銀世界の惨事

 普通だと、誰かの妨害が入って、甘いひと時はあっという間に終わってしまうんだけど。

 でも、僕とミストラルの夜を阻む障害はなにもなかった。


 だって、竜峰を越えられるニーミアはプリシアちゃんと一緒に北の地へと行ったし、レヴァリアもリームとフィオリーナのお世話中で帰ってきていない。

 リリィだって、苔の広場を最初から留守にしていたからね。

 そんなわけで、僕とミストラルは何の妨害も受けることなく、甘くゆっくりとした一夜を過ごすことができた。


 なんて素敵な夜だっただろうね。

 ひんやりと冷える夜。

 ミストラルと二人で肩を寄せ合って、焚き火の前で毛皮に包まる。

 そして、んだ夜空を満天に彩る星々の輝きを見上げて、いつまでも談笑した。

 湖面は、北の海とは違って波を立てることもなく、静かに水音を響かせるばかり。

 夏の夜をかなでる虫たちも、冬を前に静かになって、野鳥の声が時折どこか遠くから届いていた。


 賑やかな日々も好きだけど、こうして愛する人と二人っきりでしっとりと過ごす夜も大好きです。


 そして、僕とミストラルだけの夜を過ごした翌日の早朝に、僕たちはまた苔の広場へと戻った。


「簡単に到着しちゃったね? 僕はもう少し迷っていても良かったんだけどな?」

「ふふふ、わたしもよ。だけど、翁のお世話をしなくちゃいけないから」

「おじいちゃんが呼び寄せたんだね!?」

「くくくっ、どうであろうな?」


 苔の広場に帰ってきた僕たちを、目を覚ましたばかりの様子のスレイグスタ老が迎えてくれた。

 ミストラルは、早速とお世話を開始する。

 僕は、スレイグスタ老のお世話をミストラルにお任せして、竜の森の奥で精霊たちと過ごした五日間をしっかりと報告した。


「汝のおかげで、精霊どもはいつも機嫌が良いな」

「そうなの?」

「そうだとも。耳長族といえども、こてより先の森の奥へは行けぬ。長い間、森の奥の精霊どもは暇を持て余しておった」

「それで、僕が訪れるようになったから機嫌が良くなった?」

「左様である。……ふむ」


 と、スレイグスタ老は瞳を閉じて、僅かな時間だけ逡巡しゅんじゅんする。

 そして、思いがけない提案を僕とミストラルに示してくれた。


「汝らは、晴れて竜神様の御遣いとなった。であれば、立場的にはもう我よりも高き存在であろう。その汝らに、我の都合を押し付けるわけにもいくまい。それに、禁領では既に若き霊樹の世話を担っておるのだ。ならば、我は認めよう。汝らイースの者たちが森の奥へと自由に足を運ぶことを許す」

「えっ!?」


 僕は驚いてひっくり返る。

 ミストラルも、予想外のスレイグスタ老の言葉に、お世話をしていた手を止めて驚いていた。


「かかかっ、良い驚きであるな。だが、我に二言はない。今後は、エルネア以外の者も我の許しなど必要なく、好きなように霊樹のもとを訪れよ」

「やったーっ!!」


 素直に喜ぶ僕。

 けっして、霊樹の精霊王さまたちの我儘に僕だけが振り回される現状が改善されるのでは、なんて思っていないからね?


「と、エルネアは言っておのぞ?」

「わたしたちが竜の森の深部に入れる許しを得ても、精霊たちや精霊王様のお世話は変わらず貴方の役目よ、エルネア?」

「うっ……。おじいちゃん、僕の心を読んで通訳しないでよね?」


 とはいえ、僕だって無責任なことはしない。

 苔の広場に僕たちが来られたとしても、ミストラルがスレイグスタ老のお世話を放棄しないのと同じように、僕は僕に与えられたお役目をちゃんとやり遂げますよ!

 それでも、これまでは僕ひとりで向かっていた場所に、今後は家族のみんなと行けることになって、嬉しさ爆発です!


「帰ったら、みんなに報告しなくちゃね! みんなは喜んでくれるかな?」

「その前に、汝とミストラルの昨晩のことを根掘り葉掘りと問い詰められるであろうな?」

「くっ、試練だね!」


 その辺は貴方に任せるわ、とスレイグスタ老の鱗を磨いていたミストラルが笑っていた。


 だけど、この時の僕たちは誰も想像していなかった。

 まさか、禁領でみんながあんなことになっているだなんて……






 ミストラルのお世話が終わり。


「さあ、帰りましょうか」


 とミストラルにうながされて、スレイグスタ老の大竜術で禁領のお屋敷へと転送してもらった。

 そして、僕たちは見た。


 真っ白に染まった、禁領の景色。

 そこに累々るいるいと横たわる、流れ星さまたちの姿を!!


「い、いったい何が起きたのかな!?」


 禁領を白一色に染めあげた正体は、降り積もった雪だった。

 僕が禁領を離れる前。冷たい風が北西から吹き始めてはいたけど、本格的な冬の到来はもう少しだけ先だと思わせる気候だった。

 だというのに、たった五日間だけ留守にしていた間に、一面が銀世界に変わってしまっていた。


 そして、その雪景色に倒れ伏した流れ星さまたちの姿を見て、僕とミストラルは慌てて駆け寄る。

 ミストラルさえ慌てていたということは、これは昨日の早朝にミストラルが禁領を離れて、今朝僕たちが帰ってくるまでに起きた事件だ!


「大丈夫!?」

「うっ……。エルネア……さま……」


 抱きかかえた流れ星さまのひとりのアニーさんが、僕の腕のなかで瞼を震わせた。

 アニーさんは、何かを訴えるように中庭の先を指差す。

 僕はアニーさんの指先を追って、視線を移した。


「ま、まさかっ!?」

「そんなっ」


 僕とミストラルは息を呑む。

 そこには、流れ星さまだけでなく、精霊たちの倒れ伏した山があり。

 その近くには、倒れてこそいないものの、疲弊し切った妻たちの姿まであった。


 そして。

 禁領の者たちを蹂躙じゅうりんした者が、中庭の湖の畔に立つ。


「アリスさん!!」


 そう。

 流れ星のアニーさんや、疲弊し切ったルイセイネたちが向ける意識の先に立ち、両刃薙刀を武人の如く構える者は、巫女騎士のアリスさんだった!


「アリスお母さんと呼べ」

「いやいや、この状況で何を言っているのかな!?」


 とっさに、右手を左腰に回す。

 だけど、白剣はスレイグスタ老に預けてきたばかりで、左腰には木の枝さえ挿してはいない。


「いったい、何があったのかしら?」


 ミストラルだけが漆黒の片手棍を抜いて、アリスさんに不審の視線を向けた。


「ふっ」


 すると、アリスさんが笑みを浮かべる。


「良いだろう。竜姫、と言ったか? 竜神様の御遣いであり、竜人族においても最高の称号を持つ貴女ならば、相手として不足はない」


 両刃薙刀のきっさきをミストラルに向けるアリスさん。

 僕は慌てて、二人の間に割り込んだ!


「ちょっと待って! その前に、何が起きているのかを僕たちに説明して!」


 なぜ、アリスさんがみんなと戦っているのか。

 僕の疑問を受けて、だけど反応を示したのは妻たちだった。


「いえ、あのう……その……」


 なんとも歯切れの悪そうな表情を見せるルイセイネ。


「困ったわ、エルネア君が勘違いをしているわ」

「困ったわ、ミストラルがやる気満々だわ?」


 と、困った様子のユフィーリアとニーナ。


「はわわっ。違うのですわ、エルネア様!」


 と、僕に抱きついてくるライラ。


「ふふ、これからが面白いところだったのだけれどね?」

「むきぃっ、私はまだ本気ではありませんっ」


 と未だにやる気を見せるセフィーナとマドリーヌ。


 妻たちの、それぞれの様子を見て。

 僕は、思い至る。


「ま、まさか……! みんなで、乱取らんど稽古けいこでもしていたのかな!?」


 改めて見渡せば、中庭に累々と倒れ伏した流れ星さまたちは、誰もが手に薙刀を持っていた。だけど、倒れていても誰ひとりとして血を流していない。

 倒れている理由は、明らかに疲弊や呪縛といった負傷を伴わない敗北によるものだ。

 ルイセイネたちも、疲弊はしているものの、誰も怪我をしている様子はない。


 つまりこれは、アリスさん対他のみんな全員、という乱取り稽古か何かじゃないのかな!?


 僕の予想を裏付けるように、アリスさんが教えてくれた。


「最初は、流れ星の巫女たちを鍛えるつもりで始めたのだが。君の妻たちも嬉々ききとして参戦してきたので、相手をしていたところだ」

「なるほどね!」


 合点がいきました!

 巫女騎士であるアリスさんと僕は、北の海の先にある小島で戦った。

 お互いに全力ではなかったけど、結果は僕の負けだったよね。

 それで、ルイセイネたちも腕試しがしたくなったんだね?


「さすがは竜神様の御遣い達だ。君の妻たちは恐ろしいな。全員が愛用の武器を手にしていないということだが、それでも素晴らしい動きだった。これが本気の試合ではなくて良かった、と素直に言わせてもらおう。特に、ルイセイネには舌を巻くばかりだ」


 アリスさんは、流れ星さまたちと同じ薙刀を構えたままのルイセイネを見据える。


 アリスさんは、気づいているのかもしれないね。

 ルイセイネの竜眼に。


 竜気の流れだけでなく、全てを視ることのできるルイセイネの魔眼は、きっとアリスさんの全ての動きさえも見通していたに違いない。


「むきぃっ、ルイセイネだけが凄いのではありませんからねっ!」


 すると、対抗心を燃やすマドリーヌ。

 アリスさんは、今度はマドリーヌや他のみんなにも視線を向けながら、感想を言ってくれた。


「もちろん、貴女の二重奏上や精密な法術にも驚いた。他にも、私の力を逆に利用しようとするセフィーナ、私であっても遅れをとるほどの連携を見せるユフィとニーナ、気配を殺し、それでいて恐るべき一撃を放つライラ。改めて言うが、これが命を賭けた戦いでなくて本当に良かったと胸を撫で下ろしたのは、私の方だ」


 巫女騎士アリスさんの実力は、僕が誰よりも知っていると思う。

 ルイセイネたちも、アリスさんの特殊な立場と実力は話を聞いて知っていたはずだよね。

 その実力に立ち向かい、こうして評価してもらえたことが嬉しかったようだ。

 全員から闘気が晴れて、笑顔になる。


「朝食前の、良い運動でしたね。それではみなさん、朝食の準備を始めましょうか?」


 ルイセイネが笑顔で言った。

 だけど、ルイセイネの言葉に素直に返事を返す者は誰ひとりとしていなかった。


 なぜなら……


 流れ星さまたちは未だに倒れ伏したままだし、精霊たちだってへにょへにょに疲れ果てている。

 ユフィーリアとニーナは「朝食の準備」と聞いて一目散に逃げて、それをセフィーナが追いかけていった。

 マドリーヌは甲斐甲斐しく流れ星さまたちの介抱を始めたように見せているけど、あれは絶対に「疲れているから家事は嫌です」という意思表示だよね?

 ライラ?

 ライラは僕に抱きついたまま離れようとしません!


 そして、ミストラル。


「あら、終わりなのかしら?」


 と、不穏に片手棍を弄んでいます!


「ミストラル、駄目だよ?」


 ミストラルがアリスさんと手合わせで戦い始めたら、きっと想像以上の惨事になるからね!

 具体的には、お屋敷が吹き飛んだり、地形が変化したり?


「あらあらまあまあ、ミストさんの手合わせはお預けですよ? だって、昨日はエルネア君を独占したのですから。今日からは色々と控えていただきますからね?」


 はっ!


 これまでアリスさんに向けていたルイセイネの意識が、僕の方に切り替わりましたよ!

 というか、ミストラルに言葉を掛けているはずなのに、意識は僕ってどういうことさ!?


「エルネア君?」

「は、はいっ!」


 つい、返事が裏返っちゃう僕。

 すると、ルイセイネは微笑みながら言った。


「ミストさんばかり贔屓ひいきは駄目ですからね? ちゃんと、わたしくたちにも同じような時間をお与えくださいね?」

「はい、よろこんでー!」


 元気よく返事をしたら、妻たちか全員が笑ってくれた。

 ミストラルだけは、苦笑だったけどね。


「さあ、アリスさんも朝食の準備を手伝ってくださいね?」

「お母さんと呼べ」

「はいはい、お母様」


 ちょっと激しすぎる朝の乱取り稽古はお終い。

 次は、朝食の準備です!

 早朝に竜の森の南に広がる湖の畔から離れて、現在まで既に色々とあったけど。

 でも、まだ朝なんだよね!

 お役目を持つミストラルだけでなく、流れ星さまたちの朝も早い。

 もちろん、ルイセイネや妻たちの朝だって早い。

 だから、一日はまだ始まってもいないんだ!


「さぁて、今日は何をしようかな?」

「エルネア様、今日はわたくしと二人だけで禁領の探索ですわ?」

「ライラさん、抜け駆けはいけませんからね?」

「はわわわっ、ルイセイネ様っ」


 残念です。

 ライラはルイセイネに捕まって、朝食の準備に駆り出されました。

 僕は、朝食の準備を始めた妻たちを見送ってから、倒れた流れ星さまたちの介抱に向かった。

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