惑う森の心理戦

 僕は、村を見て回るプリシアちゃんたちとは別の方角へ歩いていく。

 狩りに出ると宣言した以上、村から出るような道を選ばないと不自然だからね。

 行動を開始した僕たちを、居残った神兵たちが不審そうに監視する視線も感じるし。

 だけど、昨夜のグエンのように、尾行までするような気配はない。どうやら、人族が勝手に動き回って目障めざわりだ、と思われている程度らしいね。

 これで竜人族のミストラルまで動いていたら本格的に警戒されていたかもしれないけど、そこは僕たちの思惑通りだ。


 村の中心であるお屋敷から村の外に出るまでに、幾つかの田畑と民家を通り過ぎた。

 朝から畑仕事に精を出す村の人を見かけたけど、誰もが僕に笑顔で挨拶をしてくれた。

 この村に住む人は、みんな善い人ばかりだ。

 人族の僕に対して偏見へんけんや差別的な反応を出さないどころか、遠路よく来てくれたね、とねぎらいの言葉をかけてくれるくらいに親切だった。


 ギルディアやマグルドのような嫌な神族がいる一方、この村の人たちのような、種族を気にしない人たちも暮らしている。神族の国には、色々な人たちがいるんだね。

 でも、やはりこの地を離れれば、神族こそが上位の存在であり、天族はそれに仕える種族。そして、それ以外は奴隷や家畜だとしか思わない人々が大半なんだと思う。

 なかでも、帝尊府という思想を持つ者たちはより過激で、神族以外の者が目立つような行動をとれば容赦しないらしい。


 では、貴族のギルディアが天族の家来や使用人を連れていないのは、帝尊府であるマグルドの目のかたきにされたからだろうか。

 いやいや、そんなはずはないよね。

 だって、村長のお爺ちゃんが言っていたけど、神族の生活は天族の支えがあってこそなんだもんね。

 身の回りのお世話をしてくれる天族を、目障りだから、という理由だけで排除するのかな?

 しかも、自分のご主人様であるギルディアの家来まで。

 マグルドにそんな権限はないように思える。

 そうなると、やはり気になってしまう。

 なぜ、ギルディアは天族を付き従えていないのか。


 村を出て森に入った僕は、早速と周囲の気配を探ってみる。

 ギルディアが天族を村の周辺に潜ませていないか、調べるためだ。

 もしも天族の兵士たちを隠しているとしたら、場合によっては手荒なことも考えているということになるからね。

 だけど、周囲の気配を探ってみても、不審な者が潜んでいる様子はなかった。


「ふむむ? この辺にはいないのかな?」

『奥の方にもいないわよ。ってか、この奥はやぶで入るだけでも面倒よ?』

「なら、狩りを本当にするにしても、避けた方が良いね」


 みんなでお肉を分けられるくらい大きな獲物を狙うなら、もう少し自由に動き回れる場所の方がいい。じゃないと、移動するだけでもつたとげが刺さって痛かったり、思わぬ障害物でけちゃうからね。

 それに、獲ったあとの下処理をするにしても、自由に身動きできる場所の方がやり易い。

 まあ、それは本当に獣を狩る時の話だ。

 今は、別の獲物を探してみよう。


「リンリン、あっちに行ってみよう」


 神兵の監視もなく、周囲に不審な気配もないことを利用して、僕は自分の気配を殺す。そして、空間跳躍で瞬時に移動を開始した。


 何度かの跳躍を繰り返し、別の場所に移る。そうして、周囲の気配を探ってみる。

 だけど、何者かが潜んでいたり、不審な者が彷徨うろついていたりする様子は見られない。


「へんだな? 何もないよね?」

『もっと離れた場所に隠れているんじゃないの?』


 僕とリンリンは、村の周りに広がる森を重点的に探っていた。

 不審者が潜むなら、深い森は絶好の隠れ場所だからね。

 だけど、怪しい影どころか、誰かが潜んでいたような痕跡こんせきさえ見つからない状況に、僕は首を傾げてしまう。

 リンリンが言うように、もっと離れた場所に潜んでいるのかな?


「ううーん。そうだと、ギルディアが緊急で呼び寄せた時に、駆けつけるのが遅くなるよね?」

『天族なら飛んですぐじゃない?』

「言われてみると? でも、やっぱり遠くに潜伏するとは思えないかな?」

『なんでよ?』

「だって、離れすぎていると、そもそもギルディアの動向が掴めなくなって、呼ばれていることにさえ気づけないかもしれないじゃないか」

『言われてみると、そうね』


 もしかしたら、高い場所から村の様子を見ているのかも。とも思ったけど。でも、やはりそれも違うはずだ。

 だって、この辺りで高いところといえば、西にそびえる竜峰の断崖になるからね。

 さすがの天族でも、竜峰の厳しい自然の中に潜めるとは思えないよ。


「ともかく、もう少し詳しく調べてみよう。まだ行ってない場所もあるからね」


 ギルディアは、天族を必ずどこかに潜伏させているはずだ。そうじゃないと、本当に意味がわからない。

 前回、村を訪れた時には天族の家来や使用人を従えていたのに、今回はひとりとして連れていないだなんてことが、はたしてあるのかな?

 もしも、あるとして。では、短期間の間にギルディアが天族を周囲から排除した理由は何なのか。

 帝尊府の仕業?

 でも、村長のお爺ちゃんでも、さすがにそれはない、と言っていたよね。

 では、もっと違った要因があるのかな?

 それとも、僕たちの考え過ぎで、たまたま天族を連れてこなかっただけなのかな?

 何にしても、僕たちはギルディアの考え方や行動をもっと深く把握しておかなきゃいけないよね。


 また何度かの空間跳躍を駆使し、別の場所に着く。そして、周囲の気配を探る。

 だけど、やはりここにも潜伏しているような気配はない。


「むむむ……」


 僕たちの読みが間違っているのかな?

 それとも、もっと巧妙こうみょうたくらみに僕たちが気づけていなくて、翻弄ほんろうされているのかな?

 リンリンも周囲を探ってみて、何も異変はない、と報告してきた。


『こうなったら、徹底的に調べましょうよ』

「そうだね。怪しい場所は全部調べて、それでも何も出なかったら本当に天族を連れてきていない、という結論を信じられるしね」


 ということで、改めて次の場所へ向かおうとした、その時だった。

 空間跳躍をしようと竜気を膨らませた僕は、微かな違和感を覚える。


「リンリン、ちょっと待って」


 僕の制止に、移動しようとしていたリンリンの気配が止まる。


『どうしたのよ?』


 いぶかしがるリンリンに向けて、僕は人差し指をそっと口元に当てる。


 今、何か違和感があった。

 僕が竜気を膨らませた、ほんの一瞬。僕とリンリンとは違う、何かの気配があったような……?


 だけど、注意深く周囲の気配を探っても、何も読み取れない。

 世界は、何の異物も隠してはいない。


 では、僕が覚えた違和感の正体は何だったのかな?


『どうしたのよ?』


 リンリンには、全く感じ取れなかったみたいだ。

 ということは、やっぱり僕の気のせいなのかな?

 自分の感覚に疑問が浮かんできてしまう。でも、一瞬でも覚えた違和感は大切にすべきだよね。

 つい今し方、徹底的に調べ尽くすと誓ったばかりだし。


「アレスちゃん?」


 姿を消したまま僕に憑いてきているアレスちゃんに聞いてみる。

 すると、少し間を置いて返事が返ってきた。予想外の内容で。


『まどわしまどわし?』

「えっ!?」


 惑わし?

 しかも、アレスちゃんが疑問系?


 霊樹の精霊であるアレスちゃんは、何者よりも自然に精通している。そのアレスちゃんが、惑わしの術か何かはわからないけど、違和感の正体を断言できなかっただなんて。

 というか、つまり僕たちは惑わしの術を受けている!?


 アレスちゃんの言葉に、リンリンも息を呑んで緊張する。


『う、嘘でしょ?』


 リンリンだって、東の大森林の賢者だ。たとえ違う場所だとしても、森の中で賢者の目を誤魔化せる者がいるだなんて、信じられないに違いない。

 僕だって、未だに信じられない気分だ。


 いつの間に、僕たちは惑わしの術を受けたの?

 そもそも、術者はどこ!?


 どれだけ気配を読もうとしても、違和感を見つけられない。

 だけど、何も知らなかった時とは違う感じが、微かに読み取れた。

 アレスちゃんに、惑わしを受けていると言われたからかな。周囲の風景が不自然に感じる。今なら、はっきりとわかる。僕たちは、何らかの惑わしを受けている。

 もしくは、惑わしの術中に自分たちの方から飛び込んでしまった?


 村の周囲には、きっと何者かが潜んでいる。それは、アレクスさんの警告からしても、確定的なことだと思う。

 僕たちは、それがギルディアの配置した天族だと思っていたけど。もしかして、もっと別の何かだったのかな?

 それとも、やはりこの惑わしの術も天族の仕業?

 いやいや、天族がこれほど巧妙な術を使うかな?

 リンリンでさえ気付けず、アレスちゃんでも疑問系になる程の、高度な術だ。それを天族が使えるのだとしたら、僕たちは恐ろしく手強い相手と対峙しようとしていることになる。

 ましてや、そんな強者が、小物にしか見えないギルディアに仕えるだろうか。


「まあ、天族じゃなくても、手強いことには変わりないんだけどね?」

『そう思うのなら、どうするのよ?』


 リンリンに問われ、僕は暫し考える。

 惑わしの術の中にいる以上、少なくとも僕の存在は術者に知られたはずだ。姿を消しているリンリンとアレスちゃんの存在まで露見したかは不明だけど、警戒しておいた方がいい。


「……ふむ、そうか」

『どうしたの?』

「さっき、急に違和感を覚えた原因は、僕の竜気に相手が驚いて反応したからかな?」


 実は、空間跳躍で僕がここに飛んだ直後は、相手も僕の気配に気付いていなかった。

 僕も気配を殺していたからね。

 そこに、空間跳躍をしようと竜気を錬成したことで僕の気配が膨らみ、術者は自分の張った惑わしの術中にいつの間にか僕が紛れ込んでいたことを知って、驚いた。

 術者の動揺が惑わしの術に影響して、それを僕が違和感として感知したんじゃないかな?


 今は、どれほど探っても、もう違和感はない。

 見える森の風景も、感じられる自然の息吹いぶきのどこにも、不自然な点はなくなっていた。

 それでも、アレスちゃんだけは僅かな違和感を今も読み取っている。

 恐ろしい術者だけど、相手にも油断があったりと完璧ではないようだね。


 では、僕はどうすれば良いのか。

 完璧ではないけど、超一流の術者に対して、何をすべきか。何ができるのか。

 僕たちはもう、相手の術中にはまっている。

 なら、こちらだって只者ではないというところを見せつけておいた方が良いのかな?

 もしもここで争うなら、潜伏している意味がなくなる程の戦闘になる、と相手に思わせれば、僕たちを見逃してくれるかもしれない。

 僕も相手も「勝利」という手応えは手に入れられないかもしれないけど、この場はやり過ごせるよね。


 後のこと?

 そうなったら、僕たちは必ず勝つ!

 だって、手掛かりさえ持って帰ることができれば、こちらには頼りになる家族のみんながいるからね。家族全員で団結すれば、僕たちは絶対に負けない。


 そうと決まれば、次はどう行動するかだね。

 ふむ、ともう少し考えて、僕は作戦を思いつく。


「さあ、精霊のみんな。ここでも警戒の網を張っておいてね! 猪とか鹿が現れたら教えてね? 狩りが成功したら、ご褒美をあげるよ」


 隣で「あんたは急に何を言い出すのよ?」とリンリンがため息を吐く。だけど、すぐに僕の意図を理解してくれたみたい。

 リンリンが森の精霊を使役すると、僅かに周囲の気配が変質した。


『これで良いの? 惑わしの術を使っている術者は、この程度じゃ見つけられないわよ?』


 リンリンは、周囲に漂う精霊さんたちの気配を増幅しただけだ。

 たしかに、これだけで巧妙に隠れた術者を見つけ出せるはずはない。

 だけど、これで術者も精霊の気配を少しだけ感じたはずだ。

 そして、人族の僕が精霊術を使えると勘違いもしたはずだ。


 そう。これは、潜む相手を逆に惑わす作戦だ。


 人族が、なぜか精霊術を使える。しかも、自分の術中で精霊たちを活性化させて、異変が起きたら露見するように仕向けてきた。

 術者がそう勘違いしてくれたのなら、僕たちに対して安易な行動が取れなくなる。

 もしも術者がギルディアの手下だったなら、こちらを強く警戒するはずだ。

 それに、もっと別の何者かだったとしても。せっかく潜伏しているのに、攻撃的な行動を起こして自分から見つかるなんて愚かな選択肢は取らないと思う。


 あとは、帝尊府の懸念があるけど。

 あまりに警戒しすぎて萎縮いしゅくしてしまい、相手に見下されすぎても問題だからね。少しくらいは、こちらも抵抗力があるというところを見せた方が良いかもしれない。

 それに僕は帝尊府を警戒して、さっきは術者を探しているのではなくあくまでも狩猟の獲物を探しているだけ、という発言を意図的にしたんだ。

 人族が精霊術を使えたとしても、獣を狩るためだけの力と勘違いしてくれれば、目障りにならな過ぎないよね。

 いま大切なのは、術者が下手に動けばこちらも異変を感知できる状況だ、ということを見せつけて動きを封じることが先決だ。


 さて、森に惑わしの術を張り巡らせる術者は、僕の作戦に上手く嵌ってくれるだろうか。

 最後の仕上げとばかりに、耳長族特有の空間跳躍を駆使して、一瞬で森を離れた。

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