振り返れば奴がいる
慌ててミストラルの
だけど、もうミストラルには意識がなかった。
「そんな……」
まさか、ミストラルまでもがこうも簡単に倒されるだなんて。
僕たちは、何者かの攻撃に
それなのに、こうもあっさりと、しかも一方的にミストラルが倒されるだなんて、僕だって思いもしていなかった。
いったい、みんなを昏倒させた者の正体とは何なのか。
外界から隔離された旅館で意識を保っているのは、僕だけになってしまった。
気楽な家族旅行だったはずなのに、こんな事態に
ミストラルを布団に寝かせながら、今後の作戦を練る。
こうなってしまえば、もう手加減なんかはしていられないのかもしれない。
相手がどういう
それに、今はまだ昏倒させられているだけだけど。今後、身体や命に危害が加えられる可能性が完全に排除されているわけではないからね。
「よし、それなら」
無手での竜剣舞。もしくは、全力で竜術を放つべきか。
ミストラルの拳でさえ跳ね返した結界だけど、最大威力で技を繰り出せば、結界を破壊することくらいはできるかも。
まあ、そのときは旅館ごと吹き飛んじゃっているだろうけどね。
仕方ないよね!
請求先は、ルドリアードさんへ回してもらいましょう。
なんて思いを巡らせながら、意識を集中させ始めたそのときだった。
かたり、と背後で物音が!
だけど、誰もいないし、なんの気配も感じない。
「風の音か……」
外で、突風でも吹いたみたい。
窓が鳴った音だったのかな。
どうやら、僕は自分で認識している以上に緊張しているようだ。
気を取り直し、竜気を
ぞわぞわっと首筋を何かがなぞるような、不気味な気配を感じる。
ぞくりと背中を震わせ、首筋を押さえる僕。
だけど、これも気のせいだったのか、異変はなかった。
「き、気のせいかな……?」
でも、なんだろう。
強敵と対峙したときとは違う、異質な緊張感が僕を襲う。
「こ、怖くなんてないんだからねっ」
誰に対してなのか、ついそんなことを口走ってしまう僕。
すると、僕の声に応えたかのように、背後から何者かの忍び寄る気配が伝わってきた。
「何者だ!」
素早く振り返り、身構える。
だけど、背後には誰もいなかった。
そんな馬鹿な!
たしかに、何者かの気配を感じたはずなのに。
油断なく、周囲の気配を伺う。でも、怪しい者の気配は一切感じ取れなかった。
むむむ。
こうも巧みに気配を隠せるだなんて。
これは、間違いなく只者じゃないね。
ミストラルと推理していた段階では、気を失った従業員のなかに真犯人が紛れ込んでいるのでは、ということだったけど。
これはもう、完全に否定されてしまっている。
なぜなら、僕たちが滞在しているお部屋には、倒れた従業員の姿なんてひとりもいないから。
いくら従業員に紛れていても、僕たちを不意打ちで襲うためには近くにいなくちゃいけない。
遠くからの
それに、ミストラルが倒れる間際に口にした言葉が気になる。
「あ、あなたは……」
あれは、気を失う直前のミストラルの眼前に、襲撃者がいたことを
だけど、振り返った僕の視界には、倒れ込むミストラルの姿しか映らなかった。
ここから導き出せる答えは、ふたつある。
ひとつ。襲撃者は、ミストラルを一瞬で昏倒させて、瞬く間に姿を消すことができる手練れだということ。
もうひとつ。ミストラルの口ぶりから、犯人は見知った者である可能性が高い。
そう。そうなんだ。
犯人は従業員に紛れてなどいない。それどころか、僕たちの知っている者なんだ!
だからこそ襲撃者は警戒されることなく、みんなの不意を突くことができたんじゃないかな?
そして、見知った者が真犯人だったから、ミストラルはあんな風に驚いた口ぶりになったんだと思う。
では、いったい何者が真犯人なのか。
考えられる可能性としては、悪い人たちが思い浮かぶ。
魔王とか、その側近とか。
だけど、可能性は低い。
だってさ。あの二人が絡んでいる場合は、もっと極悪な仕様になっていると思うんだよね。
それこそ、油断していたら命に関わったり、とんでもない面倒ごとに発展したりと。
だけど、みんなは意識を失っているだけで、今のところ危険性はない。
では、あの二人以外に僕たちへ悪さをする者がいるとすれば、誰だろう?
僕たちを
スレイグスタ老だとか、精霊王たちだとか。あとは、ミシェイラちゃんたちや、魔女さんもそうだし、ニーミアの母親であるアシェルさんだって僕たちよりも強い。
だけどなぁ……
思い当たる面々が、今この場所で僕たちを襲撃する理由がないよね。
スレイグスタ老の悪戯が苔の広場や竜の森を超える可能性は低いし、魔女さんやアシェルさんがこんなことをするはずがない。
精霊王たちだったら、と一瞬だけ考えたけど、それも無理だ。
なにせ、この隔離された空間からは、精霊たちが排除されているのだから。
「くっ。考えていても、
武器を構え、敵意を向けあって対峙する相手となら、いくらでも戦いようがある。
でも、搦め手で僕たちを翻弄し、姿も現さない相手だと、こうも苦戦してしまうだなんて。
思わぬ弱点を突かれた格好だ。
とはいえ、いつまでも悠長に、後手に甘んじている僕ではない。
改めて竜気を練り直す。
するとまた、こちらの邪魔をするかのように廊下から
「今度は逃さないぞ!」
空間跳躍を発動させ、一瞬で廊下へ躍り出る僕。
だけどまたしても、廊下には誰もいなかった。
なーんて、同じ手が何度も通用するものか!
僕は見逃さなかった。
こちらが跳躍してきた直後。廊下の
まさか、僕が空間跳躍で瞬時に移動してくるとは思わなかったのかな。それとも、挑発されているのだろうか。
なにはともあれ、僕は怪しい影を追う。
「待てっ!」
もう一度、空間跳躍を発動させる。
旅館内に限定した空間跳躍なら、阻害されない。
僕は先回りをして、廊下の先に飛んだ。
だけど、そこにはやはり、何者の姿も気配もなかった。
「おかしいな。こっちに向かって走って行ったはずなのに」
周囲の気配を探る。
倒れた従業員さんの気配を複数人感じたけど、この人たちは最初からこの場で倒れていたと記憶している。
やはり、犯人は従業員に紛れているわけじゃない。
では、廊下を走って逃げたはずの何者かは、いったいどこへ姿を隠したというのか。
僕と同じように、瞬間移動ができる?
それとも、僕が察知できないほど巧みに、気配を殺している?
両方かもしれないし、僕が真実に気づいていないだけかもしれない。
僕以外は立っている者がいなく、静まり返った旅館。
はぁ、はぁ、と少し乱れた僕の息切れが耳に
ミストラルが倒れて、まだほんの僅かな時間しか過ぎていない。だというのに、僕はなんで息切れしているんだろう?
緊張のせい?
恐怖のせい?
ううん、怖くない!
僕は子供じゃないからね。
お化けだとか呪いだとか、正体不明の何者かの気配に怯えてなんていないよ。
「ふふ。ふふふ……」
そんな、気を奮い立たせる僕をあざ笑うかのように、どこからともなく笑い声が響いてきた。
「どこだ!」
周囲の気配を探る。
だけど相変わらず、怪しい気配は何も感じない。
いや、そんなはずはない。
何者かが
その者の気配は探れなくても、周囲の違和感が存在を伝えてくれる。
空気の流れ、温度の変化。自然の中にあって、不自然な違和感を探れ!
もう、周囲の状況には惑わされない。
僕は意識を落とし、探れる範囲、つまり旅館の敷地内にくまなく意識を向ける。
竜剣舞を舞うことなく竜気を放ち、僕の竜気で空間を満たしていく。
すると、ほんの僅かだけど、奇妙な感覚を察知した。
「気配じゃなくて、感覚?」
自分で感じておいて言うのもなんだけど。
どういうことだろう?
まるで、手で触れたり直接触れ合ったかのような感覚を、遠くの「何か」に感じた僕は、首を傾げてしまう。
でも、今は考えるよりも行動が先決だ。
僕は感覚だけを頼りに、旅館の廊下を
すると、何者かが逃げる様子が伝わってきた。
これも、気配ではなくて感覚だ。
密接していた「何か」が遠のいて、感じていた圧が弱くなる、と表現すればいいのかな?
なにはともあれ、不思議な感覚が僕に襲撃者の存在を示し、動向を伝えてくれる。
追う僕と、逃げる何者か。
なかなか距離が詰まらない。
空間跳躍を発動させて一気に距離を詰めようと試みる。すると、相手もこちらの動きを読んでいるかのように、何かの術か技で距離を保つ。
長い廊下を走り抜け、階段を上がる。
大広間に逃げ込んだと思い、追い詰めようと飛び込む。
だけど、僅かな時間差で逃げられてしまい、また廊下へ。
厨房へ逃げたかと思ったら、違う客間へ。
お風呂場では、一瞬前まで何者かが存在していたことを示すように、湯船が波打っていた。
「くっ。なんて逃げ足が速いんだ!」
僕だって、鬼ごっこの
だけど、相手はプリシアちゃんかそれ以上に、逃げるのが上手い。
僕は弄ばれていると知りつつも、感覚だけを頼りに逃げる者を追う。
だけど、僕と襲撃者の鬼ごっこは不意に終わりを迎えた。
「そんな……!」
つい今しがたまで感じていた感覚が、急に
まるで、襲撃者の存在そのものが消失したかのように。
気配を探っても、何も掴めない。
僕は、長い廊下の真ん中で、
「謀略や搦め手だけじゃなくて、実力でも僕は遠く及ばない?」
相手の存在さえ掴めれば、事態を打開させられると思っていた。
対峙さえしてしまえば、情勢を逆転させることはできると思い込んでいた。
でも、これは僕の
僕たちは慢心があったから、敗北してしまったのだろうか。
いや、まだ負けとは決まっていない。
でも……
何者かの存在を感覚として認識しておきながら、取り逃がしてしまった。
全力で追いかけたのに、捕まえるどころか距離さえ縮められなかった。
まだ意識を保てているとはいえ、それは相手が僕を弄んでいるからに違いない。
きっと、その気になれば僕も一瞬で意識を奪われてしまうんだ……
「そんなことはないよ?」
「っ!?」
背後からの声に、はっ、と振り返る僕。
だけど、やはり誰もいない。
気配もない。
「くぅぅ。なんで姿どころか気配まで感じられないんだ!?」
声がした。ということは、僕の背後には一瞬前まで何者かがいたことを意味している。
だというのに、振り返っても、もうそこには誰もいない。気配の
せめて、手がかりを少しでも残してくれていれば……
「んんん? 手がかり?」
よく考えてみよう。
僕は今、大きな見落としをしたのではないだろうか。
僕はなぜ、振り返った?
そう。声が聞こえたから。
声……
今の声は?
「ふふふ」
また、背後で声がした。
笑い声だ。
幼く、愛らしい声。
「犯人は、君か!」
振り返った僕の胸もとに、襲撃者が飛び込んできた。
「しょうりしょうり」
「アレスちゃん!?」
な、なんということでしょう!
よりにもよって、僕たちを襲撃してきた犯人は、霊樹の精霊であるアレスちゃんだった。
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