぁ。こうして見ていると魔王もい支配者なんだけど……


「なんだ。私に魔族然と暴れてほしいのか。それならそうと言え」

「駄目駄目、だめーっ。暴れるのはルイルイだけにしてください!」


 僕は、魔王へと晩酌するために手にしていた酒壺さかつぼを放り出して、慌てて魔王を止める。

 魔王が魔王として暴れちゃったら、この国どころか人族の勢力圏が一夜で滅んじゃいます。

 それに、ルイララのように羽目を外されちゃうのも困りますよ。


 国の高官や貴族の人たちは、宮殿内で賑やかに過ごしている。

 でも、大きな窓から外へ視線を移すと、阿鼻叫喚あびきょうかんな世界が広がっていた。


 山です。

 竜騎士団。近衛騎士団。王国軍。

 人の山です!


 ルイララを紹介する際に、無類の剣術馬鹿と紹介したのがいけなかったのか、ならば、と腕自慢の兵士たちがルイララに挑んじゃったんだ。

 ルイララは高位の魔族だけど、魔法を使うことを嫌う。それで剣術の腕を磨くことにのめり込んでいるんだけどさ。

 純粋な剣術勝負なら魔族に勝てるかもしれない、と僅かな希望を持って挑んでいった人たちの、精も根も尽きた絶望の山が宮殿の中庭には出来上がっていた。


「死人は出ていないですよね……?」

「大丈夫だろう。あれは手加減のできる奴だ。久々に、思う存分に剣を振るえて楽しんでいるが、加減はできている」

「僕のときには、殺す気満々で向かってくるのに……」

「そうしなければ、其方の相手を務められぬ、というあれなりの評価だと思って素直に喜んでおくことだな」

「ほうほう。エルネア君は、あのルイルイ殿に剣術勝負でも勝るのか。儂ももっと若く、健康であればな」

「陛下、無茶をしてはいけませんわ」


 僕と一緒に王様と魔王の相手をしていたライラが、心配そうに寄り添う。

 王様はライラに心配されたことが嬉しいのか、顔をほころばせてお酒を飲む。


 ミストラルたちも、王宮内でなごやかに過ごしていた。

 しかし、華やかな場には相応しくない人物の登場で、それも終わりを迎える。


「エルネア君!」

「マ、マドリーヌ様。これは後でも……」

「いいえ。ルイセイネ、なにを言っているの。これは緊急事態なのですよ」


 いやいや、絶対に違いますよね?

 華やかな場所に乱入したかっただけですよね! なんて突っ込みをぐっと抑えて、闖入者ちんにゅうしゃを迎える。


 ずしずしっ、と聖職者らしからぬ下品な足音がしそうな足取りで入室してきたのは、紛れもなく巫女頭みこがしらのマドリーヌ様。そして、暴走気味のマドリーヌ様を引き留めようとするルイセイネだった。


「巫女頭様、どうなされた?」

「これは陛下。ご機嫌麗しゅう」


 止めようとするルイセイネを引きずり、大股でこちらへと来たマドリーヌ様は、王様に軽く会釈する。

 そして、困った表情で僕に向き直る。


「エルネア君、見てください。錫杖しゃくじょうの宝玉がっ」

「ほほう、割れかけているな」

「あっ、なにをするのです!?」


 すると、魔王がすうっと手を伸ばして、マドリーヌ様から錫杖を奪い取る。


 神職に身を置く者は、華やかな表舞台には出席できない。それで、戦巫女みこがしらのルイセイネだけは宴会に参加していなかったんだけど。

 どうやら、ヨルテニトス王国の大神殿へと礼拝に行ったんだろうね。そしてそこで、マドリーヌ様に捕まってしまったんだ。

 とはいえ、小さな問題程度で、巫女頭のマドリーヌ様が華やかな場所にわざわざ乱入してくるとは思えない。


 いったい、錫杖の宝玉がどうしたのかな?

 魔王は割れかけていると言っていたけど、と魔族の支配者に奪われてしまった錫杖に視線を移す。


 立派な大錫杖だった。

 ルイセイネも儀式用の物を持っているけど、それとは比べようもないくらい。

 人の背丈ほどの長いつかの先に、満月をした装飾が施された錫杖。

 錫杖というよりも、儀仗ぎじょうかな?

 鈴の代わりに、音の鳴りそうな金属や装飾がいっぱい施されている。そして、つつましやかな聖職者には相応しくない宝石や宝玉も組み込まれた絢爛豪華けんらんごうかな杖だ。


 そのきらびやかな錫杖の、満月の形に模された先端部分の中心には、拳大ほどの大きな宝玉がはめ込まれていた。

 黄緑色に輝く宝玉は透明度が高く、向こうが透けて見える。だけど、その美しい宝玉の中心に、大きな亀裂が走っていた。


「これは、ヨルテニトス王国に代々伝わる大切な錫杖なのです。巫女頭の証なのですよ、返しなさいっ」


 奪われた錫杖を取り返そうと、魔王に組みかかるマドリーヌ様。

 だけど、魔王に敵うわけがありません。なにをしたのか僕たちにもわからないまま、マドリーヌ様は大理石の床に転ばされてしまった。


「ぐぬぬ。巫女頭にこのような仕打ち。女神様の天罰が下りますよっ」

「ほほう、それは楽しみだ。気長に待つとしようか」


 くつくつと愉快そうに笑う魔王。

 それもそのはず。

 魔王は、人族どころか神殿宗教の信者でもないんだからね。


「いや、その思考には語弊がある。私の国でも、巫女どもは手厚く保護されている」

「そうなんですか!?」

「考えてもみろ。魔族が支配する国とはいえ、人口は魔族よりも奴隷の人族の方が遥かに多い。その人族が信仰する宗教をないがしろにして反乱を起こされては面倒だ」

「聖職者は魔族の国でも護られているんですね」

「とはいえ、周りは魔族だからな。こちらのように無防備に街を歩いていて襲われない、という保証はない」

「それって、保護されてるって言うのかな……」

「少なくとも、神殿の建立を認めたり侵入することは禁止している。奴隷たちの、日々の礼拝も認めているのだ」


 なるほど。国によって扱いの誤差はあるけど、神殿宗教は魔族にも認められているんだね。なんて思っている場合ではありません!


 マドリーヌ様は、どうにかして錫杖を奪い返そうと、床に転ばされたあとも魔王に挑みかかっていた。そして、そのたびに転がされる。


「きいいっ、なんだって言うのよ!」

「マ、マドリーヌ様、落ち着いてっ。この人は巨人の魔王だから、手を挙げると大変なことになっちゃうんですよっ」

「いや、それならもう遅いと思うが?」

「あぁん。魔王様、マドリーヌ様を許してっ」


 僕とライラとルイセイネに取り押さえられて、マドリーヌ様はどうにか落ち着きを取り戻す。

 そして、繁々しげしげと魔王を見た。


「魔王陛下、錫杖をお返しください」

「……断る」

「きぃっ!」


 そして、また暴れ出す。


「高貴な人で遊ばないでっ」

「くくくっ。其方の周りには愉快な者が多いな」


 心底愉快そうに笑う魔王。


 なんの騒ぎだ、と外で腕試しをしていた近衛の人たちや、慌てて駆けつけた聖職者の人たちは、僕たちの周りで右往左往していた。

 暴れている人物がこの国の最高位の巫女様だし、相手は魔王だし、ということで、安易に手が出せないみたい。

 ミストラルは、大事ない、と思って静観しているし、ユフィーリアとニーナは「もっとやれ」とはやし立てていた。

 魔王の隣に座る王様も、困ったものだと苦笑するばかり。

 魔王にとって、この状況は面白おかしくて仕方がないんだね。


 とはいえ、大切な錫杖みたいだし、返してあげてください。


 僕の思考を読んだのか、ふむ、と魔王はもう一度錫杖の割れかけた宝玉を見た。

 そして、躊躇ためらいなく宝玉へと指先を伸ばす。


 ばりんっ


「あっ!」

「ああぁぁぁっっっ!」

「あーっ!」


 誰もが叫んだ。

 悲鳴をあげた。

 駆けつけていた巫女様や神官様たちは、顔面蒼白になってひっくり返った。


「な、ななな、なななななななな……なんてことをっ!?」


 珍しく、マドリーヌ様も目を白黒とさせて動転していた。


「いや、なに。割れかけておったのでな。いさぎよく割ってやったまでだ。感謝しろ」

「いやいやいや、どこをどう解釈したら感謝するようなことになるんですかっ!?」


 あまりのことに、僕も突っ込まずにはいられない。

 だけど、魔王は予想外のことを口にした。


「わかっておらぬようだから、教えておいてやる。これはよろしくない宝玉だ。このまま自壊を待っていたら、無駄に騒ぎが起きるところだったのだぞ?」

「いいえ、もう無駄に騒動が起こってますよっ」


 なんで割っちゃうかな?

 よろしくない宝玉の意味がわからないけど、それでも勝手に割ったら聖職者の人たちが困っちゃうよね。

 マドリーヌ様は、代々受け継がれてきた錫杖と言っていた。その錫杖のひと際目につく宝玉は、最も大切な物じゃなかったのかな。それを問答無用で割るなんてさ……


「古い伝えに、一玉二乱いちぎょくにらん、という言葉がある」


 魔王は、砕け散った宝玉の破片に目をやりながら言う。


「ひとつ。貴重な宝玉は、その価値故に所有権を掛けた争いが起きる。ふたつ、高純度の宝玉は、その力を失う際に反動としてわざわいを招く」

「災い……?」


 どういうことだろう?

 最初のいわれはわかる。貴重な宝玉なら、売買価格も高騰するよね。お金に目がくらんだり、宝玉の性能を欲した人たちが奪い合うことでの争いは、たしかに起きるかもしれない。

 でも、二つ目の災いとはどういうことなのか。誰もが不思議そうに魔王を見ていた。


「エルネアよ、問題だ。そもそも、宝玉にはどのような種類がある?」

「えっ、種類? ええっと……。呪力じゅりょくを帯びているとか、魔力が込められている違い?」


 魔王の問題に、首を傾げる僕。だけど、「違う」と錫杖の先で頭を叩かれた。


「そうではない。込められた力ではなく、元となる媒体ばいたいのことだ」

「ああ、なるほど!」


 ずきん、ずきんっ、と痛む頭をライラにさすってもらいながら、答えを考える。


「ええっと、普通は鉱石こうせきですよね? 水晶とか、宝石とか。たしか、高性能の呪力剣じゅりょくけんなんかに使われているような鉱石は『魔石ませき』と呼ばれているんでしたっけ?」


 ひと口に『鉱石』と言っても、魔王が問題にしたように色々な媒体がある。

 水晶や宝石なんかは他の媒体よりも手軽に入手することができるけど、性能は良くない。

 呪力や魔力が乗りにくかったり、付与できる力もごく僅かになっちゃうらしい。

 そうした装飾系の鉱石とは違い、ごくまれに出土する『魔石』は宝玉としての純度が高いんだって。


 魔石も、鉱山などで採掘される。

 人によっては「大地だいち結晶けっしょう」となんて言ったりもするね。

 ただし、出土される量は本当にごく僅かで、とても貴重な品だ。

 そして、魔石は他の鉱石に比べて力を込めやすく、付与できる力も大きくなる。


「魔石って、出土したときには水晶よりももっと透明なんですよね?」

「そうだ。込める力によって属性が変化し、色が変わる」


 水晶や宝石は、込められる力が少ないせいか、変色まではしない。なので、呪力剣などにはめ込まれている宝玉は、属性を付与され、変色した魔石というのが大半だ。


「術者は水晶なんかで練習して、集大成で魔石へと力を込めるんですよね?」

「そうだな。であるから普通ならば量産は出来ぬし、高価になる。だが、問題の答えから逸脱いつだつしている。私は媒体を聞いたのだぞ?」

「そうでした……。水晶や宝石や魔石。それ以外の媒体は……」


 知ってます。だけど、口には出来ません。

 本当に貴重で、広まって良いような物じゃないからね。


 僕の白剣や、家族のみんなが身につけている御守りに使われている媒体。それは、霊樹の宝玉と呼ばれる、霊樹の種だ。

 魔石なんかよりも遥かに高純度で力を溜め込むことができる、貴重なもの。

 だってさ。普通なら術者が一生をかけて溜め込まなきゃいけないような力、ううん、それ以上の力を、短期間で込められちゃうんだ。

 術者が知ったら、喉から手が出るほど欲しいと思っちゃうよね。

 それこそ、ひと波乱どころか大変な騒動になっちゃう。


 それで、さ。

 他に媒体ってあるっけ? と思考を巡らせてみる。


「ええっと、泉から取れる玉?」


 魔石とはまた違った、貴重な品。

 古くてけがれのない泉からは、魔石以上の玉石ぎょくせきが取れるのだとか。でも、これはおとぎ話のたぐいだよね。


「他には?」

「ええっと……」


 まだあるのかな?

 考えてみるけど、これ以上は思いつかなかった。


「まだ、知識が浅い。もっと頭を柔軟じゅうなんに働かせるのだな。ほれ、水晶や宝石といった鉱石よりも、もっと手軽に手に入るものがあるだろう?」

「ええっ、もっと手軽に?」


 考えましょう。

 知恵を絞りましょう。

 力を込められる媒体。

 手軽に手に入る。だけど、一見するとそれが宝玉となり得るなんて思いつかないような物……?


「ま、まさか……」

「その、まさかだな」

「っ!?」


 僕の思考を読んだ魔王が、にやりと笑みを浮かべた。

 魔王の出題した問題の答えがわからなかった人たちが、僕へと視線を投げかける。


魔晶石ましょうせきも、宝玉としての価値があるの?」


 そう。鉱石よりも身近に出回っているのに、それ自体が宝玉という認識のないもの。

 それって、魔物を倒したときに取れる魔晶石だよね?


 僕が口にした答えに、誰もが驚いていた。


「たしかに、魔晶石も鉱石っぽいけど……?」

「一度利用してしまうと、砕けて石屑いしくずになる、と? 愚か者め。そなた自身が先ほど思考していたではないか。安易に手に入るものほど込められる力は少ない、とな」

「ということは、魔晶石は込められている力が弱いから、使い捨て程度のものしかないってこと?」

「使い捨て程度だからこそ、災いがない、とも言う」


 そういえば、もとは災いの話だったね。

 首を傾げて可愛らしく「どういうことです?」と更に質問をしたら、また錫杖で頭を叩かれちゃった。

 大切な錫杖をそんな風に雑に扱わないでください。というか、頭を叩かないで!

 禿げちゃう。


「考えてみるのだな。魔物は人を襲い、災いを呼ぶ。その核が魔晶石なのだ。けがれていて当然であろう?」

「い、言われてみれば……」


 容易に手に入り、利用価値が高いから誰もが気軽に使っているけど。たしかに、魔王が言うように根本を考えちゃうと、それは「清浄せいじょう」な物ではないよね。


「でも、魔王が砕いた宝玉は……?」

「魔晶石だな」

「えええっっっ!!」


 僕たちの会話に耳を傾けていた全員が悲鳴をあげた。


「で、でもですね。これは神殿宗教が代々大切に受け継いできた……」

「長い年月、力を失わなかったから魔晶石ではない、と? それこそ浅はかな考えだな。そこいらの魔晶石ならば、発動させてしまえばすぐに力を放出してしまい、石屑になる。だが、どうだ。そこいら程度の魔物ではなく、それこそ猩猩しょうじょう千手せんじゅ蜘蛛くもと同格の魔物から取れた魔晶石であれば、発動後どれほど力を維持できるか」

「なっ……!」


 絶句するしかない。

 伝説級の魔獣と同格に並べられる魔物だって!?

 そして、その魔物からもしも魔晶石を得ることができたのなら……


「まあ、このつえめ込まれていた魔晶石はそこまでではないがな。だが、世の中にはたしかに存在するのだ。金剛こんごう霧雨きりさめ、と呼ばれる魔物がいる。そ奴から得られる魔晶石は、数百年単位で都市を結界に包み込み、外敵から守れるほどだ」


 なんだか、硬い魔物なのか、流体のような魔物なのかわからない名前だね。


「存在自体はどうでも良い。要は、そういった高位の魔物から取れる魔晶石の話だ。言ったであろう。もとは魔物の核なのだから、穢れていると」

「それじゃあ、その魔晶石が数百年経って力を失うと……?」

「正確には、失うとき、だな。これは光を放ったまま砕けそうではあったが。更に純度の高いものであったのなら、次第に黒ずみ、溜め込まれていた穢れを放ち出す。最初に言った二つ目の災いとは、このことを指す。これも、然程さほどの宝玉ではないにしても、放置していれば少なからず災いを引き起こしていただろう」


 これ、とは魔王が砕いてしまった錫杖の宝玉だ。

 砕け散った破片は、魔王の足もとで徐々に輝きと透明度を失い、石の塊へと変わっていった。


「砕き方にも手順がある。無闇に砕けば、それこそ穢れが無駄に散って取り返しがつかぬことになる。私に感謝するのだな」


 簡単に砕いたように見えて、実は細心の注意が払われていたんだね。

 でもやっぱり、事前の説明なしで砕くのはどうかと……


 素直に感謝すべきなのか。それとも、ひと言文句を言うべきなのか。

 いや、文句を言う権利を持っているのは、聖職者の人たちやマドリーヌ様だよね。


 僕とルイセイネとライラに押さえられていたマドリーヌ様は、会話を聞いて複雑な表情を見せていた。


「ところでさ。僕たちは思いがけず意外な事実を知ってしまったね。まさか、魔晶石にはこんな一面があったなんてさ」

其方そなたら以外の人族には無用な知識だったかもしれんな。混乱を招くというのなら、箝口令かんこうれいでも敷いておくことだ」


 魔王は、隣に座る王様を見た。


 魔晶石の負の一面。

 普段使いできる魔晶石は心配する必要もないんだけど、人って無駄に心配性な人や騒ぎ立てる迷惑な人がいるからね。必要以上の知識が広まって、人の社会に混乱を招いちゃうかもしれない。

 王様は思慮深く頷くと、この場でのやり取りは他言無用と勅命ちょくめいを下した。

 聖職者は本来、王様の命令に従う義務はない。だけど、マドリーヌ様も含めて全員が王様の箝口令を素直に受け止めていた。


「ふうう。マドリーヌ様の乱入から変な話に発展しちゃったけど、これで一件落着だね」


 と、ため息を吐いたら、マドリーヌ様が抗議の声をあげた。


「なにを言ってるのですか。大切な錫杖の宝玉が砕かれたのですよ。ただ事じゃありませんっ!」

「そうでした!」


 問題は解決していませんでした。

 むしろ、深刻になっちゃった!


 どうしましょう、と痛む頭を抱えていたら、更なる問題が飛び込んできた。


「へ、陛下、申し上げます。王妃様が……!」


 どうやら、宝玉の穢れは既に災いを招き寄せていたらしい。

 駆け込んできた近衛兵の報告に、傍のライラが震え上がったのはこの直後だった。

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