邪悪な者たち

 月影に生じた亀裂から噴き出す瘴気で、瞬く間に視界が黒く汚染されていく。

 それでも、僕は妖魔の王の胸の奥で燃えたぎる邪悪な太陽に向かい、空間跳躍する。


 一度目の空間跳躍で、こちらに襲いかかってきた妖魔の大群をやり過ごす。

 アイリーさんが竜剣舞で妖魔を蹴散らす気配を背後で感じながら、二度目の空間跳躍を発動させた。


 噴き出す瘴気と共に、妖魔の王が纏う瘴気の衣も復活していく。

 衣の布先が、亀裂から噴き出した瘴気に煽られて、不規則に乱れ狂う。

 空間跳躍直後に、目の前に迫った瘴気の衣へ向けて、白剣を振り下ろす。

 剣先まで竜気が満ちた白剣は、容易く瘴気の衣を斬り裂く。

 だけど、以前とは様子が違った。


 アイリーさんが瘴気の衣を祓っていたいたときには、斬り刻まれた衣の破片は霧散して、すぐに消滅していた。でも、僕が白剣で斬った瘴気の衣は、布が裂かれたように分断されただけで、残った衣は依然として乱れ襲いかかってくる。


 僕の力が、アイリーさんに及ばない?

 ううん、違う。大法術の効力が、刻一刻と薄れ始めているんだ!


 あせる気持ちだけが先走る。

 だけど、それが妖魔の王の狙いだ。こちらの余裕を奪い、絶望を煽る。そうして、大法術を破る時間を稼ごうとしているんだ!

 わかりきったからめ手の手法に、僕は心を落ち着かせた。


 迫る瘴気の衣を斬り刻み、死角から襲ってきた妖魔を撃退する。そうしながら、次の全力空間跳躍に備えて、力をみなぎらせていく。

 復活した瘴気の闇が、視界を埋め尽くす。

 竜剣舞を舞い、嵐の竜術で瘴気を祓い続けなければ、一瞬で深い瘴気に飲み込まれてしまうだろうね。


 僕の周りで、うずを巻き始める瘴気の黒い霧。

 だけど、妖魔の王の纏う瘴気の衣は、嵐の竜術を易々やすやすと潜り抜けて僕を襲う。しかも、これまでよりも格段に速く。


 やはり、大法術「新月の陣」の効果が切れ始めているのか、動きに重鈍さはなくなり、不気味な速さを取り戻しつつあった。


 嵐の竜術をもろともせずに襲いかかってきた瘴気の衣を回避し、僕は三度目の空間跳躍を発動させる。


 あと、もう少し。

 視界は悪く、ついさっきまで視えていた妖魔の王の真っ赤な核は見えなくなった。だけど、気配は強く感じ取れている。

 どんなに妖魔の王の攻撃が苛烈になろうとも、核に剣さえ届けば、僕たちの勝ちだ!


 だけど、妖魔の王もそれくらいは承知の事実だ。

 最後の抵抗のように、空気を低く唸らせて雄叫びをあげる妖魔の王。


「もう、雄牛の頭部が復活しちゃったのか!?」


 妖魔の王の頭蓋骨は、一度目はスレイグスタ老の大竜術で破片さえ残さずに消し飛ばされた。

 二度目は、ユフィーリアとニーナの奥義によって、ほんの少し前に消滅した。

 それなのに、もう雄牛の頭蓋骨を復活させているとしたら、恐ろしい回復速度だ。


 そして、妖魔の王はさらに、恐ろしい底力を見せた。


 きしり。ぴしり。妖魔の王が空気を震わせて叫ぶたびに、月影に亀裂が入る。

 亀裂からは瘴気が溢れ出し、妖魔がい出す。


 今や、ルイセイネの大法術が破られるのが先か、僕が妖魔の王の核にたどり着くのが先かが、勝負の分かれ目だった。


 だけど、四度目の空間跳躍を発動させようとした僕の行く手を阻むように、新たな妖魔の大群が押し寄せてきた!


「くううっ、あと少しなのにっ」


 空間跳躍を発動さるよりも速く、妖魔の触手が迫る。

 僕は仕方なく、回避行動をとる。その、ほんの僅かな動きだけで、間近に感じる核が遥か彼方に遠ざかったような錯覚さっかくに陥る。


「ああっ……!」


 月影が割れていく。

 亀裂が細かくなっていき、月影が薄くなる。


 それでも、諦めずに竜剣舞を舞う。

 押し寄せる妖魔の大群を薙ぎ払い、四度目の空間跳躍を発動させた。


 最後の空間跳躍。

 次に僕の視界が捕らえた風景は、黒い瘴気の海に揺蕩たゆたう、邪悪な太陽だった。


「これで、僕たちの勝ちだ!」


 右手に握り締めた白剣に力を込めて、妖魔の王の核へ向かい、振り下ろす。

 竜気を宿し、白く輝く白剣が、核を両断する!!


「……そ、そんなっ!?」


 僕が見るはずだった未来は、まぼろしになった。


 振り下ろされた白剣。

 だけど、妖魔の王の燃え滾る核に届くことはなかった。


「くく……アアアァぁあアアア。アハははッ!」


 白剣の斬撃は、大鎌おおがまによって阻止されていた。


 雄牛の頭蓋骨。竜族のつの。骨だけの上半身は瘴気の衣を纏う。

 僕の眼前。妖魔の王の燃え滾る巨大な核から、小型の妖魔の王が出現して、僕の攻撃を受け止めた!?


 それだけじゃない。

 邪悪な太陽から、次々と小型の妖魔の王が姿を現す。

 周囲を満たす高濃度の瘴気を伝い、僕の周囲を取り囲む妖魔の王の小群体。

 まさか、最後の最後でこんな邪悪な奥の手を残していただなんて!


「くそうっ、このっ!」


 妖魔の王の核を眼前にして、竜剣舞を舞う。

 四方から襲いかかる妖魔の王の小群体を振り払い、妖魔の王の核に剣戟を叩き込もうと試みる。

 だけど、届かない。それどころか、白剣を受け止めた妖魔の王が、攻撃を押し返してきた。


 強力な反動に、弾き飛ばされる僕。


「あアァァぁああッ!」


 真っ赤に燃え滾る核から上半身だけを出した妖魔の王が、瞳を赤く光らせて僕を睨む。そして、かたかたと雄牛の頭蓋骨を鳴らし、あと僅かなところで目的を達せられなかった僕を嘲笑あざわらう。


「アァ……。ム……ダ、ダ」


 耳障りな音を発する妖魔の王。

 ううん、違う。これは、喋っている!?


 驚愕に目を見開く僕。


「オマ……ェタ……チノ、マ、ケ……ダ」


 まるで邪族のように、いびつな発音で声を発する妖魔の王。


 ぞわり、とこれまでになく強烈な悪寒が全身を走り抜ける。

 目と鼻の先にある妖魔の王の核。そこからもう一体の、小型の妖魔の王が出現した。

 小型の、とはいっても、空から落ちた超巨大な妖魔の王に比べたらという話で、新たに出現した個体も、十分に大きい。


 今でも間髪おかずに襲ってくる小群体を、竜剣舞を舞いながら退ける。そうしながら、不気味な声を発したぬし、つまり、新たに出現した妖魔の王の個体を見た。


 これまで通り、雄牛の頭蓋骨に竜の角を生やし、骨だけの上半身に瘴気の衣を纏う。

 だけど、ひとつだけ他とは違う点があった。

 全身が、真っ赤に燃えていた。

 まるで、妖魔の王の核である邪悪な太陽が、そのまま形を変化させたようだ。

 そして、大きさは地竜の図体ずうたいほどもあった。


「ぐアァがアァ……ククッ」


 けたけたと頭蓋骨の歯を鳴らしながら、喉の奥からは不気味なうなり声を発する。


「な、なんだ、これは!?」


 予想もしなかった展開に、竜剣舞が乱れる。そこを突いて、先んじて出現していた妖魔の王の小群体が押し寄せてきた!


「くっ」


 たまらずに、もう一歩だけ後退してしまう僕。


 一度、白剣が届いたはずの妖魔の王の核が、少しずつ遠ざかっていく。同時に、鎮めたはずの焦りが、次第に膨らんでいく。


 あと数歩。あとひとつのすき。それさえあれば、燃え滾る邪悪な太陽を両断し、妖魔の王を倒せるというのに!


 ぱりんっ、と足もとの月影が砕け散った。

 月影が砕ける度に、瘴気は濃度を増していき、妖魔の王は力を取り戻していく。

 小群体の一体一体が、徐々に強くなっていく手応えが、剣先から伝わってくる。

 最初は容易く両断できていた妖魔の王の小群体だけど、今は僕の竜剣舞を武器で弾く個体が増えてきていた。

 しかも、妖魔の王の核からは、これまでに見たこともない真っ赤な個体が出現し、禍々しい瘴気と、気配だけで身が縮み上がりそうなほどの殺気を放つ。


 果たして、僕は間に合うのか。

 ルイセイネが力尽きる前に、妖魔の王の核に最後の一太刀を与えることができるのか。


 ぱりんっ、と月影が弾け飛ぶ。

 陶器とうきのように、割れた破片がむなしく空中を舞う。そして、はかなく散っていく。


 時間がない。

 だというのに、僕がどれだけ竜剣舞を舞っても、核に届くどころか、後退してしまっている。


 けたけたと、真っ赤に燃える妖魔の王の個体が僕を見て嘲笑う。


 このまま、僕の攻撃は届かないのか……


 絶望が頭を過ぎる。


 妖魔の王が完全復活し、また上空に浮上してしまったら、取り返しがつかないことになってしまう。

 だけど、僕の絶望は一瞬ごとに倍増していく。


 みんながこれだけ頑張ってくれたのに。

 ルイセイネが必死になって大法術を使ってくれたのに。

 僕は、みんなの期待に応えられない……?


 絶望なのか、瘴気のせいなのか、視界が黒く染まっていった。






「むきっ。ルイセイネ、頑張りなさい!」


 その時。瞳に映る景色ではなく、頭が直接認識する風景の先で、マドリーヌ様が叫んだ。

 これは、ウェンダーさんの神術?


「あと少しですよ! エルネア君が、必ず妖魔の王を倒してくれます。それに、私も微力ながらお手伝いします。だから、ルイセイネ。もう少しだけ、頑張りなさい!」


 マドリーヌ様が、大錫杖だいしゃくじょうを高くかかげ上げた。


「さあ、皆さま。どうかこの私にお力添えを」


 マドリーヌ様の肩に手を当てる巫女様たちが視えた。大勢の巫女様が手を取り合って輪になり、法力を高め合う。

 マドリーヌ様は祝詞のりと奏上そうじょうし、錫杖の先で頭上に模様をえがき出す。

 はっ、と目を見開いて驚く巫女様が数人、視えたような気がした。


 祝詞を奏上し終えたマドリーヌ様が、声高に叫ぶ。


「私の家系に伝わる秘法術ひほうじゅつ!」


 巫女様たちの力を得て、マドリーヌ様がもうひとつの大法術を発動させた。


「重ねの大法術、月蝕げっしょくじん!!」


 掲げた大錫杖から、満月の光がほとばしる。

 亀裂の走った月影を、満月の輝きが塗り替えていく。影は消え、亀裂が飲み込まれた。

 続いて、大錫杖の光を追うようにして、マドリーヌ様の足もとから影が広がっていく。

 満月の光に塗り替えられた飛竜の狩場を、もう一度、月影が覆い尽くしていった。


 力を取り戻し始めていた妖魔の王の動きが、再び重鈍になる。

 亀裂から溢れ出していた瘴気や妖魔の出現が止まる。

 そして、新たに塗り替えられた月影が飛竜の狩場を包み込むと、外輪の光の輪がより一層の輝きを見せた。


「どうか、女神様の御加護がエルネア君の助けになりますように」


 玉のような汗を額に浮かべながら、マドリーヌ様が祈る。


 絶望にさいなままれそうになっていた局面。それを、マドリーヌ様がくつがえしてくれた。

 与えられた猶予ゆうよを、僕は無駄にはできない!


 雑念を振り払い、僕は再び竜剣舞に集中する。


 信じるんだ!

 みんなが力を貸してくれている。

 どれほど厳しい状況に陥っても、誰も諦めていない。

 なのに、僕が絶望してどうするんだ!

 一瞬でも情けない思考を思い浮かべた僕を、叩いちゃいたいね。


 僕は、自分の弱さを消し飛ばすように、力を漲らせる。

 竜宝玉が、暴風のように力を爆発させた。

 同化しているアレスちゃんが、力を振り絞ってくれる。

 竜脈から力を汲み取り、竜気と霊樹の力を合わせて、嵐を巻き起こす。


 邪悪な太陽から生まれた妖魔の王の小群体が、一斉に攻撃を仕掛けてきた。

 霊樹の木刀で大鎌を弾き、次の一閃で小群体の一体を両断する。

 背後から、びた大剣を振りかざして別の一体が迫った。

 横薙ぎに振った白剣を、上半身の回転を活かしてそのまま背後に流す。錆びた大剣ごと、背後に群がった群体を消し飛ばす!


「グギぎ……ィイいィイいッッ!」


 雄牛の頭蓋骨の歯を震わせて、妖魔の王の小群体が怒りを剥き出す。

 真っ赤に光る瞳が、殺意を僕へと向ける。

 僕は殺気に満ちた小群体を蹴散らしながら、一歩一歩着実に妖魔の王の核へと近づいていく!


 真っ赤に燃える妖魔の王の個体が、憎々しそうに近づいてくる僕を睨んでいた。


 あと、もう少し。

 あと一歩。


 えがきながら足をさばき、間合いを詰める。


 今度こそ、白剣の届く距離になった!


 竜気を漲らせて、僕は真っ赤に燃える妖魔の王の個体へ向けて、白剣を振り下ろす。

 核を斬らせまいと、真っ赤に燃える妖魔の王の個体が大鎌を構えて防ごうとする。


「白剣に、斬れないものはない!」


 かつて。僕は無意識のうちに白剣の斬れ味を鈍らせてしまっていたことがある。

 思い込みで、たとえスレイグスタ老の牙から削られた白剣といえども、鉄は斬れない、堅いものを傷つけることはできないと決め付けていた。

 でも、それは間違いだった。

 古代種の竜族たちでさえ一目置くスレイグスタ老の牙から生まれた白剣は、どんな武器よりも鋭いんだ。そして、斬れないものなんて、存在しない!


 揺るぎない意志で、白剣を振り下ろす。


「ググぐあぁあアアアッっッ!」


 真っ赤に燃える妖魔の王の個体が、唸り声を上げた。


「はああっ!」


 僕も、喉の奥から声を振り絞って、気合を入れる。


 そして、今度こそ僕は在るべき未来を見た。


 大鎌を両断し、真っ赤に燃える妖魔の王の個体を真っ二つに斬り裂く。

 白剣の刃はそれでも止まることなく、勢いをそのままに、妖魔の王の核へと到達した。


 腕に抵抗を感じることもなく、邪悪に燃え上がる妖魔の王の核を斬る。


 邪悪な太陽が、真っ二つに割れる。


「あァァアアぁッ……アァ……あ……カ……ガガ……ガ……がガガ……ガカカッ」


 両断された妖魔の王の個体が、痙攣けいれんしながら声にならない唸りを発した。

 唸り声をあげながら、炎上する。

 核も、激しく瘴気を撒き散らしながら、邪悪な太陽のように燃える。


「ガ……カカカッ」


 僕は、核を両断した白剣を手元に引き、瘴気の海で燃えあがる妖魔の王の個体と、核を見つめた。


 これで、終わり?


 妖魔の王の核を破壊すれば、僕たちの勝ち。

 だけど、どうも様子が変だ!


「ガ……かかカッ」

「わ、笑っているのか!?」


 ようやく、気づいた。


 唸り声じゃない。

 いびつな音で、妖魔の王が笑っているんだ!


「ガかカッ……。キ、カ……ヌ。キサ、マノ……ヤ、イバ……ナ、ド……ムイミ」

「なっ!?」


 絶句せっくする僕の眼前で、両断されたはずの妖魔の王が身体を繋ぎ合わせて、復活した。

 二つに割れたはずの核が融合し、邪悪な太陽のように燃えあがる。


……、ヲ……ヨ、コ……セッ!」


 眼窩がんかの奥を真っ赤に輝かせ、妖魔の王の個体が叫んだ!

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