蜘蛛の糸

 禁領を抜けると、徐々に樹海は浅くなる。そして辺境らしい人の手の殆ど入っていない土地を抜けると、今度は小さな集落や狩猟拠点となる山小屋や民家が見え始めた。

 ニーミアは、そうした人工的な建築物を結ぶ細い道を辿るように、竜王の都へ向けて南下していく。


「どうか、竜王の都が無事でありますように」


 祈りを捧げる僕とセフィーナとマドリーヌ。


 メドゥリアさんを襲ったのは、ジュメイという赤鬼種の上級魔族らしい。

 暗殺者であれば、狙った者以外には存在を悟らせないように隠密に動く。というのが人族である僕たちが思い浮かべる影に潜む存在だけど。

 魔族にその常識が通じるとは思っていない。

 なにせ、全身を赤黒い衣で覆い尽くすジュメイの容貌が、魔族に広く知れ渡っているくらいだ。


 しかもそのジュメイは、メドゥリアさんとコリンダートを態と見逃している。

 けっして、ジャンガリオ爺さんの相手で手一杯だったわけではない。

 あえて二人を見逃し、自分の存在を示すことで、本命であるだろう僕をおびき寄せようとしているんだ。

 そんな魔族の暗殺者が、大人しく僕たちの到来を待つだろうか?


「ジャンガリ爺さんは無事かな?」

「あの方は、ルイララが気を使うくらいの上級魔族なのだから、きっと大丈夫よ」

「それよりも、残ってくれたフォラード様やジーク様の安否や都の様子が気になりますね?」

「うん。侵入者がジュメイだけとは限らないからね」


 まだ他にも竜王の都へ侵入者が入っていたら、被害は他の場所にも及んでいるかもしれない。

 だけど、僕たちの心配は杞憂きゆうに終わる。


「見えてきたにゃん」


 ニーミアに指摘されて、遠くの景色を見つめる僕たち三人。

 立派な外郭がいかくの壁にぐるりと囲まれた、大きな都市が見えてくる。

 でも、黒煙が上がっていたり、街並みが破壊されているような気配は見当たらない。

 それで、一度ほっと胸を撫で下ろす僕たち。

 だけど、安堵ばかりもしていられない。

 建物などに被害は見えないけど、人的な被害が出ているかもしれないからね!


「ニーミア、領主館へ一気に飛んで!」

「にゃん」


 行政を担う領主館は、竜王の都の中心部にある。

 過去に、最も中心に存在した死霊城は、僕が根刮ねこそぎ吹き飛ばしてしまった。今は、そこに僕たちのためのお屋敷が建てられている。

 領主館や十氏族の邸宅は、その周囲に建築されていた。


 ニーミアはあっという間に竜王の都の外郭の上を通過し、都の中心部へと辿り着く。

 そして、領主館の前に着地した。


「意外だね。野次馬とか様子を伺うような人が周りにいないんだね?」


 僕はてっきり、竜王の都は混乱していると思っていた。

 だけど、少なくとも領主館の周りには、野次馬たちの姿はない。

 代わりに、黒翼の魔族たちが周囲を包囲していた。


「黒翼の魔族が厳戒態勢をしているから、というわけでもないわね?」

「そもそもが、周囲の建物などにも人の気配がありませんね?」


 セフィーナとマドリーヌの言う通り。

 黒翼の魔族が領主館の周囲に展開している以前に、竜王の都の中心部には人の気配がない。

 すると、僕たちの方へ飛んで来る見慣れた黒翼の魔族の姿を見つけた。


「エルネア様!」

「こんにちは。禁領で、十氏族の人たちに事情を聞いて飛んできました。それで、今の様子は?」


 堅苦しい挨拶などは抜きだ。今は少しでも早く現状を確認して、対処しなきゃいけない。

 黒翼の魔族も同じ考えのようで、十氏族がメドゥリアさんを禁領へ連れて行った後のことを教えてくれる。


「領主館内での戦闘に、我らは遅れて気づきました。申し訳ございません。それで、我々が急ぎ駆けつけた時には、既に今の状態になっており……ジャンガリオ様が魔法を展開している状況では、我々は外部から見守るしかなく」


 ふむふむ?

 ジャンガリオ爺さんが、今も領主館内で戦っている?

 いや。それにしては静かすぎる。

 僕は黒翼の魔族の言葉の意味を知るために、世界の違和感を読み取ろうと心を鎮める。

 そうして、領主館内の状態を知った。


「……地下に、フォラードの気配があるね。ジャンガリオ爺さんとジークはメドゥリアさんの応接室だね。でも、暗殺者の気配は読み取れない? 変だな? ジャンガリオ爺さんたちは気絶とかしていないはずなのに、全然動かないね?」


 どういう状況なのか、世界の違和感を読んだだけではわからなかった。

 そこに、セフィーナが補足を入れてくれる。


「エルネア君、マドリーヌ様、これを見て」


 領主館の様子を慎重に調べていたセフィーナに呼ばれて、僕たちは玄関付近に走り寄る。

 そして、黒翼の魔族が伝えてくれた現状の意味を知った。


「蜘蛛の糸でしょうか? それが領主館に張り巡らされていますね?」


 マドリーヌの言葉に、黒翼の魔族が頷く。


「これが、ジャンガリオ様の魔法でございます。触れるものを呪縛し、切断する。ジャンガリオ様は館中にこの魔法の糸を張り巡らせ、館内を封鎖しておいでなのです」

「そうか。この蜘蛛の糸一本一本が、恐ろしい魔法なんだね」


 まさに、蜘蛛の頭部を持つ上級魔族らしい戦い方だ。

 注意して見ないと確認できないほど極細の魔法の糸で張り巡らされた蜘蛛の巣は、ジャンガリオ爺さんの縄張りと化す。

 糸に獲物が触れた瞬間に居場所を察知し、時には呪縛し、時には糸で切り刻む。

 恐ろしい魔法だ。

 これでは、黒翼の魔族でも無闇には領主館内へ侵入できない。


「でも、そうすると変じゃないかしら? ジャンガリオ爺さんは何故、暗殺者のいなくなった領主館を今も魔法の糸で封鎖しているのかしら? しかも、自分たちの動きを封じてまで?」

「セフィーナ、そうですね。自分の魔法に自分で掛かってしまうような方ではありません。ジーク様とフォラードさまも同じ十氏族なのですから、魔法の対象外でしょう?」

「まさか、ジークとフォラードの動きを封じるために!? ……ううん。それは違うね。二人の気配は落ち着いている。これは動きを封じられていると言うよりも、護られているって感じだ」


 ジークとフォラードが身動きを取っていないのは、周囲にジャンガリオ爺さんの魔法の糸が張り巡らされているからだ。

 でも、自分たちを狙ったものではない、むしろその糸で護られていると知っているから、安心して動かないんだ。


 では、何故三人は魔法の糸が張り巡らされた領主館内で動かないのか。


「ま、まさか!?」


 僕は息を呑む。


「世界の違和感を読み取る僕の能力でも、ジュメイの気配を捉えられていない!? きっと、ジュメイはまだ館の中に潜んでいるんだ! だから、ジャンガリオ爺さんは魔法の糸を張り巡らせて、ジュメイを捉えようとしている!?」

「そんな!」


 セフィーナとマドリーヌも絶句する。

 世界の違和感を読み取る能力とは、隠れている者の周囲の空気の乱れや、体温が大気に及ぼす微かな影響、地面を踏み締める圧力などといった、そこに存在していれば必ず何か世界に影響を及ぼしている、という事象を読み解く能力だ。

 だから、どれだけ気配を殺しても、世界の違和感を読み解けば存在を知ることができる。

 だというのに、僕はジュメイの気配を読み取れない。


 僕だって、まだまだ未熟だ。

 現状の「世界の違和感を読み取る能力」が完璧でないことくらい、最初から認識している。

 でも、この能力で、あの妖精魔王クシャリラの気配だって読み取れるんだよ?

 だというのに、暗殺者ジュメイは僕の世界の違和感を読み取る能力を掻い潜り、世界に溶け込んでいる!


 こういう存在が、魔族にはいるんだね。

 魔王をも上回るような、潜伏能力。

 これだけ上手く世界に溶け込めるのなら、黒翼の魔族の守備も容易く回避できたはずだ。

 そして、超一流の暗殺者と噂されるだけのことがあるのだと、思い知らされる。


 きっと、ジャンガリオ爺さんもジュメイを見失ったんだ。それで、魔法の糸を館中に張り巡らせて、ジュメイを見つけ出そうとしている。

 どれだけ気配を殺しても、世界に違和感なく溶け込んでも、動いて糸に触れれば、ジャンガリオ爺さんには気付けるだろうからね。


「我々であっても、ジャンガリオ様の魔法の邪魔はできません。我々が不用意にジャンガリオ様の邪魔をして、侵入者を取り逃すようなことになっては目も当てられませんので」


 あとは、ジャンガリオ爺さんの魔法の邪魔をしないように、周囲を包囲して監視を続けるしかない。

 周囲の建物に人の気配がないのは、余計な被害を広げないためだね。

 ここで上級魔族同士の戦いが繰り広げられたら、周辺一帯には甚大じんだいな被害が出てしまうから。


「エルネア君、私たちはどうするのかしら?」

「むきぃっ、ここまで来て見守るだけなんて嫌です!」

巫女頭みこがしらのマドリーヌ様が一番血の気が多い!?」

「敬称付きで名前を呼ばないでくださいっ」

「おおっと、つい口癖で」


 ははは、と笑う僕と、ぷんすかと頬を膨らませるマドリーヌ。そして、いつも通りに格好良く笑みを浮かべるセフィーナ。


「どうやら、皆様はこの事態にも気負ってらっしゃらないようだ。安心いたしました」


 黒翼の魔族の表情も、ようやくゆるむ。

 彼らは、巨人の魔王の勅命で竜王の都の守備を担ってくれている。でも今回、暗殺者の侵入を許しただけでなく、僕が全権を与えている領主のメドゥリアさんが瀕死の重傷を負わされた。

 しかも、その暗殺者に手出しができない状況が続いている。

 見守ることしかできない自分たちの不甲斐なさに、周囲に展開している他の黒翼の魔族たちも複雑な心境なんだと思う。

 だからこそ、僕たちが平常であるべきだよね。


「うん。後は僕たちに任せてください。黒翼の魔族は竜王の都の守備。そして、そのみなさんや竜王の都の全てを守護するのが、僕の役目ですから!」


 どん、と胸を叩いて自信を示す。

 黒翼の魔族は、今度は嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。


「どうか、お願いいたします!」


 黒翼の魔族たちの期待に応えなきゃね!

 ということで、僕はアレスちゃんを呼び出す。


「ぶきぶき」

「さすがに、超一流の暗殺者と戦うためには武技が必要だよね」


 僕は、神楽かぐらの白剣を受け取る。セフィーナさんは愛用の手甲てこう。マドリーヌは錫杖しゃくじょうを。


「よし! これより領主館内に入り、暗殺者ジュメイを倒すよ! できれば黒幕の正体も知りたいところだけど、超一流の暗殺者なら、絶対に雇い主の名前は口にしないだろうからね」


 はたして、ジュメイの本命は本当に僕なのか。

 それとも、もっと別の意図が隠されているのか。

 そして、暗殺者を雇った者の正体とは。


 まだ謎の多い事件だけど、まずは目の前の障害を全力で排除する!

 僕たちに喧嘩を売ったことを後悔させてやるからね!

 意気込む僕は、セフィーナに全力でお願いした。


「セフィーナなら、ジャンガリオ爺さんの魔法の糸も操れるよね? ということで、セフィーナを先頭にして、突撃だ!」

「エルネア君、ちょっとだけ格好悪いわよ?」

「いやいや、ここで僕が最初から全力を出したら、お屋敷が吹き飛んじゃうからね?」

「気のせいでしょうか。魔族よりもエルネア君の方が大暴れしそうな気がします」

「マドリーヌ、それは気のせいじゃないよ? だって、仲間を傷つけられたんだからね。僕は今回、本当に怒っているんだ。だから、容赦はしないよ!」


 これは、冗談でもなんでもない。

 このままめられた態度を放置し続けていれば、またいつか、誰かが僕たちのせいで命を狙われる。

 そうならないように、僕たちに手を出すことは必ず身の滅びに繋がるということを、魔族には知ってもらっておく必要がある。

 どうやら、魔王位争奪戦やその後に続く騒乱でも、僕のことをあまり理解できなかった魔族がいるようだからね!


「おじいちゃんがニーミアに言ったよね。争いたくないのなら、相手が争おうと思えないくらいの実力を見せつければいいってね!」

「エルネアお兄ちゃんが全力で暴れる気にゃん!?」


 小さくなったニーミアが、ふるふると震えて僕の懐の中に潜り込む。


「ニーミアよ。僕が暴れると予感しながら、僕の懐に逃げ込むのはどういう理由だい?」

「嵐の中心が一番安全にゃん」

「なるほど!」

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