蜘蛛の巣に潜む者

 ジャンガリオ爺さんの張り巡らせた魔法の蜘蛛の糸は、用心して注視しないと見えないくらいに極細だ。

 この極細の蜘蛛の糸で、狙った獲物に気づかれることなく正確な位置を特定し、呪縛したり時には切り刻んだりするみたいだね。


「こういう魔法もあるんだね」

「魔法といえば、派手な爆発や水を操ったり氷を生み出したり、といった自然現象の延長線のような術だという思い込みがあるから、これは意外ね」


 そう感想を漏らしたセフィーナは、玄関口に細かく張り巡らされた魔法の糸を、間近で観察していく。

 太陽の光に反射して、僅かに光る魔法の糸。見るからに切れ味が凄そうだ。

 指先なんかが触れた瞬間に、すぱっと切断されそうだね。


 この糸に気づかずに、無警戒にジャンガリオ爺さんの縄張りに入ったら、一瞬で負けが確定してしまいそうなほどに恐ろしく感じる。

 これが、ルイララも敬意を払う元上級魔族の実力なのかと、改めて思い知らされる。


「それじゃあ、行きましょうか」


 観察を終えたセフィーナが、その恐ろしい魔法の糸に触れた。


「あっ」


 驚きに声を上げるマドリーヌに、振り返って格好良く微笑むセフィーナ。


「大丈夫ですよ。これを、こうして」


 そして、いとも簡単に魔法の糸を退けていくセフィーナ。


「さすがであるな」

「ジャンガリオ爺さん!?」


 すると、何処からかジャンガリオ爺さんの声が響き、今度は僕が驚く。


 奇妙だね?

 さっき世界の違和感を読み取った時には、たしかに領主館内に存在を捉えたはずのジャンガリオ爺さん。

 その声が、玄関先で聞こえるだなんて?

 空耳かな? と思ってセフィーナとマドリーヌを確認したら、二人も不思議そうに周囲を見渡していた。


「くくくっ。エルネア様方を驚かせることができたか。それは重畳ちょうじょう。儂は、糸を通じてエルネア様方に声を届けておる」

「えええっ、そういうことができるんですか!? というか、こちらの驚いた様子や声も領主館内のジャンガリオ爺さんに届いている?」

「儂の糸は、儂の体の一部。そこから周囲の様子を探ることもできれば、声を届けたり受け取ったりすることもできる」

「ほー。すごい魔法ですね!」


 素直に感心してしまう。

 僕は最初、この糸に触れたらジャンガリオ爺さんの術中にはまるものだと思ってた。でも、この術はもっと奥が深いようだ。

 ジャンガリオ爺さんが敵でなくて良かったね!


「こちらの声が届いているのなら、話は早いわ」


 と、セフィーナは魔法の糸に触れたまま声を掛ける。


「館内の状況は? 暗殺者はどこかしら?」


 セフィーナの質問の後、僅かな沈黙が流れた。そして、ジャンガリオ爺さんの声だけが僕たちに届く。


「不明。奴め、儂を相手にするのは面倒とばかりに、姿を隠しよった。未だ館内に潜んでいるはずではあるが、こうして糸を張り巡らせ、巣を形成しても奴の存在を捉えられぬ」

「やっぱり、まだ建物の中に潜んでいるんだね! でも、ジャンガリオ爺さんのこの魔法の糸でも潜伏場所を特定できないだなんて……」


 魔法の蜘蛛の糸に触れずとも、周囲の気配を察知できると言ったジャンガリオ爺さん。だけど、領主館内に蜘蛛の巣のように張った糸でさえも、暗殺者ジュメイの存在を捕捉できない。

 いったい、ジュメイはどれほど上手く世界に溶け込んでいるというのだろう。


 もしくは、実は既に領主館から抜け出している?


 ううん、違う。

 ジュメイは間違いなく、領主館内の何処かに潜んでいるはずだ。

 だって、奴が超一流の暗殺者で、本命がメドゥリアさんじゃないとすれば、目的も達せずに敵から逃げるだなんて臆病な真似は取らないだろうからね。


 メドゥリアさんの命を狙えば、おのずと十氏族とも対峙することは、ジュメイだって最初から理解していたはずだ。

 それなのに、いざジャンガリオ爺さんやジークという上級魔族を相手にした時に「面倒だから」という理由だけで撤退はしないと思う。

 だって、一度逃げれば、築き上げてきた自分の畏怖感が薄れるだけでなく、次からは僕たちに警戒されて暗殺し難くなるからね。


 そう考えると、やはりジュメイは領主館内に今も潜んでいると確信を持てる。

 では、どうやって僕の「世界の違和感を読む能力」やジャンガリオ爺さんの「蜘蛛の巣の魔法」を掻い潜り、潜伏しているんだろう?


「黒鬼種のように、影に潜んでいるとか? いや、あれは黒鬼種の独自の魔法だろうから、それはないね」

「エルネア君。玄関口で考えていてもらちが開かないわ」

「セフィーナの言う通りです。まずはジャンガリオ様たちと合流しましょう」


 セフィーナとマドリーヌの意見に、僕とジャンガリオ爺さんは肯定の意思を示す。

 そして、行動指針が決まれば、すぐにセフィーナが動く。

 玄関口に張り巡らされた糸をいとも簡単に退けて、道を作るセフィーナ。


「恐れ入った。お前さんたちを切り刻むつもりはないが、その様子であれば儂が気を払う必要はあるまい。そのまま自力で、儂のもとへ来い。しかし、奴には気をつけるのだ。何処に潜んでいるのやら」


 ジャンガリオ爺さんも、セフィーナさんの「相手の術をたくみに操る」という能力のすごさを認めているみたいだね。

 でも、魔法の糸を解く、ということはしないらしい。もしも魔法の糸を解いてしまうと、その瞬間にジュメイが動く可能性がある。それを警戒しているんだろうね。


 僕たちは、縦横無尽に張られた魔法の蜘蛛の糸を退けて道を作るセフィーナを先頭に、領主館内へと入る。

 館内にも、蜘蛛の糸がびっしりと張られていた。

 これでは、人の大きさの生物は動いた瞬間に感知されるだろうね。

 しかも、館内にも魔法の糸が張り巡らされている、と知っているから極細の糸にも気づけるけど。もしも何も意識していなかったら、糸の存在にさえ気づかないだろうね。

 なにせ、世界の違和感を読み取った時には、ジャンガリオ爺さんの魔法の糸を僕は察知できなかったからね。


 まだまだ、修行が足らない。

 こんな為体ていたらくでは、竜神さまに愛想を尽かされて、御遣いの地位を返上しなきゃいけなくなるかもね。

 そうならないようにするためにも、僕はこの問題をしっかりと解決させなきゃいけない。仲間さえ護れないような者が、竜神さまのお遣いなんて務まらないからね!


 セフィーナは、障害となる魔法の糸だけを退けて、慎重に進んでいく。

 玄関を抜け、廊下を進む。

 廊下の床は、大理石だ。磨き上げられた大理石の床は、まだ真新しく輝いている。

 柱は太く、壁紙は美しい。天井は高いし、調度品も素晴らしい。

 完成したばかりの、美しい領主館。

 だけど、今はそこに、恐るべき暗殺者が潜んでいる。


 いったい、何処に?


 周囲に気を配り、ゆっくりと進む。

 階段を登り、二階へ。そのまま三階へと続く階段に足をかけた時だった。


「セフィーナ!」


 僕は素早く白剣を振り抜く。

 ぎぃんっ、と館内に響く鋭い金属音。

 そして、床に落ちる短剣。


「上から短剣が飛んできた!?」


 床に落ちた短剣の刃には、粘度の高い液体が塗られていた。

 間違いなく毒だ!


 毒塗りの短剣が、先頭をいくセフィーナに投げられた!

 しかも、上階から。

 僕は白剣を構え、セフィーナをかばって前へ出る。

 そして階段の先、三階の踊り場を鋭く睨む。

 だけど、そこには人の姿も気配もない。


 なぜ、誰もいない?

 短剣を放ったのなら、その直線上の始点に投擲者は存在しているはずなのに。


「助かったわ、エルネア君。魔法の糸に集中していたせいで、気づけなかった」

「僕も、寸前まで気づけなかったよ。間に合って良かった」


 僕は、内心で息を呑んでいた。

 本当に、直前まで飛来した短剣の存在に気づけていなかった。後ほんの一瞬でも反応が遅れていたら、セフィーナに毒の短剣が突き刺さっていたところだ。


「短剣が飛んできた。ということは、暗殺者はやはり上階に潜んでいるのでしょうか? ですが、それにしては……」

「うん。ジャンガリオ爺さん?」

「すまぬ。儂にはわからぬ」


 そんな、と驚く僕たち。

 ジャンガリオ爺さんの魔法の糸は、人が身動きできないほど細かく張り巡らされている。であれば、ジュメイが僕たちを狙って短剣を放ったというなら、その動きや存在を感知しているはずだ。

 なのに、ジャンガリオ爺さんは何も感知できなかったと言う。


「罠が事前に仕掛けられていたのでしょうか?」

「マドリーヌ、それは可能性が薄いんじゃないかな? 僕たちがこうして玄関から真っ直ぐに進んでくるなんて、メドゥリアさんを襲撃した時のジュメイがそこまで読めるかな?」


 ジャンガリオ爺さんと対峙し、魔法の糸を領主館内に張り巡らされた。それでジュメイは身を潜めたわけだけど。

 そこから僕たちが駆けつけて、玄関から真っ直ぐに領主の執務室に向かうだなんて、襲撃前には確証なんて持っていなかったはずだ。


 それとも、領主館内には他の場所にも様々な罠が仕掛けられている?


 それもない、と言い切れる。

 だって、領主館からは十氏族だけでなく働いていた多くの者たちが退避していったんだ。そこに罠を仕掛けていれば、後から入る僕たちよりも先に、逃げる者たちが罠にかかっていたと思う。


 では、なぜ三階の踊り場から短剣が飛んできたのかな?

 しかも、と床に落ちたままの短剣を改めて見る。

 粘度が高いとはいえ、毒は液体だ。塗って時間が経てば、刃から全部垂れてしまう。だというのに、短剣の刃はねっとりとした毒が十分に付着していた。


「どんな技か術を使ったのかは不明だけど、みんな気をつけて行こう。ジュメイはこの状況でも、どうやらこちらに攻撃を仕掛けられるみたいだ」


 僕の指摘に、セフィーナとマドリーヌがごくりと唾を飲む。

 二人の緊張が伝わってくる。

 僕だって、いつになく気を張っている。


 これまで数多く経験してきた戦いは、目に見える相手だった。

 クシャリラは特殊だったけど、それでも認識すれば対峙者として目の前に存在していた。

 だけど、今回は違う。

 見えないどころか、気配さえ表さない。だけど、相手は確実にこちらの命を狙ってくる。

 見えない、感じ取れないという恐怖が、これほどまでに恐ろしいと感じたのは初めてだ。


「セフィーナ。慎重に、ゆっくりとね?」

「ええ、わかったわ」

「念の為に、周囲に小規模な結界を張ります」

「マドリーヌ、お願い」


 気を引き締め直すと、僕たちは改めて慎重に階段を登っていく。

 そして三階に到着し、執務室へと続く廊下を進む。


 ただ前進するだけで、精神が消耗していく。

 何処から攻撃が仕掛けられるか不明な状況は、これまでだって経験してきた。それでも、一方的に命を狙われているという状況は精神を削っていく。


「あの部屋が、執務室ね?」

「ジャンガリオ爺さんとジークがそこにいるはずだから、まずは合流だね!」


 世界の違和感を読み取る能力でも、二人の無事な気配は読み取れている。

 相変わらず、動いていないけどね。

 あと、地下の宝物庫に籠っているフォラードの気配も健在だ。

 三人は上級魔族だからね。たとえ相手が超一流の暗殺者でも、身構えて対応すれば、そう遅れを取ることはないはずだ。


 セフィーナが、廊下にもびっしりと張り巡らせた魔法の糸を退けて進む。

 そして、執務室の前までたどり着いた。


「……不意打ちは、さっきの一回だけだったね?」

「やっぱり、罠だったのかしら?」

「どうだろう? 僕は違うと思うんだけどな?」


 でもだとしたら、ジュメイはどうやって毒塗りの短剣を投げたのか。

 そして、その後にどうやって身を隠したのか。

 ジャンガリオ爺さんの魔法の巣を回避して。


「ジャンガリオ爺さん、お待たせしました」


 扉前の糸を払い、執務室の扉を開く。


 書類棚や応接家具が整然と並んだ執務室の奥。

 そこに、ジャンガリオ爺さんとジークの姿はあった。


「よく来てくださった、エルネア様」


 そう言ったジャンガリオ爺さんの首に、一本の横線が入る。

 そして、ジャンガリオ爺さんの首が落ちた。

 同時に、ジークが縦に真っ二つに割れて倒れる。


「あああぁぁっっっ!!」


 僕は思わず叫んだ!

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