東の冬 人々の想い

 竜峰の東に広がる平野に、今年もまた冬が訪れた。

 平地に先んじて冬色に染まった竜峰の奥から、冷たい風が吹き下ろしてくる。

 寒冷かんれいが運ばれてくると、竜の森は瞬く間に冬の風景に変わり、紅葉こうようを散らせて素早く冬支度を済ませた。

 夏から秋にかけて黄金色に輝いていた田畑も、今ではもう刈り入れを終わらせて、閑散かんさんとしている。


 そして、飛竜の狩場と呼ばれる大草原の東に広がる山岳地帯にも、冬はやってきた。


 かんかんかんっ、とけたたましい警鐘けいしょうが山間部に鳴り響く。


「伝令! 妖魔のむれです!」


 馬を駆ってとりでに駆け込んできた伝令兵は、上官への挨拶もそこそこに、前線の状況を伝える。


「北東の渓谷を偵察ていさつしていた冒険者たちが、妖魔を発見。その後、渓谷周辺に次々と妖魔が出現し始めました!」

「渓谷って、この砦の下のだろ? 近いなぁ。それで、数は?」

「ゆうに、百は降らないかと……」


 伝令兵の言葉に、表情をこわばらせる国軍将軍のルドリアード。


ただちに、打って出る。つってもなぁ……。全軍、無駄死にだけは絶対禁止な? この戦場は、最後に生き残っていた奴の勝ちって戦いだ。冒険者にも、それは徹底させてくれ。それと、場合によってはこの砦も放棄ほうきしちまうんで、その準備もな」


 当初は、国軍将軍テイゼナルが率いる一軍と、冒険者や血の気の多い獣人族の有志だけで結成されていた対邪族防衛軍だったが。度重なる無数の妖魔の出現や、邪族の思わぬ反攻に苦戦必至と判断した国王、アームアード四世は、国内に厳戒態勢げんかいたいせいを敷いた。

 アームアード四世は、第二王子であり国軍大将軍であるルドリアードを総司令官に任命し、国内の戦力を山間部へと集中させた。


 さらに、隣国のヨルテニトス王国へと使者を派遣し、支援を要請。

 ヨルテニトス王国は、双子のアームアード王国からの要請に、先ずは飛竜騎士団の精鋭十騎を派遣した。

 のちに、王太子グレイヴを筆頭としたヨルテニトス王国の援軍本体も、山岳部へと駆けつける手はずになっている。


 また、国王は自らの足で英雄エルネアの実家を訪れ、屋敷に滞在中であった竜族たちへとうったえかけた。

 国王の真摯しんしな願いに、竜峰が応えた。

 竜王イドを中心とした竜王四人。さらに、竜人族の戦士たちと竜族が、邪族討伐に次々とさんじる。


 こうして、多種族混成の対邪族防衛軍は、勇者と英雄が不在の平地に集結すると、結束して邪族と妖魔に対抗した。


 しかし、戦況は思わしくない。

 むしろ、戦力が揃ってもなお、防戦一方で追い詰められている。

 この、山の頂に築いた急ごしらえの砦も、邪族と妖魔の侵略によって、あと数日で陥落かんらくするかもしれない。


「エルネア君の奥さんたちに伝えてくれないかな。彼女らに、竜族は邪族出現まで待機とお願いしてくれ。それと、竜王イド殿」

「おうよ?」


 ルドリアードは、傍に立つ化け物のような体躯たいくのイドを見上げた。


「竜人族の方々は、妖魔討伐へ向かってもらいたい。ああ、だけど、山ごと吹き飛ばすのは、もう禁止させてもらうよ?」

「ちまちまとした戦闘は、苦手なんだがな。まあ、いい。邪族をおびき出せるように、ひと暴れしてくるさ。行くぞ、ミリー」

「おーっ!」


 竜王イド。

 同じく竜王であり、八大竜王と呼ばれる人族の少年エルネアの話によれば、最強の竜王なのだとか。

 たしかに、参戦初っ端で山腹ごと妖魔の群を吹き飛ばした破壊力は凄まじいものだった。

 だが、妖魔が出現するたびに山肌を破壊されては、山に生活のかて見出みいだす国民がなげき悲しんでしまう。


 そして、そのイドをしのぐ実力者が、エルネアの伴侶はんりょのひとりであるミストラルじょうなのだとか。


 ルドリアードが最初にエルネアやミストラルと出逢ったのは、ほんの三年前。

 あの可愛らしい少年が、今や英雄と称えられる、人族にとって掛け替えのない最重要人物になるとは。

 そして、当初から只者ただものではない、と思わせていたミストラルが、予想をはるかに超えた最強の竜人族であったとは。


 いやはや、なんとも恐ろしい。


 ルドリアードは当時を思い出してにやけてしまう。

 それを見たイドは、戦前の不敵な笑みだとでも捉えたのか、ルドリアードの要請に応え、豪快に笑いながら仲間と共に砦を後にした。

 イドの後を追って、小柄こがらな獣人族のミリーが陽気な足取りで去っていく。


 誰かを護る者は、強い。

 何かを大切に思う者は、諦めない。


 人族を中心としてこの地に結集した者たちは、他者のために少なからず心を向けることのできる、正義の者たちだ。

 そんな彼らが、世界の敵であるという邪族や、邪悪な妖魔に討ち負けるはずがない。

 伝令と同時に動き始めた兵士たちを見つめ、ルドリアードは希望を捨てずに信じる。


 だが、それでも限界はおのずと訪れる。


「だからさ。早く帰ってきて、いつものように大暴れしてくれないもんかねぇ」


 待ち望む者たちへと思いをせ、ルドリアードは大空を見上げた。






 イドの号令を受け、竜人族の戦士たちが不敵な笑みを浮かべて動き出す。


「妖魔か、やってやろうじゃねえか!」

「くくくっ、腕がなるぜ」

「ここいらで実力を示しておけば、将来の竜王は俺のものだ!」

「お前さは、竜王になる前にさっさとよめじょを迎えて、まずは一人前になるこった」

「じじい、うるせえっ!」

「わははっ。若い連中はみーんな、竜姫りゅうきにふられたもんなぁ?」

「ミストラル……」

「ミストさん…………」

「ミストラルゥ!」


 老碗ろうわんの戦士の言葉に、半数近い若い戦士たちが気落ちする。


「ほらほらっ。みんな、元気出してー? 私が応援してるからさ!」

「ミリーちゃん!」

「そうだ、俺たちにはまだ、ミリーちゃんがいる!」

「ミリーちゃあぁぁぁんっ!」


 そして、愛くるしいミリーにはげまされて、元気を取り戻す若い竜人族の戦士たち。

 だが、その直後だった。


「あぁん?」


 イドに睨まれ、顔を引きつらせる若い戦士たち。


「お前ら、竜人族の名折れのような情けねぇ戦いをしていたら、俺が容赦なくぶっ飛ばすからな?」

「ひえっ」


 竜人族の若い戦士たちにとっては、妖魔よりも恐ろしい存在がイドだった。


「やれやれ、馬鹿者たちばかりだな」


 これから、人族の兵士や冒険者を擁護ようごしつつ、妖魔の群と戦わなければならない。だというのに、この緊張感に欠けたやり取りはなんだ。

 幼馴染であるミストラルからの要請で竜峰から降りてきたザンは、浅くため息を吐く。


「おう、ザン。やる気が起きねえのかよ?」


 すると、イドが並んできた。

 ザンは巨軀きょくのイドを見上げながら、改めて苦笑する。


「いえ、違うのです。やる気はありますよ。ただ、あいつらの尻拭しりぬぐいをさせられそうで」

「がははっ。お前は若いのに、気苦労が絶えないな。なぁに、気にすることはないぜ。なにせ、最初から尻拭いには変わりねえよ。ただし、若い連中の尻じゃなく、エルネアの尻拭いだがな」

「違いありませんね……」


 やれやれ。あいつは今頃、どこでどんな騒ぎを巻き起こしているのか。

 邪族への切り札を探しに旅立ったと聞いているが、絶対に別の場所で騒動に巻き込まれているに違いない。

 そして、この騒動も、最終的にはエルネアを中心とした騒ぎに帰結きけつするのは間違いないのだ。


「まあ、お前も若いがよ。若い連中の中では、お前に一番期待しているんだ。さっさと竜王になって、俺を引退させろ。そうすれば、ミリーとのんびり旅ができる」

「イドさんの代わりなんて……」


 ザンは、なぜか竜王という称号には興味がない。

 ましてや、最強の竜王であるイドの代わりなど、勤められるはずもない。

 それに、竜王になって竜峰全体の安息を心配するよりも、生まれ故郷の村を中心に静かに暮らしたい。


 そうだ。

 竜峰のこと、さらには人族が暮らす平地や魔族との関わりは、エルネアに任せておけばいいのだ。

 だから、さっさと帰ってこい。


 ザンは、弟のように思えるエルネアへ恨み節を込めながら、大空を見上げた。






「はっくしゅっ!」

「あら、ミストさん。風邪でしょうか?」

「違うわ。なぜか、急に身震みぶるいがしちゃって」

「誰かが噂しているのだわ」

「誰かが話題にしているのだわ」

「はわわっ。ミスト様、ご自愛くださいですわ」

「ライラ、大丈夫よ。ほら、わたしたちも急ぎましょう」


 ルドリアードからの伝令を受け、待機中の竜族たちへと中継なかつぎに向かう途中のミストラルたち。


 邪族討伐の管制かんせいを目的として山のいただきに急ごしらえで建てられた砦だが、なぜか気を回してもらっていて、ミストラルたちの個室がそれぞれに備えられていた。


「あら、ミストさん。これから竜族のもとへ?」


 すると、同じように個室を与えられているセリースたちと中庭で顔を合わせた。

 セリース、クリーシオ、キーリ、イネア、ネイミー。

 勇者リステアの仲間であり、妻たち。

 まあ、クリーシオだけはスラットンの伴侶だが。


「そう言う貴女たちは、これから出撃するのかしら?」

「はい、偵察に出ていた冒険者の方々の支援に向かいます」

「イドやザンたちも出たみたいだから、竜人族の戦士たちと連携してちょうだい。それと、無理だけはしないでね。邪族が出たら、わたしたちも向かうわ」

「はい。お気遣いをありがとうございます」


 広大な山間部のどこに、邪族が出現するのか。

 そもそも、出現前はどこに潜んでいるのか。

 晩秋ばんしゅうから長い期間を戦い続け、探り続けているが、未だに邪族の寝ぐらを掴めないでいた。

 だが、経験則けいけんそくからわかってきたこともある。


 邪族が出現する直前には、必ずと言っていいほど、妖魔が出現する。

 しかも、単独でさえ滅多には姿を見せることのない妖魔が、なぜか群を成す。

 そして、妖魔をえさに、邪族は出現する。


 そうなのだ。

 妖魔は、餌だった。


 只でさえ苦戦必至の対邪族戦。

 そうすると、人々は考えるようになる。

 たしかに妖魔の出現も脅威だが、竜族をも喰らう邪族と比べれば、有象無象に過ぎない。

 では、妖魔は無視すべきでは?

 なにせ、ここは山間部。さらには、邪族や妖魔の出現によって、民間人はとうの昔に退避してしまっている。

 ならば、妖魔を無視し、邪族だけに戦力を集中すれば良いのではないか。

 あわよくば、妖魔と邪族が共に争い、消耗してくれるのではないか。


 だが、結果から言えば、この考えは失敗だった。

 そもそも、妖魔では邪族の相手にはならない。

 しかも不思議なことに、妖魔は邪族を襲わない。

 逆に、邪族は妖魔を喰らう。そして、力を増幅させてしまう。


 ならば、邪族に餌を与えるわけにはいかない。

 結局、対邪族防衛軍は、妖魔の存在を無視することができず、むしろ積極的に討伐しなければいけない状況だと認識させられてしまった。


「少しでも多く、妖魔を倒してきますね」

「リステアとスラットンがいないのだから、ほどほどにね」

「はい。そうでないと、帰ってきた殿方とのがたが困ってしまいますから」

「ふふふ、勇者の株を奪う活躍をしてしまうと、今後にわずらうわね」


 だいたい、なかなか帰ってこないリステアたちが悪いのです。などと、英雄と勇者の身内は愚痴をこぼしつつ、お互いの役目へと戻る。


 だが、不意に、誰ともなく、空を見上げた。

 まるで、何かに導かれるように。


 そして、見るのだった。

 砦の兵士たち。

 山間部で活動していた冒険者たち。

 出撃した竜人族たち。

 待機中であった竜族たち。


 全ての者たちが、それを見た。


 美しく火の粉を舞わせ、大空に羽ばたく神々しい炎の鳳凰ほうおう

 そして、炎の鳳凰に導かれた、雄々しい大鷲おおわし


 セリースたちの顔が、ぱっと明るくなった。

 全ての者たちの頬を、希望が照らす。


 太陽が、真夏のように燦々さんさんと輝く。

 同時に、アームアード王国の山肌が真っ赤に燃え上がった。

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