決別の夜

 ああ、僕は取り返しのつかないあやまちを犯してしまった。

 魔族のシャルロットに言われるがまま、なにも疑うことなく動いた結果だ。


 絶望に打ちひしがれる僕。その視線の先で、シャルロットは喜びを隠すことなく笑う。


 僕はなんてことをしてしまったんだろう。

 何千年と巨人の魔王が封印し続けてきた化け物の復活に加担かたんしてしまった。

 半身を取り戻したシャルロットは、黄金色に輝く魔力を九本の尾のように背後で揺らめかせる。


 このままシャルロットが魔王城を抜け出せば、混沌こんとんの度合いが増してきた北の地でさえ軽微だと言えてしまうような絶望が、世界に訪れる。


 だけど……


 わかっているけど……


 シャルロットが解き放った魔力は瘴気しょうきさえもはね除けて、宝物庫を濃密に満たしている。そして、純度の高い魔力は、それだけで圧倒的な威力を示していた。


 動けない。

 なにもできない。


 絶望が心を支配し、死がすぐかたわらたたずんでいることがわかる。


 駄目だ。

 僕には、シャルロットにあらがうだけの力量なんてない。

 宝物庫を満たす黄金色の魔力に触れただけで、どうしようもないほど確信してしまう。


 僕には、シャルロットを止めることができない。

 僕のせいなのに……

 僕がシャルロットの口車に乗ってしまったからなのに……


「エルネアッ!!」


 がしりっ、と痛いほど強く、肩をつかまれた。

 はっ、と我に返り、隣に立つミストラルを見る。


「エルネア、大丈夫よ。どんな時にだって、わたし達が貴方を支えるわ。わたし達は、いつだって貴方の味方だから」

「……うん」


 ははは。こんな状況で、ミストラルに笑顔を向けられちゃった。

 ミストラルだって、絶望しているはずなのに。

 僕の失態だとわかっているはずなのに。


 心の折れかけた僕をはげまそうと、懸命に笑顔で声をかけてくれた。


 それなのに、僕ときたら……


「ごめんね。それと、ありがとう」


 なんておろかな思考におちいっていたんだろう。

 シャルロットの魔力には、心をむしばむ呪いがり込まれているんだ。

 弱い僕は、簡単に飲み込まれちゃっていた。

 ええい、ミストラルに声をかけられるまでの自分をなぐってやりたい!


 僕は、愚か者だ。

 大切な人をこんなに心配させるだなんて。


 僕は一度瞳を閉じると、大きく深呼吸をする。

 宝物庫を満たすシャルロットの魔力は、僕の身体には染み込んでこない。


 そうだ。

 奥深い世界は、シャルロットの邪悪な魔力になんて染められていない。

 上辺うわべだけの気配に、僕の心は飲み込まれていただけだ。


 何度か深呼吸をすると、僕は改めてシャルロットを見据みすえた。

 そして、白剣と霊樹の木刀を力強く抜きはなつ。


「ふふふ、そんなに気構えなくとも良いのですよ?」


 だけどシャルロットは、立ち向かおうとする僕を見ても動じない。それどころか、まるで赤子の遊戯でも見るかのように、微笑んだままこちらの動きを見守る。


「貴女がどれほどの魔族なのか、気配だけで十分に理解できるわ。でも、だからといって見逃すことはできない!」


 ミストラルも、漆黒の片手棍を構える。

 そして、僕とミストラルは、宝物庫を満たす黄金色の魔力を押し退けようと、竜気を解放した。


「ええ、ええ。そうでしょうとも。ですが……」


 ふふふ、と相変わらず微笑むシャルロット。それだけで、僕とミストラルの動きが縛られる。


 くっ、なんて圧力なんだ!


 僕だって、竜宝玉を全力で解放し、アレスちゃんとも同化した。

 それなのに、手足がなまりのように重い。

 まるで水の底にいるかのような圧迫感が、全身を締め上げる。


 これが、太古に世界を震撼しんかんさせたという九尾の魔族という化け物の実力なのか。

 一歩も動いていないはずなのに、僕とミストラルは全身から汗を流す。


 だけど、もう絶望なんてしてやらない。

 僕たちは僕たちにできることを全力でやり遂げるだけだ。


 シャルロットは、必死に抗おうとする僕とミストラルを見つめて微笑むばかり。それどころか、こちらの状況を見透かした上で、いかにも魔族らしい提案を投げかけてきた。


「どうでしょう。エルネア君やその家族の方々には色々とお世話になりましたし。ひとつだけ願い事を叶えてさしあげましょう」


 なんでもどうぞ、と気軽に言うシャルロットに、僕はすかさず言い放つ。


「封印されて!」

「嫌でございます」


 当たり前と言えば当たり前だけど。

 一番の願いは、あっさりと却下された。


「ふふふ、家族だけは見逃してください。なんて命乞いのちごいなどはどうでしょうか。それであれば、叶えて差し上げますが?」


 そして「この状況であれば、そう願うしかないでしょう?」と嫌味ったらしく提案してくるシャルロット。


「竜姫以外の奥方や、身内が魔王城に滞在されている状況ですよね? まあ、なんて危険なのでしょう」

「それってつまり、シャルロットはこれから暴れるということだよね?」

「はい。陛下には何千年もお世話になりましたので」


 わかっていたことだけど。

 シャルロットは、復讐ふくしゅうする気だ。

 自分から半身を引き千切り、封印し続けた巨人の魔王に、牙を剥く気なんだ!


「ふふふ、早く決断してくださいね。もう私、興奮を抑えきれそうにありませんから。さあ、言ってください。身内だけは助けてくださいと命乞いがなければ、皆さんがどうなっても知りませんよ?」


 そんなことは、言われなくてもわかっているよ!

 睨み返すけど、笑顔で受け流された。


「魔族らしい提案だね。……だけど、そんな提案には絶対に乗らない!」

「おやまあ。それでは、全員が死んでも良いと?」

「全然違うね。シャルロットは魔族で、僕をだましてきたんだ。そんな人の言うことなんて、もう信用しないってことだよ!」


 騙された僕が悪い。

 過ちを犯した僕が悪い。そんな反省は、後からいくらでもできる。

 だから、今は後ろ向きに思考したりなんてしない。


「家族の命は、なにがあっても絶対に護ってみせる!」


 竜宝玉を限界までふるい立たせる。

 アレスちゃんが、僕の内側で全力を解放する。

 霊樹の木刀が世界と共に振るえ、白剣に埋め込まれた宝玉も割れんばかりに力を解放する。

 荒れ狂う竜気の嵐が宝物庫を突き破り、魔王城を震わせた。


「貴女の思い通りにはさせないわ!」


 ミストラルも全力だ。

 背中から翼を生やし、首元や手の甲には銀に近い金色の鱗が浮かび上がる。


 僕とミストラルの竜気が混じり合い、シャルロットの黄金色に輝く魔力を蹴散らしていく。

 竜脈が荒々しく波打ち始め、激しい振動が魔都を揺らす。


 だけど、暴風のなかでシャルロットは平然と佇んでいた。

 対峙する僕たちよりも、暴風で乱れる横巻きの金髪を気にするシャルロットは、ふう、と小さくため息を吐く。


 それだけだった。


 シャルロットの背後で揺れていた九本の尾のような魔力の帯。その内の一本が、全てを薙ぎ払った。


 宝物庫に並ぶ国宝を。

 地下に造られた宝物庫そのものを。

 地上を占める魔王城を。


「っ!!」


 あまりの衝撃に、僕とミストラルは声にならない悲鳴をあげて、片膝をつく。


 そして、見た。


 金色こんじきに輝く夜空を。

 星月の輝きを奪い、夜闇を塗り替えた黄金色の空は、シャルロットの魔力で満ちていた。


「そんな……。魔王城が……!」


 最古の魔王の居城に相応しい壮観さを誇っていた魔王城は、今や片側半分しか残っていない。


 それでも、僕とミストラルは無事だった。

 それもそのはず。


「やれやれ、なにやら私に隠れてこそこそ動き回っていると思っていたが」


 シャルロットは、地下の宝物庫や魔王城を無意味に消し飛ばしたかったわけではない。

 もちろん、僕とミストラルに狙いを定めた一撃だった。

 それなのに、無傷でこうして黄金色に染まった空を見上げられている理由。

 それは、僕たちの頭上に掲げられた手に護られていたから。


 僕たちを護ってくれたのは、巨人の魔王だった。


「これはこれは、魔王陛下」

「シャルロットよ、とうとう封印を破ったのだな」

「はい。おかげさまで」


 ふふふ、と微笑むシャルロットに対し、巨人の魔王の表情は険しい。

 魔王はシャルロットを睨んだまま、僕たちに声をかける。


「私をこのような方法で召喚するとは、恐れ知らずだな。間に合って良かったと感謝しろ」

「来てくれると信じてました。ありがとうございます」

「ふふふ。どうやら、エルネア君は策士だったようですね。対抗する素振りを見せつつ、地下の異変に気づかせて陛下を呼び寄せる時間を稼ぐなんて」


 僕と魔王のやり取りで、シャルロットはこちらの思惑おもわくに気づいだようだ。


「僕たちでは手も足も出ないことくらい、最初からわかっていたからね。本気で力を解放すれば、魔王や側近たちが騒動に気づくと思ったんだ」

「私のことは信用しないと言いましたのに、陛下の加護は信じていらっしゃるなんて、とても面白いです。ふふふ。陛下、魔王城の者たちを避難させる時間は稼げましたでしょうか」

「城を半分吹き飛ばした者が心配することではないな。なあに、避難なんぞ、最初から済んでいる。其方が封印を破ったことに気づかぬ私とでも思ったか」

「さすがは魔王陛下でございます」


 わざとらしく、うやうやしいお辞儀をするシャルロット。

 だけど、魔王の張り詰めた気配を見れば、二人がこれまで通りの主従関係ではないことくらいわかる。


「それで、シャルロットよ。其方は封印の解けた身でなにを望む?」


 ぎろり、と睨む巨人の魔王。

 シャルロットは、いつものように糸目をさらに細めて微笑む。


「ふふふ、いかがいたしましょう。せっかく力を取り戻しましたのに、このまま魔族の国に残っていては上位の方々に目をつけられかねませんし。ただ、過去の因縁いんねんと申しますか、復讐に魂がたぎっているのも事実です。そうですねぇ……。北で暗躍する者に手を貸す、というのも楽しいかもしれません」


 シャルロットは、もう僕たちの知っていたシャルロットではない。

 半身を取り戻した九尾の化け物として、魔王と正面から向き合っていた。

 主従関係のなくなった二人の魔族は、暫し無言で向き合う。


 僕とミストラルは、なにもできないまま魔王とシャルロットの様子を伺うことしかできない。


 沈黙が支配する世界で次に動きを見せたのは、シャルロットの方だった。


「それでは、陛下。そろそろ暇乞いとまごいをさせていただきます」


 もう一度恭しく礼をするシャルロットを、魔王が挑発する。


「ほう。長年に渡り其方を封じてきた私を見逃すと?」

「ふふふ、ご安心ください。今回は気まぐれにてお見逃しいたします。ただ、次はどう気まぐれを起こすかわかりませんので、ご注意を。ああ、それと。どうか右腕の件はお許しくださいませ」


 僕とミストラルの頭上に掲げられたままになっている魔王の右腕は、赤黒くただれたような状態になっていた。


 僕たちを護ってくれた代償に、魔王は右手に重傷を負ってしまっていた。


 僕たちの視線に気づいた魔王は、ちらりと自分の右腕を見る。そして「気にするな」と呟くと、すぐにシャルロットへと視線を戻す。


「では、其方の気まぐれに甘えておくとしよう。ただし、其方が北のぞくどもに合流するのであれば、こちらとて以降は容赦せぬと思え」

「ふふふ、楽しみでございます。過去に私を討伐しようとした九魔将の方々は、それはそれは勇猛ゆうもうでございました。ですが、はて。現代の魔王や上級魔族どもに、過去に勝る者がいるでしょうか?」


 言って、シャルロットは魔王から僕とミストラルに視線を移す。


「ああ、今回はもっと楽しそうな方々がいましたね。それでは、せいぜい精進してくださいませ。せめて、私の魔法に耐えられるくらいには」


 僕とミストラルは、なにも言い返せない。

 僕もミストラルも自力でシャルロットの魔法を防ぐことはできず、魔王の力を借りたんだ。

 でも、その魔王でさえ、たった一撃で腕に重傷を負ってしまった。


 シャルロットは、それだけ絶大な魔法を使う化け物だということだ。


 そして、そのシャルロットがバルトノワールたちと合流したらと思うと、ぞっとする。


 シャルロットは僕たちの返事を待たずに、また魔王へと視線を戻した。


「それでは、陛下。これにて失礼させていただきます」


 いつものように微笑んだシャルロットは、僕たちの前ですうっと姿を消した。


 誰も止めることはできなかった。

 巨人の魔王でさえ、なにもできなかった。

 そんな化け物が、世界に解き放たれた。


 シャルロットの姿が見えなくなり、気配が消えて、黄金色に染まっていた天空が星月の輝く夜空に戻る。


「ごめんなさい……」


 死が眼前にまで迫っていた緊張から解放されて、僕は力なく崩れ落ちた。

 なんとも情けない僕の姿を見て、だけど魔王は愉快ゆかいそうに笑う。


「気にむ必要はない。封印とは、いずれ破られるものだ。むしろ、よくもまあ何千年も保ったものだ」

「でも、僕がもっと配慮はいりょしていれば……」

「愚か者め。たかだが十数年しか生きていない人族の小童こわっぱが、何千年と生きた魔族の謀略ぼうりゃくを見抜けるものか。シャルロットの件は、封印することしかできなかった私にも責任がある。其方らはこれまで通り、バルトノワールに注力していればいい。しかし、シャルロットが暴れ出すとなると、兵の出兵を再考せねばならぬな」


 このとき、ふとあることが僕の頭を過ぎった。

 だけど、この場では不謹慎ふきんしんすぎて、口に出せずに喉の奥に押し込める。

 魔王はそんな僕を見下ろすと、わずかに口角を上げた。……気がした。


さとい者は嫌いではない。だが、それが正しいと慢心まんしんせぬことだ」

「エルネア、なんのこと?」


 意味深な魔王の言葉に、僕と同じように力の抜けたミストラルが首を傾げて聞いてきた。

 僕がそれに答えるよりも前に、遠くから聞き慣れた声と共に人影が現れる。


「エルネア君!」


 ルイセイネたちだ。

 半分廃墟となった魔王城の瓦礫がれきを必死に飛び越えて、みんながこちらへ走ってくる。

 ルイセイネ、ユフィーリア、ニーナ、ライラ、マドリーヌ様とセフィーナさん。それだけじゃない。父親連合のみんなや、魔族たちも集まってくる。


「リリィも無事ですよー」


 そして、空からはリリィが。


やみや反省はまだ早いと知れ。其方らが時間を稼いだおかげで、城の者たちは無事だ。感謝しよう。だがこれからは、其方らにも協力してもらう。良いな?」

「はい!」


 太古の昔、世界を震撼させたという九尾の大魔族、シャルロットは復活してしまった。

 はかられたとはいえ、僕には責任がある。

 なら、自分の罪に目を背けることなく向き合い、償うしかない。


 僕は決意を秘めて魔王を見た。

 魔王は頷くと、集った側近に指示を飛ばし始める。


「反撃はこれからだ。くくくっ。シャルロットめ、封印を破るまで随分と気長な謀略であったな。しかし、面白くなってきたな」


 なぜか、魔王だけはこの事態に楽しそうだった。

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