昼食はゆっくりと

 まるで、叱られた時のメアリ様のように、直立不動で硬直するマドリーヌ様。

 いったい、誰が声を掛けてきたのだろう? と、振り返る僕。

 そうしたら、お花いっぱいの邸宅のお庭に、おばあちゃんがたたずんでいた。


 歳の頃は、六十歳くらい?

 つえを手にしているけど、ぴんっと伸びた背筋で綺麗に立つ姿からは、とてもご年配なおばあちゃんには見えない。

 慈愛に満ちた笑みで、直立不動のマドリーヌ様を見つめるおばあちゃん。

 振り返った僕に対しても、微笑んでくれた。


「ええっと、マドリーヌ様?」


 どうやら、このおばあちゃんはマドリーヌ様のことを「巫女頭様」と呼ばないくらいの親しい人物らしい。

 妹のメアリ様やお母さんたちだって、おおやけの場では「巫女頭様」と言っていた。なのに、おばあちゃんは大衆の目があってもマドリーヌ様を名前で呼んだ。しかも、敬称けいしょうなしで、だ。

 ということは、とても身分の高い人だということになるんだけど?


 はてさて?

 ヨルテニトス王国内において、大神殿の巫女頭よりも高位の人物とはいったい何者なんだうね?


 おばあちゃんの身に纏った衣装は、巫女装束のそれに似ていた。


 僕の疑問に、マドリーヌ様がようやく動く。

 しかも、せいからどうへ、素早く!

 くるりっ、と身をひるがえしたマドリーヌ様は、おばあちゃんに向かって深くお辞儀をする。


「お久しぶりでございます、お師匠様」

「はい、お久しぶりです、マドリーヌ」


 ああ、なるほど!

 合点がいきました。

 どうやら、お花いっぱいのお庭に立つおばあちゃんは、マドリーヌ様のお師匠様だったんだね。だから、あのマドリーヌ様が緊張して身体を硬直させているんだ。


「さあ、中へいらっしゃい。そこにいては、ご近所様や住民の方々にご迷惑でしょう?」

「はいっ」


 お師匠様に促されて、お花いっぱいの邸宅の敷地へ入るマドリーヌ様。そして、慌てて立ち止まった。


「エ、エルネア君」

「はい、お邪魔しましょう」


 僕の存在を一瞬でも忘れるくらいに、マドリーヌ様とおばあちゃんは強い子弟関係で結ばれているんだね。

 それでも、マドリーヌ様は僕のことを思い出してくれて、立ち止まってくれた。そして、僕に手を伸ばす。

 僕はマドリーヌ様の手を取り直して、敷地に入らせてもらう。


「ご紹介が遅れました。エルネア君、こちらは私の師匠である、リンゼ様です。前巫女頭で、現在は引退されています」

「はじめまして。僕は八大竜王エルネア・イースと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ございません」


 僕も礼儀正しく挨拶をする。

 リンゼ様は「よくいらっしゃいました」と手招てまねきすると、僕たちを邸宅内へ導くように、きびすを返して歩きはじめた。

 ご年配の女性の足取りには見えないね。

 しっかりとした歩みで玄関へ向かうリンゼ様。

 僕たちも、遠慮なく案内に従う。すると、マドリーヌ様が小声で話しかけてきた。


「エルネア君。もしかして、リンゼ様のことを知っていらっしゃって、こちらに逃げてきたのでしょうか?」

「いいえ、知りませんでしたよ? 偶然です」

「そうなのですね。こちらは、リンゼ様のご自宅になるのです。今日のお出かけの最終地点がこちらだなんて、とても不思議ですね」

「もしかしたら、女神様のお導きなのかもしれませんね?」


 と、僕が冗談交じりで言ったら、玄関先に到着したリンゼ様が笑ってくれた。


「まあまあ、竜王様は敬虔なお方でいらっしゃいますね」

「めっそうもございません!」


 僕は、不敬虔なんですよ……

 毎日のお祈りを疎かにしちゃったり、ちょっとだけ慎みがなかったり。

 でも、そんな僕をいつも優しく許してくれるルイセイネやマドリーヌ様は、やっぱり清く美しい巫女様だよね。


「さあ、いらっしゃいませ」

「お邪魔します」


 リンゼ様のご自宅に入らせてもらう僕たち。

 屋内も、お花や植物でいっぱいだ。

 まるで森の中にいるような、清々しい空気が邸宅内を満たしていた。


「エルネア様、お昼ご飯は食べたかしら?」

「いいえ、実はまだ食べていません。つまみ食いは少ししましたけど、いっぱい走り回ったので、お腹はぐうぐうです」

「おやまあ。それでは、ご一緒にいかがかしらね?」

「それはもう、ぜひ!」


 赤や黄色の花々に彩られた玄関を抜けて、廊下を進んだ先に、居間があった。

 中庭に面した居間にも、観葉植物や色とりどりのお花が飾られている。そして、開けはなたれた窓辺からは、新緑色に輝く美しい庭園がのぞく。


「エルネア様は、どうか寛いでいてくださいね。お昼の準備をいたしますから」


 言ってリンゼ様は、奥の台所へ向かおうとする。マドリーヌ様が、それを追いかけた。


「お師匠様、お手伝いいたします」

「おやまあ、珍しい。それじゃあ、お言葉に甘えて。お昼はマドリーヌに作ってもらいましょうか」

「むきぃっ、お手伝いをするだけですっ」


 残念です。お手伝いするだけのつもりが、お昼ご飯をひとりで作ることになったマドリーヌ様。

 頑張って、と僕が声を掛けると、マドリーヌ様は渋々と台所に入っていく。

 そして、リンゼ様が笑う。


「任せたものの、どうなることやら。あの子は、家事は苦手でしたから」

「大丈夫だと思いますよ? 僕たちと一緒に生活しているときは、いつもミストラルにお料理とかを習っていますし」

「まあ、あの子が? エルネア様、マドリーヌのお話を聞かせてくださいませ」

「はい、喜んで」


 リンゼ様にとって、マドリーヌ様はとても大切でいとおしい弟子なんだろうね。

 ヨルテニトス王国の大神殿で聖務にはげむ姿は、リンゼ様もよく知っている。だけど、僕たちと一緒に遠い土地でどんな生活や冒険をしているのかは、あまり知らないんだと思う。

 だから、こうして機会があれば、色々なことを聞きたいんだろうね。


 僕は、マドリーヌ様がいかに素晴らしい女性で、どんなに離れた土地でも巫女頭として立派に務めを果たしていたのだと話す。

 リンゼ様は、僕のお話をにこにこと笑みを浮かべて聞いてくれた。


「あの子がエルネア様たちにご迷惑をおかけしていないか、心配しておりました」

「迷惑だなんて。むしろ、僕たちの方がマドリーヌ様を連れ回す結果になっちゃって、申し訳ないです。巫女頭様を独占して、こちらの国民に恨まれないかと思っていたくらいですよ?」

「ふふふ、ご安心くださいな。マドリーヌが王都を飛び出して冒険に出ていくなど、昔からのことで国民も聖職者たちも慣れっこですから」

「ユフィとニーナと一緒にですね!」

「そうそう、あの双子様と」


 あの三人は昔から揃ってお転婆てんばだったんだ、と笑う僕とリンゼ様。


「マドリーヌは、名門ヴァリティエ家のひとり娘。それで、私もあの子が幼少の頃より厳しく指導してきました。時にはわがままを言い出したり、癇癪を起こしたり。双子様と、ふらりと冒険に出ては周りに迷惑をかけて、本当に手のかかる子でした」


 昔を懐かしむように、中庭に視線を落とすリンゼ様。


「それでも、どんなに厳しい修行にも負けず、立派な巫女になりました。誰もが知っています。あの子がどれほどの努力を積み重ねてきたのか」

「だから、国民にあれだけ愛されているんですね」


 街を少し歩くと、あっという間に人集ひとだかりができる。

 誰もがマドリーヌ様を愛し、うやまうのは、小さな頃から直向ひたむきな努力を積み重ねてきた証拠で、全ての人々に認められているからだね。

 もちろん、師匠であるリンゼ様もマドリーヌ様のことを信頼していた。


 そして僕は、そんなマドリーヌ様を妻として迎えようとしている。

 リンゼ様も、最終的にはそうした話に持っていきたかったのか、お茶で喉をうるおした後に、真摯しんし眼差まなざしで僕を見つめてきた。


「マドリーヌは小さな頃から勉強と修行に明け暮れ、若くして巫女頭という地位に就きました。言ってみれば、あの子のこれまでの人生は、皆の想いに応えるためのものでした。巫女として、それは立派なことです。ですが、そろそろあの子も自分の未来のことを自分で見つめなければいけない年齢になってきました」


 はい、と頷く僕。


うわさは、かねてより耳にしております。マドリーヌからも、よくエルネア様のお話はお伺いしておりました」


 だけど、マドリーヌ様の師匠としては、やはり僕の口から直接に色々な話を聞きたい、ということなんですね。

 僕は姿勢を正す。そして話そうとした、その時。


「むきぃっ、私抜きでそんなお話はさせませんっ」


 マドリーヌ様が、お昼ご飯を運んできながら横やりをいれてきた。


「それじゃあ、お昼ご飯の後に!」

「ふふふ、楽しみは後に取っておきましょうか」


 僕とリンゼ様も手伝って、マドリーヌ様の手料理を居間の食台に運ぶ。

 お肉少なめ、野菜たっぷりの料理が並ぶと、僕のお腹は我慢できずにぐうぐうと鳴り始めた。


「それでは、いただきましょう」


 食前のお祈りを済ませて、ニーミアを含めたみんなでマドリーヌ様の手料理をいただく。

 竜人族のミストラルに料理を習った影響か、平地で人族が口にする料理よりも薄味だね。だけど、優しい味付けだとも言える。

 きっと、ご年配のリンゼ様に配慮した、身体に優しい料理なんだろうね。

 なにより、どの料理も絶品で美味しい。

 リンゼ様も、感動しながら料理を食べてくれていた。






 そして、食後。

 後片付けを手伝って、お茶でひと息入れる。

 そうして、僕とマドリーヌ様はリンゼ様と向き合った。


「それでは、お二人のお話を聞きましょうか」


 リンゼ様も、少し身構えていた。

 あえて食後の落ち着いた時間を選んだことや、マドリーヌ様の真剣な気配に何かを感じ取ったのかもしれない。

 僕も、リンゼ様の気持ちに応えるように、身を正す。


 さて、何から話そうか。そう考えていたら、先にマドリーヌ様が口を開いた。しかも、リンゼ様に対してではなく、僕に向かって。


「エルネア君」

「どうしました?」


 横に座るマドリーヌ様は、僕を真っ直ぐに見つめて言う。


「私は、リンゼ様に全てをお話ししたいと思います。あの、他言厳禁たごんげんきんのことも含めて」

「ふむふむ」


 他言厳禁の話。それはつまり、僕たちの不老長命のことだね。

 僕や妻たちは、老いることなく、老衰死しない。マドリーヌ様は、その秘密を含めてリンゼ様に包み隠さず話したいようだね。

 それで、僕はどうすべきか判断を考える。


 僕たちだって、親兄弟や親しい者にも話していない秘密。

 この秘密を知っているのは、既に種族の寿命を超越している者や、己の生きる道を迷うことなく持っている者たちくらいだ。

 なにせ、とても扱いが難しい話題だからね。

 無闇に秘密が漏れてしまうと、なぜ僕たちだけなんだ、とか、それなら自分も、という者が必ず現れる。

 だから、僕たちはなるべく秘密を守り通して、他者の運命を翻弄ほんろうしないようにしなきゃいけない。


 それでも、マドリーヌ様はリンゼ様に話したいと判断したわけだね。


「エルネア君。リンゼ様は素晴らしいお方です。絶対に他言はいたしませんし、信頼できます」


 マドリーヌ様が昼食を準備している間に、僕もリンゼ様とお話をさせてもらった。

 前巫女頭様だったということ以前に、とても素敵なおばあちゃんであるということは、僕も十分に知っている。

 それでも、やはり難しい話題だ。

 なにせ、リンゼ様はそれなりのお年だ。ここで不老の話を耳にしてしまったら、今後の人生に悪い影響を与えてはしまうのではないか。

 巫女を引退されて、静かに暮らしているリンゼ様。その生活を乱してしまう原因にはならないか。


 マドリーヌ様のことは信頼しているし、自分の感じた印象が間違っていないという自信もある。

 それでも、不老長命の話題は、僕の判断だけでは難しい。


 深く思案する僕。

 すると、これまで大人しくしていたニーミアが「にゃん」と鳴いた。


「大丈夫にゃん。リンゼおばあちゃんは強い人にゃん」

「だいじょうぶだいじょうぶ」


 アレスちゃんまで顕現してきて、僕に頷いてくれた。


 ニーミアは、人の心を読むことができる。

 リンゼ様の心を読み取って、僕たちが不老長命の話題を出しても大丈夫なくらい心が強い、と判断してくれたんだね。

 そして、霊樹の精霊であるアレスちゃんは、世界と繋がる存在でもある。そのアレスちゃんが太鼓判たいこばんを押したということは、リンゼ様は正真正銘に素晴らしい女性だということだね。


「僕も、師匠のおじいちゃんには全幅の信頼を置いていて、何もかも包み隠さず話します。僕にとってのおじいちゃんが、マドリーヌ様にとってのリンゼ様なんですね?」

「はい。父や母以上に長い時間を共に過ごしてきた、私の全てを知るお方です。ですので、あの話題も全てを話して、試練のことなどにも助言をいただきたいと思っているのです」

「ああ、なるほど」


 僕は、マドリーヌ様との馴れ初めや今後にしか意識が向いていなかったけど。どうやら、マドリーヌ様はそれ以外の問題にも目を向けていたようだ。

 そう。複数の女性、しかも二人目の巫女様を妻に迎える場合の試練などについてもね。


 確かに、リンゼ様は最適任かもしれないね。

 現巫女頭であるマドリーヌ様に試練を与えられる存在は、そう多くない。その中でも、前巫女頭であり師匠でもあるリンゼ様であれば、マドリーヌ様に容赦なく試練を課せられるわけだ。

 そして、試練を出すためには、僕たちのことを正しく知ってもらっておかなきゃいけない。

 ということは、やはり不老長命のことを話すべきだろうね。


「わかりました。僕も、マドリーヌ様とリンゼ様を信じます。もちろん、ニーミアとアレスちゃんの判断の正しさもね」

「んにゃん」

「しんじてしんじて」


 アレスちゃんが、噂好きの精霊たちを遠ざける。

 ニーミアが、小さな結界を張ってくれた。

 これで、話が漏れる心配はない。


「それでは、リンゼ様。驚かずに私たちの話を聞いてください」


 そうして、マドリーヌ様は僕たちのことを包み隠さず話し始めた。

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