秋の空 竜の森
空の旅は順調すぎるほど順調だった。
途中一度だけ、空に浮遊する鳥に模した魔物の群れと遭遇した。だけど、暴君が
「ああ、
暴君に焼き殺され、緑色に輝く魔晶石に変わった魔物の核が地上へと落下していくのを、物悲しく見つめたのは秘密です。
魔物との遭遇以外は特に問題もなく、空の旅は快適だった。
来た時と同じように、カッド砦から運河に沿って南下して、人気のない竜の森の縁に差し掛かったところで一日目の行程を終える。翌日からはまた、巨大な湖に沿って西進した。
だけど、そこで思いもしない問題が発生した。
「ところでエルネア。どうやって翁の場所に行こうとしているのかしら?」
「しまった!」
つい声をもらしてしまい、みんなから呆れたような視線を向けられました。
失念していました。アシェルさんとの約束を、ではない。竜の森にかかった、スレイグスタ老の迷いの術をどう潜り抜けるのかを失念していました。
僕たちだけなら、特に問題はないんだよね。竜の森に入って
だけど、今は違う。僕たちは暴君の背中に乗って移動している。そして暴君以外にも、フィオリーナとリームが居る。
苔の広場には、そう気易く他者を連れて行くわけにはいかない。あそこはスレイグスタ老の寝床であり、霊樹のお
だから、僕たちの判断で安易に呼び込むわけにはいかないし、そもそも暴君たちを連れていたら竜の森の迷いの術を突破できないかもしれない。
むむむ、と唸る僕。
『ふふん。貴様に気を使われる筋合いはない。適当なところに降ろしてやる』
僕たちの悩みの種を敏感に感じ取った暴君が、つまらなそうに鼻を鳴らす。
なんだかなぁ、と複雑な気分になって、僕たちは顔を見合わせる。移動中は背中に乗せてもらい、ヨルテニトス王国でも色々と活躍してもらった。そんな暴君たちに、こんな対応で良いのだろうか。
「でも、仕方がないわ。スレイグスタ様がお認めにならない限り、あそこには行けないもの」
「でも、仕方がないわ。スレイグスタ様がお許しにならない限り、あそこには入れないもの」
「そうね。これはわたしたちの問題ではなくて、竜の森を護る
双子王女様の言葉に、ミストラルが頷く。
三人の言う通りなんだけどね。僕たちの、連れて行きたい
フィオリーナとリームは、そのあたりはもう理解しているのか、さして気にした様子もなく「いってらっしゃい」と僕たちに笑顔を向けていた。
空の上で無意味に悩んでいても仕方ない。それじゃあ、僕たちだけでスレイグスタ老のところに
方針が決まると、暴君は湖から竜の森の上空へと入った。
竜の森からであれば、場所は関係なく、彷徨い歩けばいい。暴君は着地のできそうな場所を探し、のんびりと空を飛ぶ。
そのとき、近いような遠いような不思議な距離感から、計り知れない気配が湧きあがってきた。
暴君はいち早く存在に気付き、威嚇の咆哮をあげる。
「うるさいわね。捻り殺すわよ?」
突如として僕たちの目の前に現れたのは、アシェルさんだった。
暴君も、さすがにアシェルさんだとは想像もつかず、眼前に現れた超巨大なアシェルさんに顔を引きつらせる。
「少し遅かった気がするが?」
「ええっと、あのあと事後処理が残ってて。それで今になっちゃいました」
僕の言い訳に、ふうんと鼻を鳴らすアシェルさん。
「まぁ、良いわ。ついて来なさい」
アシェルさんはそれだけを言うと、こちらの返事も待たずに、上空で踵を返す。そしてそのまま、竜の森の上空を移動する。
僕たちは意味がわからず、顔を見合わせる。あの暴君でさえ、どうすれば良いのだと僕を見て困惑していた。
「と、とりあえず。アシェルさんの後についていこうか」
アシェルさんは、僕たちをどこに連れて行こうとしているのか。全員が疑問符を頭の上に浮かべながら、アシェルさんの後を追う。
アシェルさんの巨体は遥か先。だけど長い尻尾の先は暴君のすぐ前の方で揺れていた。
どんだけの長さなんですか!
「お母さんの尻尾はにゃんたちのなかで一番長くて綺麗にゃ」
プリシアちゃんの頭の上で、アシェルさんと同じように尻尾を揺らしながらニーミアが嬉しそうに教えてくれた。
一年前は怯えばかりが見えていたけど、今のニーミアには母親に会った喜びが見て取れる。
ニーミアもこの一年間、頑張ってきたもんね。アシェルさんのような竜術を使えるように修行してきたし、スレイグスタ老の助言のように、戦う前に相手が戦意喪失するような力を付けてきた。努力の裏付けがある自信で、ニーミアはアシェルさんに会うことの怯えを克服したんだろうね。
「にゃあ」
ニーミアが機嫌が良いと、プリシアちゃんも機嫌が良い。二人で仲良く、ミストラルの膝の上ではしゃいでいた。
『どこにいくの?』
『うわんっ。楽しみっ』
フィオリーナとリームも、突然のアシェルさんの誘導で好奇心が刺激されたらしい。双子王女様の周りで跳ねていた。
アシェルさんは無言で僕たちを誘導する。暴君も、困惑しながらも仕方なくついて行く。
どこへ行くのかな、と周りを見渡していると。不意に周囲の気配が揺らいだ。
この感覚は、竜の森から苔の広場に辿り着いたときの、いつもの感覚だ。
視界が
極太の枝が頭上に広がり、秋になったというのに鮮やかな緑色を失わない葉が太陽の光を反射させて眩しい。
空気が澄み渡り、眼下の森の気配も一変していた。原生の森の姿をしていた緑の絨毯は、古木の静まった落ち着きのある風景へと姿を変えていた。
『ぐぬぬ……』
自身の思い描く超常的な力の更に上をいくような、計り知れない意志に抵抗する
暴君でさえ、手も足も出ない力。
スレイグスタ老の竜術を目の当たりにした暴君は、周りに広がる風景が目に入っていない様子だ。自分の未熟さを痛感しているような表情で、アシェルさんの後を追う。
暴君とは違い、フィオリーナとリームは突然様変わりした周囲の風景に興奮していた。
『凄いよ凄いよっ。こんなに大きな樹を見たのは初めてっ』
『ここどこぉ? すごく綺麗!』
飛び跳ねて興奮し、いまにも暴君の背中から飛び立ちそうな勢いのフィオリーナとリームを、慌てて双子王女様が押さえ込む。
だけど、双子王女様も同じように周りの風景をうっとりと見渡していた。
竜の森の上空。だけど霊樹の傘の下。森の屋根と枝葉の天井に挟まれた不思議な空間。そういえば、この風景を見ながら飛んだ経験があるのって、アシェルさんとニーミアと僕だけだったんだよね。
他のみんなは、スレイグスタ老の上に乗って、そこから竜の森を見渡すことはあっても、流れる風景で見るのは初めてなんだ。
気づけば、みんなが周りの風景に見入っていた。
ああ、違う。なぜかミストラルだけは、普通だった。
「ミストラルは経験があった?」
「ん? ああ。ちょっとね」
ふふふ、と笑って誤魔化された。
ずっとスレイグスタ老のお世話をしてきたミストラルだ。もしかしたら、こういったことは過去に経験済みなのかもね。
どこよりも澄んだ空気を切り裂き、緑の天井と床の間を進む。僕たちが目指す先には、極太の柱のような霊樹の幹が見えていた。
アシェルさんが高度を落とし始める。暴君も降下する。と思った瞬間、急旋回をした。来た空を戻ろうと反転する。
「こらっ。なに逃げてるのさ」
暴君の突然の動きに、苦笑するしかない。
無理はないと思うよ。暴君の気持ちはよくわかります。僕がもしも暴君だったとしたら、同じようにするかもね。
僕以外のみんなは、あらぁと暴君の顔色を伺っていた。
暴君が尻尾を巻いて逃げに走った理由。アシェルさんが降下する先。そこには、アシェルさんをも上回る、巨大で黒く
小山ことスレイグスタ老は、首を持ち上げ、黄金色の瞳を
『くっ。騙された。我は帰るっ』
加速する暴君。だけど、急にがくんと身体を揺らし、前進が止まる。暴君は激しく翼を羽ばたかせるけど、全く進まない。
振り返ると、アシェルさんが暴君の尻尾を掴んでいた。
『離せっ』
「ええい、大人しくしろ。でなければ灰に変えるぞ」
アシェルさんの脅しに、ひたりと動きを止める暴君。
こんなに素直で、怯える様子のレヴァリアちゃんなんて見たことない!
暴君はアシェルさんに尻尾を掴まれたまま、苔の広場に着地した。
『恨むぞ、エルネアよ』
「ええっ、なんでさ。僕のせいじゃないよ?」
威厳はどこに行きましたか?
困り果てた表情の暴君。
リームも、暴君のこんな姿は初めて見るのか、なぜか笑っていた。
苔の広場に降り立ち、暴君が逃げないことを確認すると、アシェルさんはようやく尻尾を離した。それでようやく自由になった暴君は、僕たちを背中から降ろすと、困ったように振り返る。
観念しちゃったのかな?
暴君の振り返った先。苔の広場の中央には、無言で僕たちを見下ろすスレイグスタ老が鎮座していた。
張り詰めた空気が苔の広場を支配する。
スレイグスタ老は今、暴君を見極めようとしている。
僕たちは固唾を飲んで見守りつつも、暴君からそっと離れた。
アシェルさんはこちらのやり取りなんて気にした様子もなく、スレイグスタ老の脇に移動する。
ぐるる、とスレイグスタ老が珍しく喉を低く鳴らす。暴君はびくりと身体を震わせ、遥か頭上のスレイグスタ老の頭を見上げた。
『これが伝説に聞く竜の森の守護者か』
しばしの沈黙の後。ようやく暴君は自分らしさを取り戻し始めて、スレイグスタ老に負けじと喉を鳴らし始めた。
曲がりなりにも竜峰の覇者。竜峰に住む者たち全てを恐れさせた存在の暴君。そして、正しく継承していれば、竜峰に住む竜族の盟主であった存在。
気の動転から立ち直った暴君は、己の存在を誇示するかのように竜気を張り巡らせて、スレイグスタ老と相対した。
暴君の四つの瞳に鋭い輝きが戻っていた。
睨み合うスレイグスタ老と暴君。
僕たちは一触即発の気配に、慌てて距離をとる。
『レヴァリア頑張ってぇ』
リームが保護者に声援を送り、それに答えて暴君が大きく口を開け、威嚇を込めて喉の奥を紅蓮に輝かせて咆哮を上げようとした瞬間。
「ぶえっっくしょおぉぉぉんっっ!!」
『ぎゃぁぁぁぁっっ!』
暴君は、頭上からの爆風と大量の鼻水の犠牲になった!
……ですよね。そうなりますよね。知っていました!
遠く避難した僕たちやアシェルさんは、やれやれという表情だった。
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