悪魔の囁き

 さて、改めて正面の二人を見つめる。

 未だに涙を流している神官が、スー様。

 変わった名前だね。もしかしたら、愛称あいしょうなのかもしれない。


 見た目は線が細く、多くの巫女様たちを引き連れてやってきた頼もしい神官様、という印象はない。

 それでも、いにしえみやこから来てくださった巫女様たちの全員がスー様を敬愛している様子から、やはりこの人が中心人物なんだろうな、と思える。


 涙が止まらないスー様は、ふわふわと柔らかそうな蜂蜜色はちみついろの金髪を背中まで伸ばし、綺麗にっていた。

 神殿勤めの神官様のなかにも髪を伸ばす男性はいるので、違和感はないね。

 ただし、神官装束や装飾品が普通の神官様たちとは随分と違う。

 スー様の神官装束は、来訪した他の巫女様たちと同じように、古風っぽく見える。


 そもそも、見たこともない意匠いしょうを、何で古風だと感じるんだろうね?

 それはともかくとして。


 古風とはいっても、随分と意匠が凝っていた。

 刺繍が施されてあったり、綺麗な飾りが着けられていたり。

 見ただけで、普通の神官様とはくらいが違う、と誰もがわかる。


 神官職も、見習いから始まり、一般の神官、上級神官、神官戦士、上級神官戦士などと階位があり、神殿内で神官を取り纏めるのが、神官長しんかんちょう様になる。

 スー様の神官装束は、見るからに一般の神官のそれではない。

 では、上級神官かな?

 ううん、それも違う気がするね。


 アームアード王国やヨルテニトス王国の大神殿で、上級神官様を何度も見たことがある。この地にも、上級神官様は来てくださっているしね。

 でも、スー様の神官装束は、上級神官様よりもずっと上等だ。

 それじゃあ、神官長様?


 いやいや、それはないでしょう?


 神官長様が神殿を離れて、年中都の外を歩き回っているなんて、聞いたことがないよ。

 かといって、神官戦士にも見えません。


 残念ながら、僕のつたない知識だと、スー様の身分はよくわからない。

 後で、マドリーヌ様辺りに質問してみよう。


 そんな、泣き虫なスー様を優しくあやしているのが、レティ様だ。


 小柄こがらなレティ様。こちらも、愛称だろうね。

 レティ様は赤毛を腰の辺りまで伸ばして、三つ編みにしている。


 ええっと、巫女様はたしか、階位の高さに比例して、髪も伸ばしていくんだよね?

 もちろん例外はあるみたいだけど、基本的に高位の巫女様が短髪であることはないらしい。


 そういえば、禁領で逢ったアーダさんは膝裏くらいまで絹のような黒髪を伸ばしていたね。

 そうすると、レティ様はそこまで高位の巫女ではない?


 いやいや、これも定かではないね。


 レティ様の巫女装束は、スー様と同じように古風でありながら、意匠は凝っていた。

 縫製ほうせいもしっかりしているし、生地も上等だ。

 帯には控えめながら刺繍が施されてあったり、髪を纏める飾りも質素ながら手の込んだ造りになっている。

 こちらも、上級巫女以上の装束に思えるけど、残念ながら上級以上のくらいは巫女頭様か巫女王様だけしか知りません。


 でも、レティ様は巫女頭でも巫女王でもない、と断言できる。

 なぜなら、率先して負傷者たちの治療に入ってくれた他の巫女様たちも、レティ様と同じ装束を身に纏っているからね。

 巫女頭様が二十人以上も古の都にいる、なんて絶対にないよね。


「あっ」


 そこで、僕はあることを思い出した。


「そうか。古風に感じたのは、夢見の巫女様がお召しになっていた装束に似ているからかな? それと、僕は前にレティ様をお見かけしたことがあります!」


 そうだ。僕だけじゃなくて、家族のみんなもレティ様を見かけたことがあるよね。

 それは、夢見の巫女様の夢にいざなわれたときのこと。


 海風が心地よい寝室で、夢見の巫女様が短い覚醒かくせいを終え、長い眠りに就く直前。僕たちは夢と現実の狭間はざまで、眠りゆく夢見の巫女様と、その寝室に入ってきた巫女様を見た。

 その巫女様は、目の前でスー様をあやしているレティ様だったような気がするよ。


 すると、僕の声に振り返ったレティ様が、優しく微笑んだ。


「はい。皆様は、夢見の巫女様の寝室にお越しでしたね」

「やっぱり、あのとき僕たちを認識していたんですね!?」


 これは、驚きです。

 夢見の巫女様の夢の中に居た僕たちを、現実世界のレティ様も認識していただなんてね。


「わたしたちも、夢見の巫女様の夢を通して、よく色々な場所へ行きますから。それに、あの時は夢見の巫女様がお眠りに就く直前でしたから、影響が周囲に強く出ていましたので」

「そうなんですね」


 夢見の巫女様は、特別な巫女様なんだよね。そのお世話を担当しているレティ様は、やはり特別な巫女様なんだと思う。

 そして、同じ装束の他の巫女様たちも。


「ごめんなさい。スー様が泣き止むのは、もう少しかかりそうです」

「ううう、ごめんね。感動しちゃって」

「いえいえ、お気になさらずに」


 まさか、飛竜の狩場に集まったみんなを見て、こんなに感動して涙を流してくれる人がいるだなんてね。

 というか、泣き過ぎ!?


「スーのことは気にしないで。この子はいつもこうだから」


 すると、青い鱗が美しい長胴竜のラーヤアリィン様が話しかけてきた。


「少し、聞きたいのですが」

「はい、なんでしょう?」


 古代種の竜族だというのに、声からは一切の威圧はなく、優しさや慈愛といったやわらかい感情だけが伝わってくる。そのラーヤアリィン様が、ちょっとだけ不思議そうな声音で質問してきた。


「こちらへ来る直前に、草原の先で不思議なものを見かけました」

「あっ、それはですね!」


 僕は、遅れて到着したアシェルさんやニーミア、それに急遽の参戦が決まった古代種の竜族や巫女様たちにも、今回の作戦を伝える。


「ほほう、人族にしては面白いことを考えつく」

「なるほど、理解した。良かろう、我らもその作戦に乗ってやる」

「それで、陰陽おんみょうのスレイグスタ様がそちらに構えていらっしゃるのか」

かなめの、良き場所でございますな」


 竜心りゅうしんに乗せて説明したので、遥か上空にいる古代種の竜族たちにも伝わったようです。

 しかも、古代種の竜族たちも僕の作戦に賛同してくれたみたい。


「それでは、我らも要になりそうな場所に陣取るとしよう」


 宣言して、飛竜の狩場の各所へ散っていく古代種の竜族たち。


 どこへ? とは聞くまでもない。

 間違いなく、竜脈の要所ようしょを押さえてくれるはずだ。


「リリィ、汝もそろそろ修行の成果を見せよ」

「はいはーい。頑張りますよー」


 古代種の竜族たちが積極的に動き出した様子を見て、スレイグスタ老がリリィに声を掛ける。

 リリィは巨人の魔王にお腹を撫でられていたけど、翼を羽ばたかせて飛んでいった。

 すると、今度はアシェルさんが、レヴァリアに声を掛ける。


「それで、其方は働かないのかしら?」

『ええい、うるさい。我は面倒な仕事を終えて戻って来たばかりだ』


 アシェルさんに対し、牙を剥き出して威嚇するレヴァリア。

 だけど、アシェルさんは気にした様子もなく受け流して、未だに土煙を上げている城塞の一画を見た。


「アシェルさん、そろそろあちらも気にした方がいいですか?」

「放っておきなさい」

「はい。それじゃあ、そうしますね!」


 可哀想に。

 救護所に入って手際良く負傷者を診る巫女様たちの中にも、城塞に突っ込んだ竜を心配する人は誰もいない。

 きっと、古の都ではこれが日常なんだろうね。


「ちなみに、アシェルさん。守護の竜族をこんなに連れてきて、大丈夫だったんですか?」


 こちらに守護竜を連れてきたせいで、古の都の守護がおろそかになってしまった。なんてことになったら、本末転倒だよ。

 だけど、アシェルさんは僕の心配を鼻で笑う。


「馬鹿をお言いでないよ。守護のお役目に影響が出るような真似はしない」

「ふむ、汝はどうも勘違いしておるな」

「おじいちゃん?」


 どうやら勘違いしているらしい僕を見下ろしながら、スレイグスタ老も笑う。


「くくくっ。誤解を解いておこう。古の都の外郭がいかく幾重いくえにも張り巡らされた城壁の各層を守護する古代種の竜族であるがな。なにも、一層につき一体、というわけではない」

「なんと!?」

「もっと言うのなら、雪竜ゆきりゅうが守護する層には雪竜の竜種が、影竜かげりゅうの守護する層には、影竜の竜種が多く住み着いているわ」


 アシェルさんの説明に、僕は目を見開いて驚く。


「ってことは、古の都の周囲は、古代種の竜族が竜種ごとに各層を守護しているってことなんですね!」


 これは、本当に驚きです。

 スレイグスタ老やリリィ、前に竜峰で遭遇した影竜、それに禁領に現れた邪竜じゃりゅうや、バルトノワールの傍にいつも控えていた虹竜にじりゅうなんかは、みんな単独で活動していた。

 だから、古代種の竜族は単独で生きていくものだと思っていたよ。


「お馬鹿だね。単独で生きていたら、つがいを見つけるのも大変でしょうに」

「アシェルさんが素敵なおすの竜と出逢えなかったら、ニーミアも生まれてないですしね!」


 と言ったら、なぜか尻尾攻撃が降ってきました!


 もちろん、近くにいた僕の家族たちだけじゃなくて、スー様やレティ様までもがアシェルさんの尻尾攻撃に巻き込まれる。


「うううう。レティ、アシェルちゃんが男に容赦ないよ……」

「はい、いつものことですね」


 ふふふ、と優しい笑みを浮かべながら、スー様と一緒に法術「星渡ほしわたり」で尻尾攻撃を回避するレティ様。

 僕も、みんなを連れて空間跳躍を発動させた。


「ご、ごめんなさい、スー様、レティ様」

「謝るのは、私に対してでしょうっ」

「きゃっ」


 今度は、前脚の攻撃が容赦なく飛んできました!

 鋭い爪に危うく引っ掻かれそうになる。


「もうっ、アシェル様。負傷者が近くにいるのですから、あまりはしゃがないでくださいませっ」


 そうしたら、思わぬ方角から強気な苦情が!

 振り消えると、古の都から来た巫女様が腰に手を当てて、アシェルさんを見上げていた。

 アシェルさんは、自分を見上げる気丈きじょうな巫女様をちらりと見やって、ふんっ、と鼻を鳴らす。でも、それ以上は僕に突っかかってこなくなった。


「凄いっ。アシェルさんに堂々と意見できるなんて!」


 今の短いやり取りだけでも、確信できる。

 古の都の巫女様たちと、そこを守護する古代種の竜族たちは、硬いきずなと深い信頼関係で結ばれているんだね。


「さあ、あなた方もしっかり働いてくださいませ」

「あははっ。あたしらに活躍の場を奪われないようにね?」

「スー様が活躍しなきゃいけない場面になってしまいますと、面目丸潰れですよ?」

「わわわっ、それは大変だ」


 巫女様たちに発破はっぱをかけられて、僕たちは慌てる。


 そうだ、あまり悠長に談笑している場合ではない。

 後方支援部隊の逼迫ひっぱくした状況は、古の都から来てくださった巫女様たちの活躍によって改善されつつある。

 だけど、魔物と妖魔が溢れる最前線の戦況は、未だに改善されていなかった。


 早く手を打たないと、せっかくの救援が無駄になっちゃう。


「くそう……。複数の妖魔相手じゃ、俺たちは対処できねえ」

「魔物相手でさえ、武器や防具が損耗そんもうしている状況だ。新たな装備でもない限り、これ以上は戦えないぜ」


 巫女様たちの治療を受けている人族の冒険者や獣人族の戦士たちが、表情を曇らせていた。


 剣も槍も、使い続ければ刃毀はこぼれするし、場合によっては壊れてしまう。防具だって、徐々に損傷していき、最後は、身を守るどころか、動きを阻害する邪魔な物体になるだけだ。

 後方支援部隊のなかには鍛治職人たちもいて、休みなく武具を修復してくれている。だけど、刃を研ぎ直すだけでも時間がかかるし、打ち直しになれば日にちもかかる。

 もちろん、予備の武具も準備しているけど、このままだと、いずれは在庫を放出しきってしまう可能性もある。

 そうなると、武具の揃っていない者たちは前線に戻れなくなり、結果として戦力も低下していく。


 これは、由々ゆゆしき事態だ。


 倒す数よりも、湧き出す数の方が多くなり始めた妖魔。

 魔物も、際限なく沸き続けている。

 そして、本命である妖魔の王が、これから現れるはずだ。


 古代種の竜族だけじゃなく、スー様やレティ様や巫女様たちが、普通じゃない凄い実力を持った者たちだということは、この短時間で十分に示されていた。

 だけど、古の都からの援軍に頼りっきりになるわけにはいかないよね。

 だから、なんとかして、顔を曇らせてしまっている者たちにも、今後も活躍してもらいたい。


 むむむ、と思案する僕。

 その時。楼閣ろうかくの上から、誰もが胸に秘めた願望を揺り動かす声が降ってきた。


「……力が欲しいか」


 はっ、と顔をあげる人族の冒険者。


「力を欲するか」


 獣人族の戦士が、欲しい、と叫ぶ。


「……ならば、くれてやる」


 言って、楼閣の上に立つ者は、右手を地面へ向けてかざした。


「あ、貴女は……!」


 楼閣の上を見上げ、僕は叫ぶ。


「あはっ。あははははっ!」


 楼閣の上に立つ者が笑った。

 その手先から、無限に溢れ出す武器や防具の数々。


「さあ、持っていけ。ただし、外れを引くと呪われるからな。あははははっ!」


 楼閣の下に、無造作に積み上げられていく神族の武具や魔族の武具や、呪力武具!

 鍛治職人たちが人生の集大成として精魂込めて造りあげる貴重な武具を、笑いながら創り出す者。


 それは、猫公爵ねここうしゃくのアステルだった!


「はい、ちょっと待ったぁっ! 旧聖剣の形をした武器を創るのだけは、絶対に禁止ですからね! 誰か、あの始祖族を止めてーっ!」


 僕の叫びを無視して、というか、絶対にわざとな感じで、楼閣の上に立つアステルは武具を創り続けた。

 もちろん、慌てる僕を見て、お腹を抱えて笑いながら!

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