竜と人に近き者たち

 飛竜のような大きくて優雅な翼。美しく光を反射する、滑らかな鱗。全てを切り裂くような鋭い爪。


 ミストラルは人の姿のまま竜になった。


 ばさり、と軽やかに翼を羽ばたかせると、竜気の風が巻き起こる。髪色と同じ銀に近い金色の鱗が、翼の骨格や手の甲を覆っている。見れば、目尻の下の頬骨ほほぼねの辺りにも、三枚の鱗が浮き上がっていた。


 ミストラルは竜族のように縦に割れた瞳孔どうこうで一度僕を見て、悲しそうな表情をした。

 そして、僕がなにか言葉をかけるよりも早く視線を逸らし、オルタに向かって羽ばたいた。


 一陣の風が通り過ぎ、全ての事象が僕を置き去りにして動き出す。


「くははっ。今やそのみにくい姿がおのれたちだけのものだと思うなよっ!」


 オルタが吠える。

 そして、変身した。


 ミストラルと同じように背中から翼を生やし、竜の瞳孔へと変わる。

 だけど、決定的にミストラルと違う部分が幾つもあった。

 翼は不気味に折れ曲がっている。触れれば傷を負いそうな鋭い鱗が頬や額を覆い、太く凶悪な尻尾が生えていた。

 そして側頭部からは、黒革の兜を突き破り、いびつねじり曲がった二本の角が姿を現わす。


 ミストラルよりも更に竜に近い姿となったオルタは、飛翔し迫ったミストラルの一撃を竜奉剣で受け止めた。

 漆黒の片手棍と黄金色の竜奉剣がぶつかり合った瞬間、激しい衝撃波が発生して瓦礫がれきを吹き飛ばす。


 オルタとミストラルはそのまま激しく武器をぶつけ合いながら、空へと舞い上がった。


 武器をぶつけ合うごとに。オルタが尻尾を振るい、ミストラルが素手で弾くたびに。二人の影が重なり合うたびに衝撃波が生まれ、深い谷を走り抜けた。


 だけど、地上で呆然と見つめるしかない僕には、衝撃波は届かない。僕は強力な結界に守られていた。


 オルタの竜奉剣が黄金色にまぶしくかがやく。刀身から放たれた竜術の光線が空を薙ぎ払い、谷を崩壊させる。

 ミストラルは軽やかに翼を羽ばたかせて回避すると、金銀色の光の尾を引きオルタに肉薄する。

 空でもつれ合うように交差すると、連続した炸裂音が四回響く。青白い光刃が四方に弾け散る。オルタが吹き飛び、谷の奥へと落下した。

 振動をともなって谷が崩落し、オルタが落ちた地点を埋め尽くす。


 何が何だかわからないうちに、ミストラルはオルタを撃退していた。


 上空で翼を羽ばたかせ、オルタの落ちた場所と崩落した深い谷を見つめるミストラル。その側を、高速で紅蓮色の影が過ぎ去った。


 レヴァリアだ。


 戦闘領域を一瞬だけ通過したレヴァリアの背中の上から、きらりと光る粒が幾つか落下した。


 ミストラルはその物体を見た瞬間、慌てたように僕の方へと飛来した。


 あっ! と叫ぶ暇もなく。


 眩しい閃光が視界を奪う。一拍遅れて耳が張り裂けそうな轟音と、立っていられないような振動と衝撃が僕のいる場所を通過し、谷を呑み込んだ。


 目に痛いほどの光で視界を潰された僕は、ただ立ち尽くすばかり。その僕を、なにか柔らかい気配が優しく包み込み、迫り来る破壊から守ってくれていた。


 ふわり、と身体が浮き上がる感覚が全身を支配する。ふらつきながらもしっかりと踏みしめていた地面の感触がなくなり、浮遊感が全身を覆った。


 何度も瞬きをして徐々に戻り始めた視界は、空の風景を映し出す。


 僕はミストラルに抱きかかえられて、空を飛んでいた。


 僕が落ちないように、しっかりと抱きしめるミストラル。僕の顔のすぐ横には、頬に銀に近い金色の三枚の鱗を浮かび上がらせ、瞳孔を縦に割って瞳を光らせているミストラルの横顔がある。

 風にあおられ、鱗と同じ銀に近い金色の美しい髪が僕の頬を撫でた。


 僕も落ちないようにミストラルに抱きつく。

 背中で羽ばたく翼の邪魔にならないように、腰に手を回す。

 思っていたよりも柔らかいミストラルの身体の感触に驚きつつ、地表に視線を移してみた。


 谷が消えていた。

 代わりに、深く広くえぐられた荒野が広がっていた。

 まるで、水の抜けた湖のよう。


 なんて威力なんですか!

 桁違いにも程があるよ。

 確認する必要なんてない。確認なんてしたくありません。あれは絶対に、双子王女様の仕業です。

 でも、自重なんてしている場面じゃなかったからね。そう心に言い聞かせて、視線を空へと戻す。


 翼を羽ばたかせ、ミストラルが向かう先。そこにはレヴァリアが滞空していて、その背中では女性陣や幼竜たちがこちらに大きく手を振っていた。


 レヴァリアに追いついたミストラルは、ゆっくりとその背中に着地した。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 だけどミストラルは着地した後も僕を離さず、うつむいたまま謝罪の言葉を繰り返していた。

 今にも泣き出してしまいそうなほどの悲壮感を顔に浮かべ、何度も何度もごめんなさいと繰り返す。


 大きく手を振って迎えたみんなも、ミストラルの姿と表情に言葉が出ない様子だった。


 僕は、彼女の腰に回していた手を解く。そしてそっと、指先をミストラルの頬に浮いた鱗に当てた。

 つるりとした感触。ミストラルの滑らかで美しく柔らかい肌とは違う。高位の竜族の鱗みたいに上質な肌触りをした鱗だね。


 僕は次いで、ミストラルの背中から生えた美しい翼にそっと手を当てた。

 びくり、とミストラルは身体を震わせ、それに合わせて翼も揺れた。


 小さな子供が親のお叱りを怖がるように、小さく翼をすぼめ、身体を強張こわばらせるミストラル。


 翼も頬の鱗と同じく、硬質で滑らかな手触りだった。


「ねぇ、ミストラル」


 僕の声にも視線を合わせようとしないミストラルに微笑みかける。


「もしかして、これが秘密にしていたこと? オルタが言っていたこと?」


 ミストラルは瞳をきつく閉じ、僕に抱きついたまま小さく固まって動かない。


「なぁんだ。たいしたことなかったね!」


 僕は反応を示さないミストラルに、お返しとばかりに強く抱きしめた。


「なんで怯えるのさ? すごく綺麗だよ?」

「……怖くないの? 不気味じゃない?」


 相変わらず僕を見ようとしないミストラルの横顔に、僕は自分の頬を当てる。


「怖くないし、不気味でもない。もう一度言うけど、すごく綺麗だよ」


 嘘偽りなく、美しいと思ったんだ。

 手や頬に浮き上がった鱗はあでやかで、背中の翼も優雅さを兼ね備えている。神々しく見惚みとれることはあっても、忌避きひする感覚は全く湧いてこないよ。


「ミストラルはどんな姿になっても、美人さんだよ」

「……貴方たちとは違う姿よ? 人じゃないのよ?」

「翼があっても、ミストラルは人だよ。ほら、有翼種や天族にも翼はあるし」

「鱗は気持ち悪くない?」

「レヴァリアたちで見慣れちゃっているし。それがミストラルに有っても、綺麗だとしか思わないよ」

「瞳も貴方たちとは違うわ。恐ろしくない?」


 きつく閉じていた眼を開き、僕を恐る恐る見つめるミストラル。やはり瞳孔は竜族のように縦に割れていた。


 やっと視線を交わすことができた僕は、ミストラルに笑いかける。


「ええっと、普段の状態で怒って僕を叱っているミストラルの方が怖いよ?」

「……むうっ」


 冗談が通じたのかな。

 ミストラルはようやく少しだけ目尻を下げると、僕にもたれ掛かるように、もう一度抱きつき直してきた。


「ごめんなさい」

「謝らないで。僕はミストラルに救われたんだよ」


 激しい衝撃波や爆発から僕を守っていた結界は、アシェルさんの守護ではなくてミストラルのものだった。

 ミストラルはオルタと戦いつつ、僕を結界で守り通した。

 双子王女様の爆撃の際も、身を呈して守ってくれた。

 僕の方が感謝をすべきで、ミストラルが謝る必要なんてこれっぽっちもないよ。


「わたしは貴方を偽っていたわ」

「僕ってなにかだまされていたっけ?」

「この姿のことを秘密にしていたわ」


 僕はもう一度、ミストラルの背中から生えた翼や鱗を見た。


「知ってたよ?」

「えっ?」


 僕の言葉に、ミストラルは驚いたように顔を上げた。


「みんな知っていたわ」

「みんな気づいていたわ」

「たいした秘密じゃないですわ」

「予想はしていましたよね」

「んんっと、プリシアは全部知ってたよ?」


 遠巻きに僕とミストラルのやり取りを見守っていた女性陣が、なにを言っているのやら、といった雰囲気でため息を吐いた。


「どうして……」


 僕たちの反応が予想外だったのか、ミストラルは呆気にとられたような表情を見せる。


「だって、ねぇ?」


 と僕たちは顔を見合わせて、そして笑う。


「北部竜人族が問題を起こしていることへの情報伝達が速すぎだもの」

「平地でも情報伝達には時間がかかるのに、貴女たちは数日で竜峰中の情報を集めていたもの」

「険しい竜峰で、歩いて部族同士の連絡なんて気が遠くなりますわ」

「アスクレスさんやコーネリアさん。その他の方々の移動に違和感を持ってました」


 みんなは口々に、今までの疑問を言葉にする。


 僕もみんなと同じように、竜人族の人たちの行動範囲に違和感を持っていた。


 そもそも、春先から竜峰に入って真っ先に、このことは予想していた。

 竜峰を旅している途中。全力で飛び跳ねても届かないような段差の道があったり。切り立った岩壁の遥か上、跳躍では到底届かないと思える場所に休憩できる横穴があったり。深い渓谷に、利用されていないような古臭い吊り橋が掛かっていたり。

 ルイセイネの言うように、遠い場所でラーザ様の捜索をしていたミストラルの両親が短期間で行き来していたり。

 そういえば、僕が竜の森で密採者に襲われたときなんて、ミストラルは空から降ってきたよね。


「そもそも、こんなに険しい竜峰を歩いて移動なんて無理だと思ったんだよね。そして、僕たちが見ていない場所や、深夜や早朝にみんなが来訪したり出て行ったりしていたから、移動に秘密があるんだろうな、とは最初から勘付いていたよ」


 僕の考えに、うんうんと頷くみんな。


「でもさ。もしも竜人族が自由に空を移動できたら、飛竜のように山の険しさや距離なんて関係なく行き来できるんじゃないかって予想をしてた。それと、竜人族って、何をもって竜人族って言うのかな、とずっと考えてたんだよね」


 見た目は人族と一緒。違うのは、人族は呪術を扱い、竜人族は竜術を扱うことくらい。なのに、明確な種族の違いってなんだろう。

 そう考えたとき。

 竜族に近しい種族だから竜人族なのだと考えたとき。

 なんとなく、そうじゃないかなって思ったんだ。


「人族をあなどりすぎだわ。予想の範囲内よ」

「人族の世界には、たくさんのおとぎ話があるのよ」

「竜人族に竜のような翼や鱗があっても、誰も驚きませんよ」

「むしろ、人族と同じ姿をしていたことに最初は驚きましたわ」


 あっけらかんと告白していくみんなに、ミストラルは強張らせていた身体を徐々に緩めていく。そして驚きの表情でみんなを見て、僕を見た。


「ミストラルが抱えている秘密って、もっともっと怖いものだと思っていたよ。秘密が露呈ろていしたときは、僕たちの信頼関係が揺らぐくらい大きなものなのかもって怖かったのにさ。オルタもたいしたことないね。この程度の竜人族の秘密をもったいぶって大事おおごとかのようにい言うなんてさ」


 とオルタの悪口を言ったら、遥か後方から黄金色の光線が襲ってきた。


「んにゃっ」


 ニーミアの結界が光線を四散させた。


『んわんっ。危険だよっ』

『全力避難だぁ』


 やはり、あの爆発の威力でも、オルタは死んでいなかった。

 崩れ去り、大きな窪地へと変わり果てた谷の奥。その地表の下から光線は放たれていた。


「死んではいなくとも、まだ自由には動けないはずですわ。レヴァリア様、急いでこの場から離れてくださいませっ」

『ふんっ。言われずとも』


 レヴァリアは荒々しく翼を羽ばたかせると、ヨアフの村があった深い谷を離れた。


「エルネア、本当にごめんなさい」

「ううん、気にしないで。でも、もう秘密はなしだからね?」

「うん……」


 ミストラルはこくりと頷くと、また僕に寄りかかるようにして抱きついてきた。

 戦闘区域を離れ、ミストラルの竜気が落ち着く。すると、頬や手の甲に浮いていた鱗は消えていき、背中へと戻っていった。


 ああ、服の背中の部分が破れて、綺麗な素肌が見えちゃっているよ。

 僕の視線を感じたのか、ミストラルが恥ずかしそうに顔を隠す。


「へんなの。ミストラルは僕に薄着姿を見られても恥ずかしがらないのに、変身する姿は恥ずかしいの?」


 いつもと違うミストラルの雰囲気が可愛くて、きゅっと抱きしめてしまう。


「きんしーーっ!」

「ず、ずるいですわっ」

「エルネア君、それはミストラルの罠よっ」

「エルネア君、ミストラルに騙されているわっ」


 あ、周りにみんながいることを忘れてた!


 僕とミストラルの甘い世界は瞬く間に崩壊してしまう。

 ミストラルを僕から剥ぎ取ろうとするみんな。なぜかミストラルはきつく僕に抱き着いたまま抵抗し、離れない。

 途端にレヴァリアの背中の上は修羅場になった。

 プリシアちゃんとニーミアがどさくさに紛れて僕の下半身に抱きついてくる。それはずるいとフィオリーナとリームが参戦し、僕とミストラルは揉みくちゃにされていく。


 いつの間にか。切羽詰まった戦闘の余韻よいんは消え去り、いつもの騒がしい風景へと戻ったことに、僕はようやくほっと胸を撫で下ろす。


『ええいっ、我の背中で暴れるなっ。振り落とすぞ!』

「それは駄目ですわ。皆様は私の竜術で張り付いていますわ」

『くっ。小娘め、覚えていろよ』


 高速で竜峰を南下するレヴァリア。

 僕たちを追撃してくるような気配は、存在しなかった。

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