竜心の心得
「まったくもう。面倒を押し付けてくれたわね」
ぶうぶうと文句を垂れるアシェルさん。
「そう言うでない。可愛い娘の親友の頼みは断れまい」
「いかにも最初から私が受けた相談のように言わないで。爺さんが相談されたんでしょう」
「ふむ、そうであったか?」
怖いです。
スレイグスタ老の艶やかな黒い鱗がへこんでいます。
「しかし、これはやはり其方が適任だ。ここへ来たついでだと思って指導せよ」
「前回もそうやって面倒事を押し付けて」
「良いではないか良いではないか」
くつくつと笑うスレイグスタ老。まったくもう、とため息を吐くアシェルさん。
でもなんだかんだと言いつつも、どうやら協力してくれるみたい。こっちに来い、と女性陣を呼び寄せる。
暴君とフィオリーナとリームは、大迫力の
「気にしないで。あれが普通だから」
「普通であるものか。痛かったわっ」
「あれはおじいちゃんが悪いと思います!」
騒動のあとの段落。のんびりと寛ぎ、旅の話を始めた僕たちをよそに、女性陣側ではアシェルさん教室が開かれていた。
「わ、
こっそりと僕のところへ来ようとしたライラがミストラルに捕まっていた。ミストラルも本当は竜心があるし、ライラだけの抜け駆けは許さなかったらしい。
プリシアちゃんは、アレスちゃんとニーミアと一緒に、アシェルさんの背中の上で遊んでいる。ふわふわの体毛が気持ち良さそう。
そしてアシェルさんの迫力に最初は怯え、暴君の側から離れようとしなかったフィオリーナとリームも、遊びの誘惑に負けて翼を羽ばたかせた。
ちらりとアシェルさんの様子を伺って飛んで行ったのが可愛い。
アシェルさんも幼女たちには寛容なようで、背中の上で暴れられても、一向に気にした様子は見せない。
そして、女性陣。
アシェルさんの前に、神妙な面持ちで集まっている。
アシェルさんもそんな女性陣を見下ろして、真剣な表情になっていた。
「竜心か」
ぽつりとアシェルさんが言葉を零す。
「無理なものは無理ね。竜気が無ければ竜心は得られない」
「そ、そんな……」
アシェルさんの言葉に、見るからにがっくりと肩を落とすルイセイネと双子王女様。
ルイセイネとニーナはまだしも、ユフィーリアまで肩を落として悲しんでいる。
双子王女様は二人でひとり。ニーナが無理なら、ユフィーリアも同じ道を選ぶということなのかな。
「仕方ないでしょう。竜心とは、言ってみれば竜術の一種。法力のない者が法術を扱えないように、術の根源をなす力が無ければ例外なく使えない」
しゅん、と項垂れるみんな。
「ですが、翁がアシェル様に話を振った以上、代わりの解決策があるのではないですか?」
見かねたミストラルが口を挟んだ。
たしかに、解決策のない問題を丸投げなんてしないはず。
しないよね?
「くくく。まぁ、見ておれ」
『欲深き人どもだ』
「違うよ。これは欲望じゃない。みんなレヴァリアとお話をして、もっと仲良くなりたいという切望だよ」
『ふふん』
口悪く言うくせに、興味津々で女性陣とアシェルさんを見る暴君を、優しい瞳でスレイグスタ老が見ていた。
「竜姫の言う通りね。出来ないものは出来ない。だけど方法はひとつとは限らない」
「本当ですか!」
「希望が出てきたわ」
「やれることなら、なんでもやるわ」
三人の瞳に生気が戻る。
「だがそれは、生半可なものではない。竜人族は竜気を持ちながらも竜心を会得する者は少ない。そしてそれ以上に、竜心以外で竜族の心を読み取る術を持つ者は少ない。言っている意味はわかるわね?」
「つまり、それは竜心を得ることよりも難しいということですね」
「そういうことになるわね」
「望むところだわ」
「可能性があるなら、なんだってするわ」
アシェルさんの言葉に、及び腰になるどころか、益々やる気を見せる三人。
良い覚悟だ、とアシェルさんも乗り気になってきた様子だね。
「厳しい修行になる」
「覚悟しています」
「一歩間違えれば危険が待っている」
「上等だわ」
「甘えは許さぬ。やるからには最後までやってもらう。達成できぬ時は、私が灰に変えてやる」
「必ず達成してみせるわ」
真剣な眼差しで見つめ合うアシェルさんと三人。
「ところでエルネアよ」
「はい?」
緊迫した雰囲気が漂う苔の広場。邪魔をしないように、スレイグスタ老が静かな声で質問してきた。
「汝は、どのようにすれば、竜心を会得できると思う?」
「これからの修行のことじゃなくて、竜心の方ですか?」
「左様。汝とライラはなぜ、竜心を会得した」
ううん、と首を傾げて考える。そして、戻って来る途中にも思ったことを口にした。
「竜族と仲良くすること。竜族を理解しようとすること。竜族と深く関わろうとすることが大事なんじゃないですか?」
僕の答えに、スレイグスタ老は満足そうに瞳を閉じた。僕の声が聞こえていたのか、アシェルさんも微笑んでいた。
もう一度考えてみる。ライラは他の誰よりも、竜族に興味を示していた。特に暴君に。それは過去の出来事や出生が要因だけど、竜族と仲良くなろうと努力してきたのは間違いない。
僕も、自分で言うのもなんだけど、竜族とは深く関わってきたと思う。スレイグスタ老やニーミアと特にね。
僕はスレイグスタ老を尊敬しているし、ニーミアを可愛い家族と思っている。
僕とライラの共通点は、竜族大好きっ子ということだね。
竜人族のなかでも、今では竜心持ちは少ないらしい。それって、接点が乏しいからじゃないのかな?
僕は、学校の座学や物語などで得た知識で、竜峰に住む竜人族と竜族は近しい者、共存共栄の関係だと思い込んでいた。
だけど、現実は違った。
竜峰で暮らしてみて、よくわかった。
共に同じ領域で暮らしていても、必要以上の接点をお互いに持とうとしていなかった。場合によっては、狩ったり狩られたりする関係。ユグラ様とカルネラ様の一族の関係が例外だと思えるくらいに、両者の関係は希薄だった。
だけど、昔はやっぱり近い仲だったんだと思う。腐龍の王は竜族と竜人族、それと二人の人族が共に手を取り合い戦ったんだよね。
そして、竜族の想いの結晶である大切な竜宝玉を竜人族が大切に守るくらいに親密だったはずだ。
それが今、距離のある関係になってしまっている。そういったことで必然的に、竜心をもつ竜人族が減っていったんじゃないのかな。
「おやまあ。竜人族よりも竜族との関係に深い理解を示すのね、其方は」
しまった。邪魔しちゃった。
アシェルさんは女性陣から視線を外して、僕に振り返っていた。
「エルネア、今度はなにを思考したのかしら?」
「ちがうんだ、ミストラル。僕はただ、おじいちゃんの問題に答えていただけだよ」
「エルネア君には敵いませんね」
「竜族の興味を私たちから奪うなんて、すごいわ」
「さすがはエルネア君、すごいわ」
「ぐふっ、ごめんなさい」
頭を掻いて謝罪すると、みんなに笑われた。
「さて、本題に戻ろうかしらね。それでは、其方らの覚悟を見させてもらおう」
そう言うと、アシェルさんは瞳を輝かせた。
もう一度緊張が走る女性陣。
どんな試練が待ち受けているのだろう。
僕も固唾を飲んで見守る。
気づけば、アシェルさんの背中の上で遊んでいた幼女たちも興味津々な様子で、ことの成り行きを見守っていた。
「では先ず」
ごくり、と傍の暴君が喉を鳴らした。
暴君も興味津々なんだね。
アシェルさんはもう一度だけ全員を見渡し、ついでに僕も見て、言葉を続けた。
「霊樹の宝玉を持ってきなさい」
「おい!」
間髪入れずに突っ込んだのは、スレイグスタ老だった。
鋭い視線がスレイグスタ老からアシェルさんに向けられる。だけど、アシェルさんは気にした様子もなく笑う。
「ふふふ。私に一任するのでしょう。ならばこれは第一の試練よ」
「よもや悪巧みをするとはな」
「いつもやられてばかりでは、
勝ち誇ったように鼻を鳴らすアシェルさん。
やれやれと肩を落とすスレイグスタ老。
むむむ。霊樹の宝玉とはなんだろう?
スレイグスタ老から突っ込みが入ったということは、普通の品じゃないのは確かだね。
「霊樹の宝玉とはなんでしょうか」
「聞いたことがないわ」
「知らないわ」
「いきなり難問ですわ」
人族乙女四人が顔を見合わせて困惑している。でも、ミストラルは苦笑してます。これは、ミストラルは何か知っているね。
「ねぇ、ミストラル。霊樹の宝玉ってなに?」
「宝玉というか。あれは霊樹の果実の種よ」
口止めされているような物なのかも、と思ったら、予想外の答えでした。
「霊樹の果実?」
「そう。今の時季になると、霊樹が果実を実らせるのよ」
僕たちは揃って、頭上の霊樹の枝葉を見上げた。
「見えないわ」
「まだ実っていないのかしら」
双子王女の言葉に、僕は口を挟む。
「僕も霊樹の果実なんて見たことないよ? 去年の今の時季にも、そんな果実を見た記憶がないし」
存在自体を知らなかったから、見落としていたのかもしれない。だけど、毎日のように通っていて、頭上の変化に全く気づかないなんてあるのかな。
「それはね、ここの上の方は翁がすぐに食べてしまうから」
「おじいちゃん、いますぐ吐いて!」
「鼻水で良いか?」
「駄目っ」
なんということでしょう。
そんな果実があるのなら、僕も食べてみたかったよ!
「それじゃあ、上を探せば良いのですわね」
なぜか、既に竜心持ちのライラまでやる気満々です。試練はみんなで乗り越えようということなのかな。
「困ったわね」
だけど、そのやる気に水を差したのは、霊樹の宝玉の正体を教えてくれたミストラルだった。
「問題があるのでしょうか?」
首を傾げるルイセイネ。
「それがね。この周囲に実る霊樹の果実は、実るとすぐに翁が食べてしまうの。わたしがここを訪れなかった間は母さんが来ていたと思うのだけど。きっと残らず採っているわ」
「むむむ。そうすると、アシェルさんの試練はとても難しいものになるね」
僕だけじゃなく、全員が試練の難易度に顔をしかめた。
この辺りの実りはもうない。では、別の場所はどうか。ミストラルはあえてこの周辺と言った。つまり、この周辺でなければ、果実を見つけられる可能性はある。
だけど。
僕たちは霊樹を見た。霊樹の幹のある方角を、複雑な表情で見た。
ここじゃない周辺。それは即ち、立ち入りが禁止されている区域を意味する。
僕も、霊樹の幼木を見つけたときの一回きり。ミストラルでさえ、自身のためと僕の付き添いで二度入ったことがあるだけの場所。
どれほどにスレイグスタ老と仲良くしようとも、どれだけ親密になろうとも、許可なく入ることを禁じられた領域。
そこになら、もしかすれば霊樹の果実が実っているかもしれない。だけど、入れない。
全員の視線が、自然とスレイグスタ老に向けられていた。
「わかっておろう。無闇に許可を与えるわけにはいかぬ。もしも無断で立ち入れば、わかっているであろうな」
そう言うと、スレイグスタ老は霊樹の枝葉が震えるような、雷鳴のごとき咆哮をあげた。
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