精霊とエルネア
桁違いに強化された身体能力は、瞬く間に僕をジルドさんの住む王都の最北端へと導いてくれた。
息切れさえもない。
ジルドさんは家の裏で座り込み、石像を彫っていた。
ジルドさんの普段の仕事は、建物や庭を飾る石像の彫刻士なんだ。
僕が来るまでは、石像に向かって仕事をしている。
今日も、いつものように石を彫っていたけど、朝早くからやって来た僕に驚いて手を止めた。
「午前中は学校じゃなかったのかね?」
「はい、本当は学校です。でも、学校に行ってる時間が惜しくて」
そうか、と僕の意気込みを読み取ってくれて、ジルドさんは家から二振りの剣を持ち出してくる。
そして直剣を僕に渡し、自分は美しい曲刀を抜いた。
「今日のエルネア君は何か違うな。力に満ちておる」
さすがはジルドさんだ。僕の変化にいち早く気づいているよ。
「はい、ちょっと朝から色々とありまして。今日からの僕は、今までとは違いますよ」
僕は受け取った直剣を右手に、霊樹の木刀を左手に持って構える。
『がんばれがんばれ』
精霊さんが僕の中で応援してくれている。
湧き上がる桁違いの竜気。
左手から強く脈動する霊樹の気配を感じる。
今の僕なら出来る。
確信ではないけど。
油断も隙もないジルドさんと対峙して、自信も薄れちゃったけど。
でも、きっと倒せる。
僕は自分に言い聞かせ、地を蹴った。
「む」
僕の今までにない加速に、ジルドさんは唸る。
ジルドさんは最小の動きで曲刀を振り、僕を牽制しようとする。
不思議と、今の僕の眼にはジルドさんの動きがゆっくりに見えた。
曲刀の滑らかな薙ぎをかい潜り、一気に間合いを詰める僕。
しかしジルドさんは慌てることなく一歩後ろに下がり、曲刀を引く。
その動きだけで、回避した筈の曲刀が再び僕に襲いかかった。
僕は左手の霊樹の木刀を振るう。
小さな動きでも重いジルドさんの一撃を、僕は軽々とはじき返した。
「むむ」
ジルドさんが驚く。
昨日までの僕であれば、この一撃で体勢を崩されて、あっという間に負けてしまう展開だった。
でも、今の僕は違う。
精霊さんと融合した僕は、計り知れない竜気で全身を強化している。
どんなに重いジルドさんの攻撃にも、耐える力があった。
ジルドさんの曲刀を弾く流れから、僕は竜剣舞へと一気に持ち込む。
流れる動きで右手の直剣を振り上げる。
回避するジルドさん。
回避されても、円を描くように僕は移動し、ジルドさんに迫る。
今度は左手で伸びやかに突きを繰り出す。
弾かれる霊樹の木刀。
でも今度は飛び込む勢いをそのままに、僕は膝蹴りをジルドさんの腹部めがけて放った。
ジルドさんは嫌な気配を感じ取ったのか、受けることなく大きく後ろに跳躍し、合いを取る。
「驚いた。昨日までとは全く違うな」
だけど、ここで種明かしをするような下手は打たない。
僕は勢いよく、ジルドさんとの間合いを詰めた。
それからは激しい打ち合いになった。
僕の豪速の剣戟をジルドさんが弾く。
ジルドさんの重い一撃は、僕の霊樹の木刀が受け耐えた。
ジルドさんの剣先が揺れる。視線で僕を惑わそうとする。でも、今の僕には全てが冷静に見えていた。
ジルドさんの罠には掛からない。誘いには乗らない。
お返しとばかりに、僕は流れる動きで竜剣舞を舞う。
絶え間無く繰り出される僕の攻撃に、ジルドさんは防御に回ることが多くなっていく。
しかし、ジルドさんも伊達ではない。
僕のどんな攻撃にも対応して、受け捌いてくる。
「エルネア君は素直すぎる」
ジルドさんが前に僕の戦い方を評した言葉だ。
相手に勝つためには、汚いことも必要だし騙しも必要。
汚いことは、言ってみれば精霊さんと融合し、二人組で戦っているような今の僕のことだね。
それじゃあ、あとの足りないものとは、相手を騙す演技力。もしくは技だね。
十合、二十合と打ち合いを続ける僕とジルドさん。
ジルドさんの表情は、今までに見たこともないような真剣な表情に変わっていた。
僕の回転しながらの直剣と霊樹の木刀の連続戟に、ジルドさんの体制が崩れる。
今だ。と僕は一歩前に踏み出し、更なる攻勢に出た。
しかし、それはジルドさんの誘いだった。
勢いよく踏み込んだ僕に、ジルドさんも合わせて一歩前に出る。
想定していた間合いを崩され、慌てる僕。
僕は体制を立て直そうと、咄嗟に小さく後退し、体勢を崩す。
それを読んでいたように、ジルドさんは更にもう一歩前に出て曲刀を振るう。
この勝負、貰ったぞ。
ぶつかり合ったジルドさんの視線が、そう言っていた。
でも、それは違うんだ。
一度体勢を崩して沈んだと見せかけた僕は、足に力を入れ大きく後ろに跳躍する。
そして、左手に持つ霊樹の木刀に竜気を送りながら、僕は精霊さんが教えてくれた技を発動させた。
後方に跳躍しながら、左手の霊樹の木刀を振るう僕。
当然、当たるような間合いではなく、訝しがるジルドさんの瞳。
その視線いっぱいに突如として広がったのは、数え切れないほどの緑の葉っぱだった。
何百、何千という緑の葉が、ジルドさんの視界を奪う。
予期せぬことで戸惑うジルドさん。
目の前の葉っぱを振り払おうと曲刀を振る。
曲刀に切られた葉っぱは、光の粒になって弾けて消えた。
しかし、曲刀を振った際に何枚かの葉がジルドさんの腕に触れた。
そして、触れた箇所から鮮血が咲く。
「っ!?」
驚愕に目を見開くジルドさん。
僕は乱舞する無数の葉を横目に、空間跳躍で一気にジルドさんの死角へと飛び込んだ。
一瞬だけ反応が遅れるジルドさん。
でも、それだけで今の僕には十分だった。
思いっきり振られた霊樹の木刀が、ジルドさんの背中に打ち付けられる。
「うぐっ」
痛みで転がるジルドさん。
追い討ちをかけるように、僕は霊樹の木刀に竜気を送る。
すると、
「なんとっ」
痛みを忘れ、僕と霊樹の木刀を驚きのまま見るジルドさん。
霊樹を使った戦い方は、ここに来るまでに精霊さんが教えてくれたんだ。
霊樹の本当の姿は幼木。
スレイグスタ老の秘術で木刀の形に変わっているけど、本来は
だから、竜気を込めれば沢山の奇跡を起こすことができるらしい。
鋭利で乱舞する無数の葉っぱや、伸びて相手を縛り上げる蔦のようにね。
まだまだいろんな技が使えそうだったけど、今の僕には、咄嗟に使えた技はこれだけだった。
「まさか、このような技を隠し持っていたとは」
霊樹の蔦に縛られて地面に倒れ込んだジルドさんが、感心したように僕を見上げた。
これまで一度も使う素振りさえ見せなかった技だったからこそ、ジルドさんには予想外すぎて対応出来なかったんだろうね。
でもまぁ、これはここに来るまでに覚えた技なんだから、今まで使う素振りさえなかったのは仕方がないよね。
きっと、二回目は通用しないと思う。
でも、この一回だけで良かったんだ。
たった一度だけでも、僕はジルドさんに勝つ必要があった。
だから、騙した。
精霊さんと融合し、二人一組で戦うという卑怯な手を使った。
桁違いに向上した身体能力でジルドさんと数十合と剣を合わせ、出し惜しみなしの全力だと騙した。
このために。
たった一度の勝利のために、僕は使える手を全て使ったんだ。
僕は蔦に絡まり倒れているジルドさんを見た。
「ふむ、良い眼をしている。昨日までの君が嘘のようだ」
ジルドさんは
「参ったぞ、エルネア君」
そして、ジルドさんは何故か満面の笑みで、敗北宣言したのだった。
勝った。
絶対に勝てないと思っていたジルドさんに、奇跡的に勝てた。
僕は感動のあまり、ほろほろと瞳から涙を流していた。
「儂の想像以上の手であった。よく精進したね」
ジルドさんの賞賛の言葉に、涙が止まらない。
「本当に、僕はジルドさんに勝てたんですか」
「ああ、勝ったとも。見よ、この手も足も文字通り出ない儂の姿を」
もぞもぞと
「さあ、エルネア君の勝利は確定した。だからこの蔦を早く取っておくれ」
言われて、僕は慌てて蔦を元の姿に戻す。
蔦はするするとジルドさんから離れ、霊樹の木刀の鍔元にまた可愛らしく絡まった。
「ふむ、不思議な木刀じゃな」
ああ、しまった。僕はジルドさんの背中を思いっきり叩いちゃったんだよ。
葉っぱで腕も怪我しているよ。
「あわあわ、身体は大丈夫ですか!?」
僕は慌ててジルドさんの心配をし出した。
「なあに、この程度のことなんぞ大したことはない」
とは言われても僕が気にしてしまうので、スレイグスタ老ご自慢の万能鼻水が入った容器を取り出し、傷口に塗る。
見る間に消えていく傷口に、ジルドさんは苦笑する。
「スレイグスタ様の鼻水か」
「えええっ、知っているんですか!?」
スレイグスタ老のことを知っているようなことは最初に会った時に気づいていたけど、まさかジルドさんが万能鼻水の存在を知っているなんて。
「儂も若い頃に随分と利用させてもらった。一時期だけじゃが、儂もスレイグスタ様のところに出入りしていたのだよ」
「そうだったんですね」
ジルドさんも何か
そういえば、精霊さんが変なことを言っていたような……
「さあ、勝負は終わった。儂の大事な宝をやる前に、一息入れようか」
言って家の中に案内するジルドさんに、僕は付いて行く。
僕の前を歩くジルドさんは、剣を構えている時のような覇気はもうなくて、質素な生活を送っているお爺さんにしか見えなかった。
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