甘い夜

 スレイグスタ老に、白剣を預けた。もちろん妻たちも愛用の武器を渡したけど、ミストラルだけはやっぱり漆黒の片手棍を持ったままだった。

 まあ、これがないとスレイグスタ老の悪戯にお仕置きができないからね?


 そして僕は、スレイグスタ老がミストラルから片手棍を預かろうと必死に説得する様子を笑いながら、竜の森の深部へと入る。

 苔の広場に来たら、必ず寄らないといけない場所があるからね!

 そうです。霊樹の根もとに行って、霊樹の精霊王さまの相手をしないといけないんだ。じゃないと、アームアード王国の王都が樹海に飲まれちゃうからね。


 さてはて。今回の僕は、何日で解放されるだろうね!?

 苔の広場から竜の森の深部に入った途端とたんに、周囲から濃密な精霊たちの気配を感じ始めて、僕は新たな騒動の予感を覚悟するのだった。






「ぜぇ、ぜぇぜぇ……」


 そして、五日後の夕方。

 僕は満身創痍まんしんそういで苔の広場に戻る。


「あら、おかえりなさい?」


 すると、夕方だというのに、苔の広場にはミストラルがいた。


「た、ただいま? 何でミストラルがこんな夕方に、苔の広場に残っているの?」


 スレイグスタ老は、いつものように小山のような身体を横にして寛いでいる。そのかたわらで、ミストラルものんびりとひとりでお茶をしていた。

 首を傾げる僕。

 するとミストラルは苦笑して、スレイグスタ老は閉じていたまぶたを開いて金色の瞳で僕を見返した。


「ふうむ、汝の予想通りであったな」

「予想通り?」


 何のことだろう? と更に首を傾げながらも、僕はミストラルの側に歩み寄る。

 ミストラルは、僕にお茶を差し出してくれた。

 僕はお礼を言って、乾いた喉にお茶を流し込む。それを確認して、ミストラルが微笑みながら教えてくれた。


「きっと貴方は、五日後に戻ってくるとみんなで予想していたのよ。だから、朝のお役目を終えても帰らずに、ずっと待っていたのよ?」

「なんで予想できたのかな!?」


 満身創痍の僕。とはいっても、精霊たちと関わっていたことによる汚れや傷だからね。重症になるような目立ったさわりはない。ミストラルは僕の全身を診てそれを確認しながら「誰でも想像つくのじゃないかしら?」と笑う。


「だって、そうでしょう? 禁領のお屋敷を出て、風の谷の前に集合する約束が五日後だったわ。でも貴方はアリスさんの騒動に巻き込まれて、約束の期限から五日遅れて到着したわね。その話を聞くだろう精霊王様なら『ならばここでも五日過ごせ』と言うに決まっているじゃない?」

「まさにその通りだったんだよ!」


 はい。ミストラルの言う通り、予想通りでした!

 久々に竜の森の霊樹の根もとを訪れた僕は、五日間も霊樹の精霊王さまや精霊たちの相手をしていたんだよ!

 奉納ほうのうの竜剣舞を舞ったり、鬼ごっこや隠れん坊をしたり。疲れてお尻を地面に着けたら、今度は色々な冒険譚ぼうけんたんを語ったり。

 金剛の霧雨を討伐する際には、竜王の森の精霊たちにもいっぱい協力してもらったからね。

 恩返しの意味も込めて、僕は精霊王さまや精霊たちが満足するまで全力で向き合ったんだ。

 その結果が、満身創痍なんですけどね……


「耳長族でもない汝がそうして精霊たちと深く関わる。良い経験を積んでいると自覚し、己のかてとするのだな」

「はい。充実した五日間でしたよ!」

「でも、待ちぼうけを受けていたわたしたちには、長い五日間だったのだからね?」

「うっ。いつも待たせちゃって、ごめんよ? でも、不思議だね。僕が戻る日を五日後と予想できていたのなら、この場にみんながいても良さそうなのに?」


 ミストラルから二杯目のお茶を受け取った僕は、素直に疑問を零す。すると、ミストラルが勝ち誇ったように胸お胸様を張った。


「ふふふ。そこは、ほら。わたしは毎朝のお役目があるから苔の広場には来ることが決まっているでしょう? けれど、ルイセイネたちは、ねぇ?」

「わーっ。悪いミストラルだ! つまり、今日のお役目は自分だけでも大丈夫、という風にみんなを押さえて、自分だけで来たんだね?」


 禁領から苔の広場へ行くためには、スレイグスタ老の空間転移の大竜術に頼るしかない。

 ミストラルは自分だけを転移してもらえるように、色々な罠やたくらみを事前に張り巡らせていたんだね。そして、苔の広場にひとりで来てしまえば、後はもう僕を待つだけだ。


「ライラもこれくらい入念な作戦で抜け駆けをすると成功するんだろうね?」

「ふふふ、そうね。でも、わたしにも誤算があったわね」

「と言うと?」

「貴方が帰ってくる時刻が夕方になるとは思わなかったわ」

「あっ、そうか!」


 せっかくみんなを押さえて、僕を独占できる場面を作り上げたというのに。肝心の僕が夕方に戻ってきたから、残りの時間があと僅かしかない、とミストラルはなげいてしまっているんだね。


「それじゃあ。僕争奪戦を勝ち抜いたミストラルには、きちんとした報酬を出さないといけないよね?」


 僕のひらめきを読み取ったスレイグスタ老が、ゆっくりと瞼を閉じる。

 どうやら、僕とミストラルだけで楽しみなさい、と後押しをしてくれているみたいだね。


 僕は、疲れた身体に再び気合いを入れる。そして立ち上がると、ミストラルの手を取った。


「このまま、今夜は二人で過ごそうか。そして明日の朝にまたおじいちゃんのお世話をして、禁領に帰ろうよ?」


 僕の提案に、ミストラルが瞳を輝かせてくれる。


「素敵な提案ね? それじゃあ、夫の我儘わがままに付き合ってあげましょうか」

「うん、今夜は僕の我儘に付き合ってね! ということで、おじいちゃん。戻ってきて早々だけど、僕とミストラルは出かけてくるね?」

おきな、今日はこれで失礼します」


 僕とミストラルは、仲良く手を繋いで苔の広場を後にする。

 背後から、スレイグスタ老が「思う存分に楽しんでくるが良い」と温かい言葉を送ってくれた。






「それで、エルネア。何か計画はあるのかしら?」

「うーん、そうだねえ」


 苔の広場を一歩抜け出すと、そこはもう古木が林立する深い竜の森。

 振り返っても、もう苔の広場は見えない。

 スレイグスタ老によって迷いの術が掛けられた竜の森は、僕たちさえもまどわす。

 僕は古木が生える深い森をミストラルの手を取って歩きながら、思いついたことをミストラルに相談してみた。


「夜ご飯の材料はアレスちゃんにお願いするとしてね? 南の、湖のほとりで今夜は過ごさない? きっとお星様が綺麗だよ?」

「あら、素敵ね。それじゃあ、貴方の提案でいきましょうか」


 僕とミストラルの二人きり。とはいっても、僕と一心同体であるアレスちゃんは必ずついてきちゃう。それは、ミストラルだけでなく家族のみんなもわかりきっていることだ。

 でもアレスちゃんだって、ちゃんと空気を読んでくれるんだよ。

 夫婦水入らずで過ごしたい時なんかは、邪魔をしたり顕現してきたりしないどころか、気配も消してくれている。

 もしかしたら、そういう時は霊樹ちゃんのところに遊びに行っているのかもね?


 今回も、アレスちゃんは一晩分の食材を謎の空間から取り出して僕とミストラルに渡すと、すぐに姿を消した。

 ありがとう、と二人でお礼を言うと、柔らかい気配の風が僕たちを包んだ。


「さあ、目指すは南の湖だよ!」

「無事に辿り着けるかしら?」

「ミストラル、そんな不穏なことを言っていたら、今度は竜の森で五日間迷子になっちゃうよ!?」

「あら、わたしはそれでも良いのだけれど?」

「今夜は悪いミストラルだー!」


 談笑しながら、竜の森を二人で歩く。

 何歩か歩くと、風景が変わる。古木を避けて進むと、更に景色が変化する。

 夕暮れ色に染まった森の景色の変化を楽しみながら、僕とミストラルは仲良く歩みを進ませた。


「そういえば、こうして二人っきりで出かけるのは久々なのかな?」

「そうね。いつも誰かが妨害工作をしたり邪魔をするわね?」

「でも、それが楽しいんだよね?」

「ふふふ。きっと貴方の知らない妻たちだけの楽しみね?」

「わわっ。うらやましいな」


 僕が霊樹の根もとを訪れている五日間も、様々な話題があったと話すミストラル。

 僕は、ミストラルが話してくれる妻たちの賑やかな日常を笑い、お返しに精霊たちとのこの五日間の出来事を話した。


「……ところでさ、ミストラル?」

「貴方が何を言いたいのかを、わたしは知っているよよ?」

「それじゃあ、一緒に言ってみようか?」


 僕はミストラルの瞳を見つめ。

 ミストラルは、僕の瞳を見つめる。

 そして、二人同時に思っていたことを口に出した。


「「いつになったら湖の畔に辿り着けるのかな?」しら?」


 笑い合う僕とミストラル。


「やっぱり、思ったよね!」

「この様子だと、本当に五日間は森で迷いそうかしら?」

「それじゃあ、今夜は到着を諦めて夜営できそうな場所を探す?」

「そうねぇ」


 と相談しながら歩き続けていたら。

 急に、視界が開けた。


 夜色に染まり始めた空。

 空の色を綺麗に反射する、見渡す限りの水面みなも

 森と水面の間には下草しか生えていない僅かな空間が広がっていて、夜営をするにはもってこいの場所もある。


「おじいちゃんが気を利かせてくれたのかな?」

「どうかしら? 翁だったら逆に悪戯をしそうな気もするけれど?」

「確かに? それじゃあ、僕たちは運だけで目的の場所に来られたんだね!」

「ふふふ、そうね。帰ったらみんなに自慢しましょうか」

「そうしたら、今夜のことがみんなに露見して、僕が大変なことになっちゃうような!?」


 まあ、それはそれで楽しくて良いよね! と素直な気持ちを吐露とろしたら、ミストラルが「騒動好きの困った夫だこと」と笑う。


「さあ、完全に日が暮れる前に、夜営の準備をしましょうか」

「うん、そうだね!」


 竜の森を歩きながら、薪木まきぎになりそうな枝は拾ってきていた。

 冬を前に枯れ始めている下草に火が移らないように、先ずは場所を慣らす。そうして、湖畔こはんから拾ってきた大きめの石を輪になるように並べて簡易の火起こし場所を作って、薪木に火を付けた。

 ミストラルが手早く夕食の準備を始める。

 僕は、寝床の用意だね。


 禁領と比べれば、竜峰以東の冬はそれほど厳しくはない。とはいえ、油断をしていたら凍えるくらいには、既に寒くなり始めていた。

 僕は、荷物の中から暖を取れる毛皮を取り出して、布団の代わりにする。

 ミストラルと二人きりなら、この毛皮でも十分に夜を過ごせるはずだ。


「そういえばさ。冬を前に、寒い冬を越す厚手の毛皮がもう少しほしいと思わない?」


 禁領は現在、大所帯になっている。

 僕たちの家族。耳長族のみんな。それと、流れ星さまの団体とアリスさん。

 竜王のお宿を開いたとはいえ、まさかいきなりこれ程の人数になるとは誰も予想していなかったからね。

 禁領の厳しい冬を越すためには、暖炉だんろと薪木だけでは足りない。普段から暖かくなれるような毛皮や下着が必要なんだ。

 そして、僕の見立てだと、毛皮がちょっと足りないような気がするよ?


 えっ?

 女性用の下着の計算までは、流石にできませんよ?

 だから、その辺は妻たちにお任せです。

 それはともかくとして。


 僕の疑問に、出来立ての料理をうつわに盛りながらミストラルが話してくれた。


「ふふふ。そこに抜かりはないわよ? 貴方を待っている間に、プリシアがニーミアと一緒に北の地へと行ったわ。猿種さるしゅの獣人族と交渉をして、必要な毛皮を貰ってきてもらう予定よ?」

「……ねえ、ミストラル。それって、そこはかとなく不安じゃないかな!? プリシアちゃんとニーミアだけで!?」


 ミストラルから受け取った、お魚の煮込みが入った器を、つい落としそうになる僕。

 それを見て、ミストラルが可笑おかしそうに笑う。


「安心してちょうだい。ジャバラヤン様も一緒だから。ジャバラヤン様は、今年の冬は北の地に戻って過ごすそうよ。メイのことも気にしないといけないのだからね?」

「そうだね。ジャバラヤン様はまだ、禁領と北の地の二重生活なんだよね」


 いつかは、ジャバラヤン様も北の地に移住してくる予定になっている。とはいえ、獣人族にはまだまだジャバラヤン様の存在は必要不可欠だからね。


「それじゃあ、猿種の人たちと交渉するための素材は何を持っていったのかな?」


 獣人族は、基本的に貨幣かへいでの売買ではなくて物々交換になる。

 禁領の厳しい冬を越すための毛皮を貰うためには、こちらも相応の商品を準備しなきゃいけないからね。


「それは、貴方が持ち帰った食べきれない海の魚と、禁領の特産品かしら」


 ミストラルはささっと料理したように見えたのに。でも、あっという間に素敵な料理が並んでいた。

 熱々のお魚の煮込み。細長いお魚の塩焼き。お魚の身と野菜を叩いて練った小鉢。白身魚の焼き。

 いただきます、と二人で声を揃えて言った後に、舌鼓したつづみを打つ。

 そうしながら、なく話す。


 美味しいご飯を食べながらふと見上げた空には、いつの間にか夜のとばりが下りていた。

 満天の星空に魅入ってしまう僕たち。

 きらりと、流れ星が夜空に流れた。

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