晴れ時々瘴気 所により怖いものが降るでしょう
夕食を食べながら、本日の話で盛り上がる。
セジムさんとアゼイランさんの妨害をアーダさんが阻止し、僕も新たな能力を手に入れようと努力していることを話す。すると、ナザリアさんは頑張れ、と励ましてくれた。逆にセジムさんたちは、それなら、と明日からも妨害することを公言していた。
むむう。この人たちは、僕で遊んでいるよね。ミシェイラちゃんたちがこの地になにをしに来たのかは知らない。でも、僕を使って暇をつぶしているのは間違いないです。
「それで。千手の蜘蛛のせいで、今日の収穫はなしだったわけね?」
「面目ないです」
「いや。あれを見つけただけでも褒めてやりたいくらい。それに、
「猩猩と同格と聞いていたから、どんな魔獣かと緊張したよ」
千手の蜘蛛は、やはり魔女さんと旧知の仲で、禁領を縄張りとして住みついているらしい。ミシェイラちゃんやナザリアさんも存在は知っている様子だったけど、こちらは面識がなさそうだった。
やはり、管理者と利用者には立場や思惑の違いがあるように感じる。
それでも、こうして同じ焚き火を囲んでご飯を食べたりしているのだから、敵対関係というわけじゃなさそうだけどね。
「それじゃあ、明日からは千手の蜘蛛へ
「保存食も欲しいので、忙しくなりそうだけど……」
乱獲は嫌だな。
必要な分だけ。過剰な殺生は禁物。そう習ってきたから、明日からのことを考えると心が痛む。それでも、千手の蜘蛛のお腹を満たさなきゃ、糸は貰えないんだよね。
「あとは邪竜の涙だね……」
「それが一番の難題になっちゃった。今日探ってみたけど、やっぱりこの地域には邪竜どころか、竜族の気配もなかったから」
千手の蜘蛛は存在していた。気が遠くなりそうだけど、満腹にさせてあげれば糸を貰うことはできる。
でも、この場に居ない邪竜から、どうやって涙を採取しろというのだろう。
「もしかして、実は誰かが邪竜の涙を持っているとか!?」
物を指定した魔女さんとか、同行しているアーダさんとか。ミシェイラちゃんやナザリアさんたちが隠し持っている可能性もあるよね。
つまり、そういうことか!
期待を込めて、焚き火を囲むみんなの顔を見る。
「……」
みんなが、残念そうな視線を僕に向けていた。
はい。持っていないんですね。
「魔女は無理難題を言うの」
と言うミシェイラちゃんの言葉に、アーダさんが無言で頷いていた。
当の魔女さんは、知らぬふりで食後のお茶を口にしていた。
「もう一度、気配を探ってみようかな……」
竜剣舞を舞っている際に感じた世界の気配を、今度は最初からしっかりと感覚で捉えてみたいし。
「そういえば、昼間のあの術は見事だった」
「嵐の竜術ですか?」
「そう。たいしたものだよ。ここに居ても、エルネアの術を感じることができた。魔女も珍しく褒めていた」
ナザリアさんの褒め言葉に、僕は心が躍る。
「では、もう一度披露してもらおう。夕食後の
「ああ、父さん。それは名案だ」
「兄さんの意見に賛成。私も目の前で見てみたいわ」
褐色肌の耳長族の家族に
断る理由もなかったので、それでは、と準備をする。
ナザリアさんたちが呼び出した光の精霊たちが場を照らすなかで、昼間のように竜剣舞を舞い始めた。
竜気とともに広がっていく意識。
心が世界と同化したような感覚。
肌が感じるように、大地の温もりや風の流れ、動物や植物の生命を感じ取る。
これが普段の状態でできるようになれば、気配を消す者の存在を把握できるようになるんだけど。
世界を意識しつつ。
夕食の余興ということで、
それでも昼間と同じように、生気に満ちた力を受けた自然が活性化していく。
夜になって休んでいた動物が踊り始め、鳥たちが歌いだす。
闇夜が賑やかになり始めた。
だけど、楽しい異変ばかりではなかった。
「これはっ!」
広がりを見せていた意識が、遥か遠い地に突然出現した異物を感じ取とる。
無意識のうちに竜剣舞を止めて、霊山の峰の先を見つめる。焚き火を囲んでいたみんなも、何事かと僕の視線を追っていた。
「すごいの。これがこの子の魂の力なの」
ミシェイラちゃんがきらきらとした瞳で僕を見つめる。だけど、ナザリアさんたちは慌てたように動き始めていた。
「冗談じゃない。こんなところであんなのの相手なんてしてられないよ!」
「
ナザリアさんは顔を引きつらせ、慌てて焚き火を消す。
セジムさんとアゼイランさんは精霊さんと融合し、強力な結界を周囲に張り巡らせ始めた。
アユラさんはミシェイラちゃんの手を取り、結界の奥へと引っ張っていこうとする。
アーダさんは不安そうに、魔女さんを見つめていた。
「
ミシェイラちゃんはアユラさんに引っ張られながら、興味深そうに僕を見ていた。
「とは言われても。お友達になれそうな雰囲気じゃなさそうだし……」
慌ただしくなった周りの様子から視線を移し、もう一度霊山の先へと向き直った。
視線の先には、星空を遮る霊山の山頂が見える。でも、それよりももっと先。その空が夜よりも暗い闇で覆われ始めていた。
「
負の
「逃げたほうが良いのでは? まさか、あれを
アーダさんは、
その魔女さんはというと、至って平静な様子で空を見上げている。
さっきまで歌っていた鳥たちが飛び去り、動物たちが悲鳴をあげて逃げていく。
そこへ、魂が縮みあがりそうな咆哮が空から降ってきた。
「感じるぞ。名高い魔女の気配。それと、聖なる竜気を扱う人の気配!」
ごごご、と瘴気の雲から顔を覗かせたのは、おどろおどろしい容姿の竜だった。
黒とも紫ともつかないような鱗。銀色に輝く恐ろしい瞳。
見るからに正道じゃない邪悪な容姿に、竜族を見慣れている僕でさえ顔を引きつらせる。
普通の竜族じゃない。
知っている気配のどれとも違う。
黒竜や影竜とはまったく違う性質の深い闇。邪悪で残忍な存在感。
「邪竜……!」
古代種の竜族。
つい先ほどまで禁領のどこにも存在していなかったはずの圧倒的な気配が、今では霊山の上空を支配していた。
邪竜は瘴気の雲から顔を出し、地表を探るように視線を巡らせた。
視線だけで動物を殺し、植物を枯れさせる。
だけど、セジムさんとアゼイランさんが張り巡らせた結界のおかげか、僕たちの周りは守られ、居場所も突き止められていない様子だ。
だけど、魔女さんの気配や僕の嵐の竜術を感じたせいか、この近くに隠れていると踏んで、邪竜は立ち去る気配を見せない。
本当に、大人しくしていればやり過ごすことができるのか。
魔女さんは邪竜の涙を持ってくるように言ったけど、むりむりむりの無理!
敵意剥き出しの古代種の竜族を前にすれば、僕なんて羽虫程度の抵抗さえできない。
結界から抜け出れば、邪竜が意識する以前に僕は視線だけで殺されるだろう。
ナザリアさんたちもやり過ごすしかないと判断していて、結界内で息を潜めていた。
「どうするの?」
ただし、この状況でも普段通りの人はいました!
ミシェイラちゃんは、楽しそうに笑みを浮かべて質問した。
僕にではなく、魔女さんに。
「無理難題への答え。この辺には居ない邪竜をエルネアは竜気で釣り上げたの。でも、これ以上の釣果はこの子たちには荷が重いと思うの」
ミシェイラちゃんは、魔女さんを見つめていた。
魔女さんは、灰色の瞳で静かにミシェイラちゃんを見つめ返していた。そして、ゆっくりと僕に視線を向ける。
「……そうじゃな。充分すぎる成果だということにしておこう」
言って、魔女さんは立ち上がる。
アーダさんに離れておくように指示を出し、自分は空の邪竜を見上げた。
そして、すうっと浮き上がる。
背中に翼がないのに浮いている。
なにかの術を唱えたわけじゃないのに、上昇していく魔女さん。
僕とアーダさんは地上で肩を並べて、上昇していった魔女さんを見上げていた。
空へと上がった魔女さんに、邪竜はすぐに気づく。
そして、恐ろしい牙を剥き出しにして、魔女さんに殺気を向けた。
「見つけ……」
邪竜が魔女さんになにかを言おうとした。
挑発しようとしたのかもしれない。
魔女さんは邪竜の顔の近くまで上昇すると、無造作に手を振り上げ、そして振り下ろした。
きらきらと、星の
それだけだった。
邪竜は言葉を
魔女さんは上下に手を振っただけ。
術の発動も、技をかけた気配もなく。
邪竜は霊山の裾野に
空に広がっていた瘴気の雲は霧散した。
立っていられないような振動。遠くに立ち上る土煙と、空気を震わせる轟音。
「さあ、早く行ったほうがいいの。今の内に、邪竜の瞳から涙を奪うの」
ミシェイラちゃんが僕の背中を押した。
はっ、と我にかえる僕。
「も、もしかして、邪竜は今ので……」
あまりの出来事に、口が上手く回らない。だけど、ミシェイラちゃんは僕がなにを言おうとしたのか理解していて、微笑んだまま頷いた。
と、とにかく。
僕は足もとに転がっていた茶飲みの器を慌てて手に取り、邪竜が落下した場所に向かって空間跳躍を繰り出す。
何度目かの跳躍で、霊山の斜面にめり込んだ巨大な邪竜の側に到着した。
邪竜の顔の方角を確認し、最後にもう一度跳ぶ。
邪竜の顔も、地面に深くめり込んでいた。
幸い、瞳をあけたままだ。
だけど、その瞳はなにも映してはいなかった。
「し、死んでるんですか?」
「この地への許可なき者の侵入は許さぬ」
空からゆっくりと降りてきた魔女さんは、慈悲もなくそう断言した。
邪竜は魔女さんの言葉どおり、すでに息絶えていた。
古代種の竜族を、たった一度手を上下させただけで絶命させた魔女さんの計り知れない実力に、
魔女さんの灰色の瞳は、まるで冷たい月の輝きのよう。瘴気の雲が晴れ、星の輝きが戻った空に、魔女さんの冷たい瞳が輝いていた。
「さあ、早う瞳から涙を。あまり
「猶予?」
なんのことだろう、と思いつつ。魔女さんから邪竜に視線を移す。そして邪竜の瞳に近づき、目元に溜まっていた僅かな液体を器にすくった。
「珍しいお肉がひとーつ。侵入以前に、魔女に喧嘩を売るから……」
すると、空から聞き覚えのある男のような女のような声が降ってきた。それと同時に、空が大きく引き裂かれる。
頭上は、瘴気の雲が晴れて、美しい夜空が広がっている。その夜空がぱっくりと割れて、奥から何本もの蜘蛛の脚が降ってきた。
十本や二十本じゃない。無数の長い足は空間の切れ目からぞわぞわと出てきて、鋭い爪を邪竜の死体に突き立てていく。
「美味しい命。貴重な命。いただきまーす」
僕と魔女さんが邪竜の側から離れると、空間を切り裂いた主、千手の蜘蛛は巨大な死骸を奪い去っていった。
割かれた空間が邪竜の
もう僕たちの前には邪竜の身体も気配もなく、夜空も普段通りの輝きを取り戻している。直前の出来事が、まるで夢のよう。
「明日、もう一度あれのところに赴くのじゃな。そうすれば、目当てのものが手に入るじゃろう」
言って魔女さんは、廃墟の村へと戻っていった。
僕はしばしの間、その場でぼうっと夜空を見つめていた。
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