蜘蛛の糸の先

 赤鬼種の暗殺者ジュメイの不意打ちを警戒しつつ、ジャンガリオ爺さんの張り巡らせた魔法の蜘蛛の糸をセフィーナが退けながら、ようやく執務室に辿り着いた。

 これから、いよいよ反撃だ。そう思った矢先。


 僕たちの目の前で、ジャンガリオ爺さんの首が落ち、ジークが真っ二つに切り裂かれた。

 壮絶な光景に、僕は叫ぶ。

 そして、咄嗟とっさに走り出そうとしてしまう。二人に駆け寄ろうと。

 それを止めたのは、マドリーヌだった。


「エルネア君!」


 怒りに震える僕の左手を両手で包み込み、マドリーヌが訴える。


「冷静になるのです! 今はまだ、ジャンガリオ様の蜘蛛の糸が!」


 きらり、と目の前で光る極細の魔法の糸。

 不用意に触れた者を縛り、切り刻む恐るべき蜘蛛の糸だ。


「っ!」


 眼前の死とマドリーヌの冷静な声に、僕は寸前で押しとどまる。

 だけど、首が少しだけ糸に触れていたのか、切れて血が流れる感触が伝わってきた。


「……ありがとう、マドリーヌ。もう少しで、僕は怒りに任せて突っ込んでいたよ。意味がないのにね」


 そう。僕がどれだけ怒ろうとも、全力で走ろうとも、目の前の惨状は変わらない。

 失われた命は帰ってこないんだ!


「でも、なんで!?」


 ジャンガリオ爺さんは、魔法の糸を領主館中に張り巡らせていた。そうして、潜伏したジュメイを探り出そうとしていた。

 だというのに……!!


 ジャンガリオ爺さんの魔法の糸の威力を知っているジークと、地下の宝物庫に籠っているフォラードは、身動きを取っていなかった。それどころか、ジャンガリオ爺さん自身も動きを止めて、糸から伝わる気配を慎重に読み取ろうとしていた。

 それなのに、ジュメイは全てを嘲笑あざわらうかのように、蜘蛛の巣の中で自由に動いた。


 まずはセフィーナを狙って毒塗りの短剣を放ち。そして、僕たちの目の前で、上級魔族の二人を殺して見せた。


 でも、わからない。

 ジュメイはどうやって、事を成したのか。

 毒塗りの短剣を上階から放ったとき。姿も気配も見つけられなかった。更に、僕たちの目の前で凶行に及びながら、ジュメイの姿はそこにない。

 いったい、どうやってジャンガリオ爺さんとジークを殺したというんだろう!?


「エルネア君、冷静になって。目の前の状況に混乱しているのはわかるけど、らしくないわよ?」

「セフィーナ、この状況で冷静なままだなんて無理だよ!」

「違う。いつもと違うわ、エルネア君!」


 違わない!

 僕はいつも通りだ!

 冷静に物事を考えられている!

 だけど、目の前で仲間が殺されて怒っているのは確かであり、ジュメイの姿も気配も読めないことに混乱もしている。

 そして、自分の無力さに心の奥から沸々ふつふつと怒りが込み上げてくる!

 それが、いつもの僕らしくないだなんて……。と、僕を必死になだめようとするセフィーナを振り返った時。マドリーヌに握られた左手から、優しい温もりが伝わってきた。慈愛の温もりは左手から全身に柔らかく広がっていき、心を癒す。


「……あっ」


 僕は、心にからまっていた糸がほぐれていく感触を確かに感じる。


「……どういうこと? 僕は冷静じゃなかった?」


 いったい、自分の身に何が起きたのか。困惑しながらセフィーナとマドリーヌを見る僕。

 セフィーナは少し困ったように、それでも格好良く僕に微笑んでくれていた。

 マドリーヌは、心配そうに僕を見つめている。


「詳しいことはわからないわ。でも、魔法の気配を感じる」

「そうですね。エルネア君は何者かの魔法の影響を受けたのかもしれません」

「僕が……? いつの間に!?」


 全く自覚がなかった。

 でも、二人が言うんだから間違いはないんだろうね。

 それに、心に絡みついていた糸が、マドリーヌの法術のおかげで解けたのは確かだ。

 目の前の惨劇にはえて目を向けないようにして、僕はまず自分たちに何が起きたのかを冷静になって確かめてみる。

 答えは、セフィーナが既に掴んでいた。


「目の前でジャンガリオ爺さんとジークが殺された瞬間を狙って、別の魔法が放たれた感触があったわ。精神系の魔法だから、エルネア君は気づけなかったのね」

「僕は目の前の惨劇で頭が真っ白になっちゃっていたからね……」


 ごめんなさい、と自分の過ちを謝ると、セフィーナが優しく頭を撫でてくれた。


「良いのよ。エルネア君は完璧である必要なんてない。貴方の不足を補うために、私たちがいるのだから」

「そうですよ。エルネア君を助けることこそ、私たちの役目なのです。ですから、もっと頼ってくださいね?」

「うん、ありがとうね」


 マドリーヌの法術のおかげだけではない。二人の愛に僕は癒されていく。


「それで、セフィーナ。もっと詳しく教えて」


 薄々とは感じている。けど、ここは確証を得ているセフィーナに聞くのが確実だ。


「エルネア君とマドリーヌ様は感じたかわからないけれど。魔族の二人が殺された瞬間に、心を縛るような感触があったの。私は咄嗟にそれを解いたのだけれど」

「糸のような?」

「そうね。まさに心を縛る糸だったわ」

「私は巫女として、元々そうした精神系の術には耐性がありますので、無意識のうちに弾いたのでしょう」

「マドリーヌ様、すごいね!」

「むきぃっ、様付けはやめてくださいっ」

「おおっと、ごめんね?」


 僕とマドリーヌのやり取りに、ふふふ、と微笑むセフィーナ。


「エルネア君が激昂するのは仕方がないわ。貴方はいつだって、私たちや仲間のために真剣になってくれるのだから。でも、敵はそれを見越して、精神に干渉する魔法を狙い澄まして放ってきたわけね」

「でも、セフィーナとマドリーヌには通用しなかったんだね」

「これくらい、軽くいなせるわ」

「これくらい、弾けます」

「二人はすごいね。僕も見習わなきゃ」


 と、ここで少しだけ疑問を浮かべる。


「上級魔族のジャンガリオ爺さんとジークを、ジュメイは反応させる隙さえ与えずに殺した。だというのに、僕たちには精神を混乱させる程度の魔法しか放たなかった? それって奇妙じゃないかな?」

「そうね。エルネア君は、ジュメイの本命は自分だと読んでいた。だとしたら、必殺の一撃は魔族の二人ではなく、エルネア君に向けられるべきだったはずだわ」

「ですが、実際に殺されたのは魔族のお二方。エルネア君を倒した後にジャンガリオ様とジーク様、それに私とセフィーナを相手にはしたくなかったから、先に魔族を倒した? いいえ、それはないですよね? だって、エルネア君の方が明らかに手強てごわいのですから」

「うん。目の前で仲間を殺されて、僕が手加減なんてすわわけがないからね!」

「でも、魔法の影響を受けて咄嗟に走り出そうとしいたわよね? あのまま走っていたら、エルネア君の首は魔法の糸に切られていたわよ?」

「では、ジュメイはそこまで計算をして、先に魔族のお二方を殺害したと?」

「いいや、ちょっと待って!」


 僕はそこで、強い違和感に気づく。


「ねえ、これってどう思う?」


 そして、眼前の魔法の糸を指差す。更に、執務室中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔法の糸を見渡した。


「ジャンガリオ爺さんは殺されてしまった。だというのに、魔法の糸が消えていない?」

「言われてみると、奇妙ね?」

「普通ですと、術者が死ぬか精神の集中を途切らせてしまうと、持続性のある術であっても効果を失うと思うのですが?」

「それとも、ジャンガリオ爺さんの魔法は、まさに蜘蛛の糸のように、一度張り巡らせたら消えないのかな?」


 いや、そんな出鱈目でたらめな魔法は使えないはずだ。

 それ程の威力の魔法を使えるのであれば、それはもう上級魔族以上の存在ということになる。

 東の魔術師などのように、術を具現化させたまま維持する伝説の存在として、語られるくらいにね。

 でもジャンガリオ爺さんは、ルイララなどに敬意を払ってもらえるほどの存在ではあるけど、それでも上級魔族の枠に収まっていた。

 では、この消えることのない魔法の糸は、なぜ存在し続けているんだろう?


「ちょっと良いかしら?」


 すると、セフィーナが何か思いついたように、魔法の糸に触れた。そして、意識を糸に向けるように目を細める。


「……残念。この糸はジャンガリオ爺さんのものではなくて、ジュメイの魔法だと思ったのだけれど。魔法の糸を辿ったら、ジャンガリオ爺さんに辿り着いたわ。やっぱり、ジャンガリオ爺さんの魔法なのね。……え? ちょっと待って!?」


 そこで、セフィーナの表情が揺れる。

 何か重大なことに気づいたのか、細めていた目を大きく見開き、僕を見つめる。


「エルネア君……!」

「なに?」


 術の解析や操る能力だけを見れば、僕なんかよりもセフィーナの方が遥かに優れている。

 あの影竜アルギルダルが認めたほどだからね。

 そのセフィーナが、恐ろしい事を口にした。


「たしかに、屋敷中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔法の糸はジャンガリオ様を起点としているけれど……。そのジャンガリオ様から、また別の糸が出ているわ。それも、屋敷の外に向かって!」

「ええっ! それって、どういうこと?」


 意味がわからない。

 ジャンガリオ爺さんは、魔法の糸で領主館を覆い、蜘蛛の巣のような縄張りを形成していた。

 でも、ジャンガリオ爺さんはそれとは別に、領主館の外にまで魔法の糸を飛ばしていた?

 なぜ?

 混乱する僕とマドリーヌに、セフィーナが驚愕の事実を更に口にする


「この糸……。辿りきれないわ! 糸は竜王の都の外まで続いている!?」

「そんな!?」


 更に混乱する僕たち。

 いったい、ジャンガリオ爺さんは何を目指して糸を遠くまで飛ばしたのだろう?

 竜王の都の外にまで続いているという魔法の糸。その終着点とは何処なのか。


 混乱は更に深くなっていく。


「エルネア君……。あ、あれはどういう事でしょうか?」


 声を震わせながらマドリーヌが指差した先。

 それは、首を落とされたジャンガリオ爺さんの遺骸。

 僕も、そこでようやく異常過ぎる事態に気づく。


「血が……出ていない? ジークもだ!」


 そう。首を両断されたジャンガリオ爺さん。そして、縦に真っ二つに裂かれたジーク。その両人の遺骸からは、一滴も血が流れていない。

 それどころか……


「断面が、まるで陶器のような……。あっ!!」


 瞬間的に僕の頭に過ったもの。

 それは、猫公爵アステルの従者である、黒腕の青年トリス君だった。


 彼は、過去に魂霊の座を不用意に触ってしまい、両手を失った。

 それを補うために、物質創造の特別な能力を持つアステルが、トリス君の両腕を創った。

 だけど、アステルは無から有を創り出すことは苦手らしい。

 だから、アステルは真似たんだ。

 トリス君が自分の意思で自由に動かせる腕を、ある者の能力を真似て、創った。

 トリス君の腕が陶器のような不思議な質感をしているのは、元祖の技がそうだから。


 そして、ジャンガリオ爺さんとジークの遺骸の断面も、陶器のような質感を見せ、そこからは一滴も血を流していない。


「こ、これは……!」


 僕たちが結論に辿り着く前に、事態は動く。

 落ちたはずのジャンガリオ爺さんの首が、ふわりと空中に浮かんだ。

 いいや、見えないほど細い糸で吊るされている!


 そして、空中に吊るされたジャンガリオ爺さんの蜘蛛の頭部が、声を発した。

 少女のような声を。


「ふふ。ふふふふ。どうやら、私の楽しい演出を見破ったご様子ですね? 流石です」


 ジャンガリオ爺さんの八つの瞳が光る。

 でも、僕は既に確信を得ていた。


「お前の目的は何だ! 本当のジャンガリオ爺さんとジークを何処へ連れ去った!」


 そうだ。

 僕たちの目の前で、反応することなく殺されたジャンガリオ爺さんとジーク。でも、この二人は本人ではなかった!

 巧妙に造られた人形だ!!


 そして、僕は知っている。

 これほど本物に近い造形で人形を造れる者は……


「トリス君に聞いたことがあるぞ。お前は、始祖族の傀儡くぐつの王だな!」


 僕の確信に、ジャンガリオ爺さんの人形の顔を震わせて笑わせる。


「ふふふふ。ふふふふふ。ご名答です。どうかしら? この楽しい演出は気に入ってもらえたかしら?」

「悪趣味すぎて、気にいるわけがないでしょう!」


 セフィーナが叫ぶ。

 マドリーヌは、既に祝詞の奏上に入っていた。

 僕も白剣を構えて、ジャンガリオ爺さんの人形の首に剣先を向ける。


「何が目的だ!」

「ふふ。ふふふふふ。目的? そんなもの、わかりきっているじゃない? なぜ、魔族の支配地で人族如きが幅を利かせているのかしら? それって、とても不自然じゃないかしら? 魔族を冒涜しているわよね?」

「それじゃあ、やっぱりお前の目的は……!」


 にたり、とジャンガリオ爺さんの人形の頭部が不気味な笑みを浮かべた。


「さあ、楽しく踊りましょう? 巨人の魔王のお気に入り。竜王エルネア・イース。楽しく踊って、私を楽しませてくださいね?」


 何を勝手なことを! と叫びそうになった瞬間。

 背後に殺気を捉えて、振り向きざまに白剣を振るう。

 激しい斬撃音が執務室に響く。


 そして、僕たちは見た。


 赤黒い衣装で全身を覆う暗殺者、ジュメイを!


「ふふふ。まさか、暗殺者も人形だと思いました? 残念、こちらは本物です。さあさあ、舞台の役者は揃いました。踊りましょう!」


 少女の声には似つかわしくない残忍な笑い声を響かせて、傀儡の王は人形を動かす。


 ジャンガリオ爺さんの下半身が身構え、ジークの二つに分たれた身体が不自然な動きで起き上がった!

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