母親が増えないと、いつから錯覚していた?

「……と、僕は大変な騒動に巻き込まれていたんですよ!」


 身振り手振りで、アリスさんに巻き込まれた騒動を説明する僕。

 誰にって?

 それはもちろん、ミストラルやみんなにさ!


「にゃあ」


 正座をさせられた僕の頭の上で、呑気のんき欠伸あくびをするニーミア。

 ぐぬぬ。ニーミアよ、そんな態度をとっていると、お土産のお魚をあげませんからね?


「大丈夫にゃん。加工してくれているルイセイネお姉ちゃんに貰うにゃん」

「しくしく。この裏切り者めっ」

「何も裏切ってないにゃん?」

「エルネア、反省をしているのかしら?」

「うっ……」


 そう。そうなのです!

 北の海から帰ってきた僕は、案の定でミストラルから正座の刑を受けている最中なのです!!


 場所は、風の谷の近くの、僕が指定した集合場所。

 ただし、僕が耳長族のみんなに約束をした、お屋敷から出て五日後、という期限を大きく超過してしまっていた。


「五日間も待ったにゃん」

「ご、ごめんよ、みんな……」


 なな、なんと!

 僕は遅刻も遅刻、大遅刻をしてしまったのです!

 約束した期限の倍以上の日数がかかってしまったことは、素直に反省だよね。

 そして、たとえ遅れたとしても僕なら必ず約束の場所に来るはずだと、ずっと待ってくれていたみんなに感謝で、頭が上がりません。

 それもこれも全て、シャルロットが悪いんだ!





「エルネア君、そういえばなのでございますが」


 と、シャルロットが糸目を更に細めて楽しそうに微笑んで話しかけてきたのは、人魚さまから貰った大量のお魚をなんとかアレスちゃんの謎の空間に収納して、夜営地に帰りついた時のことだった。


「何かな?」


 と問う僕に、シャルロットは容赦なく現実を突きつけてきたんだ。


「五日目でございました」

「ん? 何が? ……えっ?」


 嫌な予感、というか、失念していたことが頭を過ぎったのはその時。


「エルネア君たちが戦巫女様たちと禁領で鬼ごっこをされていた頃より、今日が五日目でございましたよ。エルネア君は、何か御用があったのではありませんか?」

「そういえば、君は?」

「はは。ははは……」


 乾いた笑いしか出てこなかった。


 途中までは、ちゃんと意識していたんだよ?

 アリスさんの問題を解決して、みんなとの約束を守って集合場所に到着するってね。

 だけど……

 アリスさんと決闘をして、ユビットさんの想いをこの島に届けなきゃいけないと感じてさ?

 だから、アリスさんの気が済むまで北の海の小島に滞在しよう、と覚悟を決めたんだ。

 そうしたら、忘れちゃっていたよ!

 けっして、小島の探索や、人魚さまとの海の遊覧が楽しかったとか、そういう理由で約束を失念していたり遅刻したわけじゃないからね!?






「人魚様と遊んで楽しかったみたいにゃん」

「ニーミアちゃん!?」

「新しいお母さんが二人も増えたにゃん」

「エルネア?」

「ち、違うんだ! ミストラル、その手に持った鈍器どんきをしまいなさいっ」

「エルネア君が、とうとう妻だけでなく母親も増やし始めたわ」

「エルネア君が、とうとう妻以外の家族も増やし出し始めたわ」

「ユフィ、ニーナ、誤解だよ?」

「はわわっ。エルネア様、それではレネイラ様もお母様にしてほしいですわ」

「ライラ、僕はもうお母さんを増やしたくはないよ? それに、それだとヨルテニトス王国の王様が悲しんじゃうからね?」

「あらあらまあまあ。エルネア君、詳しくお聞かせいただけませんか? 人魚様以外にもお母様が増えただなんて、妻として挨拶あいさつが必要ですものね?」

「ルイセイネよ、包丁から手を離しなさい。刃物を持って微笑まれると怖いからね?」

「むきぃっ、エルネア君の浮気者っ」

「マドリーヌ様、母親を増やすことは浮気になるのかしら?」

「マドリーヌとセフィーナも落ち着いて! 淑女としての所作を忘れないでね?」


 正座をさせられたまま、妻たちからぐいぐいと迫られる僕。

 その僕の横で、アリスさんが愉快そうに笑った。


「ええい、これはアリスさんのせいなんだからね!?」

「だから、私も君の横で正座をして、素直に反省しているだろう? それと、私のことはアリスお母さんと呼べ」

「なんでアリスさんが人魚さまに便乗しているんだろうねーっ!!」

「エルネア、アリスさん、反省っ!」

「はいっ!」

「ミストラルたちも、私のことはアリスお母さんと呼べ」


 なんでこうなった!


 僕は、妻たちに揉みくちゃにされて悲鳴をあげた。

 僕の悲鳴は、風の谷に木霊こだましたのだった。






「……つまりだな。私をお母さんと呼んでいた方が、きっと君たちの未来のためになる」

「アリスさん、意味がわかりません!」


 僕たちの未来と、アリスさんを「お母さん」と呼ぶことに、なんの繋がりがあるんだろうね?


 アリスさんは、人魚さまが僕に「オリヴィアお母さん」と呼ばせていることを知って、それならば、と便乗しちゃったんだよね。


「私ももうひとりと言わず子供がほしかったのだ。エルネア君、君も私のことは『お母さん』と呼べ」


 と僕に強要してきたのは、北の海の小島に渡って二日目の夜だった。


「んんっと、プリシアは天馬さんと遊びたいよ?」

「仕方ない。イヴは頭の良い騎獣だが、小さな子供ひとりでは心配だろう」

「あっ。そうやって正座の刑から抜け出すつもりだね!?」

「はははっ。私の分まで、君が身代わりになってくれ」

「武人らしくない逃げっぷりだ!」


 アリスさんは、僕の非難の声を背中で聞き流しながら、プリシアちゃんとニーミアとアレスちゃんと一緒に、イヴに騎乗して空に舞い上がっていた。


「エルネア、ちゃんと説明してね?」

「うん、いっぱい迷惑をかけてごめんね」


 みんなでプリシアちゃんたちを見送りながら、僕は素直にミストラルに謝る。


 事の経緯は、もう全て話し終えていた。

 もちろん、北の海の支配者のことは、ちゃんと本人やシャルロットから了承を得て話したよ?

 約束の場所には、僕の身内ではない流れ星さまたちも残っていた。だけど、彼女たちがこういう秘密を口外するとは思っていないからね。

 なので、包み隠さずにこの十日間の騒動を報告した僕には、もうこの騒動の隠しごとはありません。

 ただし、まだ説明が足りていない部分もあるよね?


 そう。なぜこの場にアリスさんが残っていたか、ということだ。

 僕は正座をしたまま、改めて残りの説明をみんなに話す。


「アリスさんは、恩返しがしたいみたいなんだよね」

「ですが、エルネア君が望んでいたことは聞けたのですよね?」


 ルイセイネに問われて、僕は頷く。

 僕の望みは、ファルナ様をこちらの方から探しにいくことだった。アリスさんは、望みを叶えたらファルナ様の手掛かりを教えてくれると約束してくれていたんだよね。

 そして約束通りに、その手がかりを教えてもらった。

 だとしたら、もうアリスさんは聖域に帰っても良いはずなんだけど。

 だけど、そこは義理堅い武人のアリスさんだ。しかも、僕たちと同じような立場で、聖域の巫女さまたちが憧れる「巫女騎士」という特別な地位にある。


 ああ、そうそう。

 僕はひとつだけ、みんな、というか流れ星さまたちは報告しなかったことがある。

 それは、アリスさんが「巫女騎士」である、ということだった。

 もちろん、これまでの説明の中でも、僕はアリスさんを「巫女騎士」とは言ってない。

 僕の心を読んでいたニーミアも、アリスさんのことは黙ってくれていた。

 これは、アリスさんの事前の願いだった。






「私の立場ことは、できれば禁領の来訪者たちには言わないでほしい」

「それって、流れ星さまのみんなを指してる?」

「そうだ。君を訪ねて霊樹の生える山を訪れた際に、麓の方や遠くの巨大な屋敷から巫女たちの気配を多く感じた。だが、あの者たちのことを私は竜神様より聞いてはいない。ということは、あの者たちは禁領を訪れた来訪者なのだろう? 巫女騎士という立場は、彼女たちには言わないでほしい」






 どうやら、アリスさんの立場はあまり外部の者には知られてくないものみたいだった。なので、僕はその部分だけを伏せて、みんなに説明していた。

 お屋敷に帰って家族だけになったら、その部分もみんなに伝えよう。

 その辺は後日に置いておいて。


「僕が知りたかったファルナ様の手掛かりは聞けたんだけどさ。アリスさんは、それだけでは恩返しに満足しなかったみたいなんだよね」

「アリスお母さんと呼べ」

「わざわざそれを言うためだけに急降下してきた!?」


 天馬のイヴに乗って、幼女たちがきゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる。

 アリスさんがしっかりと手綱を握ってくれているから、プリシアちゃんのお母さんも安心して任せているね。

 娘を持つ母親同士、もしかしたらすごく仲良くなれるかもしれないね?


「と、とにかく。アリスお母さんさんはもう少し恩返しがしたいんだって。具体的にはね?」


 と、僕は家族に混じって話を聞いていた流れ星さまたちを見渡す。

 空を走っていた天馬が再び高度を下げて、鞍の上からアリスさんが流れ星さまたちに声をかけた。


「具体的な理由は知らない。だが、見ただけでわかった。お前たちのなかに法力を失っている者が複数名いるな?」


 アリスさんの言葉に、はっと表情を強張らせる流れ星さまたち。


 そうなんだ。

 禁領に流れ着いた流れ星さまたちの一部の人たちは、なぜか法力を失っているんだよね。

 マドリーヌが前に教えてくれた。


「巫女は、洗礼によって女神様より法力を授かります」


 だけど、女神様の教えに背いた者や、女神様への信仰を失った者、そして女神様から授かった力の欠片を過剰に使用した者は、時として法力を失うらしい。

 流れ星さまたちに、一体どんな過去があったのか。

 流れ星さまたちは、禁領においても敬虔けいけんな女神様の信徒であり続けている。そんな彼女たちが、どんな事情で法力を失ってしまったのか、僕たちはまだ聞けていない。


 アリスさんは、そんな流れ星さまたちの事情を、禁領にきてすぐに察したらしい。

 さすがは、聖域を守護する特別な巫女騎士さまなのかな?


 アリスさんは、馬上から言った。


「お前たちの信仰心は、見ていて十分に伝わる。その者たちが法力を失ったままでは、女神様も悲しまれることだろう」


 流れ星さまたちの所作や雰囲気を感じれば、誰だって彼女たちが清くつつましい真の巫女さまだということはわかるよね。

 アリスさんは鋭い洞察力で、流れ星さまたちの境遇までしっかりと見抜いていたようだ。


「絶対、とは私であっても言えない。だが、少なくとも私は、法力を失った者が再び女神様の力の欠片を授かる方法を知っている」


 アリスさんの言葉に、流れ星さまだけではなくてルイセイネやマドリーヌも目を見開いて驚く。


「厳しい修行になるが、それでも良いと覚悟するのなら、僅かな時間だが指導しよう。エルネア君、君への直接の恩返しではないが、これで良いかな?」

「はい。僕たちは今の生活に満足しているから、これ以上のほどこしはいらないからね。それなら、困っている流れ星さまたちのお役に立てるのなら嬉しいよ」


 アリスさんの恩返し。

 それは、流れ星さたちに法力を取り戻すという、難しい課題に決まった。

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