剣の意味

 結果から言うと、全く勝負にはならなかった。


 僕は初手から全力だった。

 空間跳躍を発動し、ロットルさんの背後へ回り込む。

 それだけでロットルさんは僕の存在を見失い、困惑したように周囲を見渡す。そして、随分と遅い反応で、ようやく背後の僕へ気付き、向き直ろうとする。

 その時、魂霊の座を振り上げた僕の姿が、ロットルさんの視界に映った。


「あぁぁあっ!!」


 恐怖のあまりロットルさんは腰がくだけてしまい、無様に倒れ込む。

 それでも、僕は容赦なく魂霊の座を振り抜く。


 一閃いっせん


 光を斬り裂く黒い残影がはしる。


「……勝負あり、ですね」


 僕は静かに、試合終了を宣言した。

 そして、魂霊の座を鞘に戻し、すぐにアレスちゃんに仕舞ってもらう。


 場から魂霊の座という禍々まがまがしい存在がなくなったことで、ようやく空気が軽くなる。

 それでようやく、遠巻きに無言で見守っていた野次馬の人たちも息をすることを思い出したかのように胸を上下し始めた。

 同じように、僕の前で地面に腰を落としたロットルさんも、痙攣けいれん気味に呼吸を再開させ始めていた。


 剣をぶつけ合うまでもなかった。

 魂霊の座を空振りさせるだけで、僕はロットルさんから完全に勝機を奪い去っていた。

 だから、これ以上の相対は必要ない。


「わ、私は……」


 ロットルさんは生きていることを確かめるように、震える手を眼前に持ってくる。

 そして、死をまぬがれたのだと実感したのか、心の底から安堵あんどしたかのように、深く深く瞳を閉じた。


「エルネア殿、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「はい。何でしょう?」


 何度か深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻し始めたロットルさんが立ち上がる。そして、今まで通りの紳士的な態度で、疑問を口にした。


「私は、手加減をされたのですね……?」


 僕は魂霊の座を抜く際に、忠告していた。

 剣を交えれば命はない、と。

 ロットルさんも忠告を承知で勝負に挑んだ以上、覚悟はしていたはずだ。

 だけど、違った。

 ロットルさんは生きているし、勝負の際も、自分の背後に僕が回り込んでいることを認識するまで、剣は振り下ろされなかった。

 だから、ロットルさんは手加減されていたと思ったんだね。


 でも、それは勘違いだ。


「いいえ、僕は全力でしたよ」

「では……?」


 なぜ、自分はこうして生きているのですか、と困惑するロットルさんに、僕は言う。


「僕が魂霊の座を戦いに用いたのは、ロットルさんで二度目です。一度目は、竜峰において狡猾こうかつな妖魔に取りかれた竜族を救うため。あとは、勇者リステアと聖剣復活の旅に出た最後の局面で、妖精魔王ようせいまおうと相対した時でさえ、僕はこの剣を手にはしませんでした」


 魂霊の座の、たった一度の使用。

 スラットンの相棒である、地竜のドゥラネルを助けるために、僕は魂霊の座を抜いた。

 そして、そこから始まる、あの辛く苦しいリステアとの旅の経緯は、既に吟遊詩人ぎんゆうしじんが広くうたっていたり、書物や京劇きょうげきの題目としても世間に浸透していた。

 その過酷な旅の果て。僕は、妖精魔王クシャリラと対決し、引き分けへ持ち込むために死力を尽くした。

 だけど、その戦いにおいてでさえ、僕は魂霊の座を手にすることはなかった。

 さらに言えば、アミラさんが力を暴走させた時だって、北の地で妖魔の王を迎え撃った時でさえ、決して手に握らなかった。


「だから、違います。ロットルさんが僕に魂霊の座を抜かせた時点で、僕は全身全霊を掛けた本気だったんですよ。むしろ、誇っていただいても良いです。僕に覚悟を決めさせて、魂霊の座を抜かせたのは、ロットルさんだけなのだと」


 最初から、技量の差は明白だった。

 だから、本当ならこの校庭まで来る必要もなく、ロットルさんに負けを認めさせることはできた。それでもこうして真剣に相対したのは、ロットルさんのセフィーナさんへ寄せる想いが真摯だったからだ。

 誠意を示す相手には、誠意を持って返答しなきゃいけないよね。

 だから、本当は手に持つことさえはばかられる魂霊の座を拭いて、勝負に挑んだんだ。


 僕とロットルさんは、お互いに覚悟と全力を示した。

 だったら、もう技量の勝負なんて二の次だよね。

 僕は最初に全力を見せたのだから、付属でしかない命のやり取りまでは必要ない。

 だから、空間跳躍で背後に回った後、ロットルさんが僕を認識するまで剣を振るのを止めていたんだ。


「ロットルさんの想いは、僕にも強く伝わりました。だから、僕も出し惜しみなく全力で応えさせていただきました。ですが、僕もセフィーナさんを愛していますから、彼女を賭けた運命の勝負であれば、手加減は絶対にできません」


 僕の話を聞いて、ロットルさんは深く項垂うなだれる。

 だけど、すぐに顔を上げて、右手を差し伸べてきた。

 僕はロットルさんの手を握り返し、強く握手を交わす。


「こちらこそ、エルネア殿の想いを強く感じさせていただきました。エルネア殿に全力を出させ、負けたというのであれば……。そうですね。私もセフィーナ殿への想いを諦めることができます」


 強がりのようなロットルさんの笑みが、僕の心に刺さる。

 僕の想いを押し通す、ということは、誰かの想いを打ち砕き、未来を奪うということなんだよね。それを、深く実感させられる。

 それでも、僕は大切だと思うものを手放したくはない。

 僕はこれから、ロットルさんの想いも背負って、セフィーナさんを愛そう。それだけが、ロットルさんの誠意に応える方法なんだろうからね。


「エルネア殿。本日は大変なお手数をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございません。セフィーナ殿下にも、私事わたくしごとで大変なご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございません」


 ロットルさんは最後に改めて、紳士的な対応を見せてくれた。

 やっぱり、ロットルさんは伯爵家の跡取りとして、立派な人だ。

 これだけの人物なら、きっとすぐに新しい女性が現れてくれると思う。

 セフィーナさんも、最後まで貫き通したロットルさんの紳士的な振る舞いに、感心しているみたいだね。


「私でさえ、エルネア君がここまで本気を出すとは思っていなかったわ。だから、今回の勝負を負い目に感じることなく、逆に誇りとしなさい。ただ……。やはり、私の心をいつでも楽しく踊らせてくれるのは、エルネア君なの。だから、ごめんなさい」


 セフィーナさんも、最後まで格好良かった。

 まるで戦友と別れの握手を交わすかのように手を出すと、ロットルさんと強く握り合う。そして、ロットルさんを励ますように肩を叩くと、憐憫れんびんを感じさせることなく離れた。

 セフィーナさんの歯切れの良い振る舞いに、ロットルさんも少し吹っ切れたようだ。

 強がっていた笑みから力が抜けて、全身からも無駄な力が抜ける。


「この場は、私が責任をもって終わらせておきますので、どうかお二人は先にご自身の生活へとお戻りください」


 校庭を貸してくれた学校の教師や生徒のみんな。わらわらと集まってきた野次馬の人たちの対応をするというロットルさんの申し出を素直に受けて、僕とセフィーナさんは校庭を後にした。






「エルネア君」


 校庭を後にして、僕とセフィーナさんは並んで歩いていた。

 すると、セフィーナさんがいつものように遠慮なく肩を寄せながら、聞いてきた。


「私は思ったのだけれど。もしかして、魂霊の座を抜いたのはロットルの想いに応えるため、という意味以外にも何かあったのじゃないかしら?」

「ほうほう。と、言いますと?」


 何やら確信を得ている様子のセフィーナさんに、僕は逆に聞き返す。

 さっきの勝負に込められた、もうひとつの意味。どうやら、セフィーナさんは気付いたようだね。


「そもそも、ロットルと全力で真剣勝負をする、というのなら、別に剣は必要なかったのじゃないかしら? だって、エルネア君は竜術も超一流じゃない」


 その通り。

 僕にだって、多彩な竜術が扱える。

 それに、運命を賭けた真剣勝負だからって、相手に合わせて剣をぶつけ合わなきゃいけないという決まりはない。だから僕は本来、魂霊の座を抜く必要はなかった。

 それでも、僕は魂霊の座を抜いた。


「それで、思ったのだけれど。もしかして、今後のことも考えての選択だったのかしら?」


 間違いないでしょ? と、セフィーナさんは僕の顔を一度見てから続ける。


「今後も、ロットルのようにエルネア君に勝負を挑んでくる者が現れるかもしれないわよね。だって、私だけでなくマドリーヌ様もいるのだもの」


 セフィーナさんとマドリーヌ様は、アームアード王国とヨルテニトス王国で其々それぞれに高い人気を持つ女性なんだよね。となると、やはり今回のロットルさんの件のように、僕と勝負をしたいと思う者は現れるはずだ。それ以外にも、単純に力比べがしたい、という者も現れるかもしれない。

 だけど、いくら僕だって、来るものこばまずで勝負に挑んであげるほどのお人好しではないよ。


「だからエルネア君はあえて、魂霊の座を抜いたのね? 今後、私やマドリーヌ様を賭けて勝負を挑むというのなら、運命ではなくて命を賭けなきゃいけないと示すために。あとは、中途半端な覚悟や実力では、魂霊の座が放つ瘴気にも耐えられないと知らしめるためにね?」


 どう? 間違いないでしょう? と、自信満々に胸を張るセフィーナさんに、僕は頷く。


「さすがはセフィーナさん。気付いてくれてありがとう。あとは、野次馬の人たちから話が広まって、今の答えにみんなが辿り着いてくれると良いんだけどね?」

「ふふふ、期待しておきましょう。そうしないと、平穏な日常が送れないものね」

「そうだよ!」


 僕とセフィーナさんの足は、自然と実家の方へ向いていた。

 徐々に、見慣れた建物や風景が目に入りだす。


「きっと、さっきの騒動で王都がまた少し騒がしくなるだろうから、いっときは実家に引きこもってゆっくりしておこう」

「あら、良いわね」

「セフィーナさんは、王城に行かなきゃじゃないの!?」

「どうしようかしら?」

「わわわっ。抜け駆け王女様だ!」


 なんてやりとりをしている間に、あっという間に実家まで辿り着く僕たち。


「さあ、入りましょうか」

「もう完全に、僕の実家で寛ぐ気満々だ!」


 なぜかセフィーナさんから強引に手を引かれながら、自分の実家の敷居をまたぐ僕。

 だけど、そこで事件は起きた。


「セフィーナ、お仕置きよ!」

「セフィーナ、懲罰ちょうばつよ!」

「ね、姉様たち!?」


 セフィーナさんが反応した時には、もう遅かった。

 待ち構えていたユフィーリアとニーナは、既に竜術を完成させていた。


「「竜髭伏縛りゅうびふくばく!!」」


 双子の重なり合った声が響く。と同時に、何もなかったはずの空間から数えきれないほどの竜のひげが出現し、あっという間にセフィーナさんを拘束してしまう。


「セフィーナ、私とニーナの目を盗んで抜け駆けするなんて、良い度胸だわ」

「セフィーナ、私とユフィ姉様の目を盗んで抜け駆けするなんて、愚かだわ」

「違うのよ、姉様たち!」


 他者の術を操ることを得意とするはずのセフィーナさんが、何故なぜか竜の髭を解けずに身悶みもだえている。


「私は、エルネア君を実家に送り届けた後に、王城へ行くつもりだったのよ」

「嘘をおっしゃい」

「王城へ戻るだけなら、エルネア君の実家に寄る必要はないわ」

「そ、それは……!」


 まあ、ユフィーリアとニーナの言う通りなんだよね。

 セフィーナさんが抜け駆けをしたのは事実だし、王城へ戻る途中に僕の実家へ立ち寄ろうとすると遠回りになるから、本当は必要ない。

 だけど、これまでの道中で色々とあったからね。


 姉妹対決に助け舟を出すわけではないけど、二人の姉には伝えておいた方が良いと思って、僕は先ほどの騒動をユフィーリアとニーナに話す。


「……というわけで、セフィーナさんも少し気疲れしたから、公務に戻る前にここに立ち寄って休憩をしようとしただけだよ」


 ユフィーリアとニーナは僕の話を笑ったり驚いたりしなが聞くと、なるほど、と納得はしてくれた。

 ただし、セフィーナさんの拘束は解けない。


「セフィーナは、エルネア君に迷惑を賭けた罰として、少し反省だわ」

「セフィーナは、自分の問題を他者に委ねた罰として、少しお仕置きだわ」

「「それと、その髭は竜族の竜の本物の髭だから、貴女の力では解けないわ」」

「は?」


 最後の重なり合った言葉に、セフィーナさんだけでなく僕まで目が点になる。


 そういえば、術を継続している様子もないのに、髭の拘束はいつまで経っても解けない。

 空間から生えたような長い髭は、今もセフィーナさんの自由を奪っていた。


「ユフィ、ニーナ……。本物の竜族の髭って……?」


 と、僕が聞くと、ユフィーリアとニーナはたわわなお胸様を誇張するかのように張って、自信満々に言った。


「「竜族の体の一部を限定召喚する竜術だわ」」

「この双子王女様、また新たな竜術を開発してるーっ!」

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