巫女の法術

「ライラっ!!」


 僕は叫び、空間跳躍で光の柱の中からライラを連れ出す。


 無我夢中だった。自身の空間跳躍で別の誰かと一緒に飛んだことなんてない。でも光の柱からライラを救い出さなきゃ、魔剣使いもろともライラが死んでしまう。


 結果なんて考えず、咄嗟の判断だけで行動した。でもそれが良かった。

 間一髪。救出したライラは、全身が火傷したような状況だった。そして腹部には、魔剣が刺さったまま。


 僕は空間跳躍の先でライラを横たえる。


 かふっ、とライラがひとつ息を溢した。


「ライラ、しっかりして」


 僕の呼びかけに、ライラは指先を動かし、微かに反応する。


 なんて無茶をするんだ。自身を巻き込むほどの技を繰り出すなんて、やり過ぎだよ。


「私は、お役に立てましたか」


 ライラは薄く目を開け、僕を見る。


「すごい技だったよ。魔剣使いは倒したよ」


 光の柱が消えた跡には、朽ち果てた鉄片と僅かな肉塊だけが残っていた。


 倒す必要はなかったとは、この状況で言うのは馬鹿げている。今はライラの頑張りを素直に讃えることが、彼女にとって一番良いはずだよ。


「よくやったわ」


 ミストラルも側に駆け寄り、ライラの手を取る。


「ああ。褒められるって、とても嬉しいですわ」


 ライラは涙を流しながら微笑む。でもその微笑みはあまりにも弱く、彼女の命の灯火が薄れていく気配が見ていてわかる。


「エルネア、竜気を流し込んであげて」


 ミストラルに指示され、僕はライラの胸に手を当てて竜気を流し込む。この行為が何を意味するのか最初はわからなかったけど、次第にミストラルの意図がわかり、僕はライラを抱きかかえて竜気を流し込み続けた。


 腹部に刺さった魔剣を通して、ライラの生命力が零れ落ちていく。竜気は、失う生命の火を補充する役割を、代わりに担っていた。


 僕が竜気を送っている間、ミストラルは自身と僕が持っている小壺の中の万能薬を、ライラの全身に塗っていく。

 万能薬はすぐさま効能を発揮してライラの傷を癒していくけど、小壺に入っている程度の量じゃ全然足りない。


 ミストラルにも焦りが見える。震える手が何度か小壺を落とし、万能薬を塗る動きが荒っぽい。

 ミストラルの焦りが、ライラの危険性を物語っていた。


「ニーミア!」


 僕は心配そうに様子を伺っていたニーミアにお願いする。


「ライラを。僕たちをルイセイネのところにまで急いで連れて行って!」


 ルイセイネなら。巫女のルイセイネなら、回復法術が使える。

 僕たちと魔族との戦闘に間に合ったニーミアの飛行速度なら、ルイセイネの場所まで時間はかからないはずだ。


「にゃあっ」


 ニーミアは僕の心を読み、巨大化する。

 僕はライラを抱いたままニーミアの背中に飛び乗る。ミストラルも後に続いた。

 ニーミアは僕たちが背中に乗ったことを確認すると、全速力で竜峰の山脈の奥へと飛翔した。


 暴君さえも比べ物にならない程の速度で、空を駆けるニーミア。僕はその背中で、ライラに竜気を流し込み続ける。ミストラルもライラに触れ、同じ様に竜気を送る。

 それでようやく、ライラはかろうじて生命を維持できていた。


「まったくもう。貴女もエルネアの嫁になりたいのでしょう。なら、もう少ししっかりなさい」


 ミストラルは優しくライラの頭を撫でる。


「はい。ごめんなさいですわ」


 ライラの健気な微笑みに、僕は胸が締め付けられる思いだった。


 僕もミストラルも、もっと彼女の闇を理解すべきだった。

 どんな過去があったのかはわからないけど、ライラは常に誰かの役に立とうとしていた。些細なことでもすぐに手伝おうとするし、絶えず周りに気を配り続けていた。

 そして今回。役に立とうとする気持ちが暴走してしまったんだ。


 一度相対した相手から撤退する。ライラには、それが敗走に思えたのかもしれない。だから再び目の前に騎士が現れた時、持てる力の限りを尽くして挑んでしまった。


 もっとライラと話し合っていれば。もっとライラと心を通わせていれば。彼女の闇を知っていれば、あるいは防げた結果かもしれない。


 言いたくないことは無理には聞かない、というのはやっぱり無責任だったんだよ。共に生活をし、命を支え合う相手なら、とことん理解し合う必要があったんだ。

 今回はライラだけの責任じゃない。彼女の闇から背を向けていた僕たちの責任なんだ。


 だからつぐないたい。ライラの闇を共にはらう機会を、僕たちに与えてほしい。

 どうか死なないで。僕はライラを抱きしめ、女神様に願った。


「にゃあぁぁ」


 ニーミアが全力で飛んでくれている。

 目には追えない程の速度で景色が流れていく。

 そして瞬く間に、ニーミアは山脈の中腹にあるひとつの村に辿り着いた。

 いつもとは違い、荒っぽく着地をするニーミア。僕とミストラルはライラを抱え、すぐに地上に降り立つ。

 この村がどんな処かとか、竜人族の人に挨拶を、なんて気を回している場合じゃない。


「ルイセイネ!」


 僕の叫びに、慌てて駆け寄ってくる少女がいた。

 それはもちろん、ルイセイネだ。


「これはいったい、どうしたのでしょう?」


 切羽詰まった僕とミストラル。そして全身火傷のような傷を負ったライラを見て、ルイセイネは驚く。


「詳しい説明は後で。貴女の法術なら、助けられる?」


 ミストラルの言葉に、ルイセイネは瞬時にライラの状況を確認する。


「全身の怪我、魔剣、そしてその呪い」


 ルイセイネは僕の腕の中のライラに触れる。


「命が薄れていっていますが」


 言って僕とミストラルを眩しそうに見つめる。


「竜気は未だ保ちますか?」


 ルイセイネの確認に、僕とミストラルは頷く。


「でしたら、順番にいきます。お二人はどうかそのまま、ライラさんに竜気を送り続けてください」


 そしてルイセイネは素早く身を正し、祝詞のりと奏上そうじょうし始め、同時に右手を動かす。指先が淡く光り、なぞった空中に不思議な文字と文様が浮かび上がる。


 遅れて駆けつけたプリシアちゃんが、ライラの手を握って元気づけている間に、ルイセイネはまずひとつ目の法術を発動させた。


 光に包まれたルイセイネの両手。そして立直する身体の前に現れた筒状の光る柱。


「まずは魔剣を封印します」


 魔剣とその呪いがライラの命を吸い取っているとわかっていても、僕たちが対応できなかった理由。それは、魔剣に触れれば、魔族以外の者は呪われるから。

 魔剣を処理できる者は、僕たちの中ではルイセイネしか居なかった。


 光に包まれた手で魔剣を掴んだルイセイネは、ゆっくりとライラの腹部から刀身を抜いていく。

 激痛にライラは痙攣し、僕を強く掴む。でも悲鳴をあげることはなかった。ライラは唇を噛み、必死に悲鳴を呑みこんでいた。


 刀身をゆっくりと抜き終えたルイセイネは、光の筒の中に魔剣を差し込む。すると光の筒は魔剣に纏わりつき、一瞬激しく光って弾けた。


「一時的に封印しましたが、どなたも触れないでくださいね」


 徐々に集まりだした村の竜人族の人たちに注意を促し、ルイセイネは次の法術に移る。


 先程までとは違う祝詞を口ずさみ、右手をライラの腹部、今し方まで魔剣が刺さっていた傷口に触れる。そして今度は左手で空中に光る文字と文様を書き出していた。


 法術は、祝詞を唱え、複雑な文字と文様を空中に書き出して行使する。

 それは女神様をたたえ、女神様よりたまわった法力で奇跡を起こすための神聖な儀式なんだ。


 ルイセイネの詠唱が続く。すると魔剣が刺さっていた傷口の周りの、どす黒く変色した呪いが徐々に薄まっていく。

 それと同時に、零れ落ち続けていたライラの命の火が安定しだす。

 でも、命の危険が過ぎ去ったわけじゃない。

 呪いは薄まっても、傷口からは血が流れ、全身の傷の激痛がライラの意識を刈り取ろうとしている。

 僕とミストラルは、呪いが消えた後も竜気を流し続けた。


 そして呪いが消え、腹部のどす黒く変色した部分がなくなると、ルイセイネは続けざまに次の法術へ移行する。


 ルイセイネに無理をさせてしまっている。

 大粒の汗が額から流れ落ち、ルイセイネの顔色も悪い。

 だけど、ルイセイネは法術を止めなかった。

 全力でライラの傷の癒しに入る。

 極々ゆっくりとではあるけど、腹部の傷が塞がっていき、全身の火傷のような傷が引いていく。


 すごい。これが回復法術の威力なんだね。

 種族ごとに数多くある術の内で唯一、生者の傷を癒すことのできる奇跡の技。

 巫女様の回復法術こそが、女神様より賜った至高の奇跡なんだ。


 僕とミストラルが竜気を送ってライラの命の火を照らし続け、ルイセイネが傷を癒していく。そしてプリシアちゃんとニーミアがライラを元気付けた。


 長い長い時間だった。


 ルイセイネは休むことなく祝詞をあげ続け、傷を癒していく。

 どんどんと、今度はルイセイネの顔色が悪くなっていくけど、左手も動きを止めない。


 ルイセイネの必死さが伝わったのかな。誰ともなく竜人族の人たちが僕たちに近づいてきて、ルイセイネの額を流れ落ち続ける大粒の汗を拭う。そして多くの人が、ライラに竜気を送り命を吹き込んだ。


 かろうじて意識を失っていなかったライラは、みんなの暖かい竜気に包まれ、涙を流していた。


 そして。腹部の傷が完全に塞がった時。

 ルイセイネが力を使い果たして、倒れこんだ。


「ごめんなさい。わたくしの力ではここまでが限界です」

「いいえ、貴女は良くやったわ。後は任せて」


 ミストラルが優しくルイセイネを横たえる。


「ルイセイネ、本当にありがとう」

「ルイセイネ様、なんとお礼を言って良いか……」


 僕とライラの言葉を聞き終える前に、ルイセイネは眠るように意識を失った。


 ルイセイネの必死の法術のおかげで、ライラは一命を取り留めたんだ。

 後は僕たちが頑張るだけだね。


「わたしは翁のところに、万能薬を取りに行ってくるわ」


 言ってミストラルは、ニーミアの背中に乗ると、村を後にする。


 ライラの腹部の傷は塞がったけど、全身の怪我は完治していない。それでも、ライラの命は弱いながら安定した今なら、後は万能薬でも怪我は治せるんだ。

 ミストラルは必要な量の万能薬を取りに、スレイグスタ老のもとへと向かってくれた。


 僕はミストラルがいなくなった後に、村の人から部屋をひとつ借り受け、ライラとルイセイネを運び入れる。僕がライラを抱き運んでいたら、村の人がルイセイネを運んでくれた。


 部屋の寝台にライラとルイセイネを横たえ、僕はその後もライラに竜気を送り続けた。

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