破壊と希望の竜族たち

 面白いことが起きた。


 巨大な城塞の上空を飛ぶ、一体の飛竜。

 東から西へと向かって飛んでいた茶色い鱗の飛竜が、唐突とうとつに空から消える。と思ったら、北の空へ。

 だけど、飛竜は自身が瞬間移動したことも間違った方角に飛んでいることにも気づいていない。

 じっと観察していると、飛竜は城塞を通り過ぎたあたりでようやく自分の身に降りかかった異変に気づき、驚いたように背後を振り返った。


「ふむふむ。迷いの術って、あんな風に迷うんですね?」


 森の奥とかだと、見渡す限りが深い草木で、自分がどんな感じで迷っているのかわからない。

 でも、ああして空を飛ぶ飛竜が迷っている様子を見ると、迷いの術がどういったものなのか客観的に理解できるね。


 茶色い鱗の飛竜以外にも、巨大な城塞の上空を飛ぶ飛竜たちが空で迷子になっていた。


『な、なんだ!?』

方向音痴ほうこうおんちになっちまった?』


 地上から見ていた僕たちは、つい笑ってしまう。

 飛竜たちも、空で迷子になる自分や仲間が可笑しいのか、自ら城塞の上空に入って、迷う。

 そして、ただ迷うだけでは収まらないのが、竜族だ。


『面白い。我らを惑わすとは、痛快つうかいだ』

『礼というわけではないが、迷った先に見えた邪魔者は、我らが排除しよう』


 こうして、大迷宮の術を切っ掛けとして、飛竜たちが本格的に参戦してきた。

 すると、黙っていないのが地竜たちだ。


『飛竜どもだけに、良い顔をさせるな』

『負けてなるものか!』


 城塞の各所に数多く点在する中庭を区切るのは、楼閣やとりでを結ぶ回廊や城壁だ。もちろん、城塞の回廊などには堅牢な壁や屋根があり、中庭を物理的に区切っている。

 だけど、地竜や巨人族のように身体の大きな者も不自由なく中庭を移動できるように、回廊などには大きな門扉もんぴが備えられていた。

 地竜たちが、待機していた中庭から出て門をくぐる。すると、隣の中庭には姿を見せずに、全然違う場所に出現した。


 空と同じく、地上にも迷いの術はかかっている。それを利用して、地竜たちが迷子を楽しみながら、魔物や妖魔を蹴散らし始めた。


 竜族の参戦に、妖魔に苦戦していた者たちから歓喜の声があがる。

 一体や二体といった少数の妖魔なら、手練れの者たちで十分に対処できる。でも、次から次に溢れ出す妖魔や魔物に少しでも苦戦して倒すのが遅れると、同時に襲ってくる相手が多くなりすぎて、歴戦の戦士であっても、じりじりと後退せざるをえない状況に陥ってしまう。

 そこに、圧倒的な力を持つ竜族が参戦したことで、状況は改善し始めた。


「お? おおっ!? おおおおっっ!」


 すると、僕たちがいる中庭の先にある門から、先ほど出発したはずのルドリアードさんたちが戻ってきた。

 巫女様や冒険者の人たちと共に。


「ルドリアードさん、お帰りなさい」

「あ、あああ。ただいま……?」


 帰還したものの、困惑気味のルドリアードさんたちを見て、僕たちはまた笑ってしまった。


「いやあ、変なんだよ。神官から聞いていた場所はもっと遠いと思っていたんだけどなあ? あっという間にたどり着いて、しかも、救助した者たちと一緒に撤退したら、もう帰り着いちまった」


 大迷宮の術は、竜の森に匹敵する。

 まねかざる者は、永遠に迷い続ける。逆に、目的を持つ者、善意の者は、労せずして目指すべき地に辿り着く。


「プリシアちゃん、よくできました!」

「んんっと、プリシアも活躍できたよ!」


 僕に褒められて、きゃっきゃと喜ぶプリシアちゃん。

 見守るユーリィおばあちゃんたちも、プリシアちゃんが発案した作戦の手助けができて、満足そうに微笑んでいた。


「これで、少しは状況が改善できるでしょうか」


 僕と一緒に大迷宮の術の効果を実感していたマドリーヌ様が、胸を撫で下ろしたかのように小さく吐息を漏らす。


「マドリーヌ様、ごめんなさい。もう一度、お話を聞いても良いですか?」

「はい。それでは、これまでの状況からお話しいたしますね」


 色々と重なって後回しになってしまったけど、そろそろ僕はマドリーヌ様の話を真剣に聞かなきゃいけない。

 マドリーヌ様は、救護班を取り纏める者として、後方部隊の状況を話す。


「実は、ご相談があります。秘薬の使用条件を、緩和していただけないかと」


 スレイグスタ老謹製の鼻水万能薬は、量に限りがある。なので、無闇に使用しないように、条件をつけていた。

 ひとつは、命に関わる重傷を負った者に使用すること。もうひとつは、救護に向かった先で窮地きゅうちを回避するため、例えば、負傷した者を秘薬で癒し、その者が戦線に復帰すれば状況が打開できるなど、止むに止まれぬ事情がある場合。それ以外は、秘薬の使用を控えるようにお願いしていた。

 マドリーヌ様は、そうした使用条件を緩和してほしいと、相談しに来たんだね。


「巫女の数が、想定よりも不足しています。いえ、エルネア君の作戦見積もりが駄目だったというわけではございませんよ? ただ、巫女たちが緊張のあまり、無駄に法力を消費してしまっているようで……」


 ここに集まってくれた聖職者の方々は、アームアード王国国内とヨルテニトス王国国内の各神殿から集まってくれた人たちだ。

 その聖職者の方々は、先の魔族大侵攻を経験しているせいか、戦場に気後れする、という者は少ない。

 だけど周囲には、前回は敵として対峙した魔族や、伝え聞くだけだった神族や天族、それに威圧感たっぷりの巨人族や、見るからに恐ろしい竜族がいる。

 そういう状況下で、普段通りに活動する、というのは思った以上に難しいよね。

 それで、法術を使うにしても、緊張のあまりりきんでしまい、無駄に法力を消費してしまっているのだという。

 そして、余分に消費してしまった法力の消費が徐々に蓄積していき、巫女様たちの疲労が予想よりも早くなってしまった。そして、今に至り、救護態勢にほころびが出始めていた。


「巫女たちも、少しずつ慣れてはきています。ですが、このままでは法力の消費が回復に追いつきません」


 巫女様たちも、交代で役目を分担している。とはいえ、ひと休みしたらすぐに回復する、というものじゃないよね。

 巫女様の負担を減らす。それと、崩れかけた態勢を修復する。そのために、マドリーヌ様は秘薬の使用制限を一時的に緩和してほしい、と言う。


 むむむ、と僕は考え込む。

 だけど、マドリーヌ様は僕を見つめながら、続けて言った。


「ですが、プリシアちゃんのおかげで、それほど深刻に考えなくても良さそうになりましたね?」

「あっ、そうか。負傷者や不利になった者たちが素早く戻ってこられるなら、戦闘区域に向かう巫女様の数を減らせますね!」


 巨大過ぎる城塞は、順調に魔物や妖魔を狩っているうちは、うまく機能している。だけど、一度ひとたび状況が悪化し始めたら、戦線が広すぎて収集がつかなくなっちゃう。

 その点、大迷宮の術は、負傷して本陣に戻る必要のある者は素早く戻れたり、魔物や妖魔に苦戦してもすぐに救援を投入できる。

 しかも、後方で支援する者たちの負担も減らす結果になったんだね。


 とはいえ、巫女様たちの負担は今の時点で許容値を超えている、というのは事実だよね。

 そう考えると、秘薬の使用制限を一時的にでも緩和したほうが良いのかもしれない。

 でも、ここで秘薬を使ってしまって、大切な時に足らなくなる、という事態も避けたい。

 これは、今後の戦局を左右する難しい判断になりそうだ。


 マドリーヌ様は僕に判断を委ねて、静かに見守っている。

 スレイグスタ老も、僕の考える姿をじっと見下ろしていた。

 すると、そこへさらなる来訪者が!

 どうも、今朝は千客万来せんきゃくばんらいだ。


「エルネア様ーっ!」


 ライラが、レヴァリアに乗ってこちらへ戻ってきた。

 空の覇者に相応しい風格で、北の空から飛んできたレヴァリア。

 だけど、巨大な城塞の上空に差し掛かった途端に、レヴァリアの姿が消える。そして、南の先に再出現した。


『ちっ』


 露骨な舌打ちをして、僕を睨むレヴァリア。


「いやいや、僕のせいじゃないからね!? でも、さすがはレヴァリアだね。迷いの術に、すぐ気づくなんてさ」


 しかも、引き返してきたレヴァリアは、迷うことなく僕たちがいる中庭に到着した。


 レヴァリアは、竜の森で迷わないだけじゃなくて、苔の広場にも行ける。だから、大迷宮の術にも迷うことなく飛べるんだね。


『余計な労力を使わせるな』


 着地したレヴァリアは、暴力的な牙を剥き出しにして、僕を威嚇いかくした。

 ちりちりと、牙の間から炎まで覗かせて。


 遠くで、悲鳴が起きる。

 レヴァリアの殺気に当てられて、同じ中庭にいた聖職者の方々や負傷した者たちが、心底怯え切っていた。


「こらこら、威嚇しちゃ駄目だよっ」


 よしよし、とレヴァリアの顔を、なだめるように撫でる。

 そうしたら、レヴァリアは余計に眼光を鋭くして、睨んできた。

 ぐるぐる、と喉を低く鳴らすレヴァリア。だけど、僕を食べたり燃やそうとはしない。


「ふむ、素直ではないな」


 くつくつと、こちらは愉快そうに喉を鳴らして笑うスレイグスタ老。

 レヴァリアは果敢にもスレイグスタ老を睨み返したけど、そんなものは通用しない。

 僕たちを見下ろすスレイグスタ老に軽く流されて、レヴァリアも渋々と喉鳴りを止めた。


「エルネア様、大変ですわ」


 レヴァリアが落ち着くと、すぐにライラが抱きついてきた。

 僕はたわわなお胸様を受け止めながら、ルイセイネたちに何か問題でも起きたのかと、身構える。

 だけど、ライラがもたらした警告は、もっと遠方えんぽうからのものだった。


「レヴァリア様が、遥か東の先から嫌な気配が高速で近づいてくるとおっしゃっています」

「東から?」


 いったい、何が近づいてきているんだろう?

 昨晩の邪族の件を思い出しながら、さらに詳しい事情を聞こうと、レヴァリアに向き直る。


『嫌な気配だ。我は関わらんぞ』

「レヴァリアが尻尾を巻いて逃げ出すような強敵が近づいてきているの!?」

『誰が、尻尾を巻いて逃げ出すか!』


 ぶおんっ、と容赦なく振られたレヴァリアの尻尾を、僕たちは慌てて避けた。


「でも、関わりたくないって……」


 余程のことじゃなきゃ、暴君とまで恐れられたレヴァリアが逃げるような状況にはならないはずだ。

 いったい、東からどんな脅威が近づいてきているのか。

 僕たちは、揃って東に視線を向けた。


 春空、と呼ぶに相応しい澄んだ青空が、どこまでも高く広がっている。

 薄雲が流れているけど、太陽を隠すような気配はない。

 遠くまで見通せる空。その先から、恐ろしい速度でこちらに接近してくる何者かの姿が見えた。

 しかも、片手の指じゃ足りないくらいの数で!


「ま、まさか!?」

『ちっ、遅かったか』


 僕は驚愕きょうがくのあまり、ライラを抱きしめたまま後退あとじさる。

 レヴァリアは大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせると、空に舞い上がろうとした。だけど、間に合わない。

 少し前まで空の先に点としてしか確認できなかった何者かの姿は、瞬く間のうちにその全貌を僕たちの眼前にさらした。


「なるほど、レヴァリアが嫌がるはずだ!」


 空を見上げて、僕は声を漏らす。

 その僕に向かって、恐ろしい存在が無慈悲に襲いかかってきた!


「にゃーん!」

「おわおっ、ニーミア!」


 そう。東の空より飛来したのは、古代種の竜族であり、雪竜ゆきりゅうのニーミア。

 そして……


「随分と、賑やかだね」


 ニーミアを頭の上に乗せた、アシェルさん!


 さすがのレヴァリアも、アシェルさんは苦手なんだよね。だから、アシェルさんの存在を指して「嫌な気配」と言ったり、来る前に逃げようとしていたのか。


 アシェルさんは、地上のスレイグスタ老やレヴァリア、それに中庭の僕たちを確認しつつ、塔の横に着地した。

 もちろん、城塞の一部を破壊して。


「待たせたわね。ちょっと向こうで問題があってね」

「ほほう、問題とな?」


 なぜか、にやりと笑みを浮かべるスレイグスタ老。

 すると、ニーミアがすかさず暴露ばくろした。


「お母さんとお父さんが喧嘩けんかしてたにゃん」

「なるほど!」

「うるさいねっ」

「きゃーっ」


 今度は、アシェルさんの尻尾攻撃が僕たちを襲う。

 僕は慌てて、ライラとユフィーリアとニーナとマドリーヌ様を連れて、塔の最上階に空間跳躍で避難した。


 夫婦喧嘩をしていたから、ニーミアたちの到着が遅れたんですね、と納得しただけなのに、問答無用で攻撃されるなんて!


「……というか、なんでユフィとニーナとマドリーヌ様まで僕に抱きついているのかな?」

「気のせいだわ」

「最初からだわ」

「皆さんだけ、ずるいと思いましたので!」


 やれやれ、と塔の上で肩を落とす僕。

 地上では、ニーミアと久しぶりに再会したプリシアちゃんが、小躍りして喜んでいた。


 だけど、東からの来訪者は、アシェルさんとニーミアだけではなかった。


「貴様か。我の娘をたぶらかせる人族とは!」


 はっ、と上空を見上げる。

 そこへ、猛烈な勢いで巨大な竜が襲いかかってきた!


 次の瞬間。激しい爆発音と共に、城塞の一画が吹き飛ぶ。

 そう、僕たちがいる塔とは全く違う場所の城壁が……


「ええっと。言い忘れてましたけど、城塞には大迷宮の術がかかってますからね?」


 僕たちに強襲してきた巨大な竜は、残念なことに違う場所に突っ込んでしまっていた!


 はぁ、とアシェルさんが大きくため息を吐いていた。

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