踊る乙女たち
『な、なにをするっ!』
全身鼻水まみれになった暴君が、またも困惑した表情になってスレイグスタ老を見上げた。
「かかかっ。勇ましいのう」
だけど、スレイグスタ老はさも可笑しそうに笑うだけで、暴君に謝罪する気はない様子だ。
やれやれ。僕たちは顔を見合わせて苦笑すると、スレイグスタ老と暴君の側に歩み寄る。
『うわあ。これがスレイグスタ様なんだねっ』
『レヴァリアだいじょうぶ?』
フィオリーナとリームは双子王女様の制止がなくなると、楽しそうに飛んで保護者のもとへと真っ先に飛び寄る。
「盟主と幼子か」
スレイグスタ老は悪戯に満足したのか、いつもの姿勢になってフィオリーナとリームを迎えた。
『はじめまして。ユグラおじいちゃんの孫のフィオリーナですっ』
『レヴァリアと同族のリームですぅ』
暴君よりも幼竜の方がしっかりしているように見えますよ。
フィオリーナとリームは、スレイグスタ老の前まで飛んでいくと着地して、人のように礼儀正しいお辞儀をした。
「ふむ。よう来た。歓迎しよう」
スレイグスタ老も二度目の悪戯をすることはなく、いつもの
「おじいちゃん、ただいま。アシェルさんこんにちは。」
「翁、戻りました。アシェル様、ご無沙汰しています」
僕たちも、スレイグスタ老の寝そべった顔の前まで行くと、久しぶりの挨拶を交わした。
「随分と遠くまで行っておったようだな」
「はい。ちょっとヨルテニトス王国まで」
徒歩だと片道約六十日かかるような長旅が、暴君やニーミアにかかれば、たった二日の行程になってしまう。本当に、ちょっと行ってきますというような距離になってしまっていた。
世界って広いのかな。狭いのかな?
「ふむ。世界というものは、汝の想像に収まらぬ程に広い。一部の地域だけで推し量るのは早計だろう」
「そうなんですね。まだまだ僕の知らない世界はいっぱいあるんだ」
「左様。付近だけでも、南には神族の帝国。西の竜峰の先には魔族の国々。さらに進めば、人族の治める国々もある。そして東西南北、更に世界は広がっておる」
もしかして、スレイグスタ老はそういった広い世界を飛び回ったことがあるのかな。
「遥か昔。ここの守護に就く前はよく世界を周ったものだ」
おお、すごい! ぜひ今度、いろんな話が聞いてみたいです。
「くくく。いずれ」
ああ、世界中のお話か。今から楽しみで胸が踊ります。と高揚していると、
「こら、エルネア。いつも言っているでしょう。心を挟んで会話をしないの。わたしたちには訳がわからないでしょう」
「あ、ごめんなさい」
ミストラルに怒られてはにかむ僕。これはいつもの風景で、みんなは笑っていた。
『くっ。呑気なものだ。我はもう帰るっ』
「ああ、駄目だよ。せっかくおじいちゃんに招待してもらったんだから、もっとここに居ようよ。ね?」
ようやく鼻水が乾いて、全身の紅蓮の鱗が輝く美しさになった暴君が、
「どれ。汝らの話も聞きたいが、先ずはこちらが先であるな」
スレイグスタ老はもう一度、暴君に向き直る。
「自己紹介といこうではないか、竜峰のじゃじゃ馬よ」
スレイグスタ老にとっては、暴君でさえもじゃじゃ馬程度の扱いなんだね。
やっぱり計り知れません。
ぐるる、と暴君は喉を鳴らす。だけど素直にスレイグスタ老と向き合った。
先に暴君が名乗り、スレイグスタ老が名乗る。お互いに有名な竜族。多くの言葉は必要なかったみたい。
軽く言葉を交わした後は、フィオリーナとリームも交えて竜峰の様子をスレイグスタ老が質問するような形になった。
スレイグスタ老はどういう思惑で暴君たちを招き入れたのかな。ここは神聖な場所。少し先には霊樹の幹があり、気安く見知らぬ者を入れて良い場所じゃない。僕たちだって、それは理解している。だからこそ、暴君たちを仕方なく置き去りにして、ここへと戻って来ようとしていたんだけど。
スレイグスタ老と暴君たちのやり取りを見守りながらそう思っていたら、アシェルさんが教えてくれた。
「あの程度は問題ない。もしも暴れられても、容易く
物騒です!
信頼しているとか、最近の活躍を評価しているとかじゃないんですね!
暴君の実力程度なら問題視するほどじゃない。軽く言っていますけど、それって十分計り知れないですからね。
僕の思考に、ふふふと笑みをこぼすアシェルさん。
「それにね。
「そうなんですか」
そういえば。今はこの場にいないジルドさんも、苔の広場には自由に出入りしていたよね。
意外と広い苔の広場。そこに竜族や人がひしめき合っている様子を想像して、迫力に身震いをした。
「そんな訳だから、気にする必要はない。なによりも、其方の身内と言って良い存在だろう、あれは」
「はい。レヴァリアたちも僕の家族ですよ」
「とうとう竜族まで取り込んだことを認めたわ」
「しかも幼竜を含んでいるわ」
「エルネア君、そういう趣味ですか?」
「エルネア様、私だけはエルネア様の味方ですわ」
「ちょっとライラ。その言い方は、わたしたちがエルネアと敵対しているように聞こえるのだけれど?」
「ライラさん、お説教です」
「はわわっ。エルネア様、お助けくださいですわっ」
スレイグスタ老と暴君の交友の間、暇を持て余した女性陣がやんやと楽しみだした。
「これが其方の家族か。一年前とは比べものにならないわね」
アシェルさんは眼下ではしゃいでいる女性陣を見て微笑んでいた。
みんなは、いつもの場所にようやく戻ってこられて、知らない土地での騒動で締まっていた気が緩んだんだろうね。ヨルテニトス王国の離宮以上に楽しくはしゃいでいた。
「んんっと、高い!」
「たかいたかい」
「にゃあ」
人の幼女組は何をしているのかと思えば。アシェルさんの背中に飛び乗って小躍りしていた。
怖いもの知らずですね。
アシェルさんは背中をちらりと見ただけで、咎めるような気配はなかった。
アシェルさんも久しぶりに愛娘に会えて気が緩んでいるようです!
「灰に変えてやろうかしらね?」
「うひっ。ごめんなさい」
僕は慌てて逃げる。そして暴君のそばに駆け寄った。
「おじいちゃん、レヴァリアたちを招んでくれて、ありがとうございます」
「ふむ。気にするでない。汝の家族は我の身内のようなものだ」
『ふふんっ、貴様になんぞ感謝はせぬ。我は来たくて来たのではない』
ふいっと視線を僕からそらす暴君。その仕草がなんだか可愛くて、首筋を撫でてあげたらフィオリーナとリームが反応した。
『うわんっ。わたしも撫でてっ』
『リームもぉ』
ぐりぐりと僕のお腹に鼻先を押し付けてくる二体を撫でていると、スレイグスタ老が僕に話しかけてきた。
「それで、向こうで何があったのだ。詳しく聞かせよ」
「はい」
僕はフィオリーナとリームと、ついでに暴君をあやしながら、ヨルテニトス王国で起きた騒動の
僕の話を興味深く聞いていたスレイグスタ老は、話し終えるといくつかの質問をして、ううむと唸る。
「魔族の支配する地域とは離れた場所での暗躍か。魔族の国にしか魔族はおらぬ、というわけではないが、本人が魔将軍と名乗ったのなら、魔族の国の者で間違いなかろう」
世界は複雑で広い。人族の国には人族しか居ない。神族の国には神族だけ、魔族の国には魔族だけ、という単純な世界ではないよね。
魔族の国で暮らす人族や神族は居るだろうし、神族の国で暮らす人族や魔族だって居るはずだ。
人族は種族を判別する能力を持っていないからわからないけど、きっとアームアード王国とヨルテニトス王国にだって、魔族や神族は住んでいると思う。
そして、魔族の全てが悪。神族の全てが恐ろしい人というわけでもない。巨人の魔王やルイララのように話の通じる魔族もいるし、温厚な神族や気の優しい魔族だって居るかもしれない。
だけど、死霊使いのゴルドバは自らを魔将軍と名乗った。
魔族の国の軍隊を統べる魔将軍が、本国から遠く離れた場所で暗躍していた。スレイグスタ老はそのことに強く興味を示していた。
「なにか思い当たるようなものはありますか?」
僕たちの知らないことでも、スレイグスタ老なら知っているかも。そう期待したけど、色よい返事は返ってこなかった。
「竜峰やアームアードでならわかる。しかし更に東の国で暗躍か。企みはわからぬが、大規模な策謀を張り巡らせている可能性はある。注意することだ」
「はい。ヨルテニトスの王様も警戒していました。向こうの竜族たちも協力してくれるみたいで、魔族の
「ふむ、そうか」
スレイグスタ老は満足そうに頷く。
『竜峰の北側でも、不穏な動きを感じる。東ばかりに目を向けていると、足もとをすくわれるぞ』
「そうですね。竜峰の西でも魔族が動いているし、北側は竜人族の同族争いか。気をつけなきゃね……あれ? ひょっとして、竜峰の西側で動いている魔族とヨルテニトス王国での暗躍は、もしかしたら連動しているのかな?」
ふと、そんなことを思ってしまった。
でも、離れ過ぎているよね。遠く離れた地点で別々に暴れても、魔族に利点はなさそうだしね。しかも片方は、魔族は容易く行ける場所ではないし。考えすぎかな。
「今は情報が足らぬ。気になるのであれば、しっかりと調べることだ。中途半端に動いていては、得るものも逃してしまうことを肝に銘じよ」
「はい、気をつけます」
「エルネア、気をつけるのも良いけど、自重するのよ」
「うっ」
いつの間にか、女性陣がやって来ていた。
ミストラルたちはもう一度スレイグスタ老にただいまを言って、早速相談事を持ちかける。
「スレイグスタ様、わたくしも竜族と会話がしたいです」
「エルネア君とライラだけ、ずるいわ」
「竜気を持つ人だけなんて、ずるいわ」
「ふむ。竜族と会話か。汝らは我と会話をしておるではないか」
「違います。レヴァリア様やフィオちゃんとも会話がしたいのです」
「どうすれば竜気のない者でも心を通わせられるのか、教えて欲しいわ」
「どうすれば竜気のない者でも会話ができるのか、教えて欲しいわ」
「ふうむ」
ユフィーリアだけは竜気が有るので、努力すれば竜心を得られるかも。だけど、ルイセイネとニーナは、今のままでは絶望的なんだよね。
竜族と心を通わせる方法が竜心以外にも有るのか無いのか。あるのなら、どうすれば良いのか。スレイグスタ老の
スレイグスタ老はじっと瞳を閉じて知識の泉に心を落とす。そして、くわっと瞳を開いた。
おお、なにか素晴らしい方法を思いついたのかも!
スレイグスタ老はじっと女性陣を見渡して、口角を上げた。
「ふむ。それはアシェルに丸投げしよう」
「はああっっ!?」
面白そうに様子を伺っていたアシェルさんが顔を引きつらせる。
「その辺は汝の方が詳しかろう。我は久々にエルネアの相手をせねばならぬ。汝は娘どもの面倒を見よ」
「勝手に決めるなっ」
叫んでアシェルさんは、がぶりとスレイグスタ老の首に噛み付いた。
「あんぎゃゃぁぁっ!」
涙目で咆哮をあげるスレイグスタ老に、暴君とフィオリーナとリームはこの上ないほど驚いていた。
うん、自業自得だね。
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