ただいま と言える場所

 禁領の秋は、あっという間に過ぎ去っていく。

 油断していたら、すぐに極寒の冬が訪れる。

 だから、その前に。

 僕たちは、済ませておかなきゃいけない大切な用事を終わらせることにした。


「というわけで遊びに来ましたよ、おじいちゃん!」

「ぶえっっくしょおおぉぉぉんっっ!!」

「緊急回避っ! ふっふっふっ。竜神さまの御遣いである僕たちには、そんな悪戯いたずらは通用しないからね?」

「ふぅむ、汝らは立派に成長したようであるな。我は嬉しく思うぞ。ぶえっっっくしょおぉぉぉんっっ!!」

「ぎゃーっ、まさかの二連発!?」

「かかかっ。しかし、まだまだ未熟であるな」


 僕とスレイグスタ老のいつものやりとりを見守るみんなが、困ったように笑う。

 くっ、なぜだ!

 なぜ、僕だけがスレイグスタ老の罠に掛かってしまったんだっ!


「にゃあ。それは、エルネアお兄ちゃん以外のみんなは最初から予想して逃げていたからにゃん?」

「な、なんだってーっ!」


 鼻水まみれになった僕は、がっくりと肩を落とす。

 そんなわけで、僕たちは久々に苔の広場を訪れていた。


「ふむ。どういうわけか、しかと報告せよ」


 いつものように、苔の広場で泰然たいぜんと横になるスレイグスタ老。

 小山のような巨体。つややかな黒い鱗と、漆黒しっこくひげや手足首の体毛。

 変わることのないスレイグスタ老の姿に、僕は安心感を覚える。


「それじゃあ、おじいちゃんたちが禁領から帰った後のことを報告するね?」


 スレイグスタ老は顔を苔の上に下ろして、正面に座った僕を見下ろす。

 僕は、頭だけでも巨大なスレイグスタ老を、しっかりと見上げた。


「ぶえっくしょおんっ!」

「ぎゃーっ、予想外の三回目っ!?」


 そして、また鼻水の洪水に流されるのだった。






「まったく、貴方たちはもう」


 と、ミストラルが呆れがながらスレイグスタ老のお世話をする。

 同行した妻たちも、総出でお世話をしている。

 プリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアだけが、スレイグスタ老の頭の上に登って遊んでいた。

 ちなみに、レヴァリアとフィオリーナとリームは、禁領で狩りの修行中。

 というか、僕がアリスさんの騒動に巻き込まれた後に、集合場所へ遅刻の到着をしたときには、既に約束の場所を離れて禁領の奥地の方へと飛び去った後だったんだよね。


 僕たちは、そんな薄情な竜族たちを禁領に残して、夏から秋にかけての出来事をしっかりと報告するためと、ある用事を済ませるために苔の広場を訪れていた。


「ほうほう、大勢の流れ星とな? 長く生きた我であっても、三十名を超す流れ星の集団などは見たことがない。それに、傀儡使くぐつつかいの始祖族か。やれやれ。汝はいつも騒動に巻き込まれるのう」


 苔の広場は、相変わらずに美しい。

 季節を問わず苔は瑞々みずみずしく輝いていて、座るとふわふわの感触に包まれる。

 僕の話を聞いてスレイグスタ老がふんふんと楽しそうに鼻息を漏らすと、豊かに育った苔が草原のように揺れる様子が懐かしいね。


「アステルとエリンちゃんは、まだ禁領に滞在していますよ。あの二人が仲良くなっちゃったせいで、もうみんな大変なんだよ?」


 精霊たちの悪戯なんて、あの悪戯始祖族組の悪さに比べたら可愛いものだよね。

 まったくもう。傀儡の王には「悪さをしたら絶交です」と言ってあるのに、最近はその約束を忘れてきているんじゃないかな?

 困ったものですね。


 そして、アリスさんもまた、禁領に残ってくれていた。

 流れ星さまたちのなかで法力を失った人たちに、色々な助言や厳しい修行を与えて導いてくれているんだよね。


「驚いたのがね。アリスさんが流れ星さまたち与える修行って、すごく基本的なものばかりなんだよ!」


 ただし、アリスさんは流れ星さまたちに、瞑想だけでも姿勢や精神統一のあり方、心構えや無の境地などなど、事細かく、そして厳しく指導していた。

 更に、日頃の所作やちょっとした気の緩みなどにも目を光らせて、指摘してくれる。

 僕たち、というかルイセイネやマドリーヌから見ても、流れ星さまたちの巫女としての「完璧さ」は疑いようもないほど洗練されていた。

 だけど、巫女騎士であるアリスさんから見たら、それでもまだまだ未熟なのだという。

 いったい、聖域ではどんな修行を行なってきたんだろうね?


「聖域の巫女騎士。ふむ、なるほど」

「おじいちゃんは若い頃に世界中を旅して回ったんだよね? それじゃあ、聖域のことや巫女騎士さまのことも知っている?」


 聖域が何処どこに在って、なぜ「聖域」と呼ばれているのか。

 じつは、その辺はアリスさんもかたくなに口を割らないんだよね。


「君たちにはまだ早い」


 なんて言って、教えてくれないんだ。


「では、我も汝らにはまだ秘密にしておこう」

「むむむ。僕たちが聖域のことを知るためには、知識や経験が足りないってことだね?」

「左様であるな。それでは次に、汝らがここへ来た理由を語るがよい。我に用事があるのであろう?」

「はい、そうなんです!」


 アリスさんやお客様を禁領に残して、僕たちが家族全員でこうして苔の広場を訪れた理由。

 それはもちろん、また武器をスレイグスタ老に預けるためだ。


「しかし、汝は剣聖を探すのであろう? 良いのか?」


 ファルナ様を探す手掛かりを、アリスさんに教えてもらった。

 でもだからといって、すぐに会いに行けるわけじゃない。

 なにせ、聖域の場所なんかもまだ秘密の状態だからね。

 それに、と僕はアリスさんから指導を受ける流れ星さまたちのことを思い出す。


「基本はどれだけ成長しても大切なんだな、とここ最近は日々思い知らされているんです。そして、僕の基本はおじいちゃんからの指導だし、最初は白剣や霊樹の木刀ではなくて木の枝を振るっていたからね。だから、白剣をおじいちゃんに預けでも、僕はちゃんと修行できますよ」

「ほほう、であれば汝は基本中の基本に戻り、最初から修行をやり直すと言うのだな?」

「はい。これからもご指導をお願いします、おじいちゃん!」

「かかかっ、良かろう。我もこれまで以上に厳しく、汝ら家族を導こう」

「ごく自然な流れで、私たちもエルネア君に巻き込まれたわ」

「ごく自然な流れで、私たちも修行することになったわ」

「ユフィ、ニーナ。修行の前になまけている手を早く再開させなさい」

「ミストラルが鬼だわ」

「ミストラルが鬼畜だわ」

「んんっと、おにごっこ?」

「はわわっ。プリシアちゃんがやる気ですわっ」


 プリシアちゃんよ、君はいつでも鬼ごっこが遊びたいんだね?

 仕方がありません。なにせ、これも基本の修行の一環だからね!


「それでは、今日一日の間で最も長い間鬼だった方が、罰として帰ったら猫公爵様と傀儡様のお相手をする、というのはいかがでしょうか?」

「ルイセイネ、それは良い考えね?」


 そして、不穏な相談事を始めるミストラルとルイセイネ。


「良いわね。俄然がぜんとやる気が湧いてきたわよ」

「むきぃっ、今日こそは勝ってみせますからねっ」


 セフィーナのやる気が怖いです。それと、マドリーヌ。何に勝つつもりなのかな?


 いつもの場所で、いつものようにみんなで鬼ごっこを始める僕たち。

 それを、スレイグスタ老が暖かく見守ってくれる。

 金剛の霧雨を討伐して、竜神さまの御遣いとしてみんなに認知されてから、ずっと禁領に籠っていたけど。こうして変わらない日常を送ると、実は何も変わっていないんじゃないかと思えるよね。

 でも、僕たちはまだ人族の前には姿を出せない。

 もう暫くは、故郷に帰れない。

 苔の広場を抜けたら、もう目と鼻の先に、実の両親や大親友たちが暮らすアームアード王国の王都が広がっているのにね。


 竜峰の方はどうだろう?

 竜族たちは、僕たちを受け入れてくれるかな?

 竜族にとって至高の存在にまで昇り詰めた僕たちのことを、竜族はどう迎えてくれるだろう?

 ミシェルさんたちに追われている時。竜の墓所の飛竜たちのなかには、僕のことを知っていても襲ってきた老竜がいたよね。

 もしかしたら、竜人族の称号である「竜王」なら許せるけど、自分たちの至高である「竜神さまの御遣い」としてはまだ認めない、という竜族はいるかもしれないね。


 それと、やっぱり竜人族の反応がきになるよね?

 八大竜王であり、竜神さまの御遣いとなった僕と、家族のみんな。竜人族の人たちは、今までと同じように接してくれるかな?

 それとも、余所余所よそよそしくなっちゃうのかな?

 人族の寿命は短くて、僕たちの巻き起こした騒動も何十年後かには風化しちゃうかもしれない。だけど、竜人族は人族の何倍も寿命が長くて、だからこれから先も僕たちは知っている顔馴染みの人たちとずっとずっと関わり続けることになる。

 それで余所余所しい関係になってしまったら、とても悲しいよね?


 その竜人族のひとりであるミストラルのお母さんとは、実は苔の広場にきた時に会ったんだよね。

 ミストラルが苔の広場に来られないときは、コーネリアさんがお役目を代役してくれているからね。

 そのミストラルのお母さんは、僕たちにいつものように接してくれた。そして、いつものようにミストラルはお母さんから怒られていた。

 あのミストラルが、お母さんにはまだまだ敵わない。

 これまで通りの日常だよね。

 竜人族の人たちとの関係も、変わらないままでいてほしい。


 僕たちは、竜神さまの御遣いになったからといっても、何も変わらない生活を送っている。

 みんなも、再開した時に普段と同じ反応を示してくれたら嬉しいな。

 なんて思いながら、僕は鬼ごっこに明け暮れた。

 そして、僕が最も長い間、鬼だった!


「ち、違うんだ。色々と思いを巡らせていたから、反応が悪かったんだよ?」

「にゃあ」

「雑念如きで動きが鈍るなど、やはり基本の修行からやり直しであるな」

「ぐふっ!」


 夕方になって。

 疲れ果てて、みんなで苔の上で大の字に寝転んで。

 見上げた霊樹の枝葉の先の夕日に染まった空を見つめながら、僕は改めてみんなに言った。


「また武器を手放すことになるけど。みんなも基本を大切に、初心へ戻ろう!」

「それじゃあ、貴方はまず日常の初心である早起きからね?」

「うっ。ミストラル?」

「明日からは、ルイセイネが起きる時間に起こしますからね?」

「ごめんなさいっ、ミストラル! 許してっ」

「何を許すのかしら? ルイセイネだけでなく、マドリーヌや流れ星の巫女たちも起きているのだから、貴方も大丈夫よ」

「無理むりっ。ぜったいに無理だよっ!」


 早起きだけは、なぜか苦手です!

 僕の悲鳴を一番に笑っていたのは、もっとも早起きが苦手なプリシアちゃんだった。

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