晩春の夕暮れ
「そういえば、これも回収して来ましたよー」
と、リリィが影から放り投げて来たのは、赤髪のグラウスだった。
……わ、忘れていたわけじゃないからね!
みんなはグラウスを見るのが初めてなので、誰かしら、と覗き込む。
グラウス本人は、魔王城での一件で意識を失ったままなのか、リリィに意識を奪われているのか、床に放り出されても深く
「そうだ。グラウスをアームアード王国に届けなくちゃいけないんだよ」
「話を
「そうは言いますが。僕にはもう両手に収まる武器を持っていますし」
「左手は霊樹であろう。いずれ、それは大地に根付かせるのだろう?」
「ぐぬぬ、なぜそれを知っているんです……」
「霊樹の木刀を失えば、其方の左手が開く。右手に魂霊の座、左手に白き魔剣を持てばよかろう」
「いやいやいや、白剣は魔剣じゃないですからね! しかも、勝手に右手から左手に持ち替えさせないでっ」
「国取りも、ここから始めるといい。国土の端から攻めれば、守りも容易になる」
「国取りとかしませんから!」
「よし、こちらから軍を貸し与えよう。手始めに十万ほどでどうだ。内政に困るようならシャルロットも派遣しよう。テルルを使うのも手だな。片っ端から
「……」
「クシャリラの持っていた国土を奪い、禁領を合わせれば、版図は魔王たちのなかでも
「陛下、軍を貸し与えるのはいいですが、予算はエルネア君に持ってもらいませんと」
「ふむ。シャルロットよ、急いで見積もりを出せ」
「かしこまりました」
この人たちは、なにを話しているのでしょうか!?
誰か、僕の膝の上に乗せられている真っ黒で
「触った瞬間に死んじゃうにゃん」
「ニーミアよ。その触っただけで死んじゃう魔剣に現在進行形で触れている僕はどうなるのかな?」
「魔王になるにゃん?」
「ぜっっっっっったいに、なりませーーーんっ!!」
しくしく。
どうにかしてこの状況から逃げ出さないと、僕は本当に魔王にさせられちゃうよ。
みんなは、それでもいいの?
ミストラルたちは、付き合っていられないとばかりに、僕を置いて寛いでいた。
アレスちゃんでさえ、プリシアちゃんと一緒にお芋を頬張って、僕の方に関心を向けていない。
……自分でどうにかしなさい、ということですね。
厳しい現実を突きつけられて、悲しくなっちゃう。
「あっ、そうだ。メドゥリアさん、魔剣はいりませんか? 今なら無料で差し上げますよ」
別の所有者が見つかればいいんだ、とメドゥリアさんに話を振ったけど、彼女は平伏したまま固まっていた。
「エルネア君、駄目だよ。普通の魔族だと、陛下を前にすればご覧の通りさ」
ルイララが肩をすぼめて言う。
身動きをすること、頭をあげることだけでも、魔王の前では
黒翼の魔族でさえ、跪いたまま
魔王って、それくらい絶対的な権力者なんだよね。
僕の知っている王様とか、人族の国を支配する権力者とは違う。
力で全てを屈服させる、絶対的な権力を持つ者。逆らえば殺され、気に食わなければ排除される。
何者にも
それが、魔族を統べる魔王だ。
僕の思考を読んで、魔王が微笑む。
「僕はみんなを支配したいわけじゃないんです。ああして、
ちらり、とミストラルたちを見たら、なにを言っているのかしら、と残念な視線を返された。
「魔族の国でいっぱい暴れたからとか、名のある魔族を倒したから魔王の資格がある、なんて嫌です。知名度だけで選ばれるなんて嫌です。そもそも、魂霊の座を所有することが魔王の証だなんて、それが一番嫌です」
「ほほう、どういう意味だ?」
「だってそうでしょう? 絶対的な権力者、圧倒的な力を持つ者が魔王だと言うのなら、そんな魔剣を持たなくても資質のある人は最初から魔王なんだと思います。僕は白剣や霊樹の木刀を持っていたり、スレイグスタ老に師事したり、竜の王の竜宝玉を内包しているから竜王なんじゃない。頑張ってきたことをみんなが認めてくれたから、竜王なんだと思います。だから、魂霊の座をやるからお前は魔王だ、なんて他人の意志で
そもそも、魔王位争奪戦なんて間違っているんだよね。
魔王になりたかったら、勝手に国を興して、勝手に魔王と名乗ればいいんだ。
魔王位よりも上位にいる人?
それが怖いなら、その時点で誰もが恐れ
僕だって、本当に魔王の資格があるのなら、とっくの昔から魔族たちに「魔王」と呼ばれていると思う。
魂霊の座を持つから魔王じゃなくて、魔族たちに選ばれた王ならわかるんだけどさ。
まあ、どっちにしても僕は魔王になんてなりたくはないんだけど。
「と・に・か・く! 誰がなんと言おうと、僕は魔王になんてなりませんからねっ」
びくんっ、と身体を震わせて膝から魔剣を跳ね飛ばし、ぷいっ、とそっぽを向く。
全身が
魂霊の座を放り投げたら、さすがの魔王も怒るかな、と思ったけど。
魔王はやれやれ、とため息を吐いて床に落ちた魂霊の座を拾いあげた。
「どいつもこいつも、資質のある者は魔王になりたがらぬな」
「どいつもこいつも?」
僕以外にも、魔王になりたがらない人がいるのかな?
それはさておき。
「僕はみんなと平穏に暮らしたいだけなんです。だから、許してください」
「どうあっても、魔王にはなりたくないと?」
「はいっ!」
元気よく返事をしたら、魔王はこれまでのやりとりなんてなかったかのように、くくくっと笑った。
なにが可笑しいのか、僕だけじゃなくて家臣のシャルロットやルイララさえもわからなかったらしく、みんなで首を傾げた。
「やれやれ。シャルロットよ、エルネアを解放してやれ」
「よろしいのですか?」
「構わぬ。本人が拒絶している以上、
「よ、予想外だ……。僕はてっきり、なにがなんでも魔王にさせられるんじゃないかと戦々恐々としていたのに!」
「なんだ。其方は、脅せば魔王になっていたのか?」
「いいえ、拒否してましたよ!」
「であろうな。其方の意志は理解した。ただし……」
魔王は僕に押し付けるはずだった魂霊の座を
ごくり、と唾を飲む。
次はなにを言いだすんだろう……?
シャルロットは鞭を操り、僕を自由にしてくれた。
でも、僕は玉座に座ったまま、魔王の言葉を待った。
「散歩に付き合え。竜姫の同行を許す」
「はい?」
魔王の突然の話題転換についていけず、固まってしまう。
「ま、まさか……。僕が駄目なら、ミストラルを魔王にしようなんて考えているんじゃ!? 駄目ですよ。僕だけじゃなくて、家族の誰も魔王になんて成らせませんからねっ」
みんな逃げる準備だ、と自由になったことをいいことに、号令をかける。
どたばたと騒ぎだすみんな。
だけど、魔王はその様子を見て笑みを浮かべていた。
「
「あ、そうなんですね」
どうやら、僕の早とちりだったらしい。
でも、本当に諦めたのかな?
自分で言うのもなんだけど、あんなに
「さあ、付き合え。拒否は許さぬぞ」
言って魔王は、かしずく家臣の人たちやメドゥリアさんたちを残し、お屋敷から出て行った。
どうしよう、とミストラルを見たら、仕方がないから行きましょう、と頷かれた。
「それじゃあ、みんなは残っていてね。ちょっと散歩に行ってくるよ」
「んんっと、お土産ね?」
「な、なにか見つけられたらね……」
プリシアちゃんに手を振られて、僕とミストラルもお屋敷を出る。
外で僕たちを待っていた魔王は、こちらが追いつくと夕焼けが綺麗な死霊都市の街に出た。
それにしても、魔王になれという話からお散歩だなんて、魔王はなにを考えているんだろうね?
目的なんてないような足取りで歩く魔王のあとを、僕とミストラルはついて行く。
街に出ると、また見知った人たちが集まってきた。
だけど、魔族の人たちはこちらを目視した瞬間に、固まるか逃げ出した。
魔族なら、ミストラルが竜人族と見破れるからね。それと、正体は知らなくても、魔王の気配は読み取れるんだと思う。
明らかに顔を引きつらせたり、顔面蒼白になる魔族の様子が面白い。
奴隷の人たちは
結局、住民は集まっても僕たちに近づいてくる人はいない。
魔王は、街の人たちの様子なんて気にした様子もなく、ぶらぶらと歩く。
僕とミストラルも、どう対処していいのかわからないまま、あとに続く。
歩いていると、死霊都市の中心である死霊城跡地にたどり着いた。
ぽっかりと巨大な
魔王は、基礎部分から根こそぎ消失した窪地を見つめて、ようやく口を開く。
「ここは、死霊が支配していたとは思えぬくらい良い街だ」
「そうですね。このまま騒乱をやり過ごして、綺麗なまま都市が残れば良いんですけど」
「それなら、やはり其方が領主に立つべきであろうな」
「ぐぬぬ。僕は領地管理なんてできないです。だから、メドゥリアさんにお任せです」
「そうか。その辺りは其方の意思に任せよう。支援くらいはしてやる」
「ありがとうございます」
魔王は、死霊都市の様子を見たくて散歩をしたのかな?
「お
「……僕が特殊すぎるから、ですか?」
魔王の横に並び、一緒に窪地を見つめながら、魔王の言った言葉を考えた。
「ミストラルが竜人族だったり、耳長族のプリシアちゃんがいたり。竜族と仲が良かったり、魔族に狙われたりするからですか?」
「なにも、人族の世界で生活ができぬ、とは言わぬ。ただし、其方も周りの者も心安らかな人生は歩めまい」
「……僕が人族の生活圏で定住しちゃうと、竜族や竜人族の人たちが遊びに来ちゃいますね。そうすると、王国の人たちは大変になる。魔族の襲撃も、今後絶対に無いとは言い切れない?」
「そうだ。今はまだ祭りのあとで騒ぎ続けられる。しかし、それが十年二十年と続く、とは思うまい?」
「みんなのことを考えると、僕は人の住む場所から離れたほうがいいんですか?」
「人族の、だろう。だが、竜人族なら其方を受け入れられるだけの懐の深さがある」
「エルネア。わたしだけ竜人族だからあまりわがままを言えないと思って
魔王が僕とミストラルだけを連れて出たのは、他のお嫁さんたちが居ない場所で、彼女が竜人族としての意見を気兼ねなく言えるようにするためだったみたい。
そういえば、魔王は最初から僕の味方ではなく、ミストラルの後見人なんだよね。
「もしくは、素直に魔王になって魔族の国で暮らすことだな」
「嫌ですっ。魔王にだけはなりません!」
そして、魔王は僕の置かれている現状を、僕よりも正確に理解していた。だからこそ、僕たちのために魔王の座という安全な場所を用意してくれて、そこでみんなと暮らしなさい、と言っていたんだね。
「ミストラル……。わがままはいっぱい言っても良いんだよ。魔王の気遣いも嬉しいと思います。ありがとうございます」
そうか。僕は世界を感じようと必死に頑張っているつもりだったけど、どうやら自分の足もとや身近な未来のことに
目先としては結婚式のことも大切だけど、その後の生活も見据えないといけない。
「ええっとね。とりあえず、魔王になるっていう選択肢だけはないんだけど。これからのことをもっと真剣に考えるね。ミストラルやみんなの意見も聞いてさ」
なんとなく、誰も指摘しなかったら、このまま豪華な実家で腰を下ろしそうな気がしていた自分に気づく。
警備は行き届いているし、竜族たちが遊びに来られるだけの庭もあるし、みんなも満足だと思っていたんだけど……
でも、それじゃあ駄目なんだね。
魔王は、それを指摘したかったのかな?
僕が気づけなかったら、このままやっぱり魔王に仕立て上げられていたのかも。
だって、今でも僕に渡すはずだった魔剣を手にしているもの。
僕の思考に魔王はふふふ、と微笑んだ。
「結婚の儀までには、きちんと答えを出すよ。だから、もう少しだけ待っていてね。あっ、相談は随時受付中です。魔王も、それで良いですか?」
「わたしはエルネアを信頼しているもの」
「ふふふ、知っているよ。さっきも、僕は絶対に魔王になんてならないと信じてくれていたから、変な口出しをせずに安心して成り行きを見守ってくれてたんだよね」
「ユフィとニーナは半分面白がっていたけれどね」
ふふふ、とミストラルと目を合わせて微笑んでいると、突然背中に衝撃を感じた。
「おのろけは
「あああぁぁぁぁぁぁ……っ」
僕は魔王に背中を蹴られて、死霊城跡の窪地へと転がり落ちていった。
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