深淵の貴公子

「奇跡だ」


 誰かが言った。

 僕がなにをしたのか、正確には把握できていないはず。

 一刻いっときを争う状態だったので、強引気味に治療を進めたんだ。だから、巫女様がどうやって命を取り留め、現状がどうなっているか理解していないはずなのに。

 苦悶の表情が消え、弱々しくても安らかになった巫女様の表情と息遣いを見て、住民たちが喜びで騒ぎだす。

 神官様も、奇跡だ奇跡だ、と何度も呟きながら巫女様を抱きしめた。


 鼻水万能薬は、原産がなにかを別にすれば、絶対的な信頼を寄せることができる回復薬だ。たとえ受けた傷が致命的なものであっても、命さえ取り留めていれば救うことができる。

 それは、ルイセイネやライラ、そしてレヴァリアが生き証人として僕に示していた。

 だから、これは奇跡なんかじゃない。

 致命の傷を負っても耐え抜いた巫女様の生命力が凄いんだ。たまたまライラが現場を発見し、僕が死霊を退けることができた。そして偶然にも秘薬を所持していた。

 奇跡は女神様からたまわるもので、巫女や聖女でもない僕が起こせるようなものじゃないですよ。


 信神深いとは言えない僕の行いに奇跡だなんて、それこそレヴァリアが言うように分不相応です。

 ああ、違うか。勘違い。

 こんな僕が奇跡を起こしたんじゃなくて、清く正しい巫女様自身が奇跡を引き寄せたんだろうね。

 周囲の賞賛や感極まったような祈りは僕へと向けられたものではなく、巫女様や女神様に向けられたものだ。


 ……そう思っていないと、周囲の熱い視線に耐え切れません!


 ヨルテニトス王国での事件で痛感したことがある。

 僕は、地位も名声もお金も要らない。

 リステアと出会い、勇者というものに強くあこがれた。彼のように力を持ち、誰からも愛され賞賛される人生を夢見た。

 だけど、小市民の僕にはそういったものは分不相応。何度でも言う。身の丈にあった評価じゃないんだ。

 僕はもう、竜剣舞という素晴らしい技を手に入れた。ミストラルたちと結ばれ、素敵な仲間たちと出逢えた。

 それだけで、お腹いっぱいです!

 もう望むものはない。

 貴族になりたいとは思わないし、大金持ちになりたいとも思わない。権力なんて必要ない。今この手に掴んでいるものだけで、幸せいっぱいです。

 これからの僕は、手にした大切なものを守ることができればいい。それ以上を望むのは欲深いことなのかもしれない。


 今でも、リステアは尊敬できて素敵で格好良いと思う。

 だけど彼はもう、僕の目指すべき道の先に立つ憧れではない。


 そんなわけで、周囲の人たちから遠慮なく浴びせられる賛美の視線に、僕の精神は耐え切れそうにもなかった。


 こうなったら、奥の手を使うしかない!!


「みなさん、どうしてこんな場所で魔族に襲われていたんですか?」


 必殺、話題逸らし!

 かねてからの疑問であり、僕へ向けられる注目を逸らす、絶好の話題。

 こちらの腹黒な思惑なんて疑っていない住民たちは、そうなんだ、そうだった、と騒ぎだした。


「実は、私どもが避難していました小神殿が魔族の襲撃にあいまして。大神殿へと逃げる途中だったのです。ですが、ここで先ほどの集団に襲われて。少数であれば戦巫女いくさみこの妻のリセーネが対処できるのですが……」


 なるほど。

 有事の際、王都の住民が避難する場所のひとつに、神殿がある。

 神殿宗教の神殿は、なにも王都の大通りに面した大神殿だけではない。

 レヴァリアの翼にかかればひとっ飛びの広さしかない王都だけど、地上をてくてくと歩けばそれなりの規模になる。そんななかで、王都中の住民が大神殿に行けるわけもなく。

 お年寄りや忙しい人。信仰熱く毎日参礼をする人々のために、各地に小神殿が建立されていた。

 そして、小神殿はその性質から周辺住民の心の拠り所であり、緊急時の避難所になる施設なんだ。


 とはいっても、小神殿だからといって特別な防御設備があるわけではない。

 大神殿でもそうだけど、結界なんて常時張り巡らせることなんてできやしない。法術にしろ呪術にしろ、結界を発動させるためには、術者が術を唱え続けなきゃいけないからね。

 双子王女様が所有する霊樹の宝玉のように、力を溜め込んでおいて任意の場合にのみ発動させられるような都合の良い道具は、実は存在しないんだ。


 更に、小神殿は目立つ。周囲の建物とは異質だから。

 そして、魔族の国にも神殿はある。つまり、その建物がなにを意味するのか、魔族は知っているんだ。


 避難をしても、結界がなければ。いいや、巫女様が居たんだから結界は張ってあったかもしれない。だけど、明確に存在を疑われて捜索をされると、他の避難所よりも簡単に見つかってしまう。

 否、見つかってしまった。


 見つかってしまえば、もう避難所の役目は果たせない。

 元々が空を飛ぶ飛竜から身を隠すということを第一条件に造られた避難所だ。飛んでいる飛竜がわざわざ地上に降りて地下の避難所を掘り起こすことはないだろう、という前提から成っている。

 だけど、魔族は違う。最初から地上を跋扈ばっこし、人族が隠れていると知れば必ず襲ってくる。


 小神殿という、認知され目立つ建物があだとなった。

 小神殿に避難したこの人たちは魔族に見つかり、逃げ出したんだ。そして、逃げる先は大神殿しかない。

 近場の避難所へは行けない。移動中や収容中に魔族に見つかれば、最初に避難していた人たちにまで危険が及ぶ可能性がある。

 だから、遠くても大神殿を目指すしかなかったんだね。


 大神殿は、今でも結界を発動させ続けている。大奏上による強力な結界は空に向かって光の柱を創りあげ、内包する多くの住民を護り続けていた。


「私は神官戦士ではなくて。妻だけが唯一の頼みの綱だったんです。それが、ここで襲われて……。本当に助かりました」


 深々と頭を下げる神官様に、助かってよかったですねと笑顔になる。

 この巫女様は夫の神官様だけでなく、住民たちにも深くしたわれているのがよくわかる。

 腹部の傷に全員で一喜一憂いっきいちゆうし、今では魔族の襲撃なんて忘れたかのように、みんなで肩を寄せ合い喜び合っている。

 たぶん、この巫女様の指示だったからこそ素早く避難所を退避し、移動できたんだろうね。


 改めて見た巫女様は、意識を失った状態だったけど、それでも清さと正しさを失ってはいないようだった。


「それで、これからどうするのかな?」


 こちらがいち段落したことを読み取ったように声をかけてきたのはルイララだった。


 君も降りてきていたんだね。


 見た目は貴族の好青年風の、魔族のルイララ。中身はどうであれ、彼が人間風の容姿でよかったよ。

 ルイララが魔族然とした容姿だったら、住民たちにまた恐怖が舞い降りるところだった。

 一番はルイララがここに居ないことが望ましいけど、居るなら仕方がない。このまま大人しくしていてほしいものです。


 と思ってる矢先から。

 この場に長居しすぎたのか、路地裏から死霊が新たにわらわらと現れ始めた。

 一度は周囲の死霊を全滅させたけど。戦いの気配を感じ取ったのか、別の場所から死霊たちが集まりだしたんだ!

 亡霊や首なし騎士の恐ろしい姿に、住民たちの間に怯えが広がる。


 こうなれば再び死霊を滅し、早く移動しなきゃいけない。

 そう思って立ち上がろうとしたら、近くの子供が僕の服のすそを掴んでいた。若い女性が悲鳴をあげて僕に抱きついてくる。


 こ、困った!

 応戦しようにも、住民たちは怯えからくる本能で僕を捕まえて、身動きが取れない。


 そうこうしているうちにも、死霊が迫る。

 だけどあろうことか、一体の死霊騎士がルイララに斬りかかった。


「いいねぇ。好戦的な奴は嫌いじゃないよ」


 にやりと不気味に表情を崩すルイララ。そして、腰の魔剣を抜き放つ。

 防御には定評のある死霊騎士。だけど、ルイララの剣術の前では雑魚ざこでしかなかった。

 防御しかできないようでは、ルイララの相手にはなならない。何度か剣と盾とをぶつけ合った後。ルイララの連続した鋭い斬撃の前に、死霊騎士は倒れた。


 僕だって、防御一辺倒でルイララと勝負をしようとは思わない。なんだかんだと言いつつもルイララは超一流の剣術使いで、弱点が明確な相手では通用しないんだ。


 死霊騎士を葬ったルイララは、つまらなそうにため息を吐く。

 なぜか、表情が怖い。


「全く、嫌だね。僕の剣は雑魚用じゃないんだ。勝負を仕掛けておいて、この程度とはね」


 ぞくり。

 これまでルイララが一度として見せたことのない、暗く深い気配を感じ取る。

 湖の底から巨大な未確認生物が浮き上がり、水面の獲物を狙うような重く圧迫感のある不気味な殺気。


 咄嗟に、アレスちゃんが結界を張った。

 もしもアレスちゃんが機転を利かせていなければ、ルイララの放った殺気だけで住民たちは死んでいたかもしれない。それほどに深く恐ろしい殺気を放つルイララを、僕は初めて見た。


 湖の奥で鈍く光る宝石のような瞳で、死霊を睨むルイララ。それだけで死霊が恐怖におののき、消滅していく。

 死の象徴であるかのような死霊たちが恐怖しもだえ苦しみながら消滅していくさまは、まさに地獄のような風景だった。


 全身が嫌な汗でびっしょりと濡れていた。

 思い知らされた。


 ルイララは巨人の魔王の側近であり、始祖族の親を持つ子爵位の上級魔族。

 始祖族がどれほどの力を持つのか、正確には知らない。だけど、魔王よりも上位の存在が、彼らが自由勝手に動くことを嫌い、何不自由なく生活できる環境を与えて封じるような存在。その血を受け継ぐ嫡子ちゃくし

 そして、魔王のなかでもひと際の存在感を放っていると思われる巨人の魔王のお気に入り。そのルイララが、ただの上級魔族であるはずがない。

 魔将軍さえも足もとに及ばない。下手をすると、魔王級の力を隠し持っているのかもしれない。


 剣術馬鹿?

 違う。そうじゃない。あまりにも桁違いなその能力のせいで、自らを縛らないと相手が居ないんだ。

 魔王級の相手は、魔王級の力を持った者しか対応できない。だけど、そんな力がぶつかり合えば、双方ともだけではなく、周囲も甚大な被害を受けてしまう。

 だから自らを縛り、封じ、下等の相手に合わせて戦っていたんだ。


 圧倒的な魔力。放出する殺気だけで、並みの魔族は死んでしまう。魔族でそうなんだ。人族の僕らなんて、手も足も出す前に滅んでしまう。


 剣術勝負では、互角以上に戦えると自負していた。でも違う。剣術勝負だからこそ互角でありえたんだ。

 ルイララの恐ろしさを知って、世界の広さを知る。

 僕なんて、まだまだだね。

 こんな僕は、やっぱり奇跡なんて起こせるはずがない。


 呆然と見つめる先で、ルイララは放つ殺気だけで死霊を全滅させた。


「やれやれ。つまらないことをさせないでおくれよ」


 言ってルイララは、直前までの恐ろしい気配を引っ込めて、やわらかな笑みを僕へと向けた。


「ルイララ……。ありがとう」

「気持ち悪いなぁ。エルネア君にお礼を言われると、魂が削り取られちゃう気分がするよ」

「ありがとう!」

「いや、だから削ろうとしないでよね?」

「ありがとう、感謝しているよ!」

「くうう、君はやっぱり陛下よりも極悪だよ」


 感謝している気持ちは本物だよ。やり方は横暴だったけど、身動きの取れなかった僕に代わって死霊を殲滅してくれたことには変わりない。

 だからお礼を言う。ルイララの魂が削れようとも、消滅しようともお礼を言うよ!


 僕がお礼の言葉を繰り返すたびに、わざとらしく悶絶もんぜつするルイララが面白かったのか、恐怖で固まっていた住民のなかで子供たちが笑い出した。


 子供の笑いは救いを呼ぶ。

 大人たちも釣られるように緊張を緩めていき、場がなごみ始めた。


 恐ろしい殺気と地獄の風景だったけど、ルイララの見た目が好青年風で本当に助かったよ。

 幸いなことに、彼が魔族だとはまだ気づかれていない。人族は、種族を見極められる能力がないからね。そしてまさか、魔族に襲撃されているのに、味方にも魔族がいるなんて想像できないだろうしね。


 子供たちも僕に合わせてお礼を言いだすと、さすがのルイララも苦笑するしかなかった。


「さあ、和んでいる暇はないよ。二度目はないからね?」

「うん。今のうちに急いで移動したほうが良いね」


 とは言ったものの、どうすべきか迷う。

 この住民たちのことを考えれば、僕とルイララが護衛をしながら大神殿まで向かうのが最も望ましい。

 だけど、全体を考えると……

 西の砦は、多分破られた。

 レヴァリアとライラが急行してくれたけど、どういう状況かわからない。

 西の砦から魔族軍が溢れるように王都内へと侵入してきている状況なら、一刻も早く対応しないと手遅れになってしまう。

 だけど、この人たちをこのまま見捨てて去ることなんてできない。


 まさかの選択。

 ルイララに頼んで、二手に分かれる?

 どちらかが西の砦へと向かい、もう片方がこの人たちを護衛しながら大神殿を目指す。


 ルイララは、僕のお願いを聞いてくれるだろうか。素直に動いてくれるだろうか。


 悩むこと数瞬。


 僕は、自分自身が奇跡の体現者なんて思わないし、奇跡を呼び込むような人徳のある輝かしい人族でもないと自覚している。


 だけど、やっぱり人族なんだ。

 希望はいつだって無くさない。


 この困った状況も、きっと乗り越えられる。

 僕の想いが通じたのか。

 西方から、懐かしい気配を感じた。

 西を見る僕。つられてみんなも西へと視線を向ける。


 土埃つちぼこりを舞い上げて、それは猛然もうぜんと走って来た。


『くわっ。魔族の気配だ!』

『魔族ごとき、我らの敵ではない』

『突撃ー!』


 集団で現れた者たち。

 それは、にわとり


 ではなくて、鶏竜にわとりりゅうむれだった。


 残像を残しそうな勢いで突進してくる鶏竜たち。


『滅べ、魔族めっ!』


 そして、先頭を走っていたかしらの鶏竜が、必殺の体当たりをすべく跳ねる。


「ぐふっ」


 猛烈な勢いで突っ込んだ先は、ルイララの腹部だった。


「あああ、その人は味方だよっ!」


 僕の叫びは空を切る。

 かしらに遅れて跳ねた鶏竜たちが、次々にルイララへと体当たりをする。


「くっ。なんて仕打ち」


 ルイララは、鶏竜の猛攻に沈んだ。

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