冬の空 満月の夜

 年が明けてからは、平和ながらも忙しい毎日が続いた。朝の雪かき、午前中の苔の広場での修行、午後からはみんなで何かをしたり、僕だけ霊樹の根もとで修行をしたり。

 あっという間に日にちが重なり、立春が近づいてきた。

 とはいっても、もう少し先なんだけど。


 竜峰は益々ますます白さを深め、村の外には出歩けないほどの積雪量を見せている。

 僕やルイセイネ、それにプリシアちゃんは、これほど雪が積もった景色を見たことがなくて大いに感動していたけど、ミストラルたちのように元々竜峰に住む竜人族の人たちは困ったように、毎日真っ白な山を見ていた。


 どうも、例年になく雪が降り積もっているみたい。

 そうだよね。去年、僕が立春の後に竜峰へと足を踏み入れたとき。少なくとも、歩いた範囲では雪は積もっていなかった。

 この雪は、立春前に溶けてくれるのかな?


 厳しい冬の寒波かんぱと大雪のせいで、近くの集落とさえ交流が途絶えている。

 竜峰の北部は、今年は相当に厳しい冬になっているだろう、と大人の人たちが話し合っていた。

 北部竜人族の人たちが騒動を起こした理由は、冬の厳しさに起因きいんする。

 せっかく騒動が収まったのに、厳しい冬を迎えている北部の竜人族に手を差し伸べないと、もともこもなくなってしまう。

 年明け早々の竜王たちの集会で、北部の人たちをより一層支援しようという話があがった。


「雪に強い竜族にお願いできないかな?」


 という僕の提案をもとに、竜峰同盟に参加している竜族たちに話を持ちかけてみた。

 すると、冬に不足がちになる肉と交換条件に、支援物資を北部の竜人族の村々に配ってくれる約束を取り付けることができた。

 きっと今頃は、竜族が頑張ってくれているに違いない。

 竜峰の厳しい冬が過ぎた頃に、ヨルテニトス王国の美味しいお肉をお裾分すそわけしに行こう。


 だけど、このまま充実した日々が続いていくと、気づいたら夏でした、なんてお話もありそうだよね。


「エルネア君。帰る準備は進んでいますか?」

「うん。ザンと一緒にお肉の燻製くんせいを作ったり、これから春にかけて取れる山菜さんさいなんかを教えてもらっているよ」


 ある日の夜。

 満月が綺麗な空の下で、みんなでお月見をしていると、ルイセイネがそう言葉をかけてきた。


 ルイセイネは、竜峰に入ってからも巫女としてのお勤めをなるべく欠かさずに行ってきた。

 満月の夜は、創造の女神様に祝詞のりとを捧げるために夜更かしをする。本来は夜通し儀式を執り行うらしいんだけど、旅先だから簡易なもので良いらしい。それでも、余程の用事がない限り満月の夜に祝詞を奏上するルイセイネに、僕たちも付き合うようになっていた。


 もう少し経ったら儀式を始めるというルイセイネは準備を済ませて、僕の傍で一息ついていた。

 そして、旅立ちの一年の終わりである帰郷のことについて聞いてきた。


「やはり、帰りもおひとりで竜峰を下るのですね」

「うん。始まりはひとり旅からだったからね。帰りも自力で帰ろうと思うんだ」


 僕とルイセイネが話す周りでは、みんなが思い思いの月見を楽しんでいる。

 ミストラルは、お団子を頬張るプリシアちゃんの面倒を見ている。双子王女様はお酒を飲み、ライラは鼻歌交じりで楽しそうに満月を眺めている。ニーミアはライラと一緒に、可愛く鳴いて楽しそう。


「竜峰で竜人族や竜族たちと仲良くなって、みんなと一緒に下山するというのも僕の一年の成長の成果かな、とは思うんだけどね。でも、みんなで降りて行ったら大騒ぎになっちゃうからね。だからひとりで降りようかと。登ってくるときは、結局レヴァリアに半分以上協力してもらっていたしね」

「気をつけてくださいね。慣れたと思っていると足もとをすくわれますよ」

「竜峰同盟で仲良くなった竜族ばかりじゃないからね。孤高の竜族や魔獣がたくさん生息していることは忘れていないよ。ところで、ルイセイネはどうやって戻るの?」

「わたくしは竜の森から、ミストさんと一緒に戻る予定です」

「そういえば、ルイセイネは凄腕の女冒険者と一緒に旅をしていることになっているんだよね」

「はい。ミストさんは冒険者ではありませんが、凄腕なのは間違いないので、一緒に行動をしてもらう予定です」


 自分の名前が出たことで、ミストラルがこちらを見る。頬に白く小さな手形が付いている。粉まみれのプリシアちゃんに頬っぺたを触られたんだね。


「魔族の騒動でわたしのことは露見しているだろうし、堂々と帰れるわね」

「それはそれで、実は困るのですが……。エルネア君だけではなく、わたくしも竜峰に入っていたことが見つかってしまいます」

「エルネアとの関係も指摘されるわね」

「ううう、どうしましょう。母様と父様になんと説明をすれば良いのか」

「ルイセイネのご両親は厳しい人なんだよね。やっぱり怒られたりしちゃう?」

「お仕置きが怖いです。なのでエルネア君、下山したら真っ先にわたくしの両親のもとへと向かってくださいね」

「いやいや、僕も自分の両親に顔を見せなきゃいけないよ。絶対に心配しているだろうしね」

「そうね、あれだけ暴れていれば、違う意味で心配をしていそうね」

「ううう、思い出したくない……」

「エルネア君、戻ったら行政府に帰還の報告をしなきゃいけないわ。だからまずは私たちの両親に会うと良いわ」

「ユフィはなにを言っているのかな?」

「もしかして、エルネア君は知らないのかしら。旅立ちの一年が終わって戻ったら、一年間の報告を通っていた学校か政府に提出しないといけないわよ?」

「えええっ、なにそれ!? ニーナの言葉は初耳ですよ!」

「もしかして、日記をつけていないのですか……?」

「に、日記?」


 引きつった僕の顔を見て、ルイセイネと双子王女様が苦笑する。ミストラルとライラは小首を傾げていた。


「簡単な報告の方法は、一年間の日記を提出することですよ。もしかして、知りませんでしたか?」

「……」

「おかしいわ。私たちは学校で教わったわ」

「変だわ。私たちは教師に教えてもらったわ」

「日記はなるべく毎日つけるようにと、先生は口を酸っぱくして言っていましたよ?」

「……そうだっけ?」


 学校に通っていたときのことを思い出してみる。前半の座学では、日常の知識や旅に必要な知恵、アームアード王国を取り巻く様々な情勢などを勉強してきた。後半の武芸の授業は、主に瞑想ばかりだったね。

 座学の授業内容は、それ以上の体験や勉強などを竜の森でスレイグスタ老やミストラルから教わっていたので、集中していなかったかも。

 もしかして、そのときに言われたのかな?


「エルネア様、日記は私にお任せくださいませ。お帰りになる日までに立派な物を作成いたしますわ」

「ライラさん、お待ちください。貴女にお任せすると、自分とのことばかり捏造ねつぞうしそうで油断できません」

「そもそも、ライラに書かせては駄目でしょう」


 やる気満々で手を挙げたライラの心をくじくミストラルとルイセイネ。容赦がない。


「ほ、報告って絶対なのかな?」

「帰ってきました、という報告は絶対ですね。一年間、なにをしてきたのかの報告をしない場合は、評価されませんよ」

「評価されないと、なにか不都合があるのかしら?」


 ミストラルの素朴な質問に、ルイセイネは人族の社会の仕組みを説明する。

 実は僕もどんな影響があるのか知らないので、こっそりと聞き耳を立てた。


「旅立ちの一年でなにをしてきたのかが、将来に関わるのです。官吏かんりやそれなりの職業を目指される方は、戻ると高等学院に入学されますね。手に職をつけたい人も、立派なお師匠様のもとへと弟子入りしたりします。そういったときに、審査の目安になるのが報告書なんですよ。ですので、報告書のない方は評価されませんし、なにかの理由で一年の旅を経験されなかった方は、将来が厳しいものになるのです。わたくしたちなどは、修行の成果を評価されないと上級職にけなかったりしますね」

「えへへ、そうなんだ。知らなかったよ」

「いえいえ、エルネア君が知らないのは問題ですよ」

「そ、そうだよね……」


 将来のことなんてなにも考えていなかった僕の頭には、よぎることのなかった課題だね。

 僕はスレイグスタ老とミストラルに出逢い、目の前に立ち塞がった課題に目を向けるだけで精一杯だった。

 竜剣舞を覚え、ミストラルに認められ、竜峰に入って旅立ちの一年を乗り切る。それから先のことなんて、みんなと一緒に幸せに暮らすことができればいいなぁ、と漠然ばくぜんと思っていただけだよ。

 だけど、ルイセイネの説明にはうなずかざるを得ない。


 人族の社会で普通の生活をまっとうしていくのなら、本当は旅立ちの一年の先もきちんと視野に入れておかなければいけないんだよね。

 どんな職業に就くのか、なにをしたいのか。自分の将来のために、旅立ちの一年はある。そして、一年間なにをしてきたかを第三者が評価するための、将来を左右する報告書は、大切なものだよね。


 でも、僕は報告書どころか、日記さえもつけていないのですが……


「ど、どうしよう?」


 困った僕の表情を見て、双子王女様がなぐさめてくれた。


「エルネア君は貴族になりたいのかしら」

「エルネア君は王様になりたいのかしら」

「いやいや、貴族はまだしも、王様になんてなれないよ!」

「あら、エルネア君が望めば、私たちは協力するわ。お父様を一緒にちましょう」

「あら、エルネア君が望めば、私たちは協力するわ。お兄様方をおとしいれましょう」

「物騒だよっ」


 この二人は、なんてことを言うのでしょうか。玉座の簒奪さんだつというものでさえはばかられることだというのに、そこに座るのは自分の父親や兄妹なんですよ。

 あわわと慌てる僕を見て、みんなが笑う。


「エルネア君らしい反応で良かったです」

「そうね。これで悪どく染まっていたら巨人の魔王に預けているところだわ」

「私だけはエルネア様が魔王になってもついていきますわ!」

「お兄ちゃんは魔王になるの?」

「いやいや、僕は魔王になんて絶対にならないからね」

「エルネアお兄ちゃんが魔王になったら、プリシアは魔将軍になれるにゃん」

「んんっと、面白そうだね!」

「こらこら、ニーミアは変なことを言っちゃ駄目だよ。プリシアちゃんも、変なところに興味を持っちゃだめ」

「じゃあ、プリシアはなにになるの?」


 どうやら将来の話をしていたので、プリシアちゃんも自分の未来のことに興味を持ったらしい。

 でも、プリシアちゃんの将来は決まっているよね。


「プリシアちゃんは耳長族の部族長になるんだよ」

「大おばあちゃんになるの?」

「あはは、千年先にはなっているかもね」

「じゃあ、お兄ちゃんは大おじいちゃんだね」


 寿命の問題を知らないプリシアちゃんは無邪気に笑う。僕やみんなも笑顔を見せたけど、複雑な気分です。

 人族の僕やルイセイネは、五十年後はすでにおじいちゃんやおばあちゃんになっている。もしかすると、天寿を全うしているかもしれない。ミストラルでさえも、三百年後はおばあちゃんだ。

 長命の耳長族の相手を最後までしてあげられるのは、古代種の竜族であるニーミアだけ。

 ああ、今度は千数百年後。ニーミアはプリシアちゃんも失うんだね。同じ古代種の黒竜であるリリィがいることが救いなのかな。


 寿命のことを考え出すと、自分たちではどうすることもできない運命にやるせなさを感じてしまう。

 そして、自分の努力次第で極められる可能性のある竜剣舞や身近なことがいかに素晴らしいものなのかを再確認できた。


「それでは、皆さんの長生きを願って、今晩の儀式を行いましょう」


 ルイセイネも僕と同じようなことを思ったのかな。

 少しだけ落ちた雰囲気を盛り上げるように、明るい声でそう言うと立ち上がる。


 ぱちばち、と演芸でも楽しく見るかのように、プリシアちゃんが拍手をした。

 ニーミアも可愛く鳴いて、ルイセイネの祝詞を楽しみに待つ。


 きっとこの先、耐え難い別れや新しい出会いが、彼女たちだけではなくて僕たちにも待ち構えているんだろうね。

 だけど、それでもそれぞれの人生や竜生は続いていくんだ。だから、悲しみよりも喜びの多い未来でありますように、とルイセイネがほがらかに奏上しだした祝詞に祈りを込めて、静かに聴き入る。


 満月は女神様を表し、またたく星々は世界に生きる者たちを表すという。

 不老長寿なんて大それたものはいらない。ただ末長く幸せに、みんなで過ごせますように。もしも、一日でも長くみんなと一緒に過ごせるのなら、僕はできる限りの努力をしよう、と澄み切った明るい夜空に誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る